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千の夏に、君を想う


お題は以下のようです

テーマ:夏祭り

使用したセリフ「気づけよ、ばか」「知ってる、ばか」

 隼也(17才)

 千夏(17才)

 



 高くざわめく人波。

 薄闇に眩い提灯と電球。

 焼そばのソースの香ばしい匂い。

 ヨーヨー釣りの呼び込み。


 夏祭りの喧騒は、その中にいるだけで酔ったように気分が上がる。


 さっき買ったリンゴ飴をかじりながら一人歩く。リンゴ飴のリンゴは甘くないしパサパサしてるし基本的に美味しくないが、夏祭りで食べるにはこの安っぽさに意義があるのだ。

 ガリガリと半透明の飴を噛み砕きながら、金魚すくいに一喜一憂する小学生たちの背中を通りすぎる。浴衣姿の女の子の笑い声が聞こえた。


 人混みから逸れて一つ曲がり、石畳の延長線の段を上がる。目の前に現れた小さな蔵のような建物。その裏手に回ると、雑木林の木々の隙間から光と音が漏れている。


 そしてそこには、先客がいたらしい。


「…なにやってんだ、こんなところで」


 彼女は手すりに軽く腰を掛けたまま、こちらを振り返った。


「んー友達とはぐれた」

「こんな地元の祭りでか」

「そっちこそ一人じゃん」

「俺は元々一人で来たんだ」

「友達いないの?かわいそーに」

「家が遠いだの彼女と行くだので誘っても乗ってくんなかったんだよ」

「彼女は?」

「この前フラれた」

「…うん、ちょっと真剣に同情する」


 彼女は俺に憐れみの目を向けた。


「くっそー、今年こそ夏祭りデートとか思ってたのに!なんでフラれたんだー!」

「なんて言われたの?」

「要約すると、もっと構って欲しかったってこと?」

「あー、めんどくさいのに当たったね。見る目がないなあ」

「慰められてるのか貶されてるのか…」

「どっちもだよ。まあ、そっけなさ過ぎる彼氏やってるところが目に浮かぶなぁ。思ってる以上に、女の子っていうのは繊細なんだよ」

「お前が言っても説得力ねえな」

「ほらそういうとこが可愛くない」

「高二男子に可愛さを求めるなよ…」

「ま、どんまい」


 俺はため息をついて向かいの壁に背を預けた。


「割りばし、何食べてたの?」

「リンゴ飴」

「今年はリンゴ飴かあ。毎年チョコバナナと迷ってたよね」

「両方はさすがに買わないからな」

「結局どっちが好きなの?」

「その質問は、バナナは遠足のおやつに入るか否かと同じくらい、永遠の命題だと思ってる」


 俺の至極真剣な返答に、彼女は吹き出した。


 しばらく、二人で夏の宵を眺めていた。

 少し遠くなった夏祭りは、寂しいような、懐かしいような、妙に胸に沁みた。


「そう言えばさ」


 彼女は寄りかかっていた手すりから体を起こし立ち上がった。

 頭一つ分低い位置にある双眸。


「私、好きなひとがいるんだ」


 それは、俺の目の奥にある何かと対峙しているかのように、真っ直ぐだった。



 ―――



 高くざわめく人波。

 薄闇に眩い提灯と電球。

 焼そばのソースの香ばしい匂い。

 ヨーヨー釣りの呼び込み。


 年に一度の、町をあげての夏祭りは毎年盛況である。喧騒と混ざった夏の夜の蒸し暑さをものともせず、隼也(しゅんや)たちは人混みを縫って歩いていた。握り込んだ小銭の金臭さにすら胸が高鳴る。

 片手にはリンゴ飴。チョコバナナと迷った末の決断である。


「隼也隼也!ベロ出してみ」

「べー」

「あははちょー真っ赤!気持ち悪ー!」

裕太(ゆうた)に言われたくない。おまえはかき氷で真っ青になってるぞ」

「んーどれどれ」

「ばっか見えるわけねーだろ!」

「べろべろべー」

「きもっ!」


 一緒に歩く裕太の顔も、心なしか上気して見えた。ちょっとしたことで笑いだしたくなるような、そんな楽しさ。


「おー裕太と隼也じゃん!」

「みてみて、おれたち金魚とった」

「すげー!」


 歩いていれば、すぐにクラスメイトたちともすれ違う。

 小学五年生の身長では周りの大人たちで視界が塞がれるが、その混み具合がまた非日常のようで、かきわけて進むのさえ楽しいのだ。


「――…ちなつが――」


 はた、と足が止まった。


 だけど振り返っても、左右を見ても、人しかなくて。


「どした?隼也」

「なんでもない」


 そういえば、千夏(ちなつ)のいない夏祭りは初めてだと、気づいた。


 空耳なんかに反応してしまった恥ずかしさを誤魔化すように、リンゴ飴を大きくかじる。


『隼也ー遊ぼ!』

『…やだ』

『意地悪』

『いいだろ別に。あっちいってろって』

『えーなんでよ』

『俺、女なんかとは遊ばねーし』

『なにそれ、昨日まで私と遊んでたじゃん。夏祭りだって一緒に行ったし』

『うるさいってば。もう公園着いたんだからついてくんなよ』

『もう…隼也どうしたの?いつもは――』

『っだからついてくんなって言ってんだろ!』


 突然声を荒げた隼也に、きょとんとした顔の千夏。傷つくよりなにより、ただ純粋に驚いただけのようで。

 その表情が、掻きむしりたいほどに、むず痒いのだ。


 焦る彼の向かう先には、クラスメイトの男の子たちがいて。彼女は気づく。驚いていた瞳が、一瞬凪いで。


『……ほんと、男子ってばか』


 そう、笑った。


 その時笑った顔が、なんだか大人っぽくみえて。

 違うんだと叫びだしたくなったけれど、何が違うのかはわからなかった。


『まきちゃん、ゆうちゃん、遊ぼ!』

『ちなつちゃん!来てたんだ』

『いいよ、なにする?』

『わーちなつちゃんのシュシュかわいい!』

『あぁこれはね――』

『おせーぞ隼也!』

『ごめんごめん。母さんがうるさくってさー』

『あともう少し遅かったら、じゃんけん負けにしたのになぁ』

『残念でしたー』


 お互いに背を向けてしまった隼也に、千夏の顔は見えない。でもきっと、笑っているのだろう。

 隼也はその日頑なに、千夏のいる方へ目をやらなかった。


 千夏は、千夏を突き放したあの台詞にさえ、笑ったのだから。


 一年前。言葉にすれば短いと思える時間だ。でも、いざ思い出そうとすればずっと昔のことのようで。もう、慣れてしまったのかもしれない。

 リンゴ飴の奥にあった割りばしは、噛み締めると苦いような味がした。


「うわ!あの射的景品すげー!普通にゲーム置いてある!」

「どうせ落ちねーだろ」

「いやもしかしたら…もしかしたら…!」

「ぜったい無理」

「だってこの前俺の壊れちゃったんだよ!」

「えーなにやってんだよお前!」


 隼也と裕太は精一杯前のめりになって、射的に挑むのだった。

 結果二人がかりで手に入れたのは、かわいらしいクマの小銭入れだった。

 それでも、見事に落とした瞬間には叫ぶほど嬉しかったのだから、夏祭りとは不思議なものである。


「…やべ、もう帰んないと怒られる」


 ちらりと時計を見た裕太が言った。


「裕太んち厳しいもんなー…」

「うーもう帰るのかあ…」


 名残惜しげに出口へ向かう。まだまだ人はたくさんいて、提灯の輝きは増してさえいるようだ。


 そして、そんな光に映ったのは。


 人と人の隙間から、千夏と、その友達の姿が見えた。

 何を話しているかまでは聞こえない。だけど二人はわたあめを分け合い、楽しそうに、笑っていた。

 流れる人垣の合間に途切れ途切れに見えるそのシーンは、まるで映画のようで。

 目の端にほんの一瞬捉えただけのあの少女が千夏だと、隼也は瞬きに瞼をおろすその黒に理解した。


 理解して、しまった。それだけのことが、悔しくて。

 残像を振り切るように、ずんずん歩いた。あの笑顔をこんな距離から見ているのは、なんだか酷く違和感だった。


 来年はああをしよう、これを買おうなんて裕太と言い合いながら、入口であり出口である鳥居をくぐる。

 道路へ出ると、同年代の子たちがちらほらと帰路へついている。小学生のタイムリミットを恨めしくも思いながら、方向の違う裕太と別れた。


 日が暮れたとはいえ、通りに面した歩道は明るい。遠くへ走る車体が唸る。

 店と街灯とヘッドライトが混じった、見違えようもないこの明るさが日常で。お祭りのあの薄暗さは作られたものだったのだろうかと、隼也はぼんやりとそんなことを思った。


 何かが、(わだかま)っていた。


 夏休みが終わる一週間前。残っている宿題の存在を気にかけつつも、まだ平気だろうと友達と遊びに玄関の扉を開ける。

 そんな気分だった。


 そんな気分のまま、しばらく歩いた。


 ゆっくりと足が止まる。

 千夏の笑顔は胸の中で燐光のように燻るだけで、隼也になにを訴えかけたわけでもない。それでも。


 隼也は、今きた道を駆け戻った。


 さっきと同じような人混みを、今度は一人で進む。

 いか焼きリンゴ飴ヨーヨー射的わたあめ金魚チョコバナナかき氷。ゆらゆら動く陰影。雑踏。笑い声。


 隼也の目はいつの間にか何かを探していて、足は目的地を定めていた。


 人混みから逸れて一つ曲がり、石畳の延長線の段を上がる。目の前に現れた小さな蔵のような建物。その裏手に回ると、雑木林の木々の隙間から光と音が漏れている。


 そしてそこには、先客がいたらしい。


「…なにやってんだ、こんなところで」


 千夏は手すりに座ったまま、こちらを振り返った。


「隼也。なんか…久しぶり」

「毎日学校で会ってるだろ」

「でもこうやって二人であうのは久しぶりじゃん」

「まあ…そうだけど」


 隼也は千夏の斜め前の壁に背を預けた。


「なにそのクマ。どうしたの?」

「射的でとった」

「そんなカワイイやつを?隼也が?」

「いいだろ。裕太と結構頑張って落としたんだから」

「しかも裕太と一緒なの」

「悪いかよ」


 べーつに、と千夏はとぼけて言ってみせた。


 一段階暗くなったここで、光は、物悲しいような、幻想的なような、そんな風に揺れていて。真正面から近くで見た千夏の笑顔は、あの日の公園が最後だったなと、気づいた。


「そう言えばさ」


 千夏は手すりから飛び降り立ち上がった。

 隼也を見据える、真正面の双眸。


「私、好きなひとがいるんだ」


 それは、隼也の目の奥にある何かと対峙しているかのように、真っ直ぐだった。


 真っ直ぐに、切なかった。


 隼也はただ気圧されて、息を飲んで。

 真っ直ぐに目と目を合わせる、千夏の瞳がとてもきれいだなと、そんな場違いなことを思った。


「…そっか」


 千夏の突然の言葉に、動揺もしない間に呟いた。言葉より、千夏の瞳に気をとられていたからかもしれない。

 なにしろ本当にきれいだったのだ。だけど、そんなことはとうの昔から知っていたような気がした。


 隼也の呟きは、二人の沈黙に乱反射して。


「……うん、それだけ」


 先に目を逸らしたのは、千夏だった。逸らして翳ってしまっては、もうよく見えなかった。


 肩の力を抜いた千夏を見て、今まで緊張していたのかと気づく。

 千夏はそのまま、踵でくるりと方向転換し、タンタンタン、と軽やかなスタッカートで三段ほどの階段を降りた。


「どこいくんだよ」

「どこって帰るだけだよ」


 唐突な千夏の行動に思わず隼也が問いかけると、千夏は足を止めた。


「じゃ、またね」


 肩越しに振り返って言ったその表情は、本当になんでもなくて。


「…ああ、またな」


 答えた隼也と、そして再び前を向いた千夏との間に一陣風が吹く。遠ざかる背中に垂れたポニーテールが、やけに鮮明に揺れた。

 だけどそれも一瞬で、直に千夏は人混みにとけていく。


 隼也が空を見上げると、目を凝らしてようやく見える星がいくつか、ぽつりぽつりと浮かんでいた。

 その光と同じくらい、微かに、何かが胸の奥を締め付けた。

 いつ消えるかとしばらく立ち尽くしていたが、どうにもそんな気配はないようで。



 ――その時俺は、初恋におちた。少なくとも俺は、これを初恋と呼んでいる。



 ―――



「…なんて」


 彼女は目を合わせたままふっと笑った。


「覚えてる?小五のときに私が言ったの」

「覚えてる。場所もここだったっけ」

「じゃあその時自分がなんて答えたかは?『そっか』、の一言ぽっきりだよ?ありえないでしょ」


 彼女は踵で回って、俺の隣に背を寄りかからせた。


「あー確かそんなこと言ったような…」

「女の子がこんな重大発表したっていうのに冷たすぎる。だからフラれるんだよ、まったく」

「さらりと蒸し返すなよ。じゃあなんて答えろって言うんだ」


 俺の抗議に、彼女は暫く考え込んだ。


 結構長く、考え込んだ。


「……」

「…あの…?」

「いや…答えってないな、と」

「答えのない問題は出題者に非があるってことでいいか」

「えーだってー」

「問答無用!」


 堂々と俺が言い切ってやると、彼女は唇を尖らせ前を向き、俺から視線を外した。


「だってさー……ちょっとした、賭けのつもりだったんだよ」


 後悔に似た懐かしさが、滲んでいた。


「賭け?」

「ほんと、下らない賭けだよ。好きなひとがいるって言った時の反応で、その名前を伝えるか伝えないかを決めるっていう」


 彼女は、俺の隣で遠くを見上げた。


「…私、隼也が好きだったんだ」


 過去形に組み込まれたそれは、ふわりと宙に浮く。


 諦めに似た懐かしさを口にして、それでも彼女はなんだか、苦しそうだった。例えば、胸の奥を締め付けられているような。


 そんな彼女の隣で、俺も同じところを見上げて言う。


「…俺も、千夏が好きだ」


 それは紛れもない、本当のこと。過去でも、今でも、そしてきっと未来でも。


「え…?」


 俺の言葉に振り向いた彼女の顔には、驚きと、ほんの少しの喜びと、それから、傷ついたような戸惑いがあった。

 それは、こんなことを言った俺を暗に詰っているようで。


 だから、こういうことにしてしまうことにした。


「気づけよ、ばか」


 そんな顔を、するくらいなら。


 すると彼女は目を見開いて。


「…知ってる、ばか」


 そう、笑った。


 吹き出すように笑った顔は、いつもよりちょっと子供っぽくて。

 そんな彼女に、俺もそっと、笑みを乗せた。


 気がつかなかったんじゃない。知らなかったんじゃない。お互いに好きだっただなんて。今更。

 全部わかった上で、何もしなかっただけなのだ。


 そういうことに、した。


「…んじゃ、そろそろ帰ろっかな」


 彼女は弾みをつけて壁から離れ、石畳を駆け降りる。靴音が固く響いた。


「じゃ、またね」


 肩越しに振り返って言ったその表情は、本当になんでもなくて。

 提灯の光の逆光で少し暗くなっていたけれど、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳が、俺は好きだと思った。とてもきれいだった。


「…ああ、またな」


 答えた俺と、そして再び前を向いた彼女との間に一陣風が吹く。遠ざかる背中に垂れたポニーテールが、やけに鮮明に揺れた。

 だけどそれも一瞬で、直に彼女は人混みにとけていく。


 その時感じた胸の痛みは丁度、あの日の星の光と似ていて。

 そういえば、何故今日もあの時も、彼女はここにいたのか聞きそびれてしまったと気づく。


 仕方がないから、俺は空を見上げ、名前も知らない星を、一人探した。



 彼女がいた夏は、もう酷く遠い。

 夏祭りの明るいノイズを鍵にして、俺は静かに錠をおろした。




 ――きっと、俺の初恋は終わらない。千の夏に、彼女を想うだろう。








 Fin.





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