令嬢、舞踏会へ行く
やっとこさどっこいさで舞踏会です。
ルナディア、前回の余裕はどこへ。
華やかに飾られた大広間には、着飾った貴族で満ち溢れていた。
きらきらと輝く巨大なシャンデリアが釣り下がり、壁には目を凝らさねば気づかない程に細微な装飾が施されている。並べられた食事は国の物だけに留まらず、多種多様。
まさに豪華絢爛というに相応しい。
本日の主催者である王がまだその壇上に現れていない今、それぞれが思い思いの場所で談笑していた。
呼び寄せた音楽家たちがそれぞれの楽器を用いてさまざまな音を奏でる。その音楽に合わせて体を添わす者もいる。扇で本性を隠し、丁寧な言葉の中に辛辣な言葉を混ぜる者。蓄えた鬚を撫で付けながら自慢話に花を咲かせる者。
一見穏やかに見える会話の中で腹の探り合いが行われている、この社交界。
その一角に、とてつもなく目立つ集団がいた。
煌びやかなドレスが、光を反射して輝いている。大きく開いた胸元。これ見よがしな宝石。高く結いあげられた髪。香水による香りも、化粧も濃い。彼女たちが笑う度にさざ波の如くそれは広間へと広がっていく。
王妃候補と名高い、マルティギーニ侯爵家の娘、エルルマリア。
目立つその集団の正体こそ、彼女を含めた彼女の取り巻き達である。
子爵の娘、ダヴァンスィナ。
伯爵家の娘、アパパネ。
この三人が筆頭である。周りにはその彼女達を囲むように、女たちが集まる。そしてそれに近づこうともして、遠巻きに彼女らを眺める子息たち。
誰しもが憧れる美貌、そして地位。
エルルマリアは、そんな自分に誇りを持っていた。自慢の金髪。父譲りの少しくすんだ紅の瞳は正直好きではないが、手入れを欠かしたことがない象牙色の肌は自信がある。スタイルだってそこら辺の女は目じゃない。
それにほら、自分に集まる人々!これこそが自分の魅力の象徴ではないか。エルルマリアは高笑いしたい気分だった。
「そういえば、噂の令嬢。なんでもハバーニールさまのお誘いを断ったんだそうよ」
「まぁ!ハバーニールさまの!」
「なんて厚顔なの」
「一体どんな女なのでしょうか」
「病気で籠っていたというけれど」
「噂じゃあ、ドルトナンド家でも稀に見るブサイクで、家に籠っていたとも言われてるわ」
「どんな醜悪な顔なのかしら、フフフ」
「早く見てみたいものよね、その醜悪な顔を!」
「こら、あなたたち。そういうものじゃないわよ。どんなに醜かったって、あのドルトナンドの家のものですもの」
「ルイザスさまにかけらでも似ていたなら、少しは見れるものかもしれませんわねぇ」
「オホホホホホ」
そうだ、どんな醜悪な顔か見てやろうじゃないの。
宰相の息子、ハバーニール。この国の美貌の国王、レーナルト。
この二人が気にとめたという、まだ見ぬ女にエルルマリアは嫉妬していた。渦巻く熱で、彼女の胸の内は焦げそうだった。
ぽっとでの女に、自分が負ける筈はないのに。
そう思っているのに、なぜかざわつく胸を押さえた。
じっと眼を閉じる。
ーわたくしが一番よ!誰も、私以上に、目立つなんて許さない。
同じ年代で自分の美貌に勝てる者などいない。何を持っても、自分より人を惹きつけるものはない。
目を開いたエルルマリアはそう信じて疑わなかった。
「ドルトナンド伯爵家さま御到着!」
高々とした声とともに、会場の扉が開かれる。
「・・・うそ」
思わず零れた呟きは、自分のものか。それとも自分を取り巻く、女たちの呟きか。
彼女の碧の瞳が、自分を見た気がした。
窮屈。
今の自分の状態を一言で表すならそれにつきる。きつく絞められたコルセットは、胃を押しつぶさんばかり。いつか圧迫死するのではなかろうか。鍛えられた自分の腹筋が抗おうとしているが、コルセットは驚異的な耐久性を見せつけ、それを寄せ付けない。
ああ、ズボンが恋しい。ズボンならば足が見えないように気を使うことも、走ることを禁ぜられることもないのに。
淑女らしく丁寧に歩くのも、この視線の嵐の中では億劫だ。本能的に帰ろうとしてか、ぴたりと止まりかけた足に気づいて、ぼそり、とジムナスが声をかけてくる。
「・・・ルナディア、諦めなさい」
「わ、分かっています」
揺れる瞳で父を見上げ、足を叱咤して無理やり一歩踏み出す。
痛い。
視線が痛い。
闘技場のそれよりも敵意が籠っているように感じたそれは、彼女が歩く度にまた違う何かへと姿を変えていることに、ルナディアはまだ気づいていない。
ただ前を向き、父に添えた手が震えないようにするので精一杯だ。
・・・生まれた時から、デビュタントに向けてのレッスンは受けてきた。しかし、それはある時に捨てたはずだった。自分がデビュタントをしない、伯爵家の娘、貴族の娘として生きないと決めた時から。
まさか、こんなところで本番がこようとは。
視線を嫌がり、そしてこれからを嫌がり、後ろを向いて走り出しそうになる足。震える手。
こんなにも人の視線とは身に突きささるものだったか。
その上、自分らしからぬ緊張をしている事実に、ルナディアは自嘲の笑みを刻んだ。
そっと今の自分を見下ろす。
オフショルダーの藍色のドレスは、レースが最初に比べればだが、慎ましくあしらわれている。最初のドレスはど派手すぎて遠慮し、散々目立たないようにと言ったが、これが限界だと押し切られてしまった結果である。
サテンのドレスグローブには細かい刺繍。剣を嗜んだ手を隠すには、グローブは欠かせなかったのだ。
腰回りはギャザー仕立てで、彼女の引き締まったくびれを強調する。裾は足元に行くにつれてふわりと靡くように。
結いあげた髪は、首元に少しだけ遅れ毛を垂らし、一体どうやってやられたのか。自分の頭だというのによくわからない程、込み入った編み方をされている。
耳と首には控え目に、彼女の瞳と同じエメラルドの宝石を散りばめた。
ルナディアは、言うなれば三日月だった。
母のスティールナが、その燈色の髪から太陽のごとくと呼ばれたように。
姉のジェスティナが満月と呼ばれたように。
周りは気付き始めている。彼女の魅力に。
その証拠に集まる視線はもう最初のそれではないのだ。
しかし、それには気づかずルナディアはまっすぐ前を見据えた。
これから現われるであろう、まだ主のいない席を。
これからの自分の最大の敵を。
「ああ、ドルトナンド伯爵」
その声に親子共々振り向けば、きっちりとした服に身を包んだ男が、グラスを片手に近づいてくるところであった。
紅の髪は、ところどころ色が抜けているが、見間違えようもない。確かに、この色と同じ色を持つ人間をルナディアは知っていた。短く生やした鬚。皺を刻んだその顔には厳しさが滲み出る。あの人が年を重ねれば、きっとこういう風になるのだろう。
ジムナスがそちらを向き、笑みを浮かべた。その笑顔の裏に何を思っているのかは、実の娘であるルナディアすら窺い知れない。
「宰相殿ではありませんか、息災ですかな?」
「ええ、おかげさまで。そういえば、この度はうちの愚息が申し訳ない。お嬢さんがデビュタントというのに、愚かにもエスコートを買って出たとは。いやはや」
「いえ、ありがたいお気遣いでございました。ありがたく受けさせて頂こうと思ったのですが、この会が初めてとなりますので、この娘も緊張しているだろうと妻が心配しましてね」
「そうですな、今までは大変でございましたでしょう。よかったですな、お体の方が回復しまして。是非楽しんで頂きたい」
「ありがとうございます」
ルナディアに向きなおると、彼は紳士の礼を取った。口元は笑みの形を形どっているが、その目は、笑っていない。
「紹介が遅れました。宰相職についております、オレッドと申します。ご機嫌はいかがでございますか、ルナディアさま」
「お初にお目にかかります。ルナディア・ドルトナンドです。先の気遣い、本当に痛み入ります。正直今も緊張しているのです、楽しめるか不安ですわ」
「王もあなたを気にかけていらっしゃる。何かあれば、私にもおっしゃってください」
「ありがとうございます」
「それにしても奥方様、姉上様ににて美しくていらっしゃる」
「そんな」
「ご謙遜を」
お互い笑いあう。どうやら宰相殿はあまり顔の筋肉が発達していないらしく、笑う、といっても本当に僅かに口角が上がる程度だ。
彼はふいにちらりと視線を巡らすと、ある一か所で止めた。それを追ったルディの視線も、固まる。
それを見逃さず、彼の瞳にちらりと灯がともる。
「ああ、あちらに我が愚息がいますね。申し訳ない、挨拶をさせましょう」
「いえ、そんな・・・」
「ハバーニール!こっちへこい!」
いやぁぁぁああぁぁ!!
一回会ってるのよ?!男装で!!やめて!!
どうするの?!これ以上の面倒はいやよ!!
その心の声は届かず、スーツに身を包んだハバーニールが近づいてくる。彼の引き締まった体躯をスーツが形どっている。目の前にいる男よりも、まだ色味が鮮やかな紅の髪は、今日は撫でつけられている。
ルナディアに気づくと、はっとしたように眼を見張り、気まずそうに視線を泳がせた。
気付かれているのかしら。それとも。
「何をしている、挨拶しろ。ルナディア殿がお待ちだぞ」
なんとか視線をルディにとめてハバーニールが礼をした。勿論、眼を合わせようとはしない。好都合だ。
長たらしい挨拶の言葉とグローブへのキス。その耳が若干赤いのは、あれか?シャンデリアの光に髪の毛の色が反射して・・・そんなわけないか。
それでもなんとか一瞬視線を合わせた彼が、眼を見張った。
何かを言いたそうに、唇を僅かに動かそうとしていたが、言葉にはなっていない。
手を離すことを忘れているのか、未だ握られたままの手をルディは困ったように動かす。
すると慌てたようにハバーニールがその手を離した。闘技場での余裕ある表情しか知らなかったため、彼のおっちょこちょい、ともいえる様子にルディは首を傾げた。
・・・もともとこういうキャラなのかしら?
その時、この広間のどれよりも痛烈に突き刺さるような視線を背中に感じて、ルナディアは思わず視線を巡らした。
そして、止まった。
睨みつけるは、金の髪の娘。
ファルナールの輝くようなそれと比べれば、圧倒的に暗い紅の瞳には、隠す気もないのか、それとも隠すすべがないのか。嫉妬の炎が渦巻いている。
・・・ああ。
例え自分に向けられていても、ルナディアはそれに反発心を覚える事はなかった。
嫉妬をするのは独占欲。女の我儘だ。
可愛い我儘じゃないの。
自分だけを見てほしいのでしょう?
自分だけを愛してほしいのでしょう?
自分は多くを愛し、何よりも自分を愛しているというのにね。
でもそれも、女だから許してあげる。
それも可愛さよ。
言葉にしたのではない。ただ口元だけで嗤ったルナディアに、金髪の彼女はその瞳を恐怖に染めた。ぱっと俯くように、その顔を隠す。
怯えさせてしまったか、と若干ルナディアは反省した。何も視線で責めたつもりも、貶めたつもりもないのだ。ただ、純粋に愚かなほど可愛い女だと思っただけだ。その結果の笑みとしてはよろしくなかった。うん。
しかし、自覚は必要だと思う。無知の結果、何を喚こうとそれは誰の耳にも聞き入られないのだから。そのルナディアに言わせれば可愛い愚かさも、一歩間違えば凶器足りえる事、それは身を滅ぼすこと。それを分かっていなければならない人種だろう、彼女は。
俯く彼女は、何時もならば取り巻きが気を使ってくれるだろうが、取り巻きの令嬢たちはルナディアたちに釘づけである。ぽつん、とまるでそこだけ切り離されてしまったかのように、彼女は一気に孤独となった。
彼女よりも輝いている存在がいることで、彼女はまるで置き忘れられたかのようで。怯えに震えるその瞳を支えるものなどありはしない。
何か、声をかけたい。
ただその衝動から、ルディは一歩踏み出そうとしたが、それは広間に響いた声にあっけなく止まってしまった。
「間もなく国王陛下がいらっしゃいます。どうぞ皆様、それまでおくつろぎくださいませ」
そう、もうすぐ来るのね。
さぁ、二度目の勝負といきましょうか。
ルナディアは拳を握り締めた。
私は、あなたとは、結婚しないわ!!!
次回、王が登場です。
今回もキャラが増えましたが、大丈夫でしょうか。
ここまで読んでくださった方に、感謝を!