丘の向こうの世界 3
私とランクは、また丘の上で一休みしていた。新しく買った杖が、まだ身体に馴染んでないのだろう。
「ふぅ、やっぱり杖があると、楽だね」
「ぼくも、ランクとお揃いの買えば良かったなあ」
ふいに出た言葉だった。〈レギーネ〉としてではなく、私としての本心だった。
だから、しまったと思った。彼女ならこんなことは言わないのではないかと、焦ったのだ。
「ははっ、レギーネには早いよ」
だが、それは私の気の所為だった。彼は穏やかに笑う。私も安堵の笑みが零れる。
澄みきった冬の夜空のような、ロマンチックな時間だと思った。
ふと、天を仰ぐと、太陽は少し傾き始めている。家を出たのが昼前だから、ほぼ半日、町に居た事になる。
私達は、町が好きではないから、こんな日は本当に珍しい。けれど、たまにはいいかもしれない。
機会があったら、また行きたい。そう思い始めた頃になって、ようやくルノとの約束を思い出した。
深夜、彼に気づかれないように表に出るのは、容易だ。しかし、あまり感心すべき事ではないとも思う。
近いうちに行くとは言ったが、別に今日だとは言っていないのだ。また、町に行った時にでも寄ればいいか。
そんな面倒くさがり屋な〈レギーネ〉譲りの思考が、私を怠惰にさせるのだった。
「さて、そろそろ帰ろうか。冷えてきてしまったし」
「そうだね。暖かいスープを作るよ」
「それは楽しみだ。ささ、早く帰ってしまおうか!」
杖に体重をかけ「よっ……と!」と言いながら立ち上がる彼。
ただ立っているだけなのに、背伸びをしているわけでもないのに、ごく自然に私の頭より上にある彼の顔が、もの凄く遠く感じた。
私に、心が宿っている事を彼は知っているが、真の意味で理解していないだろう。
彼女の遺骨に宿った、彼女の〈記憶〉や〈感情〉が私に宿っている。それは心であり、彼女自身と言えるのではないだろうか。
「ほら、レギーネ。いつまでコートを着ているんだ?」
そんな、とても馬鹿な思考に取り憑かれている内に、家に着いたようだ。
彼が自らのコートを脱ぎながら、いたずらっぽく笑う。
「うるさいなぁ、今脱ごうと思ってたんだよ」
粗雑にコートを脱ぎ捨てると、私は一直線にキッチンに向かう。
水を鍋に入れて、火にかけて、野菜と調味料を入れて、混ぜて、混ぜて。どれくらい混ぜればいいのか、それは〈記憶〉が教えてくれる。
慣れた手つきで、いつものように作るスープの味なんて、私は知らない。
きっと、香ばしい匂いが漂い始めたのだろう。背後から、彼の足音が聞こえる。