小前進
「ハルが綺麗にしなきゃ親不孝だっていうから…。」
「それで一か月間の心の準備を終えていざ決行したってわけ…ね」
晴夏は、目の前の残念美少女との残念な出会いを思い出し、ため息をついた。
「にしたって…まずはジャージからでしょうよ。」
「買いに行く時間が…。センスもないし…。」
「ああ、はいはい。わかったわよ。」
奏都なりに努力をしたことがわかったのか、あるいはその場しのぎか…、晴夏は数回頷いてみせる。
「あの時さ、ハル…恋をすれば綺麗になるって言ったでしょ?」
「言ったわね。」
「恋をするためには何をすればいいか考えてみたんだよ。」
「そう。」
やはり、奏都には奏都なりの考えがあってのことのようだ。
おそらくは、奏都らしいどこかズレた発想なのだろうが…。
それでも、奏都自身が自発的に行動したということは大きな進歩である。
「まずさ、誰かと恋人同士になるには、誰かに好きになってもらわなきゃダメでしょ?」
「まぁ、そうね?」
「好きになってもらうためには可愛くならないとダメでしょ?」
「…まぁ、可愛いに越したことはないのかもしれないわね?」
「服は…まだ準備出来てないからお化粧から始めてみようと思ったの。」
間違ってはいない。
決して間違ってはいないのだが…なんというのか……そう、奏都らしかった。
「メイク道具は手元にあったわけ?」
「お母さんが入学祝いに揃えてくれたのがあって…。」
「素敵なお母様じゃない。」
「うん。だから、親不孝はダメだと思って…わからないなりにやってみようかなって…。」
「なるほど…ね。」
「うん…。」
やはり早起きしてメイクアップしてきたことには奏都なりの大きな決意と思いがあったようである。
まぁ…、結果はパンダだったが。
「馬鹿ね。あんた。」
「うっ…。」
「でもま、努力は買ってあげるわ。カナが自分からおしゃれに興味持とうとするなんて大きな一歩だと思うもの。」
言葉は辛辣だが、奏都を見つめる晴夏の視線は優しい。
馬鹿な子ほど可愛いとはこういうことかと実感しているのかもしれない。
そしてそれが伝わったのか、奏都はどこか不服げに晴夏を見つめた。
「………。」
「なーに微妙な顔してんのよ。」
「だって…。」
「だって、じゃないの。ていうかね、あんた元の肌が十分綺麗なんだからそんなにファンデーション塗りたくんなくていいのよ。」
呆れたような言葉は、奏都の頬に手を伸ばしながら告げられた。
「え?」
大人しく頬を撫でられながら、奏都は呆ける。
「今まで一切化粧してこなかったのが良い方に作用したのね。つるつるのすべすべよ。」
「そ、そうなの…?」
「そっ。それにあんたは元の造形がいいからね。すっぴん可愛い女なんて希少なんだから自信持ちなさいな。」
多くの女性を敵に回すような暴言だった気はするが、どうやら奏都は褒められているらしい。
下手なメイクを叱られていたはずが、予想外に優しい仕草と言葉を向けられている。
晴夏はイケメンだ。オネエ口調だろうが、オカン気質だろうが、そこは揺るがない。
イケメンから優しくされている今の状況は、奏都にとってなんとも居心地が悪いもののようだった。わかりやすく動揺している。
「えっ、あの…その…。」
慌てふためく奏都は、少し滑稽で、そして愛らしかった。
「…きょどってんじゃないわよ。褒められたら笑顔で…?」
「…あ、ありがとう…?」
素直さは奏都の美点である。
そう知っている晴夏は、微笑ましげにくすりと笑う。
そして、奏都の頬に当てていた手をそっと頭へと移し、優しく撫でた。
「…はい、よくできました。」