10-13 あ、あの……私、何かやっちゃいました?
『おお! 邪竜様が異界を食っておられる!』
オルトランデルが貫いた異界。
オークの戦士が歓声を上げ指さす先、空を舞うバルナゥがマナブレスを放った。
漆黒の異界が瞬く間に揺らぎ、そして消えていく。
その火力は芋煮やシスティ達勇者の比ではない。
バルナゥは空を舞い、小まめにブレスを放って異界をどんどん消していく。
『また潰したぞ!』『はやい!』『なんという御力だ!』
その度にオーク達が歓声を上げ、やんやと手を振り賞賛した。
「さすがはバルナゥ」
「だね」
システィ達勇者もオーク達と全く同意見だ。
イグドラにカトンボと称され顕現した主にこてんぱんにされたバルナゥも、貧乏世界に顕現する程度の異界ならば敵ではない。
異界の顕現とはマナを奪う行為。
格上過ぎれば瞬く間に討伐され、格下過ぎれば吸い上げるマナの量が少なすぎていつまで経っても元が取れない。
神々は自らの世界が儲かるように世界を選んで侵攻する。
だから、自らの世界よりもちょっと弱い異界を狙うのが常だ。
イグドラが顕現させた強大な主はベルティアが別の神に頼んだ特殊事情。
そしてカイのダンジョンがこの異界に顕現したのもベルティアがこの世界の神エリザに頼んだ特殊事情。
バルナゥはこの世界に顕現する異界の存在としては強過ぎるのであった。
「……一ヶ月じゃ元は取れないかも。どう見ても対等な世界じゃないもの」
「そうだね。カイには悪いけど」
バルナゥ無双にシスティとアレクは呟き、近くの異界に武器を構えた。
空を舞うバルナゥに遠くをまかせ、近くの異界で戦う芋煮とオークを援護する。
異界で異界を討伐したとき、自分達がどうなるかは分からない。
だからシスティ達が異界に突入する事はない。
異界を討伐するのはあくまで芋煮とオークの役目だ。
システィは少しだけマナを杖に注ぎ、明かりの魔法を発動させた。
この世界で同じように魔法を使えるか、わからないからだ。
「……いけるわね」
杖の先に輝きを確認したシスティは杖にマナを注ぎ込み、異界で初めての魔撃を発動させた。
「空牙!」
システィの声と共に数多の風の渦が生み出され、標的に向かい放たれる。
標的は芋煮とオークが戦っている怪物達。
風の渦は混戦となった味方の隙間を縫うように飛んでいく。
芋煮を避け、オークを避け、愛芋煮を避けたシスティの魔撃は狙いたがわず怪物の頭を直撃した。
ぼくんっ……
鈍い音を立てて怪物の頭が弾ける。
渦を巻いた風の刃が怪物の頭を粉々に切り刻んだのだ。
「さすがシスティ」
「まだまだ!」
システィの魔法は次々と怪物に襲いかかり、致命的な一撃を叩き込んでいく。
それはまるで獣の牙。
怪物とつばぜり合いをするオークの筋肉をなぞるように飛んだ風の渦は怪物の懐にすんなりと入り込み、致命的な部分を食い破る。
『暗黒勇者様!』『さすが暗黒勇者様!』
『これが淫蕩恐妻システィ「その呼び方、やめて」……ああ恐ろしや!」
どれだけ周囲にオークや芋煮がいても巧みに避け襲いかかる渦に、怪物たちはいいようにやられていく。
オークと芋煮で怪物を牽制して隙を作り、渦がその隙を突いて攻撃する。
獣の群れが獲物を狩るときの役割分担と同じだ。
やっぱり弱い……
拮抗していた戦いはすぐにこちらの優位になり、芋煮とオークが怪物を蹴散らし異界へと突入していく。
システィは周囲に散る怪物を残りの渦で仕留めると、己の回復を願い叫んだ。
「マナ!」
ずぉん……
異界のマナがシスティの願いに世界のマナへと変わり、システィのマナを補充する。
顕現した異界の怪物は願いで世界を食らうのだ。
種芋でも食えるのに人間が食えない訳がない。
システィはそれを実践したのだ。
しかしシスティは首を傾げ、マオに手を差しだした。
「んー、やっぱ戻りは良くないわね。マオ!」
「ほらよコップ水……それにしても俺、相変わらずのコップ水係だな」
「あら、獲物はたくさんいるから好きなだけ戦ってきていいのよ?」
「やだよ。水ってのはすげえ重たいんだぞ姫さん」
「知ってるわ」
システィが飲み干したコップをマオが受け取り、再び水を注いで芋煮達を回復したソフィアに渡し、さらに水を注いでミルトに渡す。
マオが背にかついでいるのは水袋だ。
戦えるように装備を整えてはいたが、重要なのはコップと背負う水袋。
今のマオはシスティやソフィア達魔法使いの頼れるコップ水タンクなのだ。
「次はあそこね」
芋煮とオークが突入した異界はまだ消えていない。
しかしシスティは次の異界に狙いを定め、瞳をマナに輝かせながら歩き出す。
「システィ、ミルトさんがいますから注意して下さい」
「適度に離れて付いて来て。アレク、行くわよ」
システィは歩みを止めずにソフィアに告げる。
今度の異界は芋煮もオークも全くいない。
漆黒に浮かぶのは主の影。顕現直後の異界だ。
さらに周囲には複数の新たな漆黒の渦が現れている。
さらなる顕現が起こりつつあるのだ。
こんな狭い範囲にまだ増えるの? どんだけもろい世界よ……
と、システィは呆れながら杖にマナを流し込み、極大魔法を発動させた。
「雷神!」
旋回する風の刃が主達を包み込む。
システィの魔法の前に主達はあっけなく切り刻まれて、異界と共に消えていく。
そのあっけなさは魔法を発動させたシスティが驚くほどである。
相手は主だからと極大魔法を叩きこんだが思った以上のあっけなさだ。
「ええーっ? マオ、水!」
「ああもう、もったいねぇなぁ姫さん」
「だって主よ? 私達がいつも苦戦してる主よ?」
「さっき俺らと対等な世界じゃないって言ったじゃねーか。そんな世界に顕現する異界の主だって弱っちいに決まってるだろ」
異界のマナを吸いながらマオに水を要求し、システィは自らの勇み足を戒める。
システィは相手を過大評価していた。
思っている以上に相手はヤワだったのだ。
極大魔法はマナを大きく消費する。
これからどれだけの異界が顕現するかも分からないのにあんなチンケな相手に極大魔法をかけていてはいずれこちらのマナが尽きる。
芋煮もオークも手一杯。
エルフという鉄壁の盾と数樽もの水を用意したビルヒルト討伐戦とは違うのだ。
「ほらよ」
「ありが……と……」
システィはマオから受け取ったコップ水を飲もうとして、周囲に湧きだす漆黒にたまらず言葉を失った。
待て、ちょっと待て、多すぎる。
皆の周囲に渦を巻く漆黒、数百。
あまりに非現実的な出来事にシスティはイグドラに食わせた異界を思い出す。
あの時の顕現は億兆という桁違いの数であったが意図的にマナを枯渇させて引き起こしたものであり、今のように何もしていないのに顕現した訳ではない……
いや、そもそもこの地のマナは増えているはずなのだ。
異界を即時討伐しているのだから。
「この、貧乏世界がああっ!」
どんだけ薄っぺらだよこの世界!
空に叫び心で毒づくシスティだ。
個の力量では優位でもさすがに数が多すぎる。
システィ達は集まり、ミルトを囲んで武器を構えた。
「ミルトさん! 危険ですから前に出ないで下さい!」
「私はもう天に召される歳なのですから、皆様は己を大事になさって下さい」
「そういう訳にはいきませんよ!」
いつもと変わらぬミルトに困るソフィアである。
「異界に倒れるならそれも私の道です」
「あはははミルト婆さんらしいや。でも僕がちゃんと守るから」
「アレクはもっと自分を大事にしなさい。カイもカイルも悲しみますよ」
「くーっ、肝の据わったいい婆さんだぜ。ここがランデルならすぐ口説いたのに」
「あら嬉しい。生きて戻ったら口説いてくださいね」
「よっしゃミルト。俺が美味い飯を食わせてやるぜ」
アレクとマオが不敵に笑う。
漆黒の渦から主達が顕現し始める中、覚悟を決めたソフィアがミルトに告げた。
「ミルトさん。この前、攻撃魔法をお教えしましたよね?」
「え? あぁ、回復逆魔法の事ですね?」
「そうです」
答えるミルトにソフィアが頷く。
回復魔法使いは肉体と魂の扱いに長じた魔法の使い手だ。
回復とは肉体と魂を状態に応じて再び組み立て、繋ぎ直す複雑な魔法。
そしてそれが出来る者は、回復しないように回復魔法を使う事も出来る。
肉体と魂が損壊するような回復も可能という事だ。
ソフィアはカイがこのダンジョンの主となった際、もしもの時のためにとミルトにそれを教えていた。
より効率的に肉体と魂を損壊させる回復魔法、回復逆魔法をだ。
「すみませんが手が足りません。わずかでも構いませんからお願いします」
「は、はい……回復を意図的に歪めるんでしたよね……こう、かしら?」
ミルトはソフィアに教わった通りにマナを操り、漆黒へと放つイメージで掌をかざす。
その直後……
ミルトの掌の先に存在していた漆黒の異界が、一瞬で全て消滅した。
「「「「え?」」」」
今、何が起こった?
漆黒の異界に囲まれた皆はただ、唖然とするしかない。
「え、えーと、今のでいいんですよ、ね?」
「……」
ソフィアは何も答えられない。
ミルトは相手が消えたから良かったのだと判断し、範囲回復魔法にも応用できることを思い出す。
回復逆魔法は回復魔法を歪にしたものだ。
範囲回復魔法を歪にすれば範囲回復逆魔法になる。
「私にも何とかなりそうです。今から範囲回復逆魔法をかけますから皆さんは血路をお開きください。私達の世界とこの世界を対象から外して……と」
「え……?」
「行きます!」
ソフィアが冷や汗を流す中、ミルトが両手を天に掲げたその直後……
この世界から、カイ達の世界を除く全ての異界が一瞬で消滅した。
「「「「え?」」」」
綺麗さっぱり消えた異界に唖然とするしかない皆である。
そしてそのままミルトを見つめる皆である。
皆、ミルトのおかげで助かった。
それは間違いない。
しかし何が起こったのか誰も全く理解出来ない。
目の前の出来事を受け入れられずにいるのだ。
「あ、あの……私、何かやっちゃいました?」
それはミルト本人も変わらない。
何かとんでもない事をしたのでは……
と、ミルトはオロオロしてソフィアを見るがソフィアも何も答えられない。
こんなこと、イグドラが世界にいた頃の世界樹の枝葉ですら不可能だからだ。
一瞬で静寂に変わった戦場に、オークのひとりが呟く。
『……邪神様だ』
その呟きにオーク達が絶叫した。
『そうだ! 邪神様だ!』『邪神様!』『邪神ミルト様!』
ひどい言いようである。
そして邪と表現しながら崇める彼らの切なさである。
ここにいる皆は知る由も無いがこの世界に侵攻中の異界は今、カイのダンジョンただひとつ。
オーク達の世界はミルトの範囲回復逆魔法によって、ひとまず窮地を脱したのだ。
が、しかし……ソフィアはミルトの肩を掴む。
「ミルトさん……今の事は忘れましょう」
「え?」
「何が起こったのか私にはさっぱりですが、誰かが知ればロクな事にならない事だけはわかります。決して誰にも語らず、そして二度と使わず、墓まで持って行って下さい」
「は、はい……」
真剣なソフィアにミルトはカクカクと頷いた。
幸いな事にここはミルト達の住む世界ではない。
ここにいるアレク達が黙っていれば済む事だ。
しかし勇者達やバルナゥが黙っても、この世界の者は黙りはしない。
自らの生存を賭けた者ならなおさらだ。
一部始終を目撃した老オークは懐から魔道具を取り出し、呟く。
『生きておるか? 我らが勇者よ……』
と……
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