お説教
晴夏は、次の講義のある教室へと移動する最中だった。
周りにもうすぐ授業が始まるという時間だからか、大学中庭通路に晴夏の他に人影はなかった。
「ハルー!!」
そこに、晴夏を呼ぶ声が響く。これは、奏都の声だ。
晴夏にはすぐわかった。大学生にもなって、恥ずかしげもなく大声で名前を呼ぶなどあの何かと型破りな友人でしかありえないと思ったのである。
名前を呼ぶ声に続いて、足音が聞こえる。あぁ、彼女が駆けてくる。
子犬を思わせる奏都の幼い仕草に、晴夏は仕方ない子だという風に微笑もうとした。
「まったく…はしたないから大きな声出すんじゃないわよ。って、は?」
そう、微笑もうとしたのだが、上手くいかなかった。
晴夏の形の良い唇の端は、ヒクヒクと引き攣った。
「おはよー、ハルー!」
そうさせた原因はいたって能天気。いつも通りである。
「…カナ。」
「ん?」
「次の講義サボって着替えてきなさい。」
「え!?」
「着替えてきなさい。」
晴夏は、反論を許さない強い口調で、奏都にサボりを命じた。
誤解のないように言っておくが、晴夏は決して不真面目な学生ではない。
理由のないサボりを良しとはせず、本人も1限目の授業でも休まず毎回出席する勤勉な普通の学生である。
そんな晴夏にサボりを命じさせたほどの理由は…目の前にいた。
「え!?ダメ!?ちゃんと服買ったんだよ!?ダメ!?」
「ダメとか以前の問題よ!何その服!!」
「ちゃんと雑誌を参考にしたんだよ?」
「何その布!服じゃないわよそれただの布よ!なんでそれ着て恥ずかしくないわけ!?」
行儀が悪いと思いつつも、晴夏は奏都を指差す。正確には、奏都が着ている服…いや布を指差した。
「男を落とすには露出だって書いてあったんだもん。」
奏都自身が言っている通り、露出の多い服である。非常に目のやり場に困る姿であると言っていい。
晴香が言っている通り、まさに布である。巷では、チューブトップと呼ばれているものである。
肩も背中も剥き出し。胸元も危うい。下半身も、下着が見えそうで見えない絶妙の際どさである。
できれば、見えても大丈夫な何かを履いてほしいし、上にも何か羽織って貰いたい。…そんな姿だった。
「露出っていうか…出してるとこより隠してる面積のが少ないって何ごとよ!?」
「出せば出すほどいいのかと思って…、だって…。」
「馬鹿言ってんじゃないわよ、お馬鹿!これでも羽織ってなさい!」
過ぎた世間知らずは、性質が悪い。天然などという一言で、片づけられるものではない。
美少女ならば、自分が美少女であるという自覚を持たなければならない。
ナルシストに振る舞うべきというわけではない。自分に対して無頓着なのもいい加減にしろということである。
それは、奏都自身が身を守るためでもあるし、起こらなくて済む厄介事を未然に防ぐためでもある。
無邪気、無垢。大変結構である。しかし、それも度が過ぎると罪だ。…晴夏は怒っていた。
VネックのTシャツの上に上着として着ていたシャツを、荒っぽく奏都に羽織らせる。
冗談ではなく、本気で怒っているらしい晴夏に奏都は怯んだ。
「…ご、ごめんなさい。」
「あたしが何を怒ってるのかわかってるわけ?」
「うん、えっと…この服…だよね?」
「その服着てるあんたが周りからどう見えてるのか、わかって着てるならあたしは止めないわ。でもね、なんにも知らないわからない。わけもわからず着てるなら今度からはもっとしっかり考えなさい。もっと想像力働かせて、考えなさい。」
いつになく突き放したような、晴夏の声、言葉。
晴夏の性格を知らない他人が聞けば、なんて冷たい良い方をする奴だ。ひどく薄情だ。と思ったかもしれない。
けれど、奏都が感じたのは、恐怖や寂しさなどではなく、確かな温かさだった。
考えが足りず、軽率な行動をした自分。そんな自分のこれからを危険を考えての、優しい忠告なのだと、奏都にはわかった。
「うん。ハル、本当にごめんね…。次からちゃんと考える。シャツ…ありがとう。」
怯みながら告げた最初のものよりもはっきりと、自分の意思が感じられるような謝罪を奏都が口にする。
そんな奏都を、無表情に見つめる晴夏。謝罪がその場しのぎの上っ面だけのものでないかを確認するかのようだ。
そしてしばらく見つめあった後、晴夏の無表情に呆れの表情が浮かぶ。
お説教タイムが終わって、お小言タイムに突入である。
…二人の間の空気は、いつもの気楽なものへと戻っていた。
「まったく…。露出しとけばいいなんて短絡的にも程があるわ。男舐めてんの?ま、間違ってるわけでもない…か。ただし、ろくなの捕まらないでしょうけど。」
「……だって、わかんなくて…。今までがジャージだったから、他の選択肢が浮かばなかったんだよ。」
先ほどまでの張り詰めた空気が、緩んだのを感じたのか、奏都の「だって」(言い訳)も戻ってくる。
「ジャージを好んで着てたのはあんた自身でしょうが。言い訳にしないの。」
「うぅ…。みんながみんなハルみたいにおしゃれなわけじゃないんだよ?」
「褒めて煽てて誤魔化そうったってそうはいかないからね。」
「そんなつもりじゃないけど…。」
唇を尖らせ、自分は晴夏と違ってオシャレに疎いのだと主張する奏都。
言っていることは情けないが、ある意味、自分を正しく等身大のまま理解しているとも言える。
オシャレ音痴であるという自覚と同じくらい、素材そのものは良いのだという自覚を持てれば、危なっかしさは落ち着くだろうか。
そう思った晴夏だったが、そうなると、奏都らしさが半減するのかもしれないとも思う。
それは少し勿体ないと、そう思うのだった―……。