怖い話をしよう
よくある話だ。
第二次世界大戦中、各国はこぞって生物兵器を発明しようと試みた。それによって犠牲となった人間の数は、表沙汰になっていないだけでも億を越えるだろう。
我が日本国も例外ではなく、科学者という肩書きのある者を一カ所にまとめ、連日連夜に及ぶ人体実験を行っていた。
実験の対象となった者は身寄りの無い大人、孤児、負傷兵など厳選に厳選を重ね、秘密が漏れぬよう周到に計算されていた。
実験に成功した者、失敗された者――共通するのはあまたの憎しみ。憎悪渦巻くその研究所は取り壊されることなく、今もどこかに存在しているという。
「それが、ここです」
ピッ。音が聞こえてきそうなほど綺麗に床を指差す担任の飛鳥由美子先生は、極めて表情の読めない顔で私たちを見渡した。
「マジで?」
すぐに理解ができなかった現状、遅れて恐怖がやってくる。クラスメイトの誰かが発した“感想”が昔話をリアルに感じさせたのだ。
「さぁ、皆さん。どうですか? 今も悲鳴が聞こえきそうでしょう、実験の音が聞こえてきそうでしょう」
飛鳥先生が淡々と、しかし高揚感を隠しきれずに言った。
――私のクラスの担任は少々、変だ。いや今更か。今日は高校生活における一大イベント、修学旅行の第一日目。平和学習の一貫でもなく、肝試しでもなく、突然にこんな場所を見学させる先生は変だ。というより変態だ。鬼畜だ。
皆一様に暗く沈んだ表情で口を閉ざすなか、構わずスケジュールが発表される。
「これから2時間、自由行動です。皆さん、この日本国における負の遺産――しっかりと肌で感じてくださいね」
――嫌だ。私は小さく口を尖らせながら、隣りに立つ赤髪の少年の顔を覗きこんだ。
「ねー……紫遠、私、見学なんてしたくないんだけど。だってさ、今日は」
「そう? 僕は非常に興味深いと思っているけど」
そう言って私と瓜二つの少年はさっさと立ち去ってしまうのだ。サファイア色の瞳がらんらんと輝いていたから、きっとこの研究所跡を隅々まで調べ尽くす魂胆だ。
「世槞ちゃん、あなたの弟、相変わらず強いね~」
友達の女郎花紅羽が、誰も動こうとしないこの玄関ホールを見渡しながら感想をぽつりと漏らした。
「強いっていうか、変人なだけなの、あいつ」
置いてけぼりを食らった私は不満に感じる心を全面に出し、やけくそ気味に奥の通路へ足を踏み入れた。
「え~? 行くの? 世槞ちゃん」
重い足を引きずり、紅羽が後に続く。
「行くよ。それしかないもん。実験被害者たちの悲鳴をたくさん聞いてやるの!」
昼間なのに暗く湿ったこの施設は、某県の山奥に位置する。打ち捨てられて70年以上が経過するため、劣化が著しい。いつ壊れてもおかしくないのだが、不思議とあらゆる天候に耐えてきている。
玄関ホールから微動だにしなかったクラスメイトの面々も、次第に恐怖よりも退屈さが上回ったため、探索を開始したようでそれぞれが思い思いの場所へと散っている。いわくつきの施設とはいえ、幽霊が出ないとなれば存外平気になれるものだ。
「この器具、もしかして」
とある部屋へ入ったとき、中央に置かれた椅子と散乱した器具を見比べた紅羽がなにかを閃いたようだった。
なに? 訊ねると、紅羽は怪しい笑いを浮かべ、一本の細い鉄棒を拾い上げた。
「この部屋、きっとロボトミー手術をやってたところだよ」
「ロボトミー?」
「なんか、頭蓋骨に穴を空けてこのメスを差し込んで、前頭葉を削り取って人格を変えちゃう手術のことよ」
「……はっ?」
「きっと、ロボット兵でも造ろうとしてたんだよ! 恐怖を感じる心を無くさせ、痛みも感じなくさせ、ただ攻撃だけを行使する兵器を……!!」
紅羽は得意とする妄想を披露するが、あながち間違いではなさそうだ。私は部屋の隅に落ちていたカルテを拾い、読み上げた。
「“1936年5月6日、田之上小梅、女、21歳、脳の一部切除による容態回復”……あー……これガチですわ」
「でしょ!」
「喜ばないで。それにしても、回復、かぁ。この患者に限っては改造されてるわけじゃなさそうなんだけど」
「ねつ造よ。治療してると見せかけての人体実験よ」
少々興奮気味の紅羽は、別の部屋も見ようと足取り軽く廊下へ出る。あれだけ嫌がっていた姿はどこにもなく、冒険心をくすぐられているようだった。
私は後を追うため、カルテを元の場所に戻して部屋を飛び出した。
「……? 紅羽、どこ?」
そこで起きた想定外の出来事は、友達を見失ったこと。突如としてこんな薄気味悪いところに取り残された私は、不安に掻き立てられる心を誤魔化しながら紅羽の姿を探して彷徨った。
正式名称のわからないこの研究所は、円柱状のかたちをしている。中央に螺旋階段が突き抜ける6階建て。玄関ホールが螺旋階段の一番下だから、ここを降りてゆけばクラスの皆と合流できる。私はそれだけを心の支えにして階段を上った。
しかし見れば見るほどこの研究施設は奇妙だ。実験体を収容する部屋や食堂、入浴施設、実験施設があるのは当然のこと。だが所々に聖母マリア像が設置されているのだ。先ほど視界の端に入った礼拝堂と言い、ここは人体実験を行うとともにキリスト教の施設としても運用されていたのだろうか。
「神の名の元に、人間に残虐非道なる実験を執行します……っていうやつかなぁ」
我ながら反吐の出る妄想だ。探索はもういいから、早く紅羽を連れて玄関ホールで待っていよう。そう考えながら手摺りを掴んだとき、言い知れぬ不安が爪先から脳天へと突き上げた。
――妙に静かだ。
当たり前かもしれない。だが、ここにはクラスメイト30人が訪れているのだ。少しくらい、彼らの話し声や物音が聞こえてもいいんじゃないだろうか。
もしかしたら誰も探索なんてしていないのかもしれない。スタート地点から動いたのは私と紅羽と紫遠だけで、残りの皆は怖いからその場にとどまっている可能性がある。
「だとしたら、怖いなぁ……これ以上、上へ行くの」
見上げると、そこには暗闇しかない。どんよりとくぐもった空気が重く落ち、これ以上の進入を阻む。
建物の現役時から悪い噂が絶えなかったのだから、打ち捨てられて長い年月の経つ今など、怖くないわけがない。
意を決して階段に足を踏み出す――その直前に何かが落下する音が耳へ届いた。
「なんだろ……細くて固いものが、落ちたような音」
1つ上の階から聞こえたような気がした。誰かがそこにいるのは間違いなく、私は迷いなくそれが紅羽であると信じ込み、トントンと螺旋階段を駆け登った。
「紅羽っ、もう、勝手に行かないで――」
安堵しかけた私の瞳に写ったのは、寂れただけの廊下。積もった埃に足跡は無く、穴の空いた人形が落ちているだけだった。
その階にある部屋は、螺旋階段を挟んで8つ。左側手前にある部屋の扉が少しだけ開いており、私はもしかしたらという思いだけで扉へ擦り寄った。
「紅羽……いる?」
中は6畳ほどの小部屋で、誰もいなかった。しかし他の部屋と違い、窓の無い息苦しい場所である。なにかの実験に使われていた様子は無く、個室に備えつけてあるベッドや排泄用の穴も無い。
――ここは、なんのための部屋?
扉には小さな窓がついている。もしかしたら。
「“お仕置き部屋”が、妥当かな」
「ひっ!」
条件反射で振り返るが、そこにいたのは私と瓜二つの顔をした双子の弟――梨椎紫遠だった。
「……なにさ。幽霊を見たような顔して」
見る見るうちにむっつりとした表情に変わった彼の腕を捕まえ、私は今一度安堵の溜め息を吐いた。
「なによー、もうー、私だけじゃなかったー」
「なにが?」
「この建物の中にさぁ、私だけが取り残された感じがしてたの。紅羽は突然姿消すし、皆の声は聞こえないし」
そんなことないよ。――そう返してくれることを期待していたが、弟はその話題には触れず、集合時間まで行動を共にすることを私に約束させた。
「ね、手……繋いでもいい?」
遠慮がちにお願いをすると、弟は少し嘲笑いながら私の手を掴んだ。
「へー、怖いんだ?」
「むっ。そりゃ怖いでしょ、普通!」
掴まれた手を痛いくらいに握り返すも、予想されていた憎たらしい反論は早くも終息する。施設の奥を見つめる紫遠の横顔は厳しく、私は軽口を叩けずに黙るしかない。
「ねぇ紫遠……この建物、今でも怖い感じがするね」
「うん」
「聞いてもいい?」
「うん」
「“ここ”は……どこなの?」
「精神病院かな。僕の見立てでは」
「研究所じゃないの?」
「実際はね。でも、表向きには精神病院を装って患者を集めてたんだと思うよ。それに教会が運営する病院だから、怪しまれずに済んだのだろう」
「そういえば礼拝堂があったわ」
「ここが正式な精神病院ですと主張するために必要な場所だよ。きっと、教会としての役割はほぼ果たしてなかったと思う」
「そっか……合点がいった」
「なにがだい」
「ロボトミー手術のカルテがあったの。そこには、治療が成功とか書いてあって」
「はは、ロボトミーね。きっとそのカルテは、人体改造を行ったあとを誤魔化すために用意されたんだろうねぇ」
「恐すぎる……」
「まぁね。けど、ロボトミーは本当に精神治療として用いられてたんだよ。当時は医学が今ほど発達していなかったから、トンデモな荒療治が世界各地で行われていたんだ」
「例えば?」
「んー……精神病を治すために、歯を抜く、とか」
「えええ」
「それで効果が得られないもんだから全ての歯を抜き、まだ治らないから次は扁桃腺を切除したり。ああ、電気椅子とかも有名だよね」
「詳しい……」
「ともかく、その時代は精神医学に狂気が蔓延してた頃だね。感染症も原因は精神病にあると考えられていたくらいだし」
最初から人体実験をするつもりならだしも、真剣に精神病を治すために行われた治療は身の毛もよだつほど恐ろしいものだ。
「こんなところ、早く出たい」
「その考えには僕も賛成だね」
「でも紅羽がまだどこかにいるのよ」
「時間になったら帰ってくるよ」
弟にそう諭されて施設から出た私たちは、集合時間になるまでをそこで過ごした。
だがどれだけ時間が経とうとも、ただの1人も研究所から姿を現さなかった。担任の先生ですらだ。さすがにおかしいと感じ、研究所へ戻ろうとする私を紫遠は引き止めた。
「さすがに僕らじゃ手に負えない事態かな。山をくだって、警察に通報しよう」
「で、でも……みんな、この中にいるのは確かじゃ……」
「姉さんさ、この中を探索していたとき、ある一点からクラスメイトたちの消息が断たれたと思わない?」
「…………」
思い当たる節があった。ありすぎた。
「不自然だよね。あれだけ多くいた人間が一瞬にしていなくなるなんて」
「殺人鬼とか……いたりする?」
「たぶん、それよりもっと悪い」
紫遠は私に有無を言わさず、観光バスが停車している場所まで下り、中で待機していた運転手に事の次第を説明した。
そのあとやってきた警察の人たちに色々聞かれ、クラスメイトの捜索が始まったけども、修学旅行が終わった今でも見つかっていない。弟と2人だけになってしまった私のクラスは事実上閉鎖し、別のクラスへと編入させられるかたちとなった。
戸無瀬高等学校1年Aクラスの謎の失踪事件は他言無用となり、しかしまことしやかに囁かれはじめた噂にはこんなものがあった。
『今もあの施設に残留する研究者たちの霊に、人体実験されるために引きずりこまれたんだ』
――と。
あくまで噂に過ぎない。現場を見ていない者たちが広めた身勝手な妄想だ。
私はいなくなってしまった友達の顔を思い浮かべ、帰ってきてくれることを願っていたが卒業式までついぞ叶うことはなかった。
一クラスぶんの人数が減り、随分と寂しくなってしまった私の学年は、3年間世話になった学び宿をあとにした。
弟と同じ大学へ進学することとなった私は、次なる新生活の準備へ向けて慌ただしく動きまわる。この春から初めての一人暮らし……いや、弟と一緒の2人暮らしか。とにかく親元を離れるわけだからやるべきことはたくさんある。そんな忙しさから、修学旅行のときの忌まわしい思い出は記憶の陰に隠れつつあった。
「世槞ー、ちょっと」
荷造りをしていた私を居間にいる母親が呼びつける。
「なに?」
「紫遠が探してたわよ。さっき出かけたばかりだから、すぐ追いつけるから行ってあげて」
「えー」
玄関を出ると、道の向こうで赤い髪が揺れていた。私は駆け足で追いつき、背中をちょんと突いた。
「紫遠っ、何か用?」
高校を卒業し、少し身長を伸ばした弟は私より高い位置にある視線を彷徨わせて、こう呟いた。
「もうすぐ僕らの誕生日だな……って」
「え? なにそれ、それだけのこと?」
「うん。あの時も、丁度僕らの誕生日だったから、色々思い出すことがあって」
「――ああ……」
クラスメイトたちが消失したあの修学旅行の日は、私と紫遠の誕生日だった。結局祝えずじまいだったから、なんとなくしこりとなって心に残っているのだ。
「トンデモな誕生日だったよねー」
「うん」
「でも悲しみはね、不思議と無いんだ。今でもどこかで皆が生きているような気がするから――」
死体は発見されていない。だから集団神隠しとして処理された事件。今の時代に神隠しなんて――と思ったけども、それ以外に説明がつけられなかったから仕方ない。
「僕、思い出しては身震いしていることがあるんだ」
「研究所怖かったよね!」
「違う。もし姉さんまで消失してたらって……あのときの僕は、冷静でいられなかったかもしれない」
「…………」
「本当は必死だったんだ。研究所について調べていたとき、この施設がもつ異様な空気と無数の気配が常に傍らにあって――……早く姉さんを連れて外へ出ないとって」
「……え」
「正体はわからない。でも何かがいたんだ。特に、姉さんが最後に入ったあの――お仕置き部屋、には確実に」
背筋がゾクリとする。忘れかけていた記憶が鮮明な映像となって蘇る。
ああ――そうだ。本当は私は見ていたんだ。
ロボトミー手術の部屋から紅羽を追って外へ飛び出したとき、廊下の角を引きずられて消えてゆく友達の姿を。
「実験は成功してたんだと思うよ。人体を遥かに上回る身体能力と寿命を備えた改造人間のね」
紫遠はそう締めくくり、無事に18回目の誕生日を迎えられることを素直に喜んだ。
おわり。
リクエスト頂きました、誕生日小話でございます。
誕……生日? というツッコミは甘んじて受けます。