令嬢、将軍に会う
鬘が重い。頭の中が蒸されているようだ。額から流れ出た汗がバンダナに吸い取られていく。
王が来るという情報をファルナールから買い取り、王が来るということは近衛筆頭の長男ルイザスも来るであろうと予想することはた易かった。
彼と同じ銀髪を隠すために、今はこの国でも大して目立たない栗色の鬘を被っている。しかし。
「・・・絶対ばれてる!!」
自分で言うのもなんだが、兄は過保護だ。世にそれをシスコンなどと呼ぶのだが、そこまでは彼女の知識にはない。
ただ、退場時にまるで体を突き刺さんばかりに注がれた視線は、恐らく兄のものだったと思う。会場全体から注がれた好奇の視線の中でも、あれだけは間違えようもない。
「ああ・・・どうしようかな・・・」
くしゃり、と鬘の髪を握りつぶし、ルディは呟いた。バレている以上、もう自身に逃げ場はないのだ。後々家に帰って説教だろう。
公には病弱引き籠りを演じているといえど、どこまでいっても彼女は伯爵令嬢。さすがに闘技場出場まではドルトナンド家でも認めてはくれない。
煉瓦づくりの道を進みながら、溜息を吐く。途端、埃っぽい空気を吸い込んだことに顔を顰めた。けほ、と思わず咳をする。
国内の闘技場としてはここは最大規模だが、流石に猛者ばかりが出るのと、丁度試合の真っ最中ということで、入口付近のここらは砂と埃にまみれている。もう少し掃除をしてほしいところである。これで体調を崩しては元も子もないではないか。
待合室に行けばまだ綺麗だからと、気まぎれに手袋で覆われた手を口元にやった。これでどう変わるわけでもないが。そしてぼそりと呟く。
「とりあえず、優勝しなくちゃな」
「おお、随分な自信ですな」
独り言のつもりで言った言葉に返事があって、ルディは驚いて顔をあげた。
目の前に立つは、明らかに格が違う騎士。胸には国の象徴である鷲が描かれている。
どうみても、将軍バーデルード・カルカンだ。どうして気付かなかったのか、こんな存在感のある人を。思わず苦虫を潰したような顔になるが、彼はそんなことを気にしたようもなく、その顔に笑みさえたたえている。
少し濃いめの髭の下に隠れている顔は、一言で言うならダンディ。貫禄を伴った余裕ある雰囲気とともに、どこか厳格な父、という印象も与えてくる。
将軍の話は兄から多少だが聞いたことがある。兄自身も手合わせをしたことがあると。
その鍛えられた体に見合ったパワーと、それでいて柔軟な動きを兼ね備えており、それなりに手応えがあったと兄は言っていた。
どうも兄からの話は上から目線ではあったが、的を射た意見であるとは思う。
兄は自分より強い。それこそ暗殺系の技でも使わなければ勝つことなど絶対に不可能だ。・・・使ったとしても五分。
その兄が認めた男。このままいけば間違いなくぶつかるだろう。
「先程試合を観させて頂きました。名の立つ方とお見受けするが?」
「いえ・・・立つ名など持ってはおりません」
低く!低く!最大限声を低く!
冷汗ものでルディは言葉を発した。
「大会登録名はテルミオ、でございましたな」
そうだ。自分の愛称も本名も使うわけにはいかないので、自分の目的、すなわち彼女のブローチを取り戻すことを示す為に、テルミアの男性名、テルミオとした。
「偽名でありましょうが、それこそ関係はない。是非手合わせ願いたいものです」
よし!よし!終わった!
バーデルードの微笑を受け、これで会話が終わると胸を撫でおろした。
一文しか喋らなかった自分に賛辞を送り、ルディは微笑んだ。
しかし。
「ああ、噂のお方と話しておいでなのですね」
ああ!またしても面倒なのが!
名前はなんだっけ?とルディは首を捻る。ハーバードとかなんとかいった名前だったと思うが、どうも名前が出てこない。つり上がった目に短めの赤髪は確かに美形の部類だ。
ただなんとなくルディはこの方は苦手、と判断した。この自分の容姿にも実力にも自信満々、といった男は苦手だ。
「ハバーニールと申します。テルミオ殿」
そうそう、ハバーニールだよハバーニール!
「先程の剣捌き、どちらで会得なさいましたので?」
探るような視線を向けられた。居心地の悪さに思わず身じろぎする。
・・・やれやれ。率直に聞いてくるものだ。そんなに人様の事情が知りたいのか、何様のつもりなのだろう。闘技場なんてところにいる時点で何かを察して欲しいとルディは思いながら目を逸らした。
バーデルードも率直過ぎるハバーニールの言葉に苦笑を洩らしながら、ルディの言葉を待っている。
どうしたものかと一瞬思案してから、彼女は口を開く。うっすらとその顔に笑みを刻んで。
「そこは・・・秘密といたしましょう」
あえて引っかき回すのも面白い。思いがけなかった返答にか、頬を引きつらせたハバーニールと、ほぉと感心するように呟いたバーデルード。
馬鹿正直に話すなんてもってのほか。こちとら愛憎渦巻く社交界で生きていくために、姉さまからさんざん口上は叩き込まれた身。
その程度の言葉など受け流して、そのまま送り返してくれるわ!と内心でほくそ笑みながらルディはそれを見せない清らかな笑みでこたえる。
ただし実際のところ自分自身がその社交界から逃げ回っているので、その口上を使う道などほぼないのだが。
「私も事情があってこの場にいるのです。剣での期待になら応えましょう。ですが、私の事情についての期待にはお話しするほどのことでもなく、お二人のお耳汚しになることかと。どうぞ捨て置きを」
要は、試合の場での喧嘩なら受けて立ってやる、けどそれ以上人の事情に首を突っ込むな、という意味だ。
それを正確に受け取ったバーデルードは大笑い。
にっこりと笑ったルディに一気に顔を赤く染めたハバーニールがどこまで理解してくれたやら。ていうか怒り?怒りで赤くなってるのかしら?なんでバーデルード殿はハバーニール殿を見てにやにや?
内心首をひねりながら、ルディは別れの口上を口にする。
「それではこれにて」
「ああ、君との試合を楽しみにしているぞ!テルミオ」
できるなら楽しみにしないで欲しい!
そう心の中で呟きながらルディは二人を避けてそのまま待合室へと向かったのだった。