陛下、政の顔をする
「王、お酒はその辺で」
何杯目かのワインを飲み干そうとしている王に、ライアスが声をかけた。
彼が酒に強いことはしっているし、王たる者このような席で酔いつぶれる事はないだろうが。
レーナルトがその声を受けてちらりと視線を上げた。
「なぜ君にそう言われなければならない?」
「・・・お話がございます」
「それは、君が私に黙って国境の領地に手を出した件か?」
するりと出てきた彼の人の言葉に、ライアスは息を呑んだ。やはりという思いとまさか、という思いがライアスの中でせめぎ合った。
「・・・はい」
「私は他の者に任せたはずだがな」
「はい、ですが」
「誰が許可した?」
まだダンスは行われ、熱気が渦巻いているというのに、まるで王の周囲だけすうとその場が冷えた気がした。
横に控えたルイザスも、神妙な面持ちでこちらを見ている。彼も先程の会話は聞いていたはずなのに、動こうとはしていない。自分の役割を分かっているのだろう。
先程自分に対して無言で剣を抜こうとした。自分のことを義兄と知っているくせに、面白くない奴である。まぁ彼は後で義兄としてからかう機会があるだろう、それを楽しみにするとするか、とライアスは一人ごちた。
そのルイザスも年中冷気発散中で有名である。(一部例外あり)そして今も。
その二人の視線を受けて、ライアスはその背中に汗が流れるのを感じた。この自分が気圧されていると気づく。まるで先程と違うではないか、と心内で笑う。まだ先の方が可愛げがあったというものだ。
「一体誰が許可したのだ?言ってみよ」
グラスを指先でもてあそびながら、レーナルトが薄く笑う。
「―――申し訳ございません」
「私が命ずれば、た易く飛ぶ首だということをわきまえよ」
「は」
お前の命など今捨てて構わないと言い切る王に、つうと首筋を冷たい汗が伝うのをライアスは止められなかった。
これが、王か。
自分より年下の王は、言いようもない絶対的なオーラをその体から放ち、静かにライアスを見つめていた。
しかし口調を崩して、ふいにその視線をグラスに向けた。
「途中から方針が変わったのを聞いてな。それに私が当てた人材では、あの速度であそこまで解決できまい」
「お褒めの言葉ととっても?」
「構わない」
「ありがたき幸せ」
レーナルトがまた酒を口に含んだ。味わうかのように口の中で転がし、のんびりと飲み込む。
大人しくそれを待っていたライアスに再び視線を向ける。
「それで?お前が出てこなければならないほど切迫していたということか?」
「というより、深かったのです」
「ほう?ではあれでは解決できないほどにか」
自分が当てた新領主をあれ呼ばわりするレーナルトは、少し考えるように眼を細めた。
それにいいえ、とライアスは首を振った。
「わたくしが到着したとき、財政の問題はほぼ片付いていました」
「・・・何があった?」
「紙面上は、の話だったのです。あれなら放っておけばまた腐敗が進んでいたでしょう。それはまだしも、領地の詳録を当たりました所、どうもきな臭いことがありまして・・・」
それ以上は言葉を濁すライアスの眼を、レーナルトは見つめ返した。
「・・・私の耳になぜ入れなかった」
「申し訳ございません。わたくしの方でも確固たる証拠が得られず、かつ王や私が動いていると知られるとまずいと判断いたしました」
本当なら現時点でも話すべきか迷っている、とライアスは苦笑した。
それだけの相手が隠れていた、ということか。
「私の意見を仰がずして、貴殿が判断するのはおかしくはないのか?」
「・・・はい。このような身勝手な行動、この首差し出すのも覚悟の上です」
それを聞いて、レーナルトはふっと笑った。一気にその身に纏っていた冷気を引っ込め、彼は立ち上がった。
「別室に行こうか」
ここではまずいだろう、と政の顔をしたレーナルトがその身を翻す。
「ルイザス、ついてこい。他の近衛は警備面での確認をしろ。直ぐにだ。そろそろ帰る者たちも現れる」
了承の意を示して近衛達がその胸に手を当てた。
レーナルトはちらりと視線を巡らし、眼にとまった近衛を指差した。
「そこの。宰相に私はライアス殿の旅中の話を聞くと伝えろ。後は彼の方が手を回してくれるだろう」
以上だ。
その言葉を残して去っていく王を、残された者たちは全員その頭を垂れて見送った。
「ぅはぁ」
あ、間抜けな声がでた。まぁいいわ。誰にも聞かれてないはずだしね。
――――にしても疲れたわ。
手を手摺に付けて、持たれかかる。これ以上人に構うのが億劫で、少し離れたバルコニーで風に当たっている。
開け放した窓から溢れるカーテンの奥に、舞踏会場の光が見える。ざわりざわりとした喧騒は、まだ続いているのだ。勿論それに戻るつもりはない。
足もとからふわりと風が吹いて、ドレスを弄んでいく。涼しさに目を細めた。
はたはたと手で顔を仰ぐ。不作法極まりないが、誰も見ていないからどうでもいい。先程から引かない頬の熱。ぐうと唸ってルナディアはその頬に両手を押しあてた。
「風邪でもひいたかしら」
やっぱりこんな肩だしの格好なんてしているから、体が冷えて熱っぽいことになってるのよ。うん。
―――もう何年も風邪ひいてないはずなんだけどね。
黙れもう一人の自分。
「・・・帰ろう」
お父様を探さなくちゃ。
「それは困ります」
背後からかけられた声に、はっとして振り向く。
確かにそこには人が立っていた。光で顔の部分が影になり、はっきりと見えない。その人物がゆっくりと近づいてきて、ルナディアは怪訝そうに眉をしかめた。
やがてはっきりその人物の顔を見てとれるようになる。
「先程聞けなかったこと、お聞きしたく存じます」
「ハバーニールさまでしたか」
また面倒なのが。闘技場の時から思うが、彼はどうも本当に蛇のようだ。しつこく獲物を狙うその目が、きゅっと細められた。
「私はある人を探しています。ある時から、ずっと・・・」
彼は見据えるように、そして探る様にルナディアを見つめている。
「あなたはその方にそっくりだ。貴女と同じ目の色。もし貴女がその靴を脱いだならば背格好も近い・・・」
振られると思っていたネタだが、いざ振られてルナディアは困惑を隠しきれなかった。なんのことでしょう、と白を切るには今のルナディアは分が悪い。ただでさえ心内はぐちゃぐちゃだというのに。
「関係ないとは、言えないと思いますが?」
ぎらりとその瞳を輝かせ、ハバーニールがまた一歩前に出た。
「もしや」
そこで彼は言葉を切る。
げ。まずい。
眼を彷徨わせて逃げ道を探すが、入口にはハバーニールが立っているためバルコニーから飛び降りるほかがない。
――――さすがにそれはまずいか・・・。ドレスだし。意外と高いわね、王城。これはさすがに死ぬかも。
ひやりとしたものが背筋を這うのを感じ、まるで対するように熱っぽいハバーニールの視線にひくっと喉が鳴った。
しかしその次の彼の至極真面目な顔をした言葉に度肝を抜かれる事になる。
「もしや貴女の御親戚ではないでしょうか」
「は?」
あまりにも間抜けな声が出た。と、慌てて口を閉じる。
え?令嬢?誰が?知らないわよ?口をあんぐりと開けて眼が半分死んでいる令嬢なんて私は知らないわ。自分じゃないわよ。
そんなルディの思考とは裏腹に、ハバーニールはその拳を握りしめ、熱弁する。
「そうでないというにはあまりにも似すぎている!違うのは彼の方が自信に溢れていたことでしょうか。後は髪の色、性別・・・」
本人です。とは言えない。おう。
男装の方がしっくりくるから自信持って動いている、なんて言えない。おう。
「連絡先・・・いやそこまでと言わなくとも彼のお名前を教えていただけまいか」
何言っているの、この人。
呆れを通り越した感情が走り抜けた。その後に残ったのはなんとも言えない虚無感。一体全体何を恐れていたのか。ばからしい。
・・・っていうかテルミオが男と分かっていて連絡先を聞いてるの?大丈夫この人?
完全に黙りこくってしまったルナディアと対照的にハバーニールは語り続けている。
やれ彼は剣技が美しかっただの、何かと謎にみちているだの、しかし興味をそそられるのだの。
「本人です」と言ってみたくなったわ。
じわりじわりと近寄ってくるハバーニールにルナディアも距離を取ろうとバルコニーの手摺にそって移動していたが、そろそろ限界だった。
ま、ずい。
「そこまでにしてくださいますこと?」
二人の動きが一斉に止まった。
何事かと視線を向けた方向には一人の女性。口元を豪勢な扇で隠し、その瞳を細める。父と同じ、穏やかそうなその容貌には似つかわしくない程その瞳は面白そうに輝いていた。隠しきれない好奇心がそこにはあった。形容するならぎらぎらと。
「わたくしの妹は不慣れですの。そのように積極的では困ってしまいますわ」
すっとハバーニールとルナディアの間に割り込んだのは長女、ジェスティナ。五年前にボルチェニカ家次男ライアスと電撃結婚。
それまでもルナディアの代わりと言わんばかりに社交界で目立ちまくった彼女は、何がどうなってか放浪息子と有名なライアスとのそれにより、彼女に思いを寄せる男たちの鼻っ柱を折り、更には大人しくする、という文字が辞書にないらしく、ライアスと共に世界を飛び回るのが趣味というか日課というか。
侯爵家と伯爵家出身の二人だというのに自由すぎる。つけるのは最低限の侍従のみ。ライアスの方は知らないが、ジェスティナは勿論それなりの腕の持ち主。
刺客?なにそれさぁ勝負!のノリがあるのが否めない。何しろ楽しそうなことが大好きだと豪語するのだ。自分とは違う方向だが、豪語する方向が一味違う。
ちなみにその感覚はルナディアには理解できない。
そして一体どんな夫婦旅行をしているのかはドルトナンド家内でも謎である。
その彼女が、一体何時振りか。その背中をルナディアに見せ、宰相の息子にその顎をつんと上げて対面している。
「・・・それは失礼を」
先程までルディに見せていた焦りはなんだったのか。ニヒルな笑みを浮かべてハバーニールが一礼した。
まさに蛇だ。うん。さっきまでの熱弁はどこに?今は大分クールガイですね。
彼はジェスティナの退かない意志を感じ取ってか、くっと笑った。
「どうやら、貴女も彼も、ガードが固いようだ」
同一人物です。
っていうか、ガード固いって・・・・・・・・何かしら。