幕間2 ダーの族、ボルクの里のルー・アーガス
「じゃあ俺は戻るから」
「次は二日後の朝えうね」
「待ってる」
日が傾き始めた森のはずれで、ルーはミリーナと共にカイを送り出していた。
カイ・ウェルスは人間である。
森に住むエルフではない。
だから人間の世界に住んでいる。カイはこの近隣のランデルという町に住み、そこで青銅級冒険者として生活しているのだ。
カイにとって森は仕事場だ。
一週間のほとんどを森で過ごしているが森はあくまで仕事場であり狩場だ。
森の恵みである薬草を摘み、キノコを摘み、時には獣を狩る。
……全部私達がしていますが。
むふん。
ルーは隣で見送るミリーナをちらと見て自慢げに口元を歪ませる。
彼が背負う薬草袋は八割がルーとミリーナが摘んだものであり、キノコは全てがルーの背中から生えたものだ。
肩に担いだ獣に至っては肉肉と騒ぐミリーナがえうえうと狩ってくる獣を戻すくらいの明らかなオーバーハントだ。
ですが、ミリーナの気持ちはよくわかります。むふん。
焼き菓子大好きボルクの里のルーも最近肉食に目覚めたエルフである。
ミリーナが竜牛がうまいえうまじうまいえうと騒ぐので狩ってみたらあまりの美味さに涙が溢れた。
猪や鹿、牛とは比べ物にならない美味さである。
竜牛、竜の牛、つまり竜はもっと美味い?
と、興味津々なルーである。
しかし口には決して出さない。興味津々ではあるが。
里が束になって戦っても竜のマナブレスの一吹きで全滅するだろう。
膨大なマナを当てて様々な変化をもたらす竜のブレスは無の息吹に呪われたエルフでも防げない。樹木のように燃えはしないがあまりに膨大なマナは存在そのものに多大な影響を及ぼすのだ。
あれはもう別次元の存在。飛ぶ姿を拝んでいるのが妥当。
ルーは心の中で一人納得する。くどいようだが興味津々ではあるが。
そんなルーをカイは何かを求めていると思ったのか顔を覗きこんできた。
「ルー」「む?」
「焼き菓子はちゃんと買ってきてやるから。薬師ギルドからも依頼を受けているからボルクの皆も喜んでくれるだろう」
「むふん」
どうやら焼き菓子の心配と勘違いしたらしい。
ルーは頷きながらカイの言葉に簡潔な返事を返す。
ボルクの里は今頃皆でペネレイの移植をしているはずである。
あの界隈のエルフが焼き菓子嫌いという事にして冒険者達に焼き菓子を供給させ、ボルクは対価としてペネレイ移植とまぎらわしいキノコ除去を担当する。
カイがまんじゅうこわいと称したそれにランデルの薬師ギルドが乗り、焼き菓子をばらまく事でエルフを排除しペネレイの安定供給を目論んでいると依頼を受けたカイが教えてくれた。
人間はしたたか……
転んでもただでは起きないのはカイだけではない。人間全体に言える言葉でもあった。
「ペネレイを出すのも程々にしておけよ。やつれるぞ」「む」
「……」「なに?」
「まあいいか。ミリーナ、他の冒険者に見つかるなよ」「えう!」
カイはため息をつきながら首を振り、ミリーナに後の事を任せて街道への獣道を歩いていく。
ミリーナが手をぶぶんぶんぶんと振ってカイを見送る。
ここは森の外れだ。
少し先で森は途切れ、街道という人の道が森を貫いている。
その先は草原、そして人間の畑が続きその先にカイの住むランデルの町がある。
「ルー、見送るえう」「む」
カイが木々の陰に紛れるとミリーナが移動を宣言して歩き出す。
鬱蒼と茂る木々の間を縫うように歩き、ランデルの側へと二人で歩く。
ミリーナはエルネからカイの護衛を任されている。
人間の世界に出る事はカイの迷惑になるため出来ないが森近くの街道をランデルの近くまで見送る事はミリーナの忠犬としての務めであった。
駄犬駄犬と呟かれても忠犬を目指すその心意気、みごとです。
同じく駄犬と呼ばれているルーがぐっと拳を握り付いて行く。
ルーは水とペネレイの供給であまり駄犬と呟かれなくなっていたが時には言われる事もある。
それらは全てご飯と焼き菓子絡み。
食で駄犬になってしまうのはエルフのどうしようもない宿命だ。
カイの姿はもう見えない。
しかしミリーナはえうえう言いながら森の中を縫うように歩く。
今、ミリーナが見ているのはカイのマナだ。
魔法を駆使する者はマナを細かく知覚できる。
元々の素質に加え世界樹の呪いにより全員が強力な魔法使いであるエルフにとってマナの流れで個人を特定する事は決して難しい事ではない。
その知覚範囲はおよそ三百メートル。
火が消えたら全速力で逃げろと人間冒険者は教わっているようだがエルフの知覚はそれより広く、近づかれたら並の人間に逃げる手段は存在しない。
呪いで周囲を森に変えるエルフは無用なトラブルを避けるために人間をうまく回避していたのであった。
ご飯には抗えなかったが。
「カイが他の冒険者と接触したえう」
「む」
ミリーナの足が止まり、瞳が強いマナに輝く。
魔法の発動前兆。ミリーナは状況によっては風の魔撃を撃ち込むつもりでいるのだ。
そこまでしなくてもと思いながらもルーも水の魔撃を準備する。
人間同士の関係はエルフよりもややこしい。呪いにより制約を受けたエルフと違いさまざまな可能性を持つ人間は互いの可能性の衝突がよく起こる。
可能性の衝突とは、要するにやった者勝ちという事だ。
ルーはボルクの里の長老からエルトラネの里付近の異界顕現で人間が何かをしていると聞いている。
世界が沈む異界顕現に関わるなどまさにやった者勝ちの世界だ。
ルーとミリーナがエルトラネ絶対拒否を宣言しているのはエルトラネの里に自分らが関わりたくないだけではなくカイへの心配も含んでいるのだ。
まあ、カイは安心安全の人だから心配そのものが無意味でしたが……
薬草で満足しペネレイで喜ぶカイは異界もダンジョンも興味が無い。
今日も鹿の肉で貯蓄が増えたとカイはホクホクであった。
鹿一頭でご飯三十食程度、エメリ草一株の十分の一だと言うのにホクホクなカイは自らの力量に合った成果にこだわっている。エルフと共に過ごす事になった彼はやった者勝ちの標的にならないよう注意して過ごすように人生設計を変更したのだ。
ホクホクの笑顔を思い出して微笑むルーの視線の先、カイは接触した冒険者と何かを語り、担いだ獣を冒険者の引く荷車の上に置くと一緒にそれを引き始めた。
「どうやら仲間のようえうね。荷車に獣を乗せたえう」
「よかった」
ルーとミリーナの瞳からマナの輝きが消えていく。
二人の見つめるマナの先、カイと冒険者はなにやら楽しげに会話しながら街道を歩き、森を抜け、草原を抜けて畑の中を歩いていく。
ルー達は冒険者に注意しながら森の外れまで歩いてカイを見つめ続け、完全に人間の範疇に入ったところで安堵の息を吐いた。
あそこまで行けば冒険者もやった者勝ちでは済まされない。この地で最強のやった者勝ち人間である領主がいるからだ。
ランデルにいる限り冒険者は領主のルールに縛られる。そして領主は税を得るというやった者勝ちのために他の勝手が制限される。
つまりもうカイは安全という事だ。
ミリーナは見送り終了えうと宣言すると少し森の深くに入り、そこに天幕を張り始めた。
飯の事になるとエルフは皆真面目である。
人間世界ギリギリの場で天幕を張るのは少しでもカイの近くにいるためだ。
天幕は遠目ではミリーナらがエルフと分からないようにカイが買い与えたものなので見られた位では問題無い。
要はエルフと知られなければ良いのである。
ミリーナは手際良く天幕を張るとカイに貰った食料と荷物を別れた場所から近くに運び、寝床にごろりと寝転んだ。
「ルーも寝るえう、寝るえうよ」
「せまい……」
日が沈み始め、夕日が世界を赤く染める。
どう見ても一人用の天幕にルーは入るとミリーナの横にごろりと寝転んだ。
「えう……なかなかきついえうね。というか何えうかこの乳柔らか苦しいえう」
「揉まないで……あっ……」
ミリーナの蠢きにルーが悶える。
一人分の寝床に二人はなかなかに狭い。
カイも寝る事が出来る天幕はミリーナの背なら頭の上に余裕が出来るため、ルーが体を少しずらしてミリーナを抱えるように寝る事になる。
ルーの胸のあたりに顔が来るミリーナは目の前のボリュームに目を見張り、自分のささやかなそれにえうーと唸っていた。
「今度カイに二人用の天幕を買ってもらうえう」「む」
「でもカイはソロ冒険者なのに二人用の天幕とか怪しまれるとか言いそうえう」「む」
「適当な理由を付けて買ってきて欲しいえうね」「む」
「……」「なに?」
何か言いたげに見上げてくるミリーナにルーは首を傾げ、胸の大きさに文句があるのかと恥ずかしげに目を伏せる。
ミリーナが柔らか苦しいと称した胸はキノコとは違い勝手に育ったものである。それに文句を言われてもルーは困るのだ。
しかしミリーナの言いたい事は胸の事では無かったらしい。彼女はカイとの別れ際にルーが取った態度を気にしていたのだ。
「もう少し色々と話した方が良いえうよ。カイが心配してるえう」
「そうなの?」
「えう。ルーは役に立つけど黙って無理をするから後が困りそうだと言ってたえう。忠犬を目指すミリーナ達はカイを困らせるのはダメえうよ」
「忠犬……」
「えう。なかなか駄犬から出世しないえうが……とにかくペネレイの生やしすぎはカイが困るえう。ご飯が豊かになるえうが、肉汁吸ったペネレイはこれまた絶品えうがカイが困るので程々にするえうぅ」
ご飯とカイでカイを選ぶあたり忠犬っぽいえぅ……胸に顔を埋めてえううと呟くミリーナをルーはきゅっと抱きしめる。まだルーの半分しか人生を歩んでいないカイの飼犬先輩は何とも可愛らしいエルフだった。
ちなみにルーの十分の一以下のカイはとても頼もしい飼主だと思っている。
ボルクの里に至ってはカイを焼き菓子様と拝んでいる。現人神扱いであった。
そういえば……
ペネレイの生やしすぎの会話でルーは初めて会った時の事を思い出す。
カイと出会い、焼き菓子のためにペネレイをひたすら生やして倒れたあの日。
カイはルーに世界樹の葉というとてもとても大切なものをルーに使ってくれた。
「ミリーナ」
「何えう?」
「カイが私に使った世界樹の葉……あれは、あなたの?」
「……どうしてそう思うえう?」
「人間の世界であれはとても珍しいと聞いた。カイが持てるようなものではない」
「……そうえう。でもカイの決めた事ならきっと満足えう……えぅよ……」
ぐしっ……
ミリーナが鼻をすする音にルーはぎゅっと抱きしめる。
人間の世界ではとても珍しい世界樹の葉はエルフにとって大切な、とても大切なものだ。
それをカイという人間に委ね、そして使われ失われた……
焼き菓子目当てのルーが不要なペネレイを生やし続けた無意味な行為でそれが失われたのだ。
永遠に……
そう、もうどこにもそれは無い。
「ごめんなさい」
「いいえう! カイならいいえう! カイはミリーナのあったかご飯の人えう……でも、カイには絶対言わないで欲しいえう。優しいから絶対悩むえう、律儀だから絶対負い目を抱くえう……ミリーナはカイの忠犬を目指しているえうよ。今まで通りがいいえうよ」
「ん、わかった。謝るのは終わりにする」
「えう、寝るえうよ。起きたら携帯食料と焼き菓子で盛り上がるえうよ」
「ん、おやすみミリーナ」「えう」
二人はきゅっと体を寄せて、互いを温めるように眠りに付く。
日はもう沈み、世界は夜の闇に閉ざされ始めている。
夜目の利かない人間はこんな時間に森を歩かない。ミリーナらのように天幕を張り、交代で見張りをしながら休息している事だろう。
ランデル付近の森最強の生物であるエルフは見張りを立てる必要はない。ほとんどの者は世界樹の守りを突破できず、突破できるほどの者はマナの動きで探知できる。
元々ランデル付近の森は物騒とはほど遠い森である。ミリーナも、そしてルーも心配など全くしていなかった。
二人は寄り添って眠り、日が昇る前に起きて携帯食料と焼き菓子を食べて天幕を畳み、昼くらいまでランデルの門を睨んで干し肉をかじり、周囲の薬草の様子を確認し、カイに危害を及ぼしそうな獣を駆逐し狩場を整備する。
そして夜は再び天幕を張って二人で眠り、明日戻ってくるカイとあったかご飯を待ちわびるのだ。
「えうーっ。この、この柔らか乳が憎いえう」
「だから揉まないで……あっ」
「これでカイを誘惑したえうね。どうするえう? どうやって誘惑するえうか?」
「こう、体のやわらかラインを強調するようにくねらせて……」
「えう、こうえうか? こうえうか?」
「なんか、違う」
「何が違うえう?」「えう、が」「えうーっ!」
狭い天幕の中で二人は踊る。
まだ大人の入り口に立ったばかりのミリーナはルーの年季には及ばない。結婚適齢期真っ只中のルーの魅力は半端無いのだ。
「これでまたカイを誘惑するえうか? あ、あの大層立派なキノコに時折難儀してるえう」
「あぁ、あれは立派でした……」
介抱したあの時を思い出して二人で赤面する。
カイが意識を失う中、二人の目の前でムクムクと生えてくるキノコはルーのペネレイなど問題外の迫力と肉感であった。
しかし……胸元でえう? と聞いてくるミリーナに、ルーはゆっくりと首を振った。
「でも、カイはそんな事、求めてはいない」
「えう。責任取るとか言いそうえう」
そう、カイはエルフの呪われた魅力にフラついているだけだ。世界樹の呪いの影響を受けているだけだ……
そう思うルーの胸の奥がチクリと痛む。
ルーとボルクは彼に導いてほしいのだ。焼き菓子とペネレイの取引関係を構築したように駄犬を導く頼もしい飼主であって欲しいのだ。
それに……
ルーは頬を染め、言いにくそうに呟いた。
「それにカイ、時折呟いてる。ここで寸止めとか生殺しだよなぁ、と」
「その後にも困るえうね。これからも知らない振りえうね」
「ん、それがいい」
ルーとミリーナは互いに頷く。
飼主の事を心配するとか忠犬えぅと二人で笑い、明日を夢見て眠りにつく。
その夜、ルーは焼き菓子の森で食べ放題という幸せな夢を見た。
「おはよう」「遅かったえうね!」「おはよ」
次の日の早朝からランデルを見張り、カイを見つけて警護する事約二時間。
いつもの場所に陣取ったルーとミリーナは挨拶するカイに『今までここにいました』と盛大にアピールしながら挨拶を返した。
カイには知られてはいけない。
ルーとミリーナは彼の目を盗んで頷き合う。
知ったら絶対やめろと言われてあったかご飯ボイコット。
それだけは断固避けなければならない。
そして少し離れた場所に置かれた大量の焼き菓子にルーはダラダラと涎を垂らす。
そういえばペネレイ移植地のエルフ避けに焼き菓子をばら撒くとか何とか言っていたなと思い出し、正夢だったと内心狂喜乱舞のルーだ。
まあ、食べるのはボルクの里の皆に譲らなければならないのだが。
「さて、今日も飯から行こうかな」
「えう! 肉えう肉肉えうね! えぅこんなところに竜牛が「もどせ」えうぅ……最近竜牛が食べられないえう」
「そんなの売ったら目立つだろ。どうせエルネで飼ってるんだろ来月まで我慢しろ」
「えうーっ」
ブモー、えうー。
竜牛と共にミリーナが叫ぶ。
カイはミリーナに取ってこいならぬ放してこいを命じ、かまどに鍋を設置した。
「まったく、干し肉マシマシで我慢しろ。ルー、水」
「ん」
かまどに置いた鍋にルーが水魔法で水を注ぎ、満たしていく。
何ともいえない表情で見つめるカイにああそう言えばとミリーナの言葉を思い出す。
カイが心配するからもう少し色々話した方がいい……
ルーはその言葉に従い口を開いた。
「カイ。水が満ちました次はペネレイですねふんぬふんぬああ焼き菓子の香りが気になって力がうまく入りませんすいませんが今すぐ頭にふんぬふんぬぺねふんぬかしあたまぺねぺねふんぬやきかしあたまふんぬーっ……」
無理に話そうとしたルーは自分の口からあふれるとりとめのない言葉の羅列に焦り、何とか補正しようと足掻いて無意味な言葉をダラダラ漏らす。
一旦止めればいいのかとルーが口を閉ざした頃にはすでに遅く、カイが妙に優しい目でルーを見つめていた。
「ルー……今日は休め、な?」
「いえ元気、元気」
「お前みたいな奴の元気アピールは信用できん。消化が良くなるよう、煮込み時間を増やすことにするよ。お前はちょっと離れた場所で寝てろ、な?」
元気をアピールするルーに対してカイは完全な病人扱いモードである。
もう何を言っても信用されません……
ルーはミリーナに助け舟を求めて視線を向ける。
しかしミリーナも何とも気まずそうな顔でルーを見つめていた。
言っていいのか、黙っていたほうがいいのか……そんな微妙な顔で見つめるミリーナに言って下さいお願いしますと視線を送り、ルーはミリーナの言葉を待つ。
「ルー……」
ミリーナが何とも言いにくそうな顔で、呟いた。
「エルトラネみたいになってるえうよ」
「ぬぐぅっ!」
よりにもよってエルトラネ。
絶対に関わりたく無いあのエルトラネと揶揄されるとは。
ルーはもう無理に話す事はやめようと心に決めた。
寡黙で良いのだ。それで良いのだ
それこそがダーの族、ボルクの里のルー・アーガスなのだと心に固く誓うのであった。