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丘の向こうの魔女  作者: ひぐらしあや
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丘の向こうの世界 2


「いい加減なこと、言わないでよ」


 これは私自身に向けた言葉だ。どんなに夢に酔っても、醒めた時の虚しさは増すばかりだ。なら、いっそのこと夢なんて見たくない。見させないでほしい、と、自分勝手にそう思うのだ。


「ごめんね。でも、プレゼントと同じように大切にするよ」


「うん。大切にしなかったら、怒るからね」


「それは勘弁してほしいね」


――彼は、いつまで夢を見ているのだろう。


 愛らしい笑顔を見せる彼を見ていると、ふと考えてしまう。彼は私を造り、夢を見ているに過ぎない。

 私が存在する限り〈レギーネ〉に、いつまで経っても安らかな眠りは与えられない。彼女が、私の中で静かに涙を零した気がした。


*   *   *


「うぅ……ゲホッ」


 小さく唸って咳をした後、右手のナイフを確認する。次に、芝を踏む音に集中する。

 横たわるぼくに、とどめを刺そうと奴は近づかなくてはいけないのだ。集中しろ、大丈夫だ。奴は、人間なのだから。

 少しずつ、足音が大きくなり、気がつくと虫の声が聞こえなくなった。聞こえるのは、奴の足音と呼吸音、それから剣とさやが擦れる摩擦音だけだ。


 そして、奴の足音が一際大きく聞こえると、その瞬間起き上がり、奴の太ももを目掛けナイフを突き刺した。

 ぷつり、と、皮膚を貫いた音が聞こえた。それをすかさず引き抜く。

 奴も垂直に剣を降ろす。が、間一髪で避ける。お気に入りの服に、深めのスリットが入ったが、気にならなかった。


「くそッ」


 地面に突き刺さった剣を抜く時、奴の小さくない舌打ちが聞こえた。深く刺さっているようで、息を漏らしながら抜いた。

 その頃には、ぼくは、奴の背後に回っており、後はもう血塗れナイフを振り上げて、下ろすだけ。

 だが、奴は剣を抜くとそのまま真横に振った。ブンッと風を切る音が鮮明に聞こえる。


――当たる!


 元々、ぼくの運動神経はあまり良くない。いや、はっきり言うと残念な程に悪い。反射神経があっても、運動神経がそれに追いつかないと、意味が無い。などと、いつもの言い訳が脳裏に過ぎる。

 目を力いっぱい閉じ、歯を食いしばる。ナイフを防御に回すなど、考えもせず、ただ諦めた。


――刹那また芝の上を滑る。口に入った砂埃を、不快に思いながら唾と一緒に出す。瞬間、脇腹に強烈な衝撃が走った。


「う、がぁ……!」


 目を開くのも、唸るのも、脇腹に振動が伝わり痛み、熱を帯びる。

 奴は、抜いた剣の勢いを利用し、更に遠心力も味方につけ、ぼくの無防備な脇腹に食いこませたのだ。ぼくはあまりの勢いに、剣から逃げるように、倒れたのだった。

 結構、深く抉れているのだろう。傷口からどくどくと、血が流れ出る感覚がある。服が血で身体に張り付く。不快感と、無力感と、情けなさで思わず嗚咽を漏らす。


 復讐はおろか、奴に一矢報いることさえ出来なかったのだ。もう、ナイフがない右手は、脇腹に添えられていた。

 なんて、惨めなのだろう。なんて、無力なのだろう。無気力に、ひたすら涙を流す。溢れる涙は顔についた砂埃を落としてくれた。


「すまないね、痛い思いをさせて。神のご加護が……あらん事を」


 奴が、ぼくの頭の方に立っている。足音と、声の位置で何となくそう思った。その声色は、短調なものだったが、まるで懺悔のようにも聞こえた。

 ぼくは痛くて泣いているわけではない。だけど、早く止めを刺してほしかった。こんな情けない自分が心底、嫌いだから。


――早く、楽にして。


 しかし、何故か止めは刺されず代わりに「うっ」と奴の短い声が聞こえた。そして、どさりと倒れる音がした。

 何が起きたのか、分からない。ネガティブな思考に囚われている間に何が起きたのか。

 少しでも確かめようと、痛みを堪え、目を開く。


奴は立ち上がろうとするが、すぐ地面に吸い寄せられる。それを、何度か繰り返した後「そうか……」と呟いた。

 声には、さっきの短調さは無く、震えていた。息使いが荒い事から、声を出すのも苦しいのだと察した。

 そして、自分の息使いが荒い事に今更ながら気がつく。


「あはは、ざまぁ、みやがれ」


 言わずにはいられなかった。どんなに苦しくても、呪いの言葉を吐かずにはいられなかったのだ。

 娘を殺し、復讐に来たぼくも殺し、奴は背中を攻撃された奴の顔すら見ないままに死んで行くのだ。

 愉快な気分だ。自分に出来なかった事を成し遂げてくれた誰かに感謝せずにはいられない。うめき声とも笑い声ともいえない声を出す。

 ふと、奴の方を見ると、ぼくが落としたナイフを握っていた。その瞳に映るぼくは、醜悪な顔で、悪としか形容出来ない。まさに魔女の顔だ。

 恐らく最後の力を振り絞り、ナイフをぼくに突き刺す。身体のあちこちに激痛が走っているから、どこに刺さったのか分からなかった。


「すまない」


 最期に聞こえたのは、奴の謝罪の言葉。奴は、ぼくのように呪いの言葉を吐かなかった。そういえば、奴の名前すら知らないな。奴も、ぼくの名前、知らないだろうな。

 ランクは、これから大丈夫かな。ひとりで立派に奴ていけるかな。ごめんね、ひとりで残してしまって。……復讐、出来なかったよ。

 無念を晴らすどころか、新たな無念を作ってしまった。

 もう、血が流れ出る感覚もない。意識が遠のくが分かる。光を失ったはずの視界が、優しい光に包まれ、重力から解き放たれた。


*   *   *


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