丘の向こうの出会い 5
彼に「散歩に行って来るよ」とだけ言うと、私は店を出た。この町より、隣町の方が私達の家から近い為、この町にはあまり来ない。
以前から探検してみたい気持ちはあった。だけど、わざわざ丘を越えるのは面倒くさいと思ってしまう。
今日は、彼が食事をしている少しの間だけだが、都合が良かった。
エスポワールは隣町へと繋がる大通り沿いにある。丘から来た私達は、細道を通って来たので大通りはまだ歩いていない。
右に行こうか、左に行こうか迷っていると、ふと教会が目に入った。
神を信じているわけじゃない。しかし、私と〈レギーネ〉にこんな運命を背負わせた神にひとこと言ってやりたい。きっと、矛盾だと笑われるだろうけど。
私の足は、しっかりと大地を踏み、教会に近づく。屋根上にある大きな十字架が、私を威圧しているようだ。それでも、私は強大な十字架に惹かれていく。自身に抱えている問が、その十字架より小さく見えたからかもしれない。
ふらふらと歩いていると、砂利ではないものを踏んだ。足元には青い芝生が生えている。いつの間にか、教会の敷地内に入っていたようだ。
先程のように、十字架を見ようと試みたが真下から見えたものは、晴れ渡った空だけだった。
「こんにちは」
声が聞こえた。誰か居るのだろう。目線を空から、声が聞こえた方に移す。
「ここには神の下に就く者はいませんが、懺悔室ならありますよ」
教会の陰から、ほうきを持って現れたのは、若い女性だった。にこりと優しい笑を浮かべている。
「あ、一応言いますけどうちは修道女でも何でもありません。教会に住んでるからってシスター扱いされても、ねぇ?」
何となく、この女性の言葉づかいに違和感を覚える。イントネーションが違ったからだ。もしかしたら、この町の育ちではないのかもしれない。
「ちなみにこのほうきは、さっきまで裏を掃いていたから持っているんですよ」
――よく喋る人だ。
クウもお喋りだが、仕事だからだと思う。彼女は仕事でもないのに、愛想よく口を動かすのが可笑しかった。
しばらく、彼女の口の行く末を見ることにしよう。
「もしかして、怒ってます? 喋り過ぎたかなぁ。あぁ、ウチが名乗らないから? ウチはルノっていいます。よくシスター・ルノって呼ばれます。ファーストネームは教会に住んでるし、エグリーズとでも言いましょうか。チャーチよりファーストネームっぽいですね」
ルノと名乗った女性は、口元を隠して笑う。上機嫌に笑いながら、ルノは首を傾げた。
「中に入らないんですか?」
「……君が、話しかけてきたからタイミングを逃した」
ルノに習って『貴女』と言おうとしたが〈レギーネ〉なら、少し生意気にこう言うと思った。ランクが居ない時でさえ、『レギーネなら』という思考になることが悲しい。
いつの間にか、ルノとの距離は対峙して話すのに適切な程に、近くなっていた。
「そうでしたか、悪いことをしました。お先にどうぞ」
そう言い、軽く会釈をしてから右手の指先を教会の扉に向けた。しかし、私は断った。
店を離れて、結構な時間が経った気がしたからだ。ルノは明らかに肩を落とし、重いため息をつく。
その様子にいたたまれなくなってつい「近いうちにまた来るから」と口走ってしまった。
私とランクが町へ来るのは、月に一回かどうかだ。もう暫くは来ないだろう。
「本当ですか!?」
だが、ルノの表情は神の恵みを得たかのように、眩しい笑顔を向ける。その笑顔を見た瞬間に、軽薄な発言をしたと後悔に苛まれた。
「ここは町の中心にあるのに、誰も寄り付かんのです。皆、隣の町へと行ってしまって……。だから、絶対に来てくださいね!」
ルノは必死の形相で、私の両手を掴みながら早口でまくし立てた。勢いに負け、首を縦に振る。
「も、もちろんだよ。絶対に来るから、手を離してくれる?」
「……約束ですよ?」
「約束するから、離してほしいんだけど」
「はいっ」
弾む声に合わせ、私の手に自由が戻る。思わず安堵の息を漏らす。
「では、楽しみに待っています。夜中でも構いませんからね」
「うん、それじゃあね」
言いながら踵を返すと、背後から「待ってますからね」と暖かな声が聞こえた。
少しだけ振り返ると、ルノは手を振っていた。それに習ってみると、また来たいと思えたから不思議だ。
彼女がもう少し早く産まれていれば、〈レギーネ〉の良き友となっていたかもしれない。
自然に上がった口角に気づいたのは、店の窓の反射した私を見てからだった。