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モノクローム・シンドローム

作者: 桐澤 明

 私は嘘を肯定する。別に率先して法螺吹きになろうとは思わないけど。

 例えばほら、今教卓に立って学級会を進めている清廉潔白な委員長は実はとんでもない腹黒だし、その彼女だって実は他の男子と二又掛けてる。

 別に酷いとは思わない。これが普通。これが正常。

 だからこそ、私は、せめてこの中でだけは本当にきれいな世界を描き出そうと思う。

 異常で構わない。嘘が無い世界を。




「えー、皆ニュースとかでもう知ってると思うけどな」


 いつもは気だるそうな担任の声が、今日は心なしか弾んで聞こえる。


「うちのクラスの如月美月の書いた小説が、白田川賞を受賞した!えー、最年少だそうだな!拍手ー」


 教室中に巻き起こる拍手。それが自分を中心としているものだと思うと、嬉しくないと言えば嘘になる。ただ一つひっかかることがあったが。


「如月すげー」

「お前いつの間に小説なんて描いてたんだよ」

「美月、国語苦手なくせにずるいぞー」


 クラスメイトから寄せられる称賛の声に照れ笑いで返しながら、私は少しだけ動揺していた。



 私は、クラスメイトに酷評されたとおり、国語が苦手だ。作文をさせれば誤字脱字は当たり前、日本語の文法ですら平気で間違える。そのくせストーリーを作るのが好きで、何度もボツになりながらも自作の小説を白田川賞に送り続けていた。

 そんな私がどうしていきなり受賞まで辿り着いたのか、にわかには信じがたいが、心当たりが無いこともなかった。



 今回は、高校を舞台にした青春ものを書いた。いつものことだが、自信は無かった。何度も何度も推敲を繰り返したけれど、所詮自分の国語力ではたかが知れているし、かといって友人や家族に読んでもらうような度胸も無くて、原稿を入れた封筒を隠すようにして、こそこそと郵便局に向かった。

 いつもと違ったのは、家から郵便局に向かう人通りの少ない道で、自分と同い年くらいの少女に出会ったことだ。


「ねえ」


 その少女は肩より少し長いくらいの髪をヘアバンドで止めていて、白いワンピースを着ていて、まあはっきり言って可愛かった。日傘を差して道端に突っ立っているだけなのに、周りの空間が華やいで見えた。ろくに手入れもしていない髪を二つ括りにして分厚い眼鏡をかけた私とはもはや別の生物にすら見える。


「ねえ、聞いてる?」


 自分が呼び止められたと気が付いたのは、少女が二度目の声を発した後だった。


「あ、私?」

「そう、あなた」

「な、なんですか?」


 さすがに不審者とは思わなかったものの、路上でいきなり知らない人に呼び止められたのだから、当然のごとく警戒心剥き出しになってしまう。しかし少女は私の不愛想さなど気にも留めていない様子で、勝手に話を進めていった。


「あなた、白田川賞を取りたいんでしょ?」

「え、なんでそれを」

「なんでも何も。それ」


 少女はくすっと笑って、私が抱えている茶封筒を指さした。宛先のところには「白田川賞選考係御中」とでかでかと書かれている。


「あ」

「で、話を戻すけど、あなた、白田川賞を取りたいんでしょう?」


 少女は黒髪を風になびかせながら、同じ質問を繰り返した。

 少女の美しさのせいか、柔らかい表情や話し方のせいか、私の中で彼女に対する警戒心はいつの間にか随分小さくなっていた。

 だから、私は正直にその質問に答えた。


「取りたい、ですよ。そりゃ。取れるもんなら」

「そんな弱気なこと言ってるうちは取れないわよ」


 知った風なことを言われて少しむっとして、私は語調を強めた。


「わかってますよ」

「ねえ、本当に取りたい?」

「・・・取りたい」

「何をしてでも?」

「何をしてでも、って?」

「賞を取るための努力なら何でもできる?」

「できる」


 試されているような気がして、つい勢いで答えた。実際は自分の才能に半信半疑で、自分の夢を人に言うことすらできないような臆病者なのだが。

 幸い虚勢を張ったのはばれなかったようで、少女は「そう」と微笑んで、背を向けて歩き始めた。


「あ、ちょっと!」

 質問するだけしてさっさと立ち去ろうとした少女を、咄嗟に引き止めた。

「何か?」

「いや、何かじゃなくて。――あなた、何ですか?」

「・・・・・・また、会いましょうね」


 望んだのは、あなたですよ。


 少女は去り際に私の耳元でそう囁いて、今度こそ道の向こうに去っていった。



 それが、唯一にして最大の心当たりだった。にわかには信じがたいが。

 あの少女が実は選考委員の一人で、私が受賞するように口をきいてくれたのだろうかなどと様々な推論を並べてみた。しかし件の少女との会話が何をどうやったら今回の受賞に繋がるのか、私には皆目見当がつかなかった。

 自分の力で勝ち得た賞ではないような気がして、少し後ろめたいような気もした。でも結局私が受賞したのは動かぬ事実であったし、何より長年の夢が叶ったのだから、私は今回の受賞を自分の努力の賜物だと思って有難く受けることにした。



 その日、家に帰ると、夕方のニュースで自分の作品の特集が組まれていた。

 母親に頼んで録画してもらうことにしていたのだが、やはりリアルタイムで見たかったので、自転車をとばして家に戻り、脱いだ靴もそろえずにリビングに駆け込んだ。

 ちょうど番組の始まる時間で、テレビをつけると自分の名前が大写しになっていた。

 遅ればせながら、ああ賞を取ったんだなという実感が湧いてきて、ついつい狂喜乱舞して大騒ぎしているところを弟に見られてものすごく気まずい思いをした。

 仕方ないじゃないか。嬉しいんだから。

 しかし、私の気分は、作品紹介のコーナーが始まった瞬間に混乱の底に叩き落とされた。



 なぜなら、白田川賞を私の名前で受賞した小説は、タイトルや登場人物の肩書きこそ私の書いたものと同じだが、まるで違うストーリーだったからだ。



 私が書いたのは、高校を舞台とした青春ものだったはずだ。

 しかし、受賞作として紹介されたそれは、とてもじゃないが吐き気無くして読めないほどの残酷なストーリーに変貌していた。

 好青年の主人公はえげつない腹黒人間になっていたし、その彼女であるヒロインは主人公に黙って二又を掛ける尻軽女と化していた。

 その他の登場人物たちもことごとく現実世界の汚い部分に染め上げられた性格になっていて、教室を舞台にラブロマンスを展開するはずだった彼らは、泥沼のような争いを繰り広げた挙句、放課後の体育館で殺戮ゲームを繰り広げていた。

 テレビの中では、歴代の白田川賞受賞者たちがそのスプラッタストーリーへの講評を述べている。人間の本質に迫る描写が素晴らしいとか何とか。しかしそんなものは私の耳には入ってこなかった。

 私、こんなもの書いていないのに。

 そして何より問題なのは、その私の著書として賞を取った作品の登場人物たちが、私のクラスの人間たちそのものであるということだった。

 腹黒の委員長も、二股をかけている委員長の彼氏も、善人面をぶら下げて陰で舌を出しているクラスメイトも、全部実在のものだった。私のクラスの人間であれば、誰が誰を指しているのかが一目瞭然だろう。


 

 何かの間違いじゃないかと思ってテレビ局に問い合わせたが、テレビ局の人間の回答は「間違いありませんよ、貴方の作品です」の一点張りだった。

 それでも納得いかなくて、小説の選考係に連絡して原稿データを送ってもらった。百ページ以上に及ぶ長編だったが、一文字一文字舐めるように読んだ。

 その結果わかったのは、私の名前、私の付けたタイトルで応募されたその作品は、どういうわけか私の知らないストーリーに変貌を遂げていたということだけだった。


 

 誰に打ち明けることもできずに翌朝を迎え、自分の教室に入った。

 その瞬間、委員長に詰め寄られた。


「おい、如月」

「え、何?」

「昨日のテレビ番組見たんだけどさ、あれ何?」


 さっと血の気が引くのがわかった。おそるおそる委員長から目線を逸らして、教室を見回す。

 クラスメイトは、一人残らず疑心に満ちた顔で黙り込んでいた。

 その理由はすぐにわかった。

 私の作品――正確には、私の名前で出されたあの作品は、このクラスを守る嘘を完全に暴いてしまった。


「お前、自分のクラスのことモデルにしてまで賞取りたかったわけ?」

「違う、あれ、私じゃない」

「はあ?」


 いつもにこやかな委員長の、冷めきった表情――というか素の表情に完全に足がすくんで、危うくその場にへたり込みそうになって、反射的に身をひるがえして教室を駆け出した。

 廊下を走って、階段を二段飛ばしで駆け下りて、上履きのまま後者の外に出たところで足がもつれて転んだ。

 地面に転がったまま、必死で頭の中を整理する。

 違う。私じゃない。きっと同じクラスの誰かが私の小説を書き換えたんだ。でも私誰にも小説のこと言ってない。じゃあ、誰がどうやって――


「こんにちは」


 混乱を極める私の思考を断ち切ったのは、頭上から降ってきた声だった。

 顔を上げると、そこには白いワンピースの少女が立っていた。


「あなた、あの時の」

「お久しぶりです。また会いましたね」


 少女はにっこりと微笑んだ。普段なら見とれるところだが、今はそれどころではなかった。

 私は、今の理解不能な状況の答えを求めるように、少女の両肩を掴んだ。


「これ、どうなってるんですか?」

「これって?」

「あの、私の小説が、全然内容が違ってて、でも私のクラスそのもので、」


 話を整理する余裕なんて無くて、脈絡の無いことを喚き立てた。

 対する少女の反応は実に落ち着いたもので、優雅な微笑みをたたえたまま半狂乱の私の話が終わるのをじっと待っていた。

 一通り今自分の置かれた状況を説明し終えると、私は再び地面に座り込んだ。


「もう、何が何だかわからないんです・・・」

「あら、わからないなんてことは無いはずだけど」

「・・・はい?」


 何を言い出したのかと思って顔を上げる。すると少女は小首をかしげるという可愛らしい動作を織り交ぜつつ、


「だって、あなたが望んだことじゃないの」


 と言い放った。


「違う。私、こんな話書いてない」

「でも、書きたかったんじゃないの?」

「はい?」

「あなた、本当はこういう話を書きたかったんじゃないの?

「冗談やめてよ。あんなの現実世界だけで十分だわ」

「本当にそう思う?」

「しつこい」

「本当に?」

「・・・・・・」


 私が答えに詰まっていると、少女はヘアバンドを外しながら淡々と語り始めた。


「あなたが賞を取れた理由、わかる?あなたが本当に書きたいものを書いたからよ」

「だから、私あんなの書いてない」

「いいから聞いて。あなたはずっと壊したかったのよ。美しく均衡のとれたこの世界を」

「はあ?」

「嘘まみれのこの世界を壊したくて壊したくて仕方がなかった。でも壊す度胸なんてない。あなたは『良い人』だもの。そんな酷いこと書けないよね?クラスメイトのことあんなふうに書けないよね?」

「っだから、書いてないって言ってるじゃない」

「でも、あなたは望んだの。白田川賞を取るような小説を書きたいって。じゃあ書くしかないじゃない」


 少女はいたずらっぽく笑って、ヘアバンドを空に向かって放り投げた。

 私の中で、一つの疑念が生まれた。


「・・・まさか、あんたなの?」

「何が?」

「あんたが、私の小説を書き換えたの?」

「・・・どうしてそう思うの?」

「・・・・・・」

「正解」


 少女は悪びれずに言うと、ワンピースのポケットから二つ、ヘアゴムを取り出した。

 あまりにもあっさりとした少女の態度に、怒る気力も無くなってただただ愕然とすることしかできなかった。


「なんで、そんなことしたの・・・」

「なんで?さっきも言ったじゃない」


 少女はヘアゴムで黒髪を二つにまとめ、最後にどこからか取り出した分厚い眼鏡をかけた。


「あなたが望んだことじゃないの」


 そう言って私の前にしゃがんだ少女の顔は――私によく似ていた。

 否、私そのものだった。


「あなた、は」

「まさか、今さら自己紹介でもするつもり?」


 私の顔をした少女は今までに見たことのないような醜悪な笑みを浮かべて、唇が触れるんじゃないかというくらい顔を近づけて、私によく似た声で囁いた。甘い吐息が鼻にかかる。


「受賞おめでとうございます。いい子ぶってる『私』」


 ――望んだのは、あなたですよ。

 彼女の最期の言葉は、確かに私の唇から発せられた。






 私は嘘を肯定する。別に率先して法螺吹きになろうとは思わないけど。

 例えばほら、今教卓に立って学級会を進めている清廉潔白な委員長は実はとんでもない腹黒だし、その彼女だって実は他の男子と二又掛けてる。

 別に酷いとは思わない。これが普通。これが正常。

 だからこそ、私は、この世界を赤裸々に綴りたいと思う。

 異常で構わない。異常で正常な、嘘にまみれた世界を。


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