着信音
とある休日。
晴夏は、壁に背を預けながら、ベットの上に座っていた。
開かれている小説のページは、随分な時間捲られていない。
つまり、怠惰に休日を満喫していたのだ。
大学がある日の慌ただしさとのバランスをとるように、何かに熱中するわけでもなく、ただぼんやりとする。
深く考えることをせず、色んなことに考えを巡らせる。
月末が提出期限の課題について。今夜の夕ご飯のメニュー。久々に実家に顔を出すよう言われていること。
小川の流れのように、緩やかに移ろう脳内思考。
それはやがて、『最近、見違えるほどに可愛くなった大切な親友について』へと辿りついた。
そう。奏都は、それはもう魅力的になった。
元々美しい顔立ちに、バランスの良い体つきをしていたのだ。
かつて、晴夏が宝の持ち腐れと評したように。
そんな彼女が、オシャレに積極的に取り組むようになる。
この意味がわかるだろうか。
自分に似合うメイクを覚え、自分に似合う服の系統を覚え、それらを自主的に纏うようになるその意味が。
性格も良い。変に擦れておらず、素直で、気は優しい。
時には拗ねてみせることもあるが、次の日には何事もなかったように笑顔で話しかけてくる。
残念要素は、ジャージに寝癖。
そして、それをおかしいと思わないという感性だけ。
今まで彼女に目をつけた男がいなかったこと自体が、奇跡だったとさえ思える。
そんな彼女が、持ち腐れることなく、宝らしく輝き始めたのだ。
そのまぶしさは筆舌に尽くしがたい。
…………。
いつしか、小川の流れはせき止められていた。
晴夏の思考は、奏都についてでいっぱいになり、流れていくことができない。
「はぁ…。今更後悔しそう…なんて。本当馬鹿みたいだわ。」
一人ぼっちの自室に落とされた独り言。
自嘲めいたそれを止めるように、晴夏のスマホが着信遠を鳴らす。
柔らかい明るめのジャズ。
奏都からの着信用に設定した音楽だ。
「電話?休みの日にあの子から連絡だなんて…珍しいわね…。」
休日に会うこともあるが、事前に約束をしていることがほとんどだ。
用件の予想ができない突然の電話は、今まであまりなかったことである。
何かあったのかもしれないと、晴夏は急いで電話をとる。
「はい、もしもし。カナ?」
「あ…ハル…。」
電話の相手は、確かに奏都だった。
ただし、落ちた声のトーンは彼女らしくなく、晴夏の想像通り、何かがあったらしいことは確かだ。
少しでも話しやすいように。
意識的に声を柔らかく、優しく、促すように言葉を紡ぐ。
「あんたが電話で連絡なんて珍しいわね。なんかあったの?」
すると、奏都は、晴夏のその声に勇気づけられた様子で、どもりながら用件を口にする。
「うん…。その、さ。あの…、えっと…ちょっと今から出てこられる?」
「え、今から?」
奏都が、こんな急な呼び出しをしてくることは、今までに一度もない。
無神経そうに見えて、意外と人の迷惑になることを嫌う…それが奏都という人間なのだ。
もちろん、この電話が迷惑だなんてことはまったくないのだが、普段の奏都らしくはなかった。
驚きのあまり出た咄嗟のリアクションに、しまったと思う晴夏。
純粋に驚いて聞き返しただけだったのだが、受け取り方によっては嫌がっているようにも思えることに気付いたのだ。
「あ、でも無理なら全然いいんだ!すごい急な話だったし!ごめんね!変なこと言って…!もう切るね!」
案の定、ハッとしたらしき奏都は早口で言葉を続けた。
「ちょっと待ちなさい。」
「…っ。」
慌てて引き止めた声は、思いのほか鋭く響いた。
「もう!嫌だとも、無理だとも一言も言ってないでしょー?まったく…せっかちな子ねぇ?」
わざと間延びしたオネエ口調で、先ほどの鋭い制止を中和させるように語りかける。
「ちょうど暇してたのよねぇ。どこに行けばいいの?今から行くわぁ。」
長くも、短くもない微妙な沈黙は、奏都の怯みか…あるいは躊躇か。
「…いいの?」
「いいの。早く待ち合わせ場所教えなさいよ。」
なんでもないことのように。
いつものテンションで、軽く返事をする晴夏に、奏都が電話越しに安堵の息をついたのがわかる。
「ハル。その…ありがとう。大学終わりにいつも寄るカフェで待ってる。」
「わかったわ。1時間ほどで着くから。」
「うん…。ごめんね…。本当にありがとう…。」
休日に会う…というだけでこんなに謝られたり、お礼を言われたり。
そんな大層なことだろうかと晴夏は思う。
とにかく、外へ出る支度をしなければならない。
まぁ、女のように面倒なメイクはないから支度といっても大したことはしないのだが…。
あんな不安そうな声で、申し訳なさそうに、自分のことを呼び出した奏都を思う。
何があったのかは知らないが、できるだけ早く側にいってやりたい。
そう思う晴夏は、ベッドの上に放り出されていた財布を掴むと、静かにベッドから降りた。




