買い物
前話、前々話は大変お騒がせいたしました。(詳細は、第五話「無自覚」の前書きにて)今回の第六話もよろしくお願いいたします。
場所は、奏都の済むマンション前。
服を着替えるよう言われた奏都が、買い物へ付き合ってくれることになった晴夏へ、スーツ姿をお披露目しているところだ。
「うん、いいんじゃない?やっぱりあんた…こうして身綺麗にしてるとなかなかだわ。」
「うー、やっぱりスーツって慣れないね。すごく変な感じだよ…。」
「こないだ着たばっかりでしょうに。って、ガニ股やめなさいよ恥ずかしい!」
タイトなスーツの形が気になるらしく、脚の間に空間を作ろうとしていた奏都。案の定、晴夏に叱られて、言い訳がましく口を開く。
「だってー、このスカートお尻の形丸出しでなんか…こう…」
「そういうフォルムの服なのよ。スーツなんだから。それに、別にいいじゃない?綺麗なお尻の形してるんだし。似合ってるわよ?」
晴夏は、男として如何なものかと思われる台詞を言い放つ。常日頃から自分はオカマではないと主張しているくせに、である。
さすがの奏都も、慌てて苦情を述べる。
「なっ!ちょっ…それってセクハラだよ、ハル!」
「あらあら、普段、あたしのことを男として見てないくせによく言うわねー。」
しかし、晴夏は飄々としたものだ。
慌てることなく、日頃オカマ扱いしてくる奏都への嫌味を織り交ぜる。
「そ、れは…そうだけど…これはまた別っていうか……。」
こうなると奏都はたじたじである。元より、口論は苦手な奏都。奏都に勝ち目はなかった。
「うーん…でも、ま、それもそうね。ごめんなさい、セクハラ発言は取り消すわ。でも、似合ってるって思ってるのは本当だからね。」
口ごもる奏都を見て罪悪感が湧いたか、そもそも自分の発言に問題があったことを認めたか、晴夏はさらりと謝罪を告げる。さらに、さりげなく服装を褒めてみせるものだから、奏都は調子を乱されっぱなしの様子だ。
「それは…その、あ、りがとう…。」
「ええ。じゃ、そろそろいきましょうか。あんたに似合う服、ちゃーんと選んであげるから、大船に乗ったつもりでいなさいな」
「う、うん。……頼りにしてるね。」
最初から最後まで、晴夏のペース。
マイペースな奏都を上手くコントロールできる数少ない存在、それが晴夏という男なのだったー……。
そうして、二人はデパートへやってきた。
女性服ブランドの店が立ち並ぶ階を軽く一周し、奏都に似合いそうな雰囲気の店を探す。
慣れない雰囲気に気圧された様子で、縋る相手はこの人しかいないといった風に、隣にいるイケメンに寄り添う美少女。
か弱げな美少女に寄り添われても浮つく素振りを一切見せず、これが二人の日常だといった雰囲気を醸し出すイケメン。
そんな二人が歩く様は、美男美女カップルが、買い物デートを楽しんでいるようにしか見えない。
…まぁ、彼女役が少々挙動不審すぎる気もするが、気の弱い儚げ美少女ということで片付く範囲である。
道行く人々は、時に嫉妬の、時に羨望の眼差しでもって二人を見やった。
実際の彼らは、恋人同士などでなく、自分一人では服を選べないオシャレセンス皆無の残念美少女と、その御守のイケメンオネエだということは……知らない方が幸せだろう。
「わぁ……ハ、ハル……どうしよう。服が…いっぱい…。」
「そりゃあるわよ。服屋探してるんだから。」
「キラキラしてるよ…。服もお客さんも店員さんもキラキラしてるよ。私絶対場違いだよ、ハル。帰りたい、ものすごく帰りたい。」
「ここまで来て帰るなんて選択肢はないの!」
「うう…ハルゥ……」
もう歩けない!と主張する散歩中の小型犬のように足を踏ん張る奏都だったが、晴夏がそれで諦めるはずもない。
奏都の細い手首を握ると、くいっと自分の方に寄せ、背中に手を当てて店の中へ連れ込む。
その一連の流れは、多少強引な、けれどスマートなエスコートのように見えた。
本当はそんな優雅なものじゃなく、連行に近いものだったというのは、当人達しか知らないだろう。
店に入ってしまった以上、何も見ないわけにはいかないと腹をくくり、周りをぐるりと見渡す。
今まで、自分には縁のないものだと思ってきた可愛らしい服が、自分を完全に取り囲んでいるという異常事態。
奏都は「酔いそうだ。」と思った。何に酔うのかはわからないが、キラキラチカチカした雰囲気に飲まれてしまいそうだった。
ここは自分のいるべき場所ではないという不安感。どれでもいいから手近にある服を掴んで会計を済ませ、家に帰りたかった。
「んー…じゃあ、まずはこれとこれ。どっちが好き?」
奏都のそんな気持ちとは裏腹に、晴夏は真剣な様子で二着のワンピースを手渡そうと体を奏都に向ける。
オネエ口調のイケメンが、可愛らしいワンピースを両手に持つ姿は、それだけで非日常的だ。
キラキラな服が女である自分を取り囲むよりも、よっぽど異常事態に思えた。
そう意識すると、スッと気持ちが落ち着いていく。奏都は、先ほどよりも楽に呼吸ができることに気付いた。
そもそもこの買い物は、奏都自身が、晴夏に頼んだものだということも思い出す。
それを忘れ、後ろ向きな姿勢丸出しだった自分の我儘さがたまらなく恥ずかしくなった。
自分のことでいっぱいいっぱいだったとはいえ、付き合ってくれている晴夏にあまりに失礼な態度だったと反省する。
奏都は、おしゃれに疎いながらも、自分にできる精一杯服で選びを頑張ろうと思った。
それが、奏都が考えうる限りの晴夏に対する誠実さだったからである。
そして、誓ったからには、奏都は聞かねばならなかった。
「え、何が違うの?」
そう、おしゃれレベルマイナスの奏都には、2着のワンピースの違いがわからなかったのだ。
ここで知ったかぶりをして、適当に片方を指差し、「これが気に入った」と言えば、買い物は早く終わるだろう。
しかし、それではいけないのだ。晴夏は、友人である奏都のためにと服選びをしてくれているのだから、奏都もそれにしっかりと向きあわなければいけな…
「全然違うでしょうが!」
怒られた。
怒られても、わからないものはわからないのだから仕方がない。
奏都は正直にそれを伝えることにした。
「えー、わかんないよ。」
「花柄の大きさも違えば、生地の色も違うし、切り替え位置も、レースの形も、飾りボタンの位置も、スカート丈も違いますけど?これでも一緒だと言い張りますかねこの節穴おめめちゃんは!」
「い、いきなり難易度高いよ。初心者向けの対応を求む、だよ。」
「……はぁ、いいわ。とりあえず二つとも着てみなさい。試着室はあっち。」
そういって店の片隅にある試着室を指差す晴夏。
「え、買う前に着るの?」
そして、それを不思議そうに見つめる奏都。
「え、まさか今まで試着したことないの?」
「ない。」
「嘘でしょ…。信じられない。」
「えー、信じてよ。本当だよ?」
「信じられないっていうか、信じたくないって意味!はぁ、何からなにまで型破りなんだがら…この服を、あの部屋の中で着て、見せる。それだけ。簡単でしょ?」
「う、うん…。あ、ねぇ、ハル!絶対ここにいてね?カーテン開けたらすぐのとこにいてね!?」
「なんでそんなにびびってんの。」
「だってここ私にとったら完全アウェーなんだよ?不安にもなるよ!」
「女性服ブランドのお店で服を見てる『男』に向かってそれを言うわけ…。」
「大丈夫。ハルは私よりもずっと馴染んでるよ。」
「はぁ、嬉しかないっての。いいから早く着替えてきなさい。ちゃんとここにいてあげるから。」
いつも通りの奏都の独特なテンポに、晴夏は呆れ顔を隠さない。
しかし、カーテンが締まり、奏都が試着室の向こうに消えると、口角がむずむずと動き始めた。
自分の選んだワンピースを着た美しい友人の姿を想像してしまい、呆れ顔がにやけ顔になるのを抑えるのに必死になっているのである。
女性服ブランドの店の中で、一人突っ立ってにやける男。
…完全にアウトである。どう考えてもまずい。
奏都が出てくるまでどうにか気を逸らさなければと思い、晴夏は周囲に気を向けてみることにした。
すると、自分と奏都のことを指しているらしき会話が耳に飛び込んできたのだった。
「ね、試着室前にいる男の人…すごいイケメンじゃない?」
「うんうん!彼女さんも美人だったよね。スーツだったけど…年上なのかな?」
「彼氏さんは、大学生っぽいよね。」
「美男美女の買い物デートかぁ…。」
「あれだけの美人ならなんでも似合うんだろうなー。いいなー。」
高校生ぐらいに見える女子の二人組がそんな会話を交わしている。
この会話を聞いて、晴夏は、「そういえば、カナの前ではこっちで話すのが普通になりすぎて、周りを気にするのを忘れていたわね」と反省していた。
晴夏は、中学校・高校時代、オネエ口調を表に出すことなく、普通に男言葉で生活してきていたのだ。
初対面が初対面だったために、奏都に対してだけは素の口調でいるものの、奏都以外の人間に対しては、常に男口調なのである。
大学でも、他の学生に聞かれないよう気をつけた上で、奏都と会話しているつもりだった。
しかし、大学の外に出て買い物に来ている今は、少し気を抜いてしまっていたことに気付く。
晴夏も奏都も、ぱっと見は非の打ちどころのない美男美女なのだ。
どんな会話をしているのか、興味本位で注意を向ける人間もいることを、晴夏は自覚していた。
そう、していたのだが…失念していた。ここから先は変に悪目立ちしないために、気を配る必要があるなと晴夏は思った―……。