丘の向こうの魔女
早朝、何も知らないランクは寝難さを感じ、地下の研究室にて起床した。痛む頭を押さえ、寝室で寝ようと研究室を出る。
――レギーネは寝ているか。久しぶりに寝顔が見られるな。
そんな呑気な事を思っていた彼は、寝室の冷めたベッドを見て、体から血の気が引く。あたりは薄暗く、この感覚は前に味わった事を思い出した。
コートも着ず、杖だけを持ち家を飛び出した。
彼は強い既視感に、涙しながら丘をひょこひょこと登る。ちょうど丘の頂上に、車椅子の女性が佇んでいた。
「遅かったですね」
女性は、ゆっくりと車椅子を動かし彼と対面した。
「……サーキー」
サーキーの名を呼ぶと、彼女の背後に墓石が見えた。凍えそうな程空気は冷えているのにも関わらず、背筋に冷たい汗が流れた。
そこは女達人の墓があるはずだが、どうにも新しい。まるでごく最近出来たようだ。
「こ、こんな朝から墓参りか」
「いいえ。昨夜から貴方を待っていたんです」
よく見れば、彼女の瞳には光は無く、赤く腫れている。
「この寒い中で?」
「ええ、貴方は思いませんか? まるであの日を繰り返しているようだと」
彼女が言いながら、彼に墓が見えるように少し移動する。
彼は恐る恐る墓に記されている名を読み上げた。
「レギーネ=ベッタニーとレギーネ=ベッタニー……?」
墓には、同じ名前がふたつ記されており、彼は膝から崩れ落ちた。
「レギーネ……、俺はまた、お前を失うのか……」
「貴方の言うレギーネとは、どちらのレギーネの事ですか?」
彼女に問われ、彼は静かに嗚咽を漏らし始める。草の上に断続的に彼の涙が落ちて行く。
「ふ、ふたり居たんだ。ふたりのレギーネを俺は……」
「貴方は幸せですね。愛した人がふたり居て、そのふたりから愛を貰ったのですから。ふたりとも、亡くなる寸前まで貴方を想っていたでしょうね」
次第に嗚咽は大きくなり、彼女はそっと立ち去る。
狂気から解き放たれた彼もその数時間後、弱弱しく立ち上がる。薄暗かった辺りは、すっかり朝日が登り澄んだ空気と朝霜が輝く頃だった。
彼が立ち去ったすぐ後に、ルノが来た。
彼女は男性の影を見た気がしたが、すれ違う事はなかった。彼女は昨夜、あたりが騒がしい事に気づき丘まで来たが、全て終わった後だった。サーキーから概要を聞き、涙ながらにレギーネの焼け跡から、黒焦げの骨を見つけた。
サーキーのひとことで、町の墓石職人が揃って徹夜したのを来る途中、噂で聞いた。墓に花を手向け祈る。どうか彼女達が安らかに眠れるように、と。
祈りを終えると、じわりと涙が滲む。知人の死を初めて経験する彼女は、しばらくの間、枕を濡らすことになった。
それから数年が経った。
墓には大人びたクウとノーランが来た。
ふたりは花を手向け、墓の掃除を終えるとクウが最初に口を開く。
「お婆ちゃんったら、わざわざ“クウ”の隣にお墓作らなくてもいいのにね」
「1度に3人の弔いが出来ていいじゃない」
「せっかくだし、隣町側のふもとの魔女屋敷も覗こうよ」
「魔女屋敷? そんなのあったっけ」
「あー、そっか。ノーランは知らないよね。えっと、ノーランが家を出てすぐにさ、昔レギーネさんが住んできた空き家がそう呼ばれてるんだよ」
「ええ? あそこは科学者が不審死したからお化け屋敷だって聞いたよ?」
「それは魔女屋敷の地下だよ!」
「屋敷の地下に屋敷とか聞いた事ないよ……」
「あはは、ま、噂だからね」
「でも、何だか嬉しい。こうして時間が経ったのに語り継がれているんだから」
「ああ! 語り継ぐと言えば、あの大ヒットした絵本、改稿されたんだよ」
「あの魔女伝説の?」
「そうそう。最後は魔女も達人も死んでバットエンドだったけど、今は『皆で仲良く暮らしました』ってなってるんだよ」
「ありきたりな話だね」
「タイトルも【魔女レギーネとシトゥーア】になってるよ」
「面影無いね」
クウとノーランが笑う。
そう、あの絵本は60年と少しで随分と変わり、改稿前の物はほぼ回収された。町にあった女達人の銅像も撤去され、今はどこにあるのか知る物はすでに居ない。
しかし、ふたりは忘れていない。
かつての町で起こった事を。かつて町に居た魔女の事を。語る事無く、ひっそりと胸の中に仕舞っているが、顔を合わすと必ずこの会話をし微笑み合った。
「私さ、町長の真似事を始めた今なら、あの時のお婆ちゃんの気持ち分かるな」
「そう? クウはお婆ちゃんの最期を看取ったんだよね」
「うん。お婆ちゃんはレギーネさんと再会して、嬉しかったけど、同時に怖かったんじゃないかと思うんだよね。自分は歳をとっているのに、レギーネさんは当時の姿のまま。しかも、死んだ時の服装だったらしいから、『何故あの時助けてくれなかったの? あんたはずっと見ていたのに』って呪われてるんだと思ったんじゃないかなぁ」
「お婆ちゃんは呪われてしまう前に先手を打ったって事?」
「うーん、そうじゃないんだよな。お婆ちゃん、レギーネさんのお墓を毎日掃除しに行ってたし。多分、昔建ててあげられなかったレギーネさんのお墓を建ててあげたかったのかもしれない」
「安らかに眠って欲しかったのかな」
「そうじゃないかなって思ってる。勝手な想像だけどね」
話し終えると、クウは思い切り伸びをした。
「ふう! さて、帰りますか」
「ですね。それじゃ、レギーネさんさようなら」
「来た時に挨拶しなかったのに、帰る時はするんだね」
「緊張して忘れてたの。ほら、クウも挨拶!」
「うわー、懐かしい。では、また来ます」
ふたりは握手の代わりに墓石に触れ、丘を下った。丘には草木とふたつの墓が残され、穏やかな時間が戻る。
太陽に照らされる墓石の影は、人の影にも見えた。




