令嬢、将軍と戦う
皆様、ごきげんよう。
わたくし、ドルトナンド伯爵家次女、ルナディア・ドルトナンドと申します。
忘れられているような気がしてならないのですが、わたくしは伯爵令嬢なのですよ。
たとえ両手に剣を握りしめ、趣味と称して男装していようと。
ええ、バレなければいいと思います。ばれなければオールオッケーなのです。
「お嬢様!!」
趣味のことはばれてますけどね。
「旦那さまがお呼びでございます。直ぐにお支度を」
分かってるわよ、分ってる。
どうせあのことよねぇ。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。
時は遡る――――――――――――
ルディは燦々と太陽の降り注ぐ地に足をつけて、ぼんやりと呟いた。
「・・・決勝戦とは早いものね」
というか、女の自分がこんなに簡単に勝ち上がっていいのだろうか。大丈夫か、この国の猛者。実は弱者の集まりなのではないか、と失礼なことを考えたのも、仕方がないことだろう。
目の前に腕を組んで立つ将軍閣下の素晴らしいまでに晴れ渡った笑顔も、それを助長させている。
「開始の合図が楽しみですな!」
いや、楽しみじゃないわ。
とてつもなく楽しそうな顔をする目の前の将軍閣下を蹴っ飛ばしてやりたい。ここまで楽しそうな顔をされると、なんとなく嫌だ。
先程ハバーニールと試合を繰り広げ、その末に宰相の息子殿を下したバーデルード。さすがに将軍だけあり、確かな剣の腕の持ち主である。
先の戦いではハバーニールと見事な力勝負を繰り広げていた。まさに闘技場に来る誰もが期待している、剣士同士の戦いだった。
笑みをたたえたまま、バーデルードは両手剣を引き抜いた。少し刃が広めだ。しかも長い。
これは、リーチの差を気をつけないといけないだろう。
・・・今日は筋骨隆々と戦ってばかり。正直骨が折れるわね。
はぁ、とため息を漏らす。一応最低限のトレーニングは欠かしていないが、それ程体力に自信はない。
先程の戦いにおける、相手の疲労はどれほどだろうか。正直二三試合目は戦ったと言えない自分は、十分体力が有り余っているけれど。
それでもと、ここまできたのだからテルミアとの約束を果たそうと、決意を新たに腰から二刀を引き抜く。少し腰を落とし、左側を若干前に構える。
最初から全力。
体力面と力、この両面で男に勝てると思うほどルディは馬鹿ではない。だからこそ、頭を使って冷静に勝つための道を探すのだ。じっと見つめるその視線からは、バーデルード以外は排除される。
闘技場の観客の声も、自分を見つめているだろう兄の視線もすべて感覚から取り除いていく。研ぎ澄まされた感覚が、痛いほど試合前の緊張感を拾い集めてくる。
わずかな自分の呼吸音ですら、かなりの音量となって耳を襲う。
『決勝戦を開始します。』
そのアナウンスに、二人の体は更に沈む。観客も一斉に静まる。そして。
『はじめっ』
先に地面を蹴ったのはバーデルードだった。
両手剣を右側に構え、小柄な少年(実際は令嬢)に向かっていく。
これ、後で彼が知ったら後悔するかな。
先程の会話からも彼が見た目のダンディさ同様、剣馬鹿ではあるが紳士であるのも分かった。
そんな彼が、知らなかったと言えど令嬢に刃を向けるなど。
実際その通りで、彼女のことがばれて、平謝りされるようになるのは先のことである。
「うわっ」
そのまま横薙ぎで来ると見ていた為、受け流そうと構えたが、まさかの突き。慌ててルディは剣先で無理やり弾き、相手の剣筋を変えた。更に剣を避ける為に右側に体を捻りあげる。
背骨が悲鳴を上げたが、この際構っていられない。
しかし彼女の姿勢の回復を待たずして、バーデルードの左脚が彼女の体をとらえようと振り上げられる。
軸足になっている右足は使うことはできない。
とっさに左脚で地面を蹴って体を精一杯逸らした。自分の鼻ぎりぎりに足が掠めていく。剣を持ったままの左手をつき、転がりながら相手から距離をとる。即座に反動をつけて体を相手に向け直し、息を切らしながらルディは立ち上がった。
細かく何度も息を吐き、呼吸を整える。
表情だけ見れば、まだ冷静そのものではあったが、彼女の心情はー
ああああ、あぶなっ!
汗だらだらであった。
「あれを避けますか。さすがですなぁ」
豪快に笑うバーデルードにルディは血の気が引く思いだ。
なんだあの突き。重すぎる。あれを何発も避けるなんて体が持たない。柔軟な筋肉だと聞いてはいたが、突きを弾かれておきながら蹴りをくりだすなんてどんな技だ。
剣を構えなおしたバーデルードが再び突っ込んでくる。ふっと息を吐くと、ルディも地を蹴った。何度も受けられないなら、早々に決めるしかない。
ルディの心は決まった。
正面から受け止めると見せかけて、横っ跳びに飛ぶ。しかし相手も百戦錬磨の猛者。素早い判断で突きから一閃の動きへと転換させる。
相手の獲物に狙いをつけた獰猛な視線に、背筋が冷える。
「っ、柔軟にもほどがある!」
口から思わず文句が飛び出る。左の剣を盾に一旦受け止め、素早く右側の剣で上から叩きつける。態勢を変える為に、ルディは素早く地面をけり、その反動で相手の剣の上を舞う。
ぎょっとしたようにバーデルードは目を剥いた。
戦場や騎士には、剣を飛び上がって避ける人間などいないだろう。しかしそこはドルトナンド家、身軽なものには身軽な避け方を!をモットーにルディの身体能力は異常レベル。
剣を乗り越え逆側に着地したルディは、一閃を放つ。相手も体を捻って避け、その身を守ろうと剣を体に引き付ける。
それを好機とばかりに、その剣に連撃を加えていく。一、ニ、三、四、五。二本の剣から放たれる剣戟は、高い音を立ててバーデルードの剣を追い立てる。
ずりり、と相手の足がルディに力負けして下がっていく。
そこで初めてバーデルードは冷や汗をかいた。
剣を折る気かーと。
正直量産品としか言えない闘技場の剣がどこまでこの剣撃に耐えられるのか、バーデルードには見当もつかない。
しかし相手にはそれが分かっているのだろうか。更に力を込めて、一点を突いてくる。少しでもずらそうとバーデルードは体を動かそうとするが、何分相手の攻撃が早すぎる。
どんな観察眼なのか知らないが、剣を受け止めようと動かしたところは必ず狙われている一点。一点だけを狙われているからこその焦りだった。
これはーまずいのでは。
バーデルードは、かっと目を見開いた。
「うぉおぉぉぉお!」
バーデルードの野太い雄叫びと共に強く剣が強く押し出される。
ギィン!
突きの威力が無理やり相殺される。ルディもそれ以上は深追いせず、軽い動きでバックステップを踏み距離をとる。
その細身のせいかパワーは足りないが、ルディのスピードと正確さはそれを補って余る。バーデルードの無理やりの打破は正直賭けだった。
ぶん、と剣を振り、バーデルードは三度剣を構えた。その顔には汗が流れ、しかしその瞳には好敵手と巡り会えた喜びが溢れている。彼は構えたまま、口を開いた。
「なんといいますか・・・あなた程の剣士を知らなかったことを恥ずかしく思いますな」
「私は剣士ではないのですよ」
先程より高い声は、するりとバーデルードの耳にはいりこむ。ルディのその返答に、バーデルードは顔に笑みを刻んだ。
「ならば私が今からあなたを剣士と呼びましょう、テルミオ」
ルディは目を細めた。
伯爵令嬢の自分が、剣士と呼ばれることはないと思っていた。日向に出ないことを望んだその時に、令嬢としての自分、剣士にもなれない自分となった。
自分の剣を家族以外が認めてくれたことが、それを認めてくれたのは兄が認めた男性であったことが、嬉しかった。
細く笑むと、ルディは再び、地面を蹴った。