令嬢、趣味に走る
初投稿です。つたない文ですが、よろしくおねがいします。
コンコン、と控えめなノックの音が響く。それなりに豪奢な扉の前で待つことしばし。
その部屋の主からの返事がないことに執事は眉をしかめ、次いで慌ててドアと開け放った。足早に部屋へと入り、辺りを見回す。
そこにいる筈の主の姿はなく、案の定というべきか、執務机の上に書置きとみられる紙を見つける。
足音もよろしく机に近づき、ひったくる様にしてそれを机から奪い取った。
そこには、丁寧な細い字でこう記されていた。
「退屈過ぎる為、しばし遊んでまいります」
「ま、ま、またですかぁーーー!!!」
ドルトナンド伯爵家に、今日も真面目な執事の絶叫が響き渡った。
ああ、清々しい!
屋敷で執事にやらされていた座学から逃げ出した人物は、その自由を噛みしめるように思いっきり伸びをした。
今いる城下に目を向ければ、大声で客を呼び込む店の主人、それぞれの店の看板娘の巧みな客引き、大柄な奥さんのその手腕を振るう姿にと、随分賑やかである。
それらの城下の喧騒はその国の活気さを表しているようで、見つめれば胸はどこかほっこりした。
この国でも上位に入る伯爵家の一員として、この国が栄えるのは嬉しいことである。
人の波を縫うように進んでいると、後ろから自身の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ルディさま!今日はどちらへ?」
声がした方に顔を向ければ、パン屋の看板娘のアルナが頬を染めてこちらを見ていた。
心なしか息も上がっているようだ。慌てて出てきたのだろうか。
店は君の後方10メートル付近に見えているけど、店番はいいのかな?と内心首を捻りながらも、ルディは彼女の表情を見て、花も恥じらうお年頃か、可愛らしいなぁと思う。
城下に来ると、このように可愛らしいお嬢様方に会える。
それは始終むっつりした顔の執事に会うことよりも、ルディにとっては数十倍重要な事だった。
生粋の騎士の一家であるドルトナンド伯爵家育ったルディにとって女性を守ることは当たり前であった。
『弱きものを守る、その力があるならば、それは惜しまずにその為に振るうべきである』
生粋の女好きである曾祖父からの教えである。それは今や家訓となり、今現在も引き継がれている。
その曾祖父の血が混じっているせいか、ルディも大変女性が好きであった。
ルディが輝くような微笑を浮かべると、アルナは更に頬を染めた。
「御機嫌よう、レディ。残念ですが、用があるわけではないのです。今日はただの散歩ですから」
「まぁ、じゃあうちに寄って行ってくださいな!」
恥じらいながらも押し押しのこの態度。女性だから許せる。女性だから可愛い。男性がやったら・・・はっ。
心の中では冷笑を浮かべながらも、それをルディは表面に見せない。
「申し出だけ有り難くいただきます」
にっこりと笑ってそれだけを返す。
アルナはそれを見て「残念です・・・」と呟きながらも惚けたような顔になっている。
ルディは腰まであるのだろう銀髪を三つ編みにして垂らし、少しだぼついたシャツに、ぴったりした黒のズボン、華奢な体に合わせて、レイピアとソードブレイカーに近いドルトナンド家特注の短剣とを帯刀している。
要するに二刀流だ。元々剣を扱うものとしては華奢なため、速さを重視した結果である。
人がひしめき合う街中で剣を帯刀するのは、騎士や中流階級以上、またはその必要のある者のみ、というのが暗黙のルールであったが、ルディの容姿ならばその三番目の理由に十分当てはまると一目でわかるだろう。
もちろん中流階級以上というのにも当てはまるのだが、それはお忍びで行動するに当たって不便なので城下の大体の知り合いには隠している。
ルディは細い線ながらも引き締まった中世的な顔も相まって、なよなよした雰囲気はなく、まさに美形と呼ぶに相応しかった。
どこぞの王子や王のように豪奢な服を着ているわけではなく、兄のおさがりだというシャツを着ていようとも、ルディからは凡人にはないオーラがただ漏れだった。
それに拍車をかけるのはルディの碧色の目だろう。
そのどこか神秘的なオーラと容姿に絆される女性は、後を絶たない。
そして彼、いや彼女はそれを喜んでいる。伯爵令嬢、ルナディア・ドルトナンドは。
ただし彼女は同性愛者というわけではない。
女性を守ることを信条としてはいるが、女性と付き合いたいだとか、アレコレしたいとはこれっぽっちも思わなかった。
ただ単純に女性を愛で、守ることに喜びを覚える。彼女は一風変わった伯爵令嬢だった。
普通ならば伯爵令嬢が剣を嗜むだとか、男装をして街をうろつくのは全く褒められたことではない所か、醜聞である。
それに関して言えば、ドルトナンド家は特殊な家だった。
家系全体にわたり、男性は勿論女性でさえもドルトナンド家に代々伝わる剣術と拳法を習得していた。
女性でいえば正確には護身用体術が主であり、剣術は嗜まないが、何せルナディアには才能があったというしかない。
とりあえず、ドルトナンド伯爵家はとんでもなく特殊な家なのだ。さすがは実力だけで駆け上ってきた家である。
曾祖父の戦場を駆け抜けた逸話は今なお有名だ。彼はドルトナンド家内でも様々な方面で特殊な人物であった。
その血をまるで先祖返りの如く濃く受け取ったとしかいいようがないルディも、十分特殊な人物である。
本人にはその自覚が皆無ではあったが。
そしてそのドルトナンド家の特殊さは、王家公認なのだから仕方がない。
しかも家系は天才筋とでも言うのだろうか。才能もあり、剣術と拳法を習得するだけの根性も体力もある。少々の貴族内いびりには負けたりしない。
それどころか虎視眈々と復讐を誓う始末だろう。
それ故に、今や王家だけでなく、貴族公認の一風変わった伯爵家となった。
それがドルトナンド家だ。
その次女として生まれたルディは、長女に社交界への対応を丸投げし、自分は体が弱いと嘘を吐き、こうして伯爵家の事務の傍ら、男装をしてお忍びで城下へ遊びに来るのが趣味だった。
アルナと別れ、何気なく大通りから路地へと彼女は足を向けた。
丁度近くに以前顔見知りになった女性がやっている店があることを思い出したのだ。
彼女の手製のお菓子はなかなか近所でも好評で、気難しい執事の機嫌取りにも一つ土産に、と思っての行動だった。
少し近道するつもりで入った路地裏で、まさか将来に大きく関わる事件が起きるとは思いもしなかった。