11-8 アトランチスの秘境に謎(笑)のそっくりさんを追え(1)
「行くわよノルン」
「うん!」
アリーゼの言葉にノルンが大きく頷いた。
ハーの族、メリダの里のアリーゼ・ルージュは今、妹ノルンと共に森外れの小さな店の前にいる。
心のエルフ店。
エルネ、ボルク、エルトラネ、そしてホルツと地元のエルフが土下座崇拝するエルフ憧れの店である。
現在のエルフ食生活はここから広がったと言っても過言ではない。
ここで働く伝説の料理人マオ・ラースの繰り出す様々な料理にエルフは泣き、笑い、教えを乞おうと列をなすのだ。
その名声はあったかご飯の人に勝るとも劣らない。
あったかご飯の人がエルフの未来を導く人であるなら、マオはエルフのご飯を導く人である。
この店の店主となった事でカイと並び立つ程の英雄扱いとなっていた。
マオの本職は勇者なのだがアリーゼにとってはどうでも良い。
「勇者? それよりご飯はまだですか?」だ。
「あぁ、壁の中にもこんな店があったらよかったのに」
「本当だよお姉ちゃん。あれだけ食べ物貢いだのにね」
壁の中で搾取されていた頃を思い出す二人である。
ひたすら作物を作り続けたのに食事は日に一種類。
それも人が搾取した余り物を適当に煮込んだだけの代物だ。
呪われていた頃は喜び感謝したが祝福に変わればそれはそれ。あれだけ納めていたというのにこの程度の扱いだったのかと憤慨したアリーゼだ。
しかしここは違う。
心のエルフ店はエルフのために作られた店である。
店主は人間だが客は皆エルフ。
訪れる人間は食材と生活用品を納入する人間とルーキッドとミルト、そしてアレクやシスティやソフィア、ガスパー位である。
「素晴らしい。何て素晴らしいのランデル!」
「本当だねお姉ちゃん」
こんな店が実在するとは夢にも思わなかった……
と、心のエルフ店に感動半端無いアリーゼとノルンだ。
エルフの家の間取りが心のエルフ店ばかりになる訳である。
これぞエルフの家だ。
アリーゼ一家もアトランチスに渡ったらこの家を建てようと決めている。
ベルガの案内に歩きに歩いて一ヶ月。
ようやくビルヒルトの地に着いたメリダの里の一行は一ヶ月ほどのビルヒルト滞在で新たなエルフの生き方を学び、明日アトランチスに渡る。
昔は大竜バルナゥの都合で少し待たされたらしいが最近異界経由のトンネルが開通したらしい。これからは行き来が楽になるとベルガが喜んでいた。
だがベルガは喜んでばかりという訳でもない。
オルトランデルに開いた異界トンネルから聖教国の壁に閉じ込められていたエルフがわんさかあふれ出たからだ。
その数、七十八里。
いきなり二万人程のエルフが増えた有様にどれだけだよと呆れたアリーゼだ。
心のエルフ店の店主マオもすごい人だが、あったかご飯の人は格が違った。
すごい人だわホント……近付きたくないけど。
マオは常識の範疇で偉大な人物だが、あったかご飯の人は常識の範疇から大きく逸脱している。
何しろ輝く。
言葉一つでぺっかーと輝いて土下座懺悔だ。
あの輝きは異界にも通用するのかと感心したがカイは元々その異界と縁があったらしい。
聞いたところ子供の芋煮が世界を救ったとか。
本人も不可解なら逸話もよくわからない人である。
大体、子供の芋煮って何よ?
人間とエルフの子供は芋煮なの?
その話を聞いた直後は聖教国の求婚を受けなくて良かったわと一人頷いたアリーゼだ。
人間と結ばれたとして生まれた子はエルフとして育てればいいのか芋として畑で育てればいいのか芋煮として食べればいいのか……と、深刻な顔をしていたら芋煮の生まれ変わりが今の三人の子供だよと教えられて大いに安堵したものだ。
ともあれ、いきなり大所帯になってしまったエルフにビルヒルト領は大わらわ。
領主のアレクとその妻システィ、エルフの長のベルガと長老らが一緒にどうしようかと相談し、ビルヒルトでの教育期間を短縮してどんどんアトランチスに送り出そうという結論に至った。
何しろこれからはトンネルで行けるのだ。
バルナゥ頼りの行き来ではなく異界を経由したトンネルだ。
マナを吸い込む異界からのトンネルとマナを吐き出すこちらからのトンネルを平行して繋げた複線トンネルは幅広設計。
トンネル同士でマナが循環する為世界が縮むこともない。
そしてすぐに異界に届くようにと互いの主が願ったトンネルに、ダンジョンなどという複雑怪奇なものは無い。
入ってちょっと歩けば異界。
そしてその先に続くトンネルに入ってちょっと歩けばアトランチスだ。
驚きの片道十分。
超絶便利になった往来にビルヒルトに集まったエルフは気軽にアトランチスへと足を運び、エルフがのびのび暮らしてる姿に感動してどんどん渡っていく。
アリーゼの里もその一つだ。
暮らしやすいとわかれば里の場所は早いもの勝ち。
今なら心のエルフ店に日帰りで行けるトンネル付近に里を開ける。森の人エルフだって便利で素敵な場所に住みたいのだ。
そんな訳で新天地を得て明日旅立つメリダの里は今日の夕方まで心のエルフ店が貸し切りだ。他の里のエルフ達が「いいなーいいなー」と言う姿にちょっと優越感を感じるアリーゼであった。
訪れたエルフは本日貸し切りの札を見て肩を落とし、ヒゲじじいの店まで走るかと駆け出していく。
ちょっと遠いがエルネの里にマオの一番弟子である長老が切り盛りする料理店があるらしい。先日メリダの里の長老が出向いて『あのヒゲじじい、出来おるわ』と感心していたのでアリーゼもそのうち行ってみようと思っている。
でも今は心のエルフ店だ。
出来るヒゲじじいの師匠、マオ・ラースの店だ。
アリーゼはドアノブを握り、力強くドアを開いた。
「「マオさん!」」
「おう、新入りの嬢ちゃん達」
ジュー……
肉を焼く幸せの音と湯気の向こうからニヤリ笑うのは巨漢ながらも器用に料理を作るエルフ女性の夫にしたい男ナンバーワン。
生ける伝説の料理人マオ・ラースだ。
マオはミルトという女性と付き合っているので夫には出来ないが、料理はがっつり食べられる。
そう。ハラヘリがあればね。
アリーゼとノルンは財布の中からギラリ輝く銀貨をかざす。
ペチンとカウンターに銀貨を叩きつけた二人はよだれ輝く笑顔でマオに注文した。
「カツ丼ちょうだいカツ丼!」「私ハンバーグ定食ー」
「アリーゼはカツ丼、ノルンはハンバーグ定食な。ちょっと待ってろ」
にこやかにマオは応じ、背後の扉を開いて食材を取り出した。
あれは保管庫と呼ばれるものだ。
オルトランデルが異界を突き抜けた際、食べ物を保管できる何かを望み生まれた戦利品の一つで、中に入れた食材が腐るのを防ぐそうだ。
理屈は良くわからないが願いから得た戦利品は皆そんなもの。
エルネの長老こと出来るヒゲじじいが最初に願ったそれは爆発的大ヒットを飛ばし、そのダンジョンが閉じた後はエルトラネの里が大竜バルナゥから材料を調達して類似品を作り続けているらしい。
さすがはエルフ。食べるためなら竜すら使う。
そしてさすがはあったかご飯の人の地元。エルフも進んでるわー。
と、感心しきりのアリーゼだ。
夢のお告げで色々知識を貰ったメリダの里とは雲泥の差。
桶はあっても鍋は無いのが普通のエルフの里。
メリダの里も祝福欲しさに人間が鍋を持って求婚するまではそうだった。
だがビルヒルト界隈では一家にひとつは大鍋があり、ランデル界隈ではサイズ可変やら魔石で煮込める等々のすごい鍋が出始めている。
竜峰ヴィラージュに住まう大竜バルナゥの庇護もあるランデルの地は、エルフの最先端をぶっちぎる土地なのである。
ちなみに心のエルフ店は毎日どこかの里からエルフが現れ動力源の魔石を補充していくらしい。
マオが何も言わなくても、エルフはしこたま貢いでくるのであった
「へい、お待ち」
「「わぁい!」」
ゴトリ。
ぞんざいに出された湯気あふれる一品にアリーゼとノルンは歓声を上げ、すぐに箸と匙を手に料理にかぶりついた。
二人ともまず食べるのは肉である。
口の中でジュワッとあふれる肉汁が二人の味覚を満たしていく。
噛むほどに熱く、そして旨い。
ホフホフと口の中を冷ましながら肉の味をじっくり楽しみ飲み込むと、二人は顔を見合わせにっこり笑った。
「ああ、ハラヘリすごいわハラヘリ」「そうだねお姉ちゃん」
そこから先は無言で箸と匙を動かす二人である。
素晴らしきはハラヘリだ。
何よりも好きな食べ物を選べるのが素晴らしい。
これ一枚で好きなご飯でお腹いっぱいほっこり幸せ。壁の中で過ごしていた頃には無かった超贅沢だ。
まるで魔法のようだわハラヘリ。
誰ですかこんな便利なものを発明したのは?
と、思いながら食べる二人はまだまだ新しい常識に慣れてはいない。ハラヘリ銀貨にご飯と交換するだけの力があると思っていた。
当然ながらただの銀貨にそんな力はない。
しかし魔法のようだとは的を射た例えでもある。
貨幣は価値がある事を誰かが定め、それを皆が認めたからこそ価値がある。
価値があるものと交換できる価値という間接的な価値こそが貨幣の価値であり、だからこそあらゆる価値のある物を統一された価値で結び付けられるのだ。
まさに幻想。まさに魔法。
「カツうまい丼うまいうまいカツ丼ごちそうさま!」
「ハンバーグうまいまじうまいごちそうさまでした!」
ひたすら食べに食べ続けたアリーゼとノルンは綺麗に料理を平らげると同時に箸と匙を置き、食後のお茶をずずーっとすする。
「美味しかったー」「とても美味しかったね。お姉ちゃん」
余韻にほっこり幸せ満足な二人だ。
「うまかったか?」
「「うん!」」
ブブンブンブン。
盛大に頷くエルフ娘二人。
「もういつ死んでも悔いは無いわ!」「おいおいこの程度で死ぬなよアリーゼ。食の世界はまだまだこんなもんじゃないぞ?」「本当?」「おう。俺もまだまだ修行中だからな」「まだまだあるんだねお姉ちゃん」「くっ……これは死んでも死に切れないわ。あと千年は生きないと」「おう。目一杯生きろアリーゼ」「生きて生きてマオさんの料理をずっと楽しまないと」「俺は人間だからあと五十年位でおさらばだなぁ」「「えーっ」」「えーっ、じゃねえよ。いつまでも人をこき使うんじゃねぇ」「「えーっ」」「自分でやれ自分で」「じ、じゃあエルフの祝福で」「やだよ面倒臭い」「「えーっ」」「生きたいように生き、老いれば死ぬ。それでいいじゃんか」「そ、そんなぁ……私のあったかご飯が」「こんなにご飯が美味しいのにもったいないよマオさん」「だから自分でやれ自分で」
ガハハと笑うマオである。
勇者級まで上り詰める程死と蘇生を経験した彼は自らの生を楽しみ、いつ訪れるとも知れない蘇生出来ない死を既に受け入れているのだ。
あぁ、マオさんやっぱり脈無いわ……
恋多き乙女真っ只中のアリーゼはがっかり半端無い。
「マオさん、この味決して忘れないわ」「ごちそうさまでした」
「何言ってやがる。今はアトランチスなど日帰りなんだからまた来いよ」
マオは戸棚をガサゴソと漁ると銅貨を一枚取り出した。
「アリーゼ、釣りだ」
「……ゴミ?」「んー?」
カウンターに置かれた銅貨に首を傾げるアリーゼにマオは笑う。
「それは百エン銅貨だ。それ十枚で銀貨一枚と交換できる」
「つまり十分の一ハラヘリ?」「まあ、そうだな」
「ちょうだい!」
ハラヘリと分かったとたんに素早く財布に収めるアリーゼだ。
「私は? 私はお釣りないのお釣り?」
「んー、ノルンのハンバーグ定食は千エンだからなぁ、一ハラヘリぴったりなんだ」「あうー……」
羨ましげにアリーゼの財布を眺めるノルンである。
「ノルンもお姉ちゃんもお腹いっぱいで一ハラヘリなのにお姉ちゃんだけハラヘリがちょっと戻ってくるなんてずるいなぁ」
「それは考え方が違うぞノルン」「えー?」
「ハラヘリってのは食べる者ではなく作った者が腹が減ったかどうかなんだ。それを作るのに一回腹が減ったから一ハラヘリって事だ」
「んー、でもマオさん私とお姉ちゃんのご飯作ってもお腹空いてないよね?」
「いやー、ご飯の材料を作った人に俺がハラヘリを支払ってるからな。それに俺のハラヘリ分を足した分がこのエルフ店のご飯代だ」
「んー、つまり私が食べたご飯に関わった人のお腹の空いた分がハラヘリなんだね?」「そうだぞノルン。獣や米を育てた者、肉を切り分けたり米を収穫した者、運んだ者、そして料理した俺。みんなの頑張りの合計がお前らの払ったハラヘリだ」「おおーっ」
ノルンはつぶらな瞳を大きく瞬かせ、ピョンピョンと嬉しそうに跳ね回る。
実際には利益や食品以外の費用も入っているがマオはまるっとスルーした。
そのあたりはハラヘリを扱うようになればやがて気がつく事だろう。食べもの以外にもお金はがっつりかかるのだ。
「すごいねーお姉ちゃん。頑張ったらその分たくさんご飯が食べられるよ。お腹空く位頑張れば一ハラヘリだよ!」
「それはすごい。アトランチスでは育てまくるわよノルン!」「うん!」
「……異界が顕現しない程度に程々にな?」
「「えーっ」」「えーっ、じゃねえよ。困るんだよ俺ら勇者が」
「聖教国では異界も収穫してたわよ?」「そのアホな国は今困りに困ってるぞ。カイが異界とナシ付けたから今でも滅んでないだけだ」
「「うわぁ」」
異界とナシ付けるって、すごい人だなぁ……
カイの謎の活躍っぷりに唖然とするアリーゼとノルン。
ビルヒルト領で会った領主のアレクはカイがカイでカイだからとすさまじい持ち上げっぷり。
カイの妻達の出身里では彼のあまり美味しくない芋煮を魂のご飯と呼び彼が里を訪れれば土下座で作ってもらうのだと自慢する始末だ。
ホルツの里の長老ベルガは他者よりも冷静だがカイには賞賛を惜しまない。我らエルフをご飯だけで呪いから開放したすごい男だと言っていた。
落ち着いて暇が出来たら聖地巡礼でもしてみようかしらと思う位には興味がわいたアリーゼだ。
「まあ、あの人ならその位出来ても不思議はないか」「そうだねー」
「散々だなあいつも……」
二人のカイ評価にマオが何とも切ない顔をする。
ともあれ今は美味しいご飯でお腹一杯満足一杯。
アリーゼとノルンはまたいつかこの店に来ようと二人頷き、明日旅出つアトランチスへと思いを馳せる。
誰にも搾取されないメリダの里の新たな一歩。
里が栄えるも廃れるも神から授けられた世界樹の実の育て方次第。
そう、人ではなく自分次第で決められる未来だ。
「じゃあ、また来ますねマオさん」「またハラヘリ持ってきまーす」
「おう、アトランチスでもしっかりな」「「はぁい」」
明日への期待にワクワクしながらマオに深く深く頭を下げ、店を出ようとしたアリーゼとノルンだが二人が扉に手をかける前に扉を開く者がいた。
「あ、すみません」「いえ、どうぞお先に」「どうぞー」
「ありがとう」
扉を開いて入ってきたのはアーの族のエルフだ。
歳はカイの妻であるミリーナと同じ位だろう、百歳ちょっとの若いエルフ。
メリダの里の者ではない。
「すまんなスピー。今日は夕方まで貸し切りなんだ」
するとエルフの少女はうふふと笑う。
「食べ物でなければいいんですよね?」「おぅ、それは構わん」
スピーと呼ばれた少女は椅子とテーブルが並ぶ部屋をするり抜けると別の部屋へと続く扉を開いた。
「あんな所に扉があったかしら?」
「お姉ちゃん、あっちは物置だよ。食べられないものしか置いてない所だよ」
「あぁ。こんな場所作るなら座席増やしてよと思ったガラクタ部屋ね。記憶から除外してたわ」
「お前ら、切ねぇなぁ……」
ちなみに物置ではない。
生活用品など食べ物ではない品を売っている部屋だ。
アリーゼとノルンが何してるんだろと首を傾げて眺める先、スピーは品物を色々と見比べた末に何かを持って戻ってきた。
「これください」「ほう、髪飾りか」「はい」
花の模様をあしらった木彫りの髪飾りだ。
にやけるマオに頬を染めてスピーがはにかむ。
「これで彼のハートを射止めるんです」「デートか」「はい。私もミリーナみたいに良い旦那さんを見つけなきゃ」「あれは参考にならんだろ」「そうですね」
がはははうふふふ……
アリーゼとノルンの前で二人が笑う。
マオに一ハラヘリを支払ったスピーは鏡の前で髪飾りの位置を細かに調整し、これでよしと拳を握って心のエルフ店を後にする。
ドアが閉まると驚愕に叫ぶアリーゼとノルンだ。
「信じられない! 食べ物以外にハラヘリ支払ってる信じられない!」
「うん、これがランデルなんだねすごいねお姉ちゃん!」
「お前ら……今度来たら何かサービスしてやるよ」
「「わぁい」」
色気より食い気とはよく言ったものだ。
食への執着半端無いエルフのおしゃれは今、始まったばかりなのである。
その後、貸し切り心のエルフ店を堪能したアリーゼとノルンらメリダの里の皆はオルトランデルに用意された宿舎に泊まり、次の日アトランチスへと出発した。
今回は二話投稿です。
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