令嬢、父と会う
舞踏会編開始です。
よろしくお願いします!
「お嬢様、そのようなお顔でお父上に会うおつもりですか」
「悪いわね、常にこの顔なの。生まれた時から」
「そういう意味ではございません」
闘技場での大会から2日後のドルトナンド伯爵家。
ぴきり、とドルトナンド家執事トゥーランドの額に青筋が走る。彼の眼が眼鏡越しにすっと細められ、その顔から怒気が溢れだした。さながら負のオーラのようなそれに、くいと眼鏡を押し上げる動作は魔界の宰相のようである。
ドルトナンド家に仕え初めてそれこそ28年になるトゥーランドは、一言で言うなら生真面目であった。彼が執事の名を継いだのは、今から3年前。彼が25歳というとんでもなく若い時だった。
「儂は、妻と田舎に籠ろうと思うんだがね」
「そうか。愛妻家なのはよいことだ」
「それでな、執事職をトゥーランドに譲ろうかと思うんだが」
「ほぉ」
このなんとも気の抜けた当主と当代執事の会話が皮きりだった。
トゥーランドは執事であった父が46の時の子だ。
その時点で71歳が引退するのは年として相応だったが、その時、兄は既に他国で業績をおさめたため、本国には殆どいない。まるで渡り鳥のようにある時期にだけ国に帰ってくるというある種の放浪息子振り。
ドルトナンド家にとって、執事は勿論重要なポジションだ。そう簡単に縁のないものに渡すわけにもいかない。しかもドルトナンドの子供たちは、色んな意味で一筋縄ではいきはしない。
だが、彼はその時点で長女ジェスティナと幼馴染だったこともあってか、子供達にいいように振り回され、しかし抗い、事後処理を行うその様を長くあたたかい目で見られてきた経歴の持ち主。
トゥーランドの父は言った。
それこそ子供の時から壮絶な運動神経と根性とを誇る子供たちを相手取るのに、老人はちときついーそれに比べて、みよ、トゥーランドの負けず劣らずのあの体力と根性を。
この執事の丸投げ発言も相まって、彼の就任は無事決定した。先にも述べた通り生真面目な性格である彼の神経は、この3年常に綱渡り状態だ。
彼の纏う空気が、自然ぴりぴりとしたものになるのは仕方がないだろう。
しかしそんなことには気づいていないこの家の次女、ルナディア・ドルトナンドはつーんと顔を逸らし、ふてくされた顔をしたままだ。
この家の主であり、ルディの父であるジムナス・ドルトナンド伯爵に会うために二人は長い廊下を歩く。ルディの姿を見て、メイドたちは首を垂れていく。
それをルディは手を振って拒否し、仕事に戻るよう指示をする。しかしそれが終わればむっつりとした顔に再び戻った。
それを視界の端に確認したのだろう執事は、重い溜息を零した。
「ご自分で招いた種でしょう。もういい年なのです。回収もご自身でなさるのが当たり前ございます」
「分かっているわ、だけど・・・」
何を言われるのか分からないから恐ろしいのだ、とは言えなかった。
呼び出された理由に思い当たりすぎる。いっそ全てなのだろうか。不安のあまり無言になってしまったルディを咎める事はせず、トゥーランドは歩みを進めた。
それに従いながら1日ぶりと言えど着たドレスはコルセットがきつく、やはり男装の方がいいとルディはそっと息を吐いたのだった。
「さぁお嬢様、どうぞ」
下げていた視線を上げて執事の姿をとらえ、次いで執務室の扉に視線を向けた。何か壮絶な乱闘の後があったのだろうと思われる扉の横の壁は、くたびれている上にところどころ壁紙が貼り直されて真新しい箇所がある。
この家の者はそれが歴代の夫婦喧嘩の痕だとしっている。この部屋でただ妻が喚き叫んだり、夫が妻を窘めるだとか、もしくはどなり散らすという有りがちな喧嘩が起こった事はないだろう。
冷たく笑う妻の手に握られているのは良くて包丁、悪ければ代々伝わる暗殺用の剣。
特に曾祖父が余りに女性を大切に愛で過ぎて、妻であった曾祖母との間に巻き起こったのはまさに戦争ー
この部屋で起こった修羅場だけでも一つ伝記が書けるだろう。いや、伝奇か。
しかし大抵この扉の前に初めて立ったものは、一様に首を傾げるのだ。
どうして、この壁はところどころ真新しいんだい。
それはね、夫婦げんかで何度も傷がついたからさ。そりゃもう皿は飛び、壁は抉れ、ひどい時には血肉が、
・・・そうかい。もういいよ。よくわかった。
この会話も、この扉の前ではもう珍しくはない。そんな若干笑い話(当人たちにとっては笑い話ではないが)の曰くつき扉だというのに、こんなにも重い空気を纏ったものに思えたのは初めてだった。
最近は男装にも諦めてもらい、ミスもなくきていたというのに。どうして、と一昨日から何度も心の中で反復している言葉をもう一度呟く。今すぐ悶絶したい気分だが、伯爵令嬢がそんなことをするわけにもいかず、ルディはぎりぎりと歯を食いしばった。
ドアノブにかけられた執事の手がゆっくりと回りー、かちゃり。
扉を開けて待つ執事を一瞥し、ルディは促されるままに執務室へと歩を進めた。
「ルナディア、加減はどうだ」
「ええお父様、もうすっかりですわ」
「相変わらずの回復力だな。誰に似たんだ」
「精神はお母様、体力はお父様が私に無理やり、ですね」
「そうだな、そうだったかもしれないな」
ふっと若干遠い眼をする当主ジムナス・ドルトナンド伯爵は手に持っていた書類を横に置き、正面にあった書類を左右に避けると肘をついてルディに向きなおった。
彼の髪は代々、というべきか、殆どのドルトナンド家血族がついでいる銀髪。瞳は濃いヴァイオレット。年齢を重ねたその顔には皺が刻まれてはいるが、今なお鍛え続けているその肉体が衰えていることはない。ぴたりとしたラフな執務服は、彼の引き締まった肉体を形どっている。
ルイザスやルディとは違う、穏やかな目元をしている彼は、口元に蓄えた鬚を指で摩りながら、どうしたものか、と呟いた。そして眼を伏せると、無言になってしまった。
寝ているのか、と疑いたくなるような穏やかな空気が彼の周りに漂っている。この性格だから燃え盛る火のような母とやっていけるのだと思うが。
ルディも話の続きを聞きたくない余りに、黙り込んだままだ。窓の外から僅かに聞こえてくる鳥の鳴き声が、まるで昼寝時のような空間に更に拍車をかける。
ぴくりとも動かない当主と、眼を若干背けたまま姿勢だけは凛として立っている令嬢に、扉の傍に静かに控える執事。今の状況はさながら絵画であった。
「っごほん!」
その空気を断ち切ったのはいつものことながらの苦労人、トゥーランドである。
「それでな、呼び出した件なのだが」
先程までの無言を露とも感じさせないなめらかな口調で、目を伏せたままのジムナスが言葉を発した。
「はい」
「まぁまずな、今回のお前の不手際についてだ」
忘れないように書いたのだ、とデスクの左側に置いてあった紙を引っ張り出すジムナス。その瞬間に、ざざざっと上に積み上げられた書類が彼の目の前に滑り落ちる。
「・・・・・」
無言でそれをいそいそと寄せて積み上げる。元よりもさらにぐちゃぐちゃになった書類たちは若干哀れである。
それ重要書類です!と思わずトゥーランドが口を開こうとしたが、優秀な執事は開いただけでとめて見せた。
ごほん、と一つ席をしたジムナスは紙に目をやり口を開いた。
「まず、座学から逃亡を図り、再び男装して城下に赴く。まぁ、これはいつものことだな」
「旦那さま、いつものことでは困りますよ」
「そうだな、トゥーランド。お前から言って聞かせてくれ」
「それができたら苦労しません」
「ふむ、しかしそれがお前の仕事だ」
ぐっと言葉に詰まったトゥーランドを優しげなーある種いじめっこのような目で見つめたジムナスは続ける。
「少女を助ける、ふむ、これはよい。しかしその後闘技場に出たとは・・・当家でもそんなことは異例だぞ」
「・・・申し訳ありません」
「あげくそこで優勝するとは。ちまたでお前がなんと言われているか聞いたか。謎の剣士だぞ、まったく捻りもないな」
「付け足しますと、どこぞの貴族の御子息だとか、もしくは凄腕の傭兵、暗殺者、他国の密偵、あげく亡霊である、というのも囁かれております。好き勝手言われておりますね」
「・・・・・」
「まぁそれはそれとして」
いいのか。
「王と戦ったそうだな、負けたそうじゃないか」
「・・・・・はい」
「お前はなぜ社交界に関わりたくない、というくせにそんな面倒筆頭と会うのだ。実際のお前はこんなにぴんぴんしているというのに、病弱とまでいって匿ってやり、あげく男装もある程度許可しているというに」
「返す言葉もございません」
「いや、一番問題なのは負けたことだ」
片眉を吊り上げるジムナスにトゥーランドが目を見開く。
「どうだ、王は強かったか」
「旦那さま!」
「はい、私では力不足でした」
「そうか、是非私も一度・・・頼んでみてはくれな」
「旦那さまぁぁ!!!主旨が違います、主旨が!!」
「それでな、続きなのだが」
何事もなかったかのようにルディとだけ目を合わせて話を進めるジムナスに、はぁはぁと息を切らす執事。
「お前は自分の立場もわきまえず問題行動をしすぎた。故に謹慎を命じるつもりー」
ああやっぱり。さすがにやりすぎたわよね。これでも伯爵令嬢なんだもの。謹慎になって当たり前・・・
「だったのだが、招待状が届いてな」
「「は?」」
執事と令嬢の声がかぶる。
「差出人はレーナルト・シュナンベルム王。二週間後に王城で舞踏会を開くから、お前に参加しろ、と」
「断ってください」
ルディは即答する。あまりの素早さに一瞬ジムナスも言葉に詰まり、まじまじとルディを見据える。彼の娘の眉間には深い皺がより、体からは拒否のオーラが出ている。
そんなにも王が嫌なのか、とジムナスはややレーナルトに同情した。彼にはそういう人に執着する感情が欠如している、とルイザスが言っていたが、どうやらそうではなくなったようであるし。
ルイザスと同じで、ただ一人の娘に対してのみ、のようだが。罪作りな娘だなぁ、とこっそり苦笑した。
「姉さまがいけばよろしいではないですか」
「ジェスティナには既に届いておる。旦那と共に行くそうだ」
「わたくし、社交界デビューしておりませんし」
「これをデビューにしろということだろう」
「流行のドレスなど・・・」
「残念だが、お前大好きの侍女たちが普段からたっぷり用意しているから事欠かない。まぁそろそろ御針子を呼んでいる頃だろうが」
「知り合いもいないので不安です」
「どの口がそれをいうんだ?」
「・・・何か断る理由はないのですか!」
「断れない理由なら列挙してやろう」
「・・・たとえば」
「お前の兄は王の近衛筆頭だぞ」
「だからどうだと?」
「王と近衛達には既にお前が健康体であるとすっかりばれている。それで持って王はお前を招待しているのだぞ。これで断れば責められるのはルイザスだ」
「・・・・」
「さらに言えばだな、彼の方はお前を呼んだと言いふらしているようでな」
「はぁ?!」
「皆が一様にお前は病弱であろう、というのだが、余りの可愛さに匿われていただけである、などと言っておるらしい」
「否定してください!」
「お前が健康体であることは事実だ。王の言葉に一介の家臣がどう逆らえというんだ」
「・・・それは、そうですが」
そこではっとする。
「お父様!私にはエスコートしてくださる方がいらっしゃいません、ですから!」
「まぁルイザスには頼めまいな」
「そうでしょう!」
「しかしそう言えば彼の方がエスコートするといってくるかもしれんぞ?」
「・・・・!!!ま、まさか、主催者がエスコートなど・・・しかも王ですよ?それは勘違いされるのでは」
「そうだな、寵愛されていると思われるだろう。彼の方はおそらくするぞ、言えばだが」
「・・・」
「都合いいことにだな、お前の噂を聞いて既に名のある方から申し出があるのだ」
「一応聞きましょう、どちらの殿方です?」
「現宰相の息子、ハバーニール殿だ」
あら、眩暈が。
ありがとうございました!
拙い文章を読んでくださる皆様に感謝を。