令嬢、美女に会う
彼女の話をかい摘むとこうである。
ハッケンベルド家は困窮していた。それこそ自分たちの生活もぎりぎりだった。それなのに領主を続けることは、実質不可能だった。
彼らの知らぬ間にハッケンベルド家の領地はゆっくりと荒らされ、とてもではないが彼らの力だけでは打開できない状況になっていた。
そこで王から、領地内の膿を出すために爵位を返上し、新たな領主を据えることが提案された。つまり、ハッケンベルド家に没落貴族になれという。それは実質仕方がないことであった。
ここ数年領民を守れぬお飾りの領主であったハッケンベルド家が領主を続けられていたこと自体が、奇跡に近かったのだ。
テルミアの父親はそれを飲んだ。
片田舎領主であろうと、没落貴族になることは不名誉。
しかし、彼女たちの家は、十分に領民との関わりがあった。領民を助けるために、それの提案を飲むことは仕方がないことだ。
例え彼らが領主でなくなるとしても、領民が彼らの敵になるわけではない。
領主が領民にしてやれる最後のことであるとテルミアの父は言ったらしい。
そうして彼らは没落貴族、ただの平民となった。
それまでと変わったのは、使用人のいない大きすぎる家から、村から少し離れた小さな家へと移ったことくらいであった。
元の屋敷は新たな領主に明け渡され、今や元の荒廃ぶりは思い出せないほど改善された立派な屋敷と化したらしい。
ここまでくると、屋敷にすら申し訳ない気持ちになったという。
・・・貧乏でごめんなさい。
家族揃って、家に頭を下げた没落貴族というのも、ハッケンベルド家だけではなかろうか。
それからは畑を耕し、村人たちと日々他愛もない話をして、それなりに落ち着いた生活を送れていた。
屋敷の管理をしなくなった分若干家計に余裕もでき、昔より幸せだと思えると没落貴族という名称すらテルミアは殆ど気にはしなかった。
しかしそれで終わりではなかった。新領主が手腕を振るい、徐々に領地の治安が戻ってきたころ。
彼女の家は、屋荒らしにあった。
領地の膿の最後の足掻きとでも言うのか、小さくなったハッケンベルドの家から、金目のものを根こそぎ持っていかれた。
元々金品など微々たるものであったが、盗まれたものの中に母の形見のブローチがあったのだ。母はテルミアを生んで数年後、まだテルミアが幼いときに持病でなくなってしまった。
彼女の形見の大きな翡翠のブローチは、どんなに困窮しようと父が手放さなかったものだ。
盗まれたと知ったその時の、父の顔は忘れられない。
真っ青になって、必死に荒らされた家の中を探す姿は、テルミアの心を締め付けた。
賊がその後王都付近で見つかったとき、既にブローチは賊から別の方へと移っていた。
居てもたってもいられず長旅に長旅を重ね、最も商業が賑わう王都に来たテルミアの目に飛び込んできたのは、闘技場のチラシの景品欄に張られた母のブローチの絵だった。
ただ売られたならば、頭を下げたって、何をしたって、取り戻そうと思っていた。
勿論ここに来るまでにお金は使い切ってしまっていたから、何をしてでも必要な代金を稼ぐ覚悟もしていた。
しかし、大会の景品とされていてはどうしようもない。
景品としてのものを買い取ることもできない。まして盗むこともできはしない。
母のものだと示そうにも、身一つの自分に身分証明など出来る筈もなく。彼女には取り戻す方法がなかった。それでもと、大会の関係者だという男に会い、なんとか頼みこもうとして、こっぴどくやられたところにルディが来たというわけだ。
「勝手だということは重々承知でございます。なんでも致します。だから、どうか、母のブローチを取り戻していただけませんか」
目を潤ませ必死に頭を下げるテルミアに、ルディは肩を竦めた。
「なんでもする、なんて女の子が簡単に口にしたらだめだよ」
はっとしたようにテルミアが顔をあげた。その瞳には、断られるのではないか、という不安を通りこした恐怖が見えている。しかし、ちゃんと反省の色も見えた。
なんでもする、といった女の行く末を知らないわけではないらしい。そこまで覚悟してその言葉を口にしたのか、とルディは少女に対する見方を改めた。
ならば、自分はできることをしてあげようではないか。
「・・・大丈夫。私が、なんとかする」
保障はできないけどね、と笑うルディにテルミアは目を見開きー大粒の涙を零した。
ぽんぽん、と慰めるように背中を叩くルディにすがるようにテルミアは泣いた。最初は小さかった嗚咽も、段々と大きくなっていく。
たった一人で、王都まで来て、知りもしない街で、必死に形見を探して、自分なんて絶対に太刀打ちできないだろう大男に頭を下げて、どんなに恐ろしかったろう。
彼女を支えていたのは母と、父への思いだけだったろうに。
ルディはテルミアの気が済むまで泣かせてやった。泣ける時には泣いておけばいいと思った。彼女の年齢より小さな背中が、丸くなったことでさらに小さく見える。
その姿は、まるで幼少時の自分だった。
その時、こうやって背中を撫でてくれたのは、はて、誰だったか。まるで夜の空に溶け込んでしまいそうな髪の色のー
いきなり腕の中に、ずしり、とした重みを感じ、彼女は腕の中の存在を見た。
それまでの疲れからか、一頻りなくとテルミアは寝入ってしまったようである。
毛布をテルミアにかけて立ち上がったルディと、ファルナールの視線が絡んだ。
しばらくお互いが無言だった。
先に口を開いたのはファルナール。
「・・・あんた、女なのよ」
「闘技場で女が闘ってはいけない、っていうルールはない筈でしょう?」
ゆっくりと笑むルディを、睨みつけるファルナール。
「だから、お願い、ファナ。私に闘技場の情報を売って。私を出場させて」
彼女の力を借りなければ、さすがのルディでもキツイ戦いとなるだろう。伯爵令嬢である以上無傷で優勝しなくてはならない。傷一つでもあれば後々家でその理由を言及されることは見えている。
実際のところ、ルディが思っている以上に彼女に対して家族は過保護がすぎるほどであり、もし彼女が傷つけられたと知ったならば家全体が立ち上がって報復に向かうだろう。
・・・会場外で血みどろの戦い。しかも血みどろになるのは相手だけ。
笑顔で相手を根絶やしにするだろう、彼女の家族は。
しかし今大会には将軍クラスの有力候補も出ると聞いた。条件は厳しい。
更に言うなら、その賞品が本当にテルミアの母のものかも確かめる必要がある。
彼女の紅い瞳がルディの碧の瞳を射抜く。ルディはただ穏やかな顔でそれを見返した。
沈黙だった。
テルミアの微かな呼吸音だけが聞こえる。
ただ燃えるような瞳が、ルディの本心を暴かんが如く見つめてくる。それを、恐ろしいとも避けようとも思わず、ただルディは受け止め続けた。
どれくらいそうしていたのか。
やがて、紅の瞳が揺れ、
「・・・わかった」
深くため息をついて、ファルナールは肯定の意を表した。
「ファナ」
「だけど、忘れないで」
安堵の表情を浮かべたルディに、ファルナールはそれでも鋭い眼を向けた。
「確かに貴女は強い。けれど、貴女は女なの。自分を大切にすることを忘れないで」
真摯に自分を案じてくれる美女に、ルディは笑みを返した。