陛下、令嬢に求婚する
レーナルトが満足げな顔で門をくぐったのを、誰一人として止めることはなかった。
まっすぐに闘技場の医務室へ連れて行こうとするその姿に、闘技場の誰もが道を開ける。
お願いだから、見ないでください。
もうこれ以上は赤くならないと思えるほどルディの顔は赤かった。一応今の格好は男だ。周りにどう見えているかを考えたくないし、何より。
(よよよ横抱きっていうかお姫様だっこっていうか、もうやだ、これ!)
社交界デビューもまだ、というか見事にさぼっただけなのだが、のまさしく蕾というに相応しいルディはこの体位に激しく戸惑っていた。しかも女性を守ることを念頭に置いて生きてきたが故に、自分がここまで女性として扱われていることが信じられないくらい恥ずかしい。
そんなルディにちらちらと視線をやりながら、レーナルトはまた顔を蕩けさせた。
―――その美しさからルイザスのように冷徹に見える容貌だが、くるくると変わる表情のなんと愛らしいことか。
どうやって開けたのか、医務室の扉をルディを抱いたまま開け放ったレーナルトは、ぽかんと口を開ける医者に、笑顔のまま「出ていけ」と言い放った。
それこそ剣士顔負けのスピードで医者は素早く立ち上がり、その白衣をはためかせながらびゅんっと効果音がしそうな程のスピードで駆けて行った。
「・・・・・」
あれ、二人きり?
しかも先程と同じような艶のある笑顔だ。先程まで医者が据わっていた椅子に、ゆっくりと下ろされる。どうすればいいのか分からず、おどおどと視線を彷徨わせる。しかもこの空気もなんだか気まずい。
なんとか意を決して顔を上げようとした時だった。
耳に響いた水音に、ルディはその身をこわばらせた。
ちゅっと小さなリップ音を残して、顔の横にあった熱が離れていく。
「・・・」
思考停止。
ぎぎぎ、と音を立てるかのように向けた顔と、楽しくて仕方がない、といった様子の陛下の視線が絡み合う。
無言。ひたすらに無言。
「ルナディア!」
兄の切羽詰まった声とともに、扉が壊れるのではないか、と言わんばかりの勢いで扉が開け放たれ、王の近衛たちが駆け込んでくる。
その瞬間に時間が動き出したかのようにルディは素早く席から立ち上がると、兄めがけて走りだした。
一瞬驚いたように王は目を見開き、思わずルディにその手を伸ばすがあえなく宙を掻いただけだった。
ルディは勢いのままに兄の服の裾を掴むと素早く兄の背後にまわって、その身を隠すかのように縮こませた。彼女のその姿に、ルイザスはぎょっとし、そしてルイザスとルディの関係を知らない、それどころか男だと思っている近衛達は、それこそ目をひんむいた。
あのルイザスになんてことを!と顔を真っ青にしたが、全員が顔を真っ赤にしてルイザスの背に隠れる彼に、手を出しあぐねている。いや実際は彼女なのだが。
助けなければと思うのだが、なんというか、愛らしすぎて手を出せない。しかも出したら殺される気がする。誰に、とは言えないが、近衛達の本能は確かにそう告げていた。
「ルディ!どうした?!」
ルイザスには既に冷静さなどなかった。彼女の愛称を呼び、その顔を真っ青にした。
おお、あの顔色って何?といわんばかりのルイザスの顔が青くなっているぞ。と、どこか他人事のように考える近衛達。もう現実を見たくない、と誰もが心から思っていた。
ルディはそれこそもうルイザス以上に混乱していた。顔を赤くしたり青くしたりしながら兄の顔を潤んだ瞳で見上げた。
「み、みみみ、耳が・・・!もうお嫁にいけな・・・!!」
「「僕(俺)がいるから心配はいらない」」
同時に放たれた言葉に固まったのはルディだけでなく近衛もだった。一斉に全員が固まったが、当の本人たちはそれに全く気付かずに火花を散らしあっている。
背後に虎と竜を背負った二人は、その視線だけで威嚇し合っている。そのまま食いつかんばかりに格闘を広げる虎と竜の姿が、ここにいる全員には見えているようであった。
なんとなくルディはそろそろと兄からも離れ、さっと近くの近衛の後ろに移動したが、怒りのあまりルイザスは気付いていないようだ。
「王・・・貴方、わたしのルディになんてことを・・・!!」
他を圧倒するオーラを放ちながらそのまま腰の剣に手をやろうとしたルイザスを、仲間の近衛が羽交い絞めにして止めた。
「ルイザス!落ち着きなさい!不敬罪どころか反逆罪に問われます!」
「知るか!こいつは、この馬鹿は・・・!!私のルナディアに・・・!!!!」
ここにいる全員を殺さんと言わんばかりのルイザスの剣幕に、近衛達は一様にまた顔を青くした。もう彼らに血が残っているのか不思議だ。
とにかくルイザスは息を荒くしながら主君に対して怒りのオーラを迸らせている。この時点で反逆罪と問われてもおかしくない。
しかし勿論レーナルトの方にもそんなつもりはないらしく、ただ気に食わないと言わんばかりにルイザスを見つめて鼻を鳴らした。
「誰が、お前のルディだ」
「ルディは私の妹だぞ!」
しーん。
「・・・すまん、ルディ、ばらした」
完全にね。
「に、兄さま・・・」
私の努力。確かに途中から無効だったけれど。兄さまと途中から呼んだこととか。王に女だとばれていたこととか。
「ええ?!妹君?!!確か、体が弱くて社交界にも出られないんじゃ・・・」
驚きの声を上げた近衛達に、ルディは居た堪れなくなって更に体を縮こませる。
「さっきの試合を見る限り、病弱どころか丈夫そうだな」
楽しげに言ってのける王の顔など見たくもない、とルディは気まずさも相まって顔を背けた。
「しかしルディ、なぜそんな男の後ろに隠れている」
許さない、と言わんばかりにその瞳を細めるレーナルトに、ルディはぶんぶんと首を振った。彼女以上に青くなったのは彼女が盾にしている近衛で、二人の鋭い視線を真正面から受けて諸手を挙げた。
そんな事は気にせず、優雅に、そして素早く歩いてきたレーナルトはルディの手を取ると跪いた。
一国の王が、一人の少女にだ。
絶句した臣下たちがその行動を止める間もなく、レーナルトがじっとルディの目を見つめ、そして口を開いた。
「ルナディア、僕の妻になってくれ」
羽交い絞めにされて何事かを叫んでいたルイザスまでもが息を呑んだ。近衛達は、もう開いた口が塞がらない様子で、彼らの顎と血圧が心配である。
そしてルイザスが叫び声を上げようと口を大きく開いた―――
「きさまっ・・・!!」
思いつく限りの罵倒を主君に浴びせようとしたのだが。
「絶対にお断りします。いやです」
それよりも先に彼の妹が真顔で王の顔を見つめ、彼の求婚を一刀両断しー
逃げた。
これにて闘技場編は終了です。ありがとうございました。