9-17 緑彩る教会で(4)
「ふふ、こんな式を司れるなんて長生きするものですね」
巨樹の洞の奥、樹の聖堂。
新郎新婦の皆を前に聖樹教司祭ミルト・フランシスが微笑んだ。
身にまとうのは普段は着ない聖樹教司祭の服。
ランデル教会では普段着で茶飲み友達と談笑しているミルトもこのような儀式の際にはちゃんと司祭の服を着る。
ところどころに綻びが見えているのも彼女の飾らない人生の表れだろう。彼女がランデルに赴任する際に仕立てた聖樹教司祭の一張羅は生涯一張羅であり続ける。
「美味しそうな香りが漂ってきましたからちゃっちゃと済ませてしまいましょう」
洞にミルトの声が響く。
「アレクにシスティ、ソフィアにバルナゥ、そしてカイ、ミリーナ、ルー、メリッサ。自らが選んだ伴侶と共に人生を歩む事を神に……いえ、己に誓いますか?」
「「「『「「「「誓います」」」」』」」」
『おおーいっ、余に、余に誓うのではないのか?』
「あら、聖樹様も参列なさっておいでなのですね。静かにお祝い下さいね」
『ぐぬぬ……』
響く声にミルトが笑う。
ミルトは神を敬っていても頼ってはいない。
それはミルトの前に並ぶ新郎新婦も同様だ。
カイ達にとっての聖樹、世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラはただの巨大な困ったちゃんだ。
皆、この神のおかげで苦労した。
笑いもしたが泣きもした。死にそうな目にも遭った。
そしてその苦労はこれからも続く。神の落とし子である世界樹は世界を食らい異界を顕現させる「全てを食らう暴食」だ。
これから芽吹くそれらを教育し、理解させるのはカイ達がイグドラから引き継いだ親の想い。
世界が富むも滅ぶもカイ達がいかに子らを導くかにかかっているのだ。
「皆の誓い、確かに聞きました」
誓うのはあくまで己に対してだ。
神と人は道が違うのだから。
ミルトは頷く皆に満足な笑みを浮かべ、パンッと手を叩いた。
「さぁ、お祝いの始まりです。皆さん広場の方にお移り頂いて、皆でこの結婚を祝いましょう」
「おいしいご飯えう!」「焼き菓子食べ放題」「わ、わたくしは待てる女ですからご飯くらいでじゅるり……」
「待たなくていいから」
相変わらずのミリーナとルーである。
そして食べるのを我慢してもピーに変わらなくなったメリッサである。
カイは笑い、皆と共に広場へと移動する。
洞から出てきたカイ達を皆は歓声を上げて迎え入れた。
「カイ、そして三人ともおめでとう」
「ありがとうベルガ」「えう」「ん」「ありがとうございます」
アーの族、ホルツの里のベルガ・アーツ。
カイ達をアトランチスの世界樹へと導いた若きホルツの長老だ。
砂漠ばかりで食べ物の無いアトランチスで共にバルナゥの血肉に泣いたのも今では良い思い出だ。
ベルガは異界に飲まれたビルヒルトの地でホルツの里を再興し、今では五百人を超えるエルフの里の大長老。
そして全てのエルフの里を束ねるエルフの長だ。
「ビルヒルトの里はどうだ?」
「順調だ。今年中に七つ目の里が出来るだろう。それもこれもアレクとシスティ、そして何よりカイのおかげだ」
「人間に関する問題はアレクとシスティにガンガン投げてやれ」
「ははは」
カイとベルガが笑うそばでアレクとシスティは苦笑いだ。
ランデルからの通勤領主である二人の領都ビルヒルトは瓦礫の処理がやっと終わり、これから街づくりが始まる。
顕現した異界を討伐したりオルトランデルを再開発したり結婚式を執り行ったりと色々忙しい二人はこれからもエルフ関連で頭を悩ます事だろう。
だが戦利品カイの利用は程々にしとけよ。俺が困るから。
と、システィに瞳で語るカイである。
「わふんっ。カイおめでとー」
「ありがとう撫で撫で」
「わふ、わふんっ……」
次に来たのはエヴァンジェリン。
カイの心の救世主。昔はミリーナ、ルー、メリッサとの悩みを打ち明けまくり、今は惚気を聞かせまくるカイの心の友である。
カイの撫で撫でをひとしきり堪能したエヴァンジェリンはミリーナ、ルー、メリッサに近づくとフンフンと匂いを嗅ぎ、三人に頭を下げた。
「頼り無い弟ですが末永くお願いしますわふん」
「え? 俺が弟なの?」
「カイの悩み聞いたわふんよ?」「俺も餌をあげたけど」「悩み聞いたよわふんっ?」「……エヴァ姉」「わふんっ」
ぶんぶんと尻尾を振りカイの顔を舐めるエヴァンジェリン。
まさに姉の風格である。
もうしょうがないなぁこの子は、という慈愛オーラバリバリであった。
「姉えう」「エヴァ姉さん」「お姉さまですわ。カイ様と私達との間を取り持って頂き私メリッサ、心より感謝いたしますわ」
「わふんっ」
そんな彼女に土下座感謝の三人である。
かつてカイの想い人と勘違いした犬はカイの頼れるお姉さん。
年齢と成長は別なんだなぁとしみじみ感じるカイである。
頼れる度と年齢の見事な逆転現象であった。
「……ふむ、やはり宝物庫の男だな」
「国王陛下……」
「貴殿の祝いの席なのだからそのままで良い……というよりそのままでいてくれ」
次に現れたのはグリンローエン国王、グラハム・グリンローエンである。
地に伏せようとしたカイをグラハムは自分の為にやんわりと止め、皆を眺めてニヤリと笑う。
「いや、娘にはとことん謀られた。あの時システィが述べた貴殿とアレクの関係、真実は逆であろう。本当にやってくれる」
「申し訳ありません」
エルフの熱狂する様を見てしまえばバレバレだ。
システィはカイをアレクの従者と説明していたが実際の所アレクはカイと王国を繋げる受付のようなものである。
「まあ良い。アレクもシスティも貴殿もよく王国に尽くしてくれる。これからも……いや、貴殿はエルフに尽くすべきだな。それが互いの為だろう」
「ありがとうございます」
カイは人間とエルフを結ぶ者。
カイが揺らげばエルフは二度と人間に心を許しはしないだろう。
関係が悪化しても対話の窓口は持ち続ける。
それが王グラハムがカイに求める生き方だ。
まあ、それはそれとして……と、グラハムはカイに近寄り囁いた。
「アーテルベ様の心象を良くするにはどうすれば良いのか?」
「……」
「名前くらいは憶えて頂きたいのだが貴殿が何とかできないか? 王都では『建国の祖に疎まれた王』とか『忘却王』とか陰口が散々でな……」
「ルーキッド様に伺った方が良いかと……」
それを俺に聞かれても困ります。
心で呟くカイである。
そしてギョッとするルーキッドにさらりと投げるカイである。相変わらずのぶん投げっぷりであった。
「カイ、お前また私に投げるつもりか」
「ルーキッド様はマブダチではありませんか」
「マブダチ……まあ、そう言えなくもないな」
『おおーふルーキッド、嬉しいぞルーキッドマイベストフレンズ!』
「お前もそろそろグラハム王を憶えてさしあげろ」
『ルーキッドがそう言うなら憶えるぞ。グラハム。グラハムだなルーキッド』
「……王よ、申し訳ございません!」
「いや、いい……」
うわぁ、この三者に関わりたくないわ俺……
歪な権力構造を前にどん引きのカイである。
巻き込まれたら面倒臭い事確定であった。
「ぬほっ、カイ殿楽しんでおられますか? 今日の料理は最高ですなまったく。マリ姐美味いなこれホント!」
『節度を持ちなさいもっしゃもっしゃ、うっひょーっ!』
『『お前ブレねぇなぁ……』』
そこに乱入してきたのはエルネの長老とマリーナら幼竜である。
システィが呼び寄せた料理人達の渾身の料理に舌鼓打ちまくり、酒飲みまくりで気分はうっとり。
すっかりへべれけな髭じじいと幼竜達だ。
「おー、この方が小便垂れのガーネットの子孫ですな」
「……エルフの長老か」
「いかにも。いやぁ我、バルナゥとの初顔合わせで失禁した時偶然その場におりましてな。呪われた身でありながら何とも切ない気分になったものです」
「あぁ、エルフは長命であったな」
グリンローエン王国の建国前から生きている長老は酒もあって勢い良く話し始めた。
「そのしばらく後にまた再会しましてな。アーテルベの力が必要だと言うのでエルネの使う山道を教えてやりましたがこれがまぁ中腹あたりでぴーぴー泣く有様。仕方無いので抱えて上まで運んでやりましたわい」
「それは、すまぬな」
妙な所で建国に力を貸している髭じじいである。
「その後はアーテルベがー、アーテルベがーと甘々べったりでしたな。バルナゥもまんざらではない感じでまあ控えめに言ってラブラブでしたわい」
そしてさらりと爆弾の投げ込む髭じじいである。
酔いとは本当に恐ろしいものであった。
「バルナゥ……」
『じ、事実だが、今はソフィア一筋だぞ? 本当だぞ?』
「……そうですか」
『おおーふっ、怖い、声が怖いソフィア』
ソフィアの態度に慌てるバルナゥ。
『何とも不毛な嫉妬ですね』『ああ』『全くだ』
そんな両親にマリーナ、ビルヌュ、ルドワゥが呆れてクルルと鳴く。
真実は神のみぞ知る。
星にも等しい生涯を生き抜いた後、ソフィアはよっしゃとガッツポーズをする事だろう。
「おめでとう」「カイ、これからも頑張りなさい」
「カイ、おめでとう」「おめでとうカイ」
「えうふー、えうふー」「エルフえうよ」
「ありがとう」「む」「ありがとうございます」
次はカイの家族だ。
父ロランに母ミラ、長兄ブルックに嫁アンに甥のディー。
次兄のグランはエルフの伴侶と共にカイを祝福する。
もうすぐ式を挙げるらしい。カイは兄グランを祝福した。
「おめでとうグラン兄さん。式には必ず出席するよ」
「お前のおかげだ」
「我らのあったかご飯の人。ありがとうございます」
深く頭を下げる二人に良かったと素直に思うカイである。
その後、カイは妻達の家族に祝福され、マオに冷やかされ、ルーキッドに小言を言われ、ミルトに激励され、里の長老達にあったかご飯をせがまれて煮込み、各地から招いた料理人達に何とも微妙な顔をされた。
「うまいえう。まじうまいえう人間すごいえう」「控え目に言ってサクサク最高」「美味しいですわ……ぷっぱー……美味しいですわ!……ぺるぽぽぷー!」
妻達も食事を楽しんでいる。
眠りの魔法で寝たり起きたりしながらメリッサとピーも堪能している。
確かに美味い。
カイの芋煮とは雲泥の差である。
「でもカイの芋煮が一番えう」「む。あれはエルフ心の味」「私達エルフは皆あの味に救われたのです。これからは祝いの席に必ず求められることで「「長い」」あうっ……」
「ははは」
妻達にカイは笑い、皆と酒を酌み交わす。
幸せだ。
本当に幸せだ……
『余からも言わせてもらおう。カイよ、おめでとう』
「お前に言われると何とも複雑だな」
『なにぉう?』「ははは」
イグドラと軽口を叩き合う。
『余の祝福は常に汝と共に……お? ちょっ……祝福? ま、待つのじゃベルティア!』
イグドラが慌てて叫んだ直後……
ぐねりと、世界が揺らめいた。
「っ!」
カイ達が身構える。
マナの動きに疎い者はこの変化がわからない。
全てのエルフは何事かと身構え鋭く視線を走らせ、ほとんどの人間は何事かとエルフを睨む。
祝福を受けていなければカイもわからなかっただろう。
しかし今は明確な変化としてカイの目にも見えている。マナが激しく奇妙に踊り、世界が歪んでいくのだ。
「システィ! 何だこれは!」
「世界が、世界が沈んでいるのよ!」
「どこに?」
「知るわけないでしょ!」
カイにシスティが叫ぶ。
答えは天から降ってきた。
『皆、心して聞くが良い!』
イグドラである。
世界樹イクドラシル・ドライアド・マンドラゴラ。
かつて聖樹と呼ばれた神の一柱だ。
『これよりこの地は異界へと突き抜ける!
心せよ! 世界が混じるその様に。
そして覚悟せよ! 汝の敵の振る舞いに』
「神、神か?」「おぉ、神よ……」
イグドラの声に人間達がひれ伏した。
聖樹教に苛立ちを感じていても心の底では神を崇め、求めているのだ。
しかし彼らはわかっていない。
本当の神は目に見えぬほど巨大なもの。
そして力は人の手には余るもの。
喉を潤す水を欲して海を注がれる程に手に余るのだ。
『カイよ、汝がこのダンジョンの主じゃ!』
「はぁ? 俺程度の塵芥は突き抜けないんじゃなかったのか?」
『そんな物、神の一存でどうとでもなる事じゃ!』
世界はますます歪み、エルフ達は歪みを理解できない人間達を囲んで周囲を睨む。
その瞳に宿る輝きは魔法の発動前兆。
エルフ達は感知したのだ。異界のマナの踊る様を。
そして理解したのだ。敵が迫っている事を。
『繋がった直後の主の間は攻め放題じゃ。特に気を付けよ!』
イグドラが叫ぶ。
『主である汝が死すれば巻き込まれた皆全てが異界に食われる。カイよ、皆が大切ならば全てを犠牲にして生き抜くのじゃ!』
「なんで、なんでこんな事に……!」
カイは驚き、しかし歩み寄る者達に安堵する。
『我がこの場にいた事に感謝するのだなカイよ』
「バルナゥ!」
「カイさんを守ります。エルネ、ボルク、エルトラネ、ホルツのエルフはビルヒルト討伐戦の隊に分かれてください。あとのエルフはそれぞれの里の長老におまかせします」
「リーナスはもう無いけれど、まあ何とかなるよね」
「ほんっと、まったく困った神様だわ。マオ、水汲みお願いね」
「おぅ。カイ、コップよこせコップ」
「ソフィアさん、アレク、システィ、マオ!」
竜、そして勇者達。
彼らはダンジョン討伐のエキスパート。
カイの信頼できる仲間達だ。
「カイは妻達が守るえう」「む、当然」「カイ様には指一本触れさせませんわ。強化魔法ふんぬっ!」
妻達がカイを囲み、強化魔法がカイの身体を包み込む。
皆は己の刃を抜いて、歪む世界の外に構える。
イグドラが本当に、本当に申し訳なさそうに謝罪した。
『カイよ、すまぬ!』
「……イグドラ、奴に伝えとけ」
『……何と?』
「この、バカ神がああああっ!」
声の限りにカイは叫ぶ。
世界の歪みはやがて他の世界を貫くだろう。
異界への顕現だ。
ダンジョンの構築、そしてダンジョン主カイ・ウェルスの誕生だ。
あったかご飯の人、カイ・ウェルス。
彼の紡ぐ滑稽な物語は、まだまだ続くのである。
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