令嬢、少女を助ける
小さな悲鳴が聞こえた。
必死に追いすがる声だ。
「待ってください!お願いですから、返して!」
女の子の声・・・そう判断すると、ルディは自然と行くつもりとは反対の方へ走りだした。
道幅二メートル程の道には、狭苦しくごちゃごちゃといろいろなものが積み上げられており、道幅は半分程度だ。荷物の間を縫うように彼女は走る。
「うるせぇな、この餓鬼!黙っとけよ!」
ばしん、と痛々しい高い音が響いた時、彼女はちょうど突き当たった角を曲がり、その現場に遭遇した。
少女が頬を抑えて石造りの冷たい道に蹲っている。その前には今しがたその背を向けたのだろう大柄な男が、悠々と歩いて行くところだった。
どちらに加勢するか、それは彼女にとってあまりに単純な問いだった。
「待ちなさい、そこの男」
おっとと、女言葉になりかけた。声が怒りで低くなったのが救いだ。
一応格好は男。ならば心まで男になりきる。
怪訝な顔で振り向いた男に、底冷えするような笑顔を向けた。
男だけでなく、少女も行き成り現れた自分に驚いているようで、こちらにはっと顔を向けた。その頬が赤くなっているのルディは視界の端に確認する。
この瞬間に、こいつは男の中でも最も許せない下種であることが彼女の中で決定した。
「・・・彼女に何を?」
「なんだい、アンタ。随分な美形だな。どこぞの騎士様か?ん?」
騎士気どりか、と両手を広げて肩を竦める男は、線の細い自分を見て完全に油断しているようだ。
近づいてみなければ分からないが、相手はかなり大柄で、自分と頭三つ分ほど違うのだからそのような態度にもでるだろう。
体が小さいものが大きいものに立ち向かうのは、力勝負ではなかなかきつい。
けれど彼女は負ける気は毛頭なかった。力勝負をするつもりも全くない。
気持ちが悪いとしか形容できない男の笑みと、少女のうずくまる姿。
彼女の導火線はとんでもなく短かったため、あっという間に焼き切れた。それこそ、その先についている爆弾の爆発音まで聞こえてきそうなほど。
「目に物見ろ」と伯爵令嬢ならぬ言葉を発したと思えば、その冷笑を顔に張り付けたまま、地面を蹴った。
滑走する彼女はあっという間に蹲るその少女の横を駆け抜けた。
少女がルディの姿を追おうとしてか顔を上げたものの、顔をぶたれたせいか右眼があまり開いていなかった。それを確認したルディは腹の底をどす黒いものが渦巻くのを感じ、更に加速する。
男はそのルディの素速さに一瞬目を見開いたものの、腰に下げた剣を抜いた。
厚手で大ぶりのそれが、路地裏に若干射しこむ光を反射して不気味に光った。少女が短く悲鳴を上げた。逃げて、とも聞こえた気がする。
「どこに逃げる必要が?」
ルディはその笑みを深め、男をその視線で射抜く。彼女のその笑みに、男の顔が一瞬引き攣った。
先程までの余裕は、その一瞬でルディに吸い取られてしまったかのようだ。
男が剣を左に薙ぐ。狭い路地裏だ、左右に逃げ場はない。
しかしそれは相手の行動もかなり制限されるということでもある。
ルディは落ち着いてそれの切っ先を左手で握った短剣で受け止めると、その薙ぐ動きに合わせるように移動しながらそのまま男に突っ込んでいく。
男は予想外の動きに驚き、ルディを叩き切ろうとでもいうのか、一層力を込める。
剣の中ほどまで来たところで、折れることはないだろうと思いながらも、体を抜くその瞬間に短剣を力任せに引っ張った。
相手の体勢を崩させ、そこを一気に突くつもりだったが、ばきん、と小気味のいい音がして、なんと相手の剣が真っ二つに折れた。
「は」と相手からなんとも言えない言葉ともつかない単語が漏れる。
折れた剣先が石畳にあたり、からん、となんとも軽々しい音が響く。
一瞬あっけにとられたのは相手もルディも同じだったが、彼女は直ぐに正気に戻り、そのまま予定通り素早く男の手首を切りつけた。
鋭利な短剣が切り裂いた傷口から、勢いよく血飛沫があがる。
「う、ぎゃぁ!」
その利き手を男は慌てて押さえると、二三歩よろよろと後退した。その顔は真っ青で、唇がぶるぶると震えている。押さえる場所からの止めどない血に恐れ慄いているようであった。
その姿はなんとも情けなく、ルディはふん、と鼻を鳴らした。
「さっさと行きなさい。さもなくば次はその首を狙う」
男はずるずると下がると、先を無くした剣をそのままに、口の中でなにやらぶつぶつと悪態をつくと駆け出して行った。
大柄な男が小柄な男装女から逃げ出す様は、これが初めてではないから恥じることはないぞ、と外れまくった考えを巡らせ、ルディは大きく頷いた。
とりあえず血が男の後に後に続いているから、これが自衛団に見つかったら大分面倒だ。裏通りの道で血生臭い事が起きるのは珍しくはないが、自分がそれに首を突っ込んだ事がばれるのは御免被りたい。よってこの場にいるのはまずい。さっさと逃げる事にしたルディは、素早く剣についた血を払って鞘に納める。
それにしても。
「・・・随分ちんけな剣を使っていたのか」
相手の落した剣の柄を持ち、目の前に掲げる。
いくら相手がドルトナンド家の短剣であろうと、あそこまで奇麗に折れるとは。いっそ清々しいわ。
ルディはぽいと柄を投げだすと、少女に歩み寄った。
少女はびくりと体を揺らしたが、もう疲労困憊らしく、こちらを見上げる頭が右に左にと揺れる。
そっとその頭を撫でると、至極優しい声でルディは少女に話しかけた。
「疲れたでしょう。少し休むといいよ」
その言葉が切っ掛けとなってか、少女の体はぐらりと傾き、その体をルディは抱きとめる。膝の裏に手を回し抱き上げると、その見た目十二、三に合わないほど軽かった。
一応自分も女性なので少女一人運ぶのも苦労するかと思ったが、それほど苦労もなく目的の場所に着くことができた。
木製の扉を押すと、少し錆びついているのかやや響きの悪い鈴の音が響いた。その音に誘われて奥からひょっこりと顔を出した女性は、不思議そうに首をかしげた。
「邪魔します」
「ルディじゃぁない。ってどうしたのその子」
つけたエプロンで手を拭きながら出てくる彼女のくびれた腰の上には、二つの球がでんと居座っており、毎度ルディは自分にないものの為かそれを見つめてしまう。そして毎回何やら気まずくなって視線を逸らすのである。今日も今日とてその作業を繰り返してしまった。
ちらりと視線を店に向ければ、喫茶店のくせに客が全くいない。
それもそのはずで、この店は夜専門だ。正確には夜専門の居酒屋であるが、この女性の仕事はそれを表家業としたもっと黒いものだ。そんな夜専門の女性とは、以前自分が客に言い寄られていた彼女を助けたことから関係を築いている。
大らかな雰囲気でありながらもとんでもなく度胸が据わっている彼女は、情報通でもあり、その情報と度胸で客を切り抜けてきたものの、その時は状況が悪かった。
だから自分が相手をのしたのだが、その後彼女が裏から手を回してその客を潰してしまった。
その時は本当に自分が必要ではなかったと思った程だ。
同じ女として恐ろしい。
それからというもの店を開けている時間以外は、こうして自分と時間を潰すこともしてくれる。
情報通の彼女には自分が既に伯爵家の娘だとばれている。
こうして通うのも、だからかもしれない。
彼女に断ってから、店の長椅子の上に少女を横たえる。
「でぇ?」
説明しろと暗に訴える店の主、美女ファルナールの視線に、ルディは肩を竦めた。
「よくわかんない」
はぁ?と言わんばかりに盛大に顔を顰めたファルナールにルディは口を窄めて見せた。
「説明受ける前に倒れた」
彼女が顔を顰める。
なんでそんな面倒くさい子を連れてきたんだ、という顔だ。
どうやら彼女の情報にはない人間らしいとルディも検討を付ける。情報が頼りの彼女にとって、情報にない人間ほど厄介なものはないのだ。
彼女とそれとない会話を交わしていると、目の前の体からうめき声が聞こえた。
ついで小刻みに震えた睫からゆっくりと琥珀色の瞳が現れる。
虚ろな目で天井を見つめていたので、どうしようかとファルナールに視線をやると、彼女はくい、と顔を動かす。話しかけろ、ということか。
「大丈夫?」
その声を聞いてか、少女の首がゆっくりと動く。
ややあって、ルディの顔を見つめる目が大きく開いていく。
「あっ、あのっ!!」
「うわっ」
びっくりした。いきなり大きな声出さなくても。その大きな声を出した張本人は、急に起き上がった衝撃からか、頭を押さえている。
あ、そういえば殴られてもいたんだよね。
「ファナ、悪いんだけど、この子に氷を・・・」
と言いかけたところで、がっしりと腕を掴まれてぎょっと目を見開く。
「ああああの!!あの男は!!!」
「え、あ、お追い払ったけど」
何かまずかったのか。少女は一気に顔色を悪くした。
「ど、どうしよう」
ああああ、と頭を再び抱え、悶絶しだす少女に他の二人は唖然。
一頻り唸った後で、再びルディを見た彼女の瞳には徐々に輝きが戻っていく。そして再び手をがっしりと、今度は両手で握られて、ルディは思わず体を引いた。
「ああああの!!騎士様ですか!!」
「い、いや」
ルディの応答にまたもや肩を落とす少女だったが、復活するのはまたもや早かった。
「いや、でもでもでも!ぼんやりとしか覚えていませんが!!かなりお強いようにお見受けしました!!!」
少女の並々ならぬ目の煌めきにルディは、眼を瞬かせる。
「無礼を承知でお願い申し上げます!!どうか闘技場で優勝してくださいませ!」
・・・訳のわからないことになってきた。
混乱するルディを余所に少女のテンションはマックスだ。そこへ流石というべきか、ファルナールが待ったをかけた。
「待ちなさいな。まずあんたは誰?あたしは知らなくても結構だけど、この子はあんたを助けた。名ぐらい名乗ってまずは礼をするのが普通じゃないの?」
がっしりと少女の頭を掴み、眼を合わせた彼女からは逆らい難いオーラが溢れ出ていた。言葉使いが姐さんになっているからか。なんとなく心の中で拍手をおくってしまった。そう、心の中で。
少女はカチン、と固まったが、直ぐに長椅子からすっくと立ち上がった。
「申し遅れました。わたくし、テルミア・ハッケンベルドと申します」
短いワンピースの端を持ち、彼女は綺麗に礼をしてみせた。ハッケンベルド、その名はルディでも聞いたことがあった。
「元お貴族様というわけねぇ」
ファルナールがすっぱりというと、テルミアは苦笑して見せた。
「ええ、今は没落貴族です。平民となりましたが、それを苦には思っておりませんので、どうぞお気遣いなさらず」
ルディの様子を見て、言葉を付け足してくれたようだ。ルディは没落貴族の名を知っていても会ったのは初めてだった。
だからこその一瞬の困惑だったが、なかなかこの少女は洞察力があるようだ。・・・冷静であればの話だが。
「ええと・・・で、そんな君がなぜあんなところに?」
ルディの言葉にしょんぼりとしたテルミアは、長椅子にすとんと腰を下ろすと再び話し出した。