ゲリさん私からの祝福ですっ……あれーっ?
「あぁゲリさん、おめでとうございますゲリさん」
ちまり、ちまり……
神の世界、ベルティア宅。
自宅の仕事部屋で世界主神ベルティア・オー・ニヴルヘイムはカイに祝いの言葉をかけながら、ひたすら細かい作業に打ち込んでいた。
米粒写経である。
手にした米粒をひたすら睨み、やたら細かい文字を書く。
ベルティアの最近の日課である。
カイの世界の最高神である彼女は円滑な世界運営の為、常に自らの技を磨いている……
と、いう訳ではない。
「お、神への誓いじゃ。余の出番じゃ」
ベルティアの横では植木鉢のふかふか寝床を堪能するイグドラが世界を眺めてご満悦。
「……楽しそうですね。イグドラ」
「のじゃ!」
「……」
そう。
ベルティアの米粒写経の裏にはイグドラへの羨望がある。
世界から神の世界へと戻ってきたイグドラが獲得した超高精度の世界干渉がうらやましくてたまらないのだ。
その精度、一メートル以下。
半径五十キロメートルのベルティアにはうらやましい限りである。
かつてベルティアは自己都合でカイとアレクを助けた事があったが、その時は周囲の微生物やら細菌やらにガバガバ精度のとばっちりで甚大な被害を与えて謝罪と賠償に奔走するハメになった。
神の世界も世知辛いのである。
ゲリさんとはその時に名付けたカイのあだ名だ。
食中毒で狼の群れと戦った際、下痢していたからゲリさん。
ちなみに嘔吐していたアレクはゲロさんと名付けられている。
あんまりなネーミングセンスだった。
そしてカイのご飯の香りをミリーナに運んだ時はガバガバ精度のせいでバルナゥがひどい目に遭っている。
竜は頑丈だから大丈夫。
完全な生贄である。
しかしベルティアはヘタクソではない。
これでも精度は平均以上。神にとって世界とは恐ろしく細かいものなのである。
「くうぅ……」
ちまり……筆の先が米粒にヨレヨレの線をひく。
イグドラ曰く細かい事をすれば力の精度が上がるらしい。
血走ったベルティアの目はもうショボショボだ。
「おおーいっ、余に、余に誓うのではないのか? ……ぐぬぬ……」
しかし彼女は諦めない。
らんらんと輝く瞳には譲れない執念がある。
イグドラを神の世界に戻し世界を救ったカイに報いる為である。
悪評半端無かったベルティア世界のエルフと竜も生贄の運命から脱し、能力相応の評価を取り戻しつつある。
それもこれもカイのおかげだ。
祝福したい。
自らの手でめっさ祝福したい。
完全な自己満足であるがそこはしれっとスルーする。
神の世界はどんぶり勘定。
細かい事などスルー安定。
ベルティアはカイの超絶成功ストーリーを自らの手で作り上げようという自己満足のためにひたすら米粒写経に打ち込んでいるのである。
「……」
そんな執念を見せるベルティアをちらり見て、イグドラは何とも困った顔をした。
あなたの為だからと言いながら迷惑を押し付けていくタイプじゃ……
イグドラはそう思っていたが口には出せない。
三億年にも及ぶ迷惑諸々にも関わらずベルティアが自分を見捨てずにいてくれた事に感謝しているからだ。
今も堪能している植木鉢のふかふか寝床も三億年もの間ベルティアが欠かさず耕してくれた賜物である。彼女はイグドラの好みを忘れないようにと日々鍛錬を怠らなかったのだ。
根が真面目なだけに突っ走ると怖い。
イグドラはカイが決して喜ばない事を伝えはしたがベルティアはまったく納得していない。
行為には対価を。それが神の義務。
と、拳を握るベルティアに痛い目に遭えば懲りるじゃろと生温かく見守る事に決めたイグドラである。
結局スルーであった。
『わふんっ。カイおめでとー』
『ありがとう撫で撫で』
『わふ、わふんっ……』
イグドラが眺める世界でカイは様々な者達から祝福される。
エルフをはじめとした皆がカイを祝福し、新たな門出を祝っている。
イグドラも何か特別な祝福を贈りたいと思っていたが、カイはどうせ喜ぶまいと言葉をかけるだけにした。
エルフの祝福はカイと共にある。
カイ・ウェルスはそれでも多いと思う男なのだ。
「余からも言わせてもらおう。カイよ、おめでとう」
『……お前に言われると何とも複雑だな』
「なにぉう?」『ははは』
カイとイグドラは軽口を叩き合う。
同じような会話をベルティアがすれば星が砕ける。
こんな事が出来るのも超高精度の力の行使のお陰だ。
それもこれもカイのお陰じゃなとイグドラは微笑み、画面の先のカイに告げる。
彼に感謝を、そして言葉で祝福を。
静かに彼を祝福しようと決めたイグドラである。
が、しかし……
「余の祝福は常に汝と共に……」
「よし、準備体操終わり!」
「お?」
ゆらり……
米粒写経を終えたベルティアが立ち上がり、轟然と叫ぶ。
「ここからがカイさんの超絶成功ストーリーの始まりです! この世界主神ベルティア・オー・ニヴルヘイムがカイさんに祝福を、素晴らしい物語を贈ります!」
「ちょっ……祝福?」
意気込みだけは半端無い。
しかし米粒写経を一年やそこらやったところでイグドラの域に届くわけも無い。
そもそもイグドラとベルティアの格は十桁違う。
行使する力は当然超絶ハイパワー。イグドラの比ではないのだ。
「ま、待つのじゃベルティア!」
「そぉーれっ!」
ぐぉぉぉおおおおん!
イグドラの制止も聞かずにベルティアは力を行使した。
その精度、半径十キロメートル。
米粒写経の成果は出ていたがそれでも影響は広範囲だ。
カイを中心に行使された力は世界に重くのしかかり、やがて世界が沈み始める。
「ベルティア……世界が沈んでいくのじゃ」
「あれーっ?」
「あれーじゃないのじゃ! カイが異界を貫くのじゃ!」
世界が別の世界を、異界を貫く。
つまりダンジョンが構築されるという事だ。
力の強い者は時に沈んで異なる世界を貫き、力を吸い上げるための管を作る。
それがダンジョンだ。
そして管を維持するために世界を歪め続ける重しがダンジョンの主であり、主がある限り管は力を吸い続ける。
カイは異界を食らうダンジョンの主となったのだ。
「ど、どうするのじゃベルティア……」
「……」
ピポパパピピパパパ……
「あーエリザ? 今からちょっとそっちに侵攻するからよろしく。は? いやいやこの前しこたま儲けさせてあげたじゃない。少しはこっちに戻しなさい」
神は侵攻する世界を選択できる。
ベルティアは今や自分の舎弟と化したかつてのいじめっ子にナシを付け、沈む世界を見て叫ぶ。
「これはこれでよし!」
「……」
良い訳ないじゃろ……イグドラは深くため息をつく。
そもそも神と人の道は違う。
何が良い事なのかも当然違うのだ。
「カイよ、すまぬ!」
『……イグドラ、奴に伝えとけ』
「……何と?」
『この、バカ神がああああっ!』
だから、カイがベルティアを理解できるはずも無い。
沈む世界の中心でカイは神を罵倒し、やがて異界を貫いた。
ダンジョンの誕生だ。
世界が混じり、世界と異界のマナがそれぞれの都合をダンジョンに反映させていく。
ダンジョンの構造が必ず主を討伐できるようになっているのはこの振る舞いの結果だ。食われていく異界のせめてもの抵抗なのだ。
世界が繋がる混乱にカイも皆も慌て、そして戦いを覚悟する。
ベルティアの気張った祝福は、どう見ても災厄であった。
「ベルティア……カイから伝言があるのじゃ」
「……聞いていましたよ」
「伝えとけと頼まれたので伝えるのじゃ」
いえ、聞いてました。聞いていましたから!
と、目力で訴えるベルティアだがイグドラは容赦しない。
「この、バカ神がああああっ! じゃ」
「すみません! 本っ当にすみません!」
植木鉢のイグドラを前に、ベルティアは見事な土下座を披露した。
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