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プロローグ

 “数多の種族間の自由と共生の聖地”――そう呼ばれていた島々が今まさに、それらを否定する敵勢力の手中に墜ちようとしていた。



◇◆◇◆◇



 曇天の下の洋上で、艦隊同士が交戦していた。


 一方は、地球で言う所の古代ギリシャ・ローマ時代の五段櫂船に似た、船首の衝角(ラム)とカルバリン砲の様な大砲で武装し、帆と多数の(かい)で航行する軍船の合計五〇隻余りの二個艦隊。隻数は未だに多いものの、その半数以上の艦が船体の一部が黒く焦げていたり、帆が破れていたりといったダメージを既に負っている様に見える。


 もう一方は――所々に緑の意匠を施した漆黒の船体、黒煙を吐く煙突、そして帆を畳んでいるにも関わらず櫂も無しに航行する――前者よりも大型の軍船の、一〇〇隻近い大艦隊。その姿はどう見ても、地球の一九世紀に存在した汽走戦列艦そのものであった。そして最後方には、それらの軍船さえ小型に見える程の、前者側から見ればとてつもない巨艦が控えている。恐らくはあれが旗艦であろう。


 そんな前者と後者が正面から交戦し続ければ、どのような結果になるか――勝敗の行方は、既に少しずつ見え始めていた。



◇◆◇◆◇



「くそ……! あの黒船共め!」


「狼狽えるな! とにかく撃ち返せッ! 反撃だ!!」


 こちらは前者側、五段櫂船の艦隊。


 既に少なくない友軍艦が、敵艦隊からの砲撃を雨霰と受け、沈められるか戦闘力を奪われつつあった。


 だが、それでも。


「うおおおおおおォォォ!! まだまだァ!!」


「いい加減に、沈みやがれええええええェェェ!!」


 未だ生ける水兵達は雄叫びをあげ、果敢に砲を撃ち返す。散った戦友の骸が浮かぶ水面を掻き分け、着弾の水柱の中を漕ぎ進む。怒れる衝角の一突きを以って、敵の黒船に一矢報いんと――――!


 その五段櫂船の艦隊の一隻に、見た目は一八~二〇歳位の――腰よりも長く伸ばしたプラチナブロンドの髪、澄み切ったアクアブルーの瞳、雪の様な色白の肌、引き締まった完璧過ぎる女性の体躯――この業火と血飛沫の飛び交う醜悪な戦場に一見相反する、神秘的な美貌を湛えたエルフの女性が乗っていた。その身にぴったりと纏う、所々に蒼い意匠を施した輝く白銀のドレス状の鎧が、より一層彼女の美貌を引き立てている。


「皆、もう少し……もう少しだけ耐えて! 間もなく最後の友軍が、東イルミア島からの撤退にかかる様です!」


「了解ッ! メア・ノストゥルム!!」


 彼女は、どうやらこの艦隊の指揮官らしい。


 その傍らに侍る従者と思しき二人の少女や、この艦の艦長と思しきフォーンの青年と共に、自艦にあるテレウィス石や友軍艦からの旗流信号を通じて、戦場の各方面からの報告を受けつつ旗下の艦隊を指揮している。時折、水飛沫と潮風にひらりと長髪を靡かせつつ、トライデントを手に凛とした声音で全体指揮を執る姿は、水兵達に武運長久を約束する美麗な戦女神を幻視させた。


 だが、見張り員や旗流信号員の水兵達から次々と上がって来る報告に、希望だとか戦女神の加護などといったものは、今や欠片も無かった。


「敵艦隊からの砲火、更に増大!」


「パルム、大破!」


「アルスより、至急援護要請!」


「サフィアス、敵艦隊突入ならず、轟沈……! 旗流信号“帝国ト多種族協調ノ世界ニ栄光アレ”……と」


 どうやらこの艦隊は、撤退戦の殿を務めている様だ。


 その為に止め処なく増え続ける友軍艦の犠牲に、彼女の表情はより沈痛なものになっていく。現状で打てる最善の手は全て打ったつもりであったが、敵艦隊の圧倒的な物量を前にしては、最早それらも手詰まりとなりつつあった。


「高速で突撃しながらの砲撃でも、やはり敵の火力に押し負けている……ッ!」


 各艦の艦首には、衝角の他に小口径ながらも砲二~四門が装備されており、前方に砲撃しながら高速で突撃を行える様だ。それ故に、水兵達の練度の高さもあって砲数で勝る敵艦隊に対してもある程度牽制になっており、一部の艦は砲火の雨を掻い潜って敵艦へのラム攻撃に成功していた。


 だが――それは隻数でも圧倒的に勝る敵艦隊に、少数の艦だけで肉迫し過ぎる事をも意味していた為に――体当たりを終えて離脱しようとした艦は、至近距離の格好の獲物とばかりに悉く集中砲火を一身に浴びて袋叩きにされ、無残にも乗員諸共木っ端微塵に果てて逝く始末であった。


「……怯むなッ! だが以降、敵艦への無理な突撃は控えろ! 特に損傷の激しい艦は、今すぐ後方に下がれ! 今の我々は、あくまで友軍撤退の殿――敵艦隊と距離を取り、撃てる砲を全て撃ち込めッ!!」


 そう旗艦の近くを走る艦から、矢継ぎ早に指示を飛ばすのは――非常に長いポニーテールの銀髪、輝くルビーを思わせる紅く鋭い瞳、エルフの司令官同様の美しい体躯ながらも色黒の肌――前者と同年位の見た目ながらも、威風堂々たる武人の風格を漂わせるダークエルフの女性だ。大鎌を持ち、前者と同じくドレス状の鎧を身に纏っているが、所々に深紅の意匠を施した重厚な黒鉄色のそれは、彼女の武人的な風格を見事に象徴していた。


 彼女は、エルフの指揮官が率いる艦隊と鞍を並べる様にして敵との交戦を続ける、もう一つの艦隊を率いる指揮官と見られる。その傍らにはエルフの指揮官と同じく、従者らしき二人の少女と艦長らしきヒト族の若い男が付き従っていた。


「了解……ッ! 以後、俺達の艦は砲戦に専念する!」


「「「「「メア・ノストゥルム!!」」」」」


 多くの戦友を喪って尚、未だ血気盛んな水兵達だったが、流石の彼等もこれ以上の無理な単艦突撃は集中砲火の餌食となるだけだ、と言われてそれを悟るだけの理性は十分に備えていた。ダークエルフの指揮官の指示が旗流信号で各艦に伝わると、突撃体制に入っていた艦も諦めて反転し、やがて残存している全艦が舷側の備砲も用いて、敵艦隊と距離を置いての砲戦に徹する。エルフの指揮官が率いる艦隊も、即座にそれに倣った。


 今はそれで頼む……皆、状況理解が早くて助かる。


「よし、このまま最後まで撃って撃って撃ちまくるぞ! あのクソッタレ黒船共を、今からは此方に近付けさせやしねえぜ……ッ!」


「「「「「応ッ!!」」」」」


 要するに現在、この二つの艦隊はイルミア諸島撤退の殿を務めている。


 全ての友軍が撤退を終えるまでの間、敵の注意をこちらに逸らして足止め出来さえすれば良い。犠牲を徒に増やすだけだと判った戦法を、これ以上無理を押して続行する価値など何も無い。殿を務めるなら私達は一隻でも多く、一人でも多く生き残った上でそれを果たす……! このまま、何とか最後まで持ち堪えられるか……?


 だが、そんな一筋の希望的観測はすぐに潰える事となった。


「……ッ! て、敵艦隊最後方の巨大艦より、先程を遥かに上回る数のラプテールが飛翔ッ! 敵ラプテール騎兵と見られる! 上空から、こちらに真っ直ぐ向かって来ます!」


「……何ですって!?」


 見張りの水兵から、にわかには信じがたい報告が飛び込む。


 敵の最後方に控えていた例の巨大艦から、多数のラプテール――竜騎兵が騎乗する戦闘用の飛竜が飛び立ったというのだ。それは地球にかつて生息していたプテラノドン様な翼竜と、地球なら架空の生物であるワイバーンの丁度中間的な容姿の生物であった。


「そうか……! あの最後方の、異様なまでに巨大な艦――あれが、先程の不可解な空襲の……ッ!」


「道理で、あんなに巨大な艦なのね……!」


 実はこちらは敵艦隊との会敵前にも、どこからか飛来した多数のラプテール騎兵による空襲を受け、予め手負いの状態で艦隊戦を強いられていた。エルフとダークエルフの二人は先程の空襲の元凶が、今まで最後方に控えたまま特に動きを見せていなかったあの巨大艦である事をここに悟り、それを事実として受け入れる――――


 ――――これから具現する、地獄を前にして。


「……いけないッ! 全艦、魔導兵は直ちに対空戦闘を!」


「えッ……!?」


「今から再度、対空戦闘……でありますか!?」


「……命令の通りだ! 報告は事実だ、配置急げ! 空を見ても嘘だと思った奴は、今すぐ死ぬと思えッ!!」


「来るぞ! さっさと配置に着くんだ、貴様等ッ!!」


 エルフの司令官からの、突然の再度の対空戦闘命令に動揺が広がる艦隊。まさか再び空からの攻撃があるなどとは思っておらず、つべこべと疑問を唱える水兵達を各艦の現場指揮官達が諫めて至急配置につかせるが――その時、最前線の損傷の激しい艦から大きな火柱が上がり始めた。


「もう来た!? 配置間に合わない……ぐわああああああッッッ!!」


「まずい!? 火薬庫、消火急げ……うおおおおおおッッッ!!」


 竜騎兵の駆るラプテールは、主翼を後ろに後退させるように縮め高速で急降下して襲ってくる。その姿はさながら、現代地球の可変翼機を思わせるものだった。数匹のラプテールの巨大な嘴から吐き出された激しい火焔放射の直撃を受けた艦が、やがて砲用の弾薬に引火し、数多の生命を巻き添えに爆沈していく。その仇とばかりに魔導兵の準備が整った艦から、火・水・風等の属性魔法で果敢に空へと反撃を開始した。


 だが――――


「オパーリア、バローア……轟沈確実! 敵ラプテール、更に接近ッ!!」


「敵艦隊からの砲撃、更に激化! 我が方の反撃が追い付きませんッ!!」


「何てこった……奴等の数が多過ぎる! これ以上は凌ぎ切れねえッ!!」


 どうやら敵は、こちらに距離を取られて純粋な砲戦に持ち込まれ、埒が明かぬと感じたらしい。前衛の艦が砲撃を続けながらも再度多数のラプテール騎兵に空から襲わせ、海空二重攻撃を畳み掛ける策に出た様であった。


 相も変わらず激しく撃ち出される砲撃に加えて、先程を遥かに上回る大群で襲い来るラプテール騎兵の前に――ただでさえ既に押し負けていた此方は次第に万策を尽かせ、ひたすら艦の残骸と焼け爛れた屍を増やし続ける。


「アンドリエル、船体を真っ二つにして沈――いえ、粉々に爆散ッ! 一気に弾薬に引火した模様!!」


「我が戦隊の損耗率、目算で六割を突破!!」


「戦隊各艦、最早陣形を維持出来ません!!」


「もう本艦は持たん! だ、誰か援護を……ぬああああああああッッッ!!」


「こんな……こんな、馬鹿な事がッ……助けてくれええええええええッッッ!!」


「まだ俺達は死にたくないッ! こんな所で、死にたくないのに……ちきしょぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおッッッ!!」



 ……何という事なの。



 容赦無く叩き付けられる、海空双方からの猛攻――即ち数の暴力。それらの前に、先程までの士気旺盛な雄叫びは最早終わっていた。



 あるのは、絶望そのものの戦況報告。


 砲火に呑まれ苦しみ悶えながら死に逝く者達の、断末魔の絶叫。


 そんな戦友達の最期を見てしまった者達の、怨嗟の慟哭。


 生きたい。


 生き延びたい。


 生きて故郷(くに)に帰りたい――――!



 そんな望みを無慈悲に焼き尽くしていく漆黒の艦隊と、その最後方の巨艦から再び放たれた凶鳥(ラプテール)の大群は、生への足掻きを嘲笑う死そのものの御使いであると感じられた。

 

「……ッ! 敵ラプテール六騎、本艦に急速接近ッ!!」


 遂に前線を突破して来た敵が、この旗艦にも狙いを付ける。味方の惨たらしい最期を目の当たりにし、目の瞳孔は定まらず身体は小刻みに戦慄き、黒い絶望に呑まれかけていたエルフの指揮官を、その見張り員の報告が却って正気に戻した。


「くっ……! ここは、私が対処します!!」


 エルフの指揮官はトライデントを掲げると、光属性精霊魔法の詠唱を始める。だが、今の彼女が抱く恐怖や絶望といった感情は、光属性魔法、特に精霊の力を借りて発動させる精霊魔法にとっては、負の力として作用してしまう。



 だから――


 全身の細胞が慄くのを、ぐっと堪えて。


 死んで逝った者達以上に、今も必死に生きようともがいている者達の事を想って。


 そして自身の心の奥底に、冷たい闇に代わり暖かい光が満ちていく様を観想して――――!



光の精霊スピーリタス・ルミニスよ――我等に生命の力を与え、我等を滅さんと迫りし大難を、光の奔流を以って討ち払い給え』



 すると、現れた魔法陣の中心にいる彼女の全身が光を纏い、特に激しく発光するトライデントの先を天に向けると、何本もの光の奔流が一気に上空に放たれる。ラプテール騎兵達は、詠唱に入り発光し始めた彼女の姿を見て回避しようとしていたが、間に合わずに六騎全てが光に呑まれて海に墜落していった。


 今は心を強く持たなきゃ。まだ多くの部下達が、私と同じ思いの中で必死に生き残ろうともがいているのだから……!


 続いてダークエルフの指揮官の乗艦にも、六騎のラプテール騎兵が襲い掛かる。彼女も自らの大鎌を掲げると、闇属性精霊魔法を詠唱して発動させた。



闇の精霊スピーリタス・テネブラールムよ――我等が怨敵を黒獄の業火を以って切り刻み、焼き払い、大鎌に鮮血を啜らせ給え』



 同じく魔法陣の中心にいる彼女の全身が紫色の妖気を纏うと、大鎌の刃が赤黒く発光し彼女の一薙ぎで巨大な三日月状の、血の様な深紅の炎の塊が放たれる。それは空中で回転しながらラプテール騎兵達に到達し、六騎全てを真っ二つに切り刻んだ直後、それらの骸も炎の塊に変えられて燃えながら海に墜ちていった。


 彼女は前者とは正反対に、この戦場に満ちる負の感情を活用して攻撃を行ったのだ。


 斯くして、二人がそれぞれの乗艦を守り切った直後、各々の旗艦上の通信魔石を通じて遂に来るべき知らせが入った。


「……報告! 最後の友軍部隊が、東イルミア島からの撤退に成功したとの事です」


「そう……判ったわ。……全残存艦に伝達。たった今、最後の友軍が撤退に成功したとの知らせが入りました。現時点を以って、我が第一戦隊は戦闘を終了します……」


「……第二戦隊全艦、直ちにこの海域を全速力で離れろ。撤退するぞ!」


 そして、この地獄の大釜をどうにか煮え死なずに生き延びた残存艦は、撤退の旗流信号を掲げると同時に角笛を吹き鳴らしたそれぞれの旗艦に続いて、全力で櫂を漕ぎ戦域から離脱していく。どうやら敵艦隊は、こちらが殿に過ぎない事に気付いていたらしい。こちらが撤退を始めたと見るや、ラプテール騎兵も黒船もぴたりと攻撃を辞め、その後も特に追撃して来なかった。


「……本艦に続く友軍艦は僅かにして……いずれも、被害甚大の模様……」


「……ッ! あ……嗚呼……ッ!!」

 

 残存艦を数え終えた見張り員から、そう力無く報告を受けたエルフの指揮官は辺りを改めて見回し――――今度こそ、黒い絶望に呑まれた者の発する声を上げた。


 艦隊戦前の空襲の直前に六〇隻以上はいた両艦隊は今や、二隻の旗艦を含めて僅か一二隻になっており、いずれの残存艦も傷だらけだ。それに対して、敵側の沈没艦はほんの数隻に過ぎなかった。これらの大半は、こちらの差し違えの衝角攻撃を船腹に受けた艦であり、他にはラプテール騎兵一六騎を喪った位である。こちらは最終的に艦隊の約八割が喪われ、その沈んだ艦に乗っていた水兵達の殆どが戦死――――


 ――――まさにほぼ壊滅そのものの被害にして、敵側の圧勝である事を疑う者など誰も居なかった事は、言うまでもない。


「どうして……? どうして、こんな事に…………!?」


「くっ……! 今日散って逝った貴様達の事は、決して忘れない…………!」


 そんな見るも惨憺たる残存艦隊の頭上に、先程からの暗い曇天の空から雷鳴と共に豪雨がどっと降り注ぐ。悲痛――という表現ですら陳腐に思えてくる位に、俯き、暗く沈み切った表情のエルフとダークエルフの二人と、命辛々生き残り疲弊し切った表情の水兵達の顔や身体を、雨粒が滴り落ちていく。


 友軍の殿を務めた代償として、余りにも多くの戦友が喪われた事への哀しみ。なれるものなら、俺が、私があいつ等の身代わりになってやりたい。そして何より、自分達が今生き延びているのは単に敵から屈辱的な慈悲をかけられたからに過ぎない、と判っている事への悔しさが、一層重苦しい空気を増大させる。


 更に――――


「軍は何とか撤退出来たけど……イルミアの、民達は……?」


「……つい先程、私のテレウィス石にその民達に関して連絡があった。大半は、何とか軍と共に逃げ果せたそうだが――敵の制圧速度が予想以上に早く、一部が逃げ遅れたらしい……」


「そんな……そんな…………ッ!!」


「手元に抱えた民達の護衛だけで精一杯で、既に敵に制圧された地域に取り残された民達の救出まで、とても手が回らなかった、との事だ…………」


「それじゃあ……民達を全員は救えず、部下も大勢死なせた私達だけ、こうして生き延びて……一体……一体、何が帝国一の精鋭艦隊よ…………ッ!!」


「………………」

 

 互いの艦上のテレウィス石を通じて、深刻な言葉を交わす二人。


 二人の脳裏には、イルミアに取り残された民達を待ち受ける修羅の運命――例え生き延びて囚われの身となっても、敵がヒト種と比べて劣等種と位置付けるエルフやダークエルフ、ドワーフや獣人種といった亜人達は……老人を除いて、男は奴隷か、女は敵兵達の……いや、それ以上は敢えて言うまい――が、次から次へとよぎり続ける。


 だが、今の一行にそんな民達を救う術など何も無い事は――――残酷にも、火を見るよりも明らか過ぎた。


 そんなやるせなさから思わず溢れ出す、自身の瞳から滂沱と流れる涙と共に、豪雨が二人の身体を濡らし続けた。


「……絶対に、絶対に……私達は、必ずイルミアを取り戻しに帰って来るッッ!!」


「……今の我等の、真っ黒な怨嗟……その鉄槌が下る日を、待っているが良いッッ!!」


 二人はそれぞれの乗艦から、付近で轟いた巨大な稲光と雷鳴と同時に、尚も溢れる涙を呑んでそう叫ぶ。斯くして五段櫂船の残存艦隊は雷雨降り注ぐ昏い海の中、一路彼女達の祖国へと帰路に就いたのだった。



◇◆◇◆◇



「そうか……遂に、聖地イルミアがムーリア側に墜ちたか。我が帝国軍を始めとする諸島連合側は完全撤退――あの二人の率いる帝国一の精鋭艦隊さえも、撤退の殿を務めて壊滅的損害とは……」


「はい……確かに私のテレウィス石を通じてその様に報告が……。これで我が方の戦線は崩壊し、完全に追い詰められました。敵がこちらの勢力圏への直接侵攻に乗り出すのも、最早時間の問題で御座いましょう」


「嗚呼、ムーリアめ……! 敬愛なる父上が突如天に召されたあの日以来、戦況が好転した事など一度も無いではないか……!」


「父帝陛下の件も含め、我等家臣団が至らぬが故のこの結果……誠に、誠に申し訳御座いませぬッ!」


 西に広がる海原を望む丘の頂にある、巨大な聖堂の様な建築物の門前で――如何にも高貴な装い、それに相応しい端正な顔立ちと濃い金髪、髪の色に近い琥珀色の瞳――明らかに皇族相当の身分と判る美形の青年が、護衛の近衛兵らしき集団に囲まれながら数人の臣下・従者と見られる者達と話していた。


「……一度過ぎ去ってしまった過去は、もう二度と戻っては来ない――なれば今こそ、その時だな。ここまで状況が詰んでは、最早一刻の猶予も躊躇も赦されない。我等の進む未来を拓き、そして護る為にも……」


「……承知致しました。我等だけでは最早詰みであると明らかになった今、殿下がその様に御決断されたのであれば、私から申し上げる事は何も御座いません」


「私めも、同じく」


「拙者も、同じく」


「殿下の、御心のままに」


「うむ……皆、ありがとう。では、参ろう……!」


「「「「「はッ!!」」」」」


 そう言うと一行は、門から大聖堂の敷地内へと足を踏み入れていく。中では既に、聖なる神官の正装を着こなした神官達が一行を待っていた。



◇◆◇◆◇



「殿下方、ようこそ御越し下さいました。……此度の極めて厳しい戦況と、ムーリアの徒党による赦し難き蛮行の数々――我等神官一同も、しかと聞き及んでおります。殿下の御心労、御察し致します…………では、こちらへどうぞ」


 神官達の長がそう恭しく一行を出迎えると、一行を大聖堂の最深部まで案内する。松明に照らされた薄暗い回廊が上下左右に延々と続く中、一行は一声も発さず無言のまま歩み続ける。ただ一行の足音だけが虚ろに響き続けるその間は、ものの数分であったかもしれないし、数時間であったかもしれなかった。


 そんな、一体幾つもの角を曲がり、一体幾つもの階段を上下したとも知れない道のりを歩み終えたその先に、聖堂の最深部はあった。


「……ッ!」


「おお……! これは……ッ!!」


 規則正しく開けられた採光口から差し込む、自然光が照らす周囲の壁には――――今まで一行が見た事も無い様な、何らかの兵器と思しき様々な物体が一面に描かれていた。


 大砲の様な筒を取り付けて、馬に引かれずに大地を駆ける鋼鉄の乗り物。水上を描いた部分には、我が方の三段櫂船とも、敵側の漆黒の汽走戦列艦とも、全く似ても似つかない未知の形状の巨大な船。その中には、水中に潜っているのではないかとさえ見られる描写の、黒い鯨型の船もあった。空を描いた部分には、無機質な翼を付けた機械らしき少なくともラプテールではない、多種多様な何かが飛行している絵。


 更には何だろう、壁画の様々な場所を“矢”の様な物体が飛び交っているのだ。それらは水平に飛翔しているらしき物と、上空に垂直に撃ち上がっているらしい物の、二種類に大別されて描かれていた。


「何なのだ……何なのだ、この奇怪な壁画は……ッ!」


「はい。これらがフュルギオンの御使いたる“霹靂(へきれき)の艦隊”が扱いし、数々の武器や戦船の類であると、古よりこの聖堂には言い伝えられております」


(余は……我等は、今から一体何を呼び寄せようとしているのだろうか? 得体の知れぬ未知なる勢力が現れた世界に、どの様な未来が待ち受けている? ……何より、もしそれが最悪の結果に終わった場合、召喚した我等はその責を負えるのだろうか……?)


 儀式の準備は既にほぼ整っていた。皇子は、最深部の床の中央に彫られた巨大な魔法陣の手前に立つ。しかし彼はここまで来て今更ながらに、そんな止め処ない不安に全身の細胞が慄き、汗が額に滲み出るのを感じていた。

 

 だが、それでも――――


 これらの力を借りる以外に、今の極めて不利な戦況を打開する術など到底存在しない状況である、と断言せざるを得なかった。こうでもしなければ、先ずは亜人達への選別思想が公然と罷り通る世界秩序が、敵の手で創られてしまう。それに反発する者達を、公正な裁きも無しに即皆殺しに出来る様な社会に、やがて(あまね)く全世界が抱擁されてしまうだろう。


 こうなったら、やらぬ後悔よりも、やる後悔だ。


 最悪のシナリオ云々より前に、確実に訪れるであろうこれらの地獄を阻止し得る、実質今や唯一無二の術は――――


「――――殿下、只今全ての用意が整いました。いざ……召喚の儀を始めましょう!」


「うむ、良かろう……召喚の儀を始めよ!」


 神官達の手により周囲の全ての採光口の中の反射鏡が操作され、光が床の中央に向けられて差し込む全ての自然光が魔法陣に集まる。そして皇子が魔法陣に膨大な雷属性の魔力をぐっと込め始めると、神官達が一斉に幻獣帝フュルギオンと“霹靂の艦隊”を称える特別な聖歌を高らかに歌い始めた。



♪おお、見給え! 霹靂と共に現れし()の大艦隊を

 遍く幻獣の帝――フュルギオンの使いし大艦隊を

 麗しくも勇猛なる四人の戦乙女に率いられた

 鐵の戦船と斑模様の兵士達、機械仕掛けの地竜と飛竜を

 

 その大艦隊のあらゆる戦船と

 あらゆる武器の秘めたる力を

 決して諸人の常識で測ろうとしてはならぬ

 戦乙女達の首魁――黒髪の淑女が乗られる巨艦の放つ

 あらゆる船と大地を撃ち砕き、焼き尽くす一撃の前に

 諸人は跪きて許しを請い、彼女の手に口付けするのだ

 

 されど彼女達は力を徒に振るう事を好まず

 平和には必ずや平和を以って応えるであろう

 フュルギオンが正道を歩む者を讃えられ

 さもなくば邪道を歩む者を裁かれる様に

 友好と理性とを以って彼女達に接するならば

 天使の如き百万の味方を得れども

 矮小なる力に溺れ尊大なる態度で非道に走れば

 悪魔の如き百万の敵を作ると心得よ

 

 そして彼女達の大いなる逆鱗に触れた者達には

 何人も抗せぬ無窮の雷霆(らいてい)が振り下ろされ

 彼女達の怒り鎮まるまで荒れ狂う業火の後には

 その元凶は悉く灰燼と帰し、骸さえ残らぬであろう

 

 故に諸人よ、彼女達の力を見誤るなかれ

 そして歓喜せよ、新たなる時代の到来を

 その大艦隊が遍く七海を征した時

 混沌と戦乱の世に終止符が打たれ

 諸人は彼女達を聖女であり魔女として

 その大艦隊と共に受け入れるのだ

 来たれ! フュルギオンの使いし霹靂の艦隊クラッシス・フュルミニス

 その偉大なる旗艦の名は“ヤシマ”なり!



 楽器の伴奏は一切無く、神官達の澄み切った荘厳な歌声だけが大聖堂の最深部に響き渡る中、魔法陣が一気に輝きを増し青白いスパークと共に激しく発光していく。神官達はこの儀式が終わるまで、繰り返し斉唱を続けなければならない。


 その煌々たる光とスパークの中で皇子は、彼の幻獣帝に訴えかける様に詠唱する。


『我等が窮状を御照覧の、偉大なる星雷龍フュルギオンよ――今や世は遍く邪軍の手に堕ちんとし、大罪無き民草の鮮血が日々流されり。我等、最早その暴虐に抗する一切の手段無し。只願わくば、主の御使いを霹靂と共に我等の下へと遣わし、世に仇なす邪軍の討滅に主の御力を貸し与え給え……ッ!!』



 そして――――――



『……良いだろう。汝等のその声、その意思――我は確かに受け取った……』



 そんな皇子以上に威厳に満ちた、それでいて澄み渡る様な青年の声が聞こえた瞬間、耳を劈く様な激しい雷鳴と共に大聖堂の最深部は、目が眩む程の眩い光に完全に包まれた――――――!!

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