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第7話 生命の灯火

 五時限目は俺が大嫌いな数学だ…


「…でありますので、この式については…」


 よくわかんねー数字とか並べやがって…なんでこんなに難しい公式をわざわざ覚えなければならないんだ?正直、計算機やパソコンの世の中だし、今頃こんな公式を覚えなくても自動計算でいいじゃないか。くそーつまんねーし…早くおわんねーかな…


 俺はその後、数学の授業などまったく聞かないで別の事ばかり考えていた。


 ガタン!絵理沙の席の方から音が?ふと我に返って横を見ると絵理沙が何やら教壇の方を指さしながら口をぱくぱくさせてるな…ん…前?見ろ?…俺は慌てて前を見た。


「姫宮さん!聞こえてますか?」


 うわ!どうやら先生はずっと俺を呼んでいたようだ。

 クラス中の視線も俺に集まっているぞ!やばい!俺は慌てて席を立った。


「は、はい!すみません」


 横を見ると絵理沙は呆れた表情で俺を見ている…


「姫宮さん?もっと集中して話しを聞いてください!」


「はい…すみませんでした」


 やばいやばい…絵理沙が教えてくれなかったら怒鳴られてた所だった…

 今は綾香なのにそんな事してたらダメだろ…今度は注意しよう…


「では、姫宮さん、周辺の長さが二十センチの長方形があります。縦の長さをxセンチとしたとき、長方形の面積をy平方センチとします。yを求める二次関数は?」


 な…なんだその呪文は…俺は魔法使いじゃないぞ…

 えっと…y=わかりません…違う…y=やんぐあすぱら…違う…

 俺が頭を悩ませていると絵理沙がノートを机の陰から見せてきているのに気がついた。

 え?何…ノートの端っこに《y=-x二乗+10x(0<x<10)》と書いてある…

 それを言えばいいって事なのか?多分そうだな…よし…


「えっと…y=-x二乗+10x(0<x<10)です…」


「はいそうですね、姫宮さん正解です。座ってください。皆さんそれを……」


 助かった…意味はわからなかったけど正解だったようだ…

 再び絵理沙の方を見た。すると今度は別の事が紙に書いてあるぞ?

 《何?何やってるのよ!馬鹿じゃないの!》

 うわ…そんな事をわざわざ書かなくてもいいじゃないか…ん?続きがあるな…

 《そんな馬鹿な君に伝えたい事があります。今日の放課後に第二校舎の三階書庫で待ってるから!絶対に来てね!》

 第二校舎…だと?俺は第二校舎自体にそうそう行く事がないからな…

 ええと…三階に書庫…あったような気もするな…

 しかし何の話だ…特別実験室じゃダメな話なのか?まあ…行けばわかるか…



 ☆★☆★☆★☆★☆



 そして放課後


 絵理沙は何時ものように手早く鞄を持つと教室を出て行った。

 相変わらず教室を出てゆくのはクラスでトップだ…

 クラスメイトに軽い挨拶をする程度で会話などまったくない…


 絵理沙は先に第二校舎に行って待ってるのか?

 仕方ない…俺も行くか…俺が席を立とうとした時、佳奈ちゃんが目の前に走って来た。


「綾香!」


 佳奈ちゃんは相変わらず元気いっぱいだな。


「ねえ!今日一緒に帰らない?」


 あちゃ…今日は絵理沙と約束してるからなぁ…どうしよう…

 折角誘ってくれてるのになぁ…でも今日は…また今度ねって言おうかな…

 俺が悩んでいると、教室の後ろから佳奈を呼ぶ声かした。


「佳奈!何してるの?今日は先生に呼ばれてるんじゃなかったの?佳奈は体育対抗祭の実行委員になったんでしょ?」


 この声は真理子ちゃんだ。

 真理子ちゃんの声を聞いて佳奈ちゃんははっとした表情になった。


「あ!そうだった!忘れてた!真理子ありがとー!ごめーん…綾香…また今度ね」


 そう言うと佳奈ちゃんは自分の席の戻ってノートを持つと慌てて教室を出て行った。

 そうか…そろそろ体育対抗祭の季節か…それにしても佳奈ちゃんが実行委員とか…信じられないな…そんなの興味なさそうなのに…


「まったくね…佳奈はすぐ忘れるんだもん…困っちゃうよね、綾香」


 気がつくと真理子ちゃんが俺の横に立っていた。


「あ、そうだねー困っちゃうよね…はは…で、でも、佳奈ちゃんって体育対抗祭の実行委員になったんだ?すごいね…そういうのやりそうに見えないのに」


「え?そんなの佳奈が進んでやるはずないじゃないの…担任の先生にやらされてるのよ…あの子って何もやらないから、それで担任の先生が佳奈を体育対抗祭の実行委員に推薦したのよ」


「ああ…そうなんだ」


 そう言えば…綾香って何か委員とかしてるのか?別に綾香も何もしてない気もするんだけどな…言われた事もないし、いいだろ…

 だがよかった…体育対抗祭の委員だなんて、面倒な事を俺に頼まれなくて…


「さて…私も体育対抗祭の事で生徒会に用事があるし、今度落ち着いて時間が出来たらみんなで一緒に帰ろうね!綾香」


「あ、うん…またね」


 真理子は笑顔で手を振ると、教室を出て行った。

 ………さて…俺は第二校舎に行こうか…



 ☆★☆★☆★☆★☆



 俺は新校舎から第二校舎へと繋がっている渡り廊下を歩いて寂れた第二校舎に入った。

 この校舎は古く、殆どの部屋が既に使われていない。この校舎で使われているのは一階にある会議室と二階にある音楽室と視聴覚室程度だろうか。

 そう言えば二階の空き部屋を文化部の一部が使っているか…

 三階にある部屋はすべてが倉庫にしか使われてないはずだ…

 俺は二階から三階へとあがる。二階には多少だが生徒もいた、しかし三階には人影はまったく見えない…

 昼間でも不気味なのに夜にこの校舎に入ったらどれほど恐ろしいだろう…

 しかし絵理沙は何故こんな場所に俺を呼ぶんだ…


 三階の突き当たりの一つ前の部屋のガラス戸に書庫と書いてある張り紙を見つけた。

 すっごく怪しい部屋だ…何ていうか…入口のガラス戸が真っ暗だ…という事は中はカーテンが閉まっているか、または物がいっぱいで光が差してないという事だな…

 俺はこういう場所はあまり好きではない…だ…だが…仕方ない…入ろう…

 俺はゆっくりとガラス戸をあけた…


「お、おじゃましまーす…」


 …俺は何を言ってるんだ…ここは家じゃないだろう…誰も返事する訳ない…


「どうぞー」


 え…ちょっと!?………誰だ!?って…これは絵理沙の声だよな…でもどうぞーって…お前の家かここは…


「おーい!絵理沙?何処だ?」


 部屋の中に入った俺はガラス戸を閉めた。すると部屋の中は予想した通りにほとんど真っ暗になってしまった。ガラス戸から入る僅かな光だけが部屋の中を照らす。

 俺は周囲をよく見渡してみたが、殆ど何も見えない状態だ。


「綾香ちゃん、入口から真っ直ぐ行った所の左手に掃除道具入れがあるから、そこの扉をあけてね」


 え?また声が?絵理沙は何処にいるんだ!?声はするが人影が見えないぞ…

 だが言われる通りに進むしかない…真っ直ぐに行った左に…これか…

 薄暗い中に僅かにだがスチール製の掃除道具入れが確認出来る。

 俺は言われた通りに古びた掃除道具入れを開いた。

 その瞬間…一瞬光に包まれたかと思うと俺は何処かの家の玄関にいる…

 何だ!?玄関だと!?どうなってるんだ!

 俺が玄関で混乱していると奥からジャージ姿というラフな格好をした絵理沙が出て来た。


「やっと来た!待ってたよ」


「お、おい!やっと来たって!?絵理沙!ここは何処だ!?それにもう着替えてるのか?早いな…それもジャージとか…」


「え?何処ってここは私の家だよ?それに着替えなんて一瞬で終わるじゃん。ジャージは楽だよ?」


 絵理沙は笑顔で答えた。


「い、いや…確か書庫の掃除道具入れだったはずだ…掃除道具入れの中に玄関があるとかありえないだろ!?それに何でお前の家に俺が来ないと行けないんだよ!」


 絵理沙は俺が動揺している姿を楽しそうに見ている。


「あはは…とりあえず上がってよ、ちゃんと説明はするから」


 俺はおどおどしながら靴を脱いで家の中へと入って行った。

 よく見れば普通のマンションっぽい…3LDKくらい広さがありそうだ…

 この広さからするとここに絵理沙が一人で暮らしている訳じゃないだろ…

 という事は…野木と一緒なのか!?兄弟だから問題ないのか!?俺は兄弟であっても野木と一緒には生活したくはない!


「どうぞ、そこのソファーに座って」


 リビングには立派なソファーが置いてある。ゆうに5人くらいは座れるだろう…

 あとでっかい液晶テレビに高そうなテーブル…なんて贅沢な暮らしだ…

 俺は部屋を見渡しながらソファーにゆっくりと座った。

 ふわ…なんだこの感触は…これが高級ソファーってやつなのか!?

 なんて座り心地の良いソファーなんだ…うらやましい…

 ってそうじゃない!別にお宅拝見じゃないんだ…


「で…絵理沙、さっきの事の説明と何故ここに俺を呼んだのかの説明をしてくれ」


「あーちょっと待ってね…」


 絵理沙はキッチンに行くと用意してあったのだろうか、ホットコーヒーとクッキーを俺の前のテーブルに置いた。

 絵理沙、俺がコーヒーが好きなのを良く知ってるな…いや、たまたまか…


 そして絵理沙は自分のマグカップを持ったままで俺の右横に座った。


「おい、ちょっと待て…なぜ俺の横に座る…」


 絵理沙が満面の笑みで俺を見た…やめろその笑顔は…


「ええとね…横に座るのは意味はないよ?座りたかったから座っただけだよ?あーコーヒー飲んでね!クッキーもおいしいよ!」


「でも…ちょっと近すぎないか?」


「え?そうかな?いいじゃないの、別に女の子同士なんだしさ」


 確かに見た目は女の子だが…俺の中身が女じゃねーーー!


「おい!俺は男だ!」


「でも今は女の子だよ」


 ああ言えばこう言われる…くそ…ダメだ…言い合いするのも疲れる…取りあえずは先に説明を聞こう…


「わかった…もういい…説明をしてくれ…」


「あはは…はいはい、えっとね…まず、あの掃除道具入れからここのマンションに魔法で繋がってるの」


「おい…何で掃除道具入れからなんだよ…」


「うーん…それは多分…あそこが一番人目に付きづらいから?」


 確かに…あの真っ暗な書庫に入って、わざわざ掃除道具入れを開けるやつは居ないよな…


「前にさ、綾香ちゃんの家の窓から私とあいつが出て行った事あるでしょ?」


 あった…あのどこでも○アみたいなのかと思ったあれだ…


「ああいう感じで、あそこの扉を開けるとここに転送される仕組みなんだよ」


 ほう…俺は魔法使いだと知っているから信用するが、普通ならこんな非現実的な話なんて絶対に信じないよな…しかし…あそこを開けるとここにくると言う事は、誰かが間違って開けるとここに来てしまうという事なのか!?もし、あそこを間違って他の生徒とかが開けたらどうなるんだ?


「あのね、万が一掃除道具入れを他人が開けたとしても、通れる人を限定してあるから大丈夫なの」


 なるほど…って俺が心に思ってた事を読んだのか!?あれ…


「ちなみに、綾香ちゃんはちゃんと通れるようにしてあるから…何時でもこれるよ」


「いや…別に用事はないし…」


「用事なくても何時でも来ていいんだよ?」


 待て…本当にウェルカム状態なのかよ!でも野木と一緒に住んでるんだろ?万が一でも野木が居たら俺は…やっぱり絶対に来ない!


「いや、用事があっても来たくない!」


「ああ、あいつがいるから?大丈夫よ、ここに戻ってくるのは寝るときだけだし」


 ん…また俺の考えてる事に対する答え…なんかさっきから心を読まれてないか?これ?


「絵理沙、さっきから俺の心を読んでたりしてないか?」


「え?私は今は魔法を使えないんだよ?だから人の心を読めるはずないじゃないの。というかね、人の心を読める魔法使いってすごい訳、だから私は魔法が使えたとしても人の心は読めないの。もし私に人の心が読めたら、保健室で綾香ちゃんが思っていた事を先読み出来てたはずでしょ?」


「確かに…でも野木は…何度も俺の心を読んでるぞ…」


「だってあいつだけは…人の心を読めるから…」


 何だと?野木だけが人の心を読めるのか…そんなにすごいのかあいつ?


「えっと、話を戻すけど、ここに入れるのは私と…綾香ちゃんとあいつだけなの」


「あいつってやっぱり野木だよな?」


「そうだよ…」


 何だろうか…絵理沙は野木の話になるとすごく不機嫌になる…

 兄弟でも不仲なのか?でもそうは見えないんだけどな…


「わかった…で?ここに呼んだ訳は?」


 絵理沙は立ち上がるとテレビボードの引き出しの中から透明な水晶玉を取り出した。

 水晶玉って…占いでもしてくれるのであろうか…


「占いじゃないわよ…」


 う…心を読まなくてもここまで俺の考えを読まれていると…恐ろしい…


「で…その水晶玉で何をするんだ…」


「何をするって事はないよ、これを持っていたほうが説明しやすいから出しただけよ」


 絵理沙は水晶玉をテーブルの上に置くと再び俺の右横に座った。

 それも前よりも近い所に…わざわざ俺の近くに座る必要はないだろう…

 俺はあまりの近さに思わず左へと移動した。移動した俺を見た絵理沙が不満そうな表情を浮かべている…


「綾香ちゃん、何で逃げるのよ…」


「俺は逃げてない…ちょっと狭かったから移動しただけだ…」


 おい…何で俺が言い訳しないといけないんだ!


「そ、それはいいだろ?早く説明してくれよ…」


「…はいはい!わかったわよ、説明するね!」


 何故に口調まで強くなるんだ…俺は何も悪い事なんかしていないだろう…


「ええと…実はこの水晶の中、中央付近に僅かに灯火が見えるのわかる?」


 俺はよーく水晶玉を覗き込んだ…なるほど…中心にすごく小さくいが、蝋燭の火のようなものがあるのが見える…


「あの小さいオレンジ色の蝋燭の火みたいなのか?」


「そう、あれよ…このオレンジ色の火が…」


 ふと絵理沙の顔を見た、すると絵理沙の表情はいつの間にか真剣な表情になっている。


「生命の灯火よ…」


「え?生命!?って命?そのままか…で?これってまさか?妹の綾香のか!?」


 俺はここに絵理沙が呼んだ理由はきっとこの灯火を見せる為で、それは綾香の灯火で、綾香が生きてる事を俺に伝える為なんだろうと予測した。


「え?ええ、そうよ…」


 その予想は見事に的中したらしい。絵理沙は少し不満げだ…


「と…いう事は?綾香は生きてる!?そういう事か!?」


「そ、そうだけど、待ってよ!まずはこの魔法の仕組みから説明させてよ!まったく…順番というものを考えてよね…」


「え…順番って…いや…はい…」


 俺は正直そんなのどうでもいいんだけど…


「これは…あいつの魔法で、この水晶玉に生命力を調べたいその対象となる人物の一部を入れればその人物の生命力と状態を判断するというものなの。但し、効果は限定的で、調べられる期間は約30日程度。おまけであまりにも水晶から対象となる人物の距離が離れているとダメなの。ちなみにここは埼玉県だからほぼ日本の中心よね、だからここからだと一応日本国内程度なら調べられるわけ」


 うーん…あいつって野木だろ…野木の魔法で…この水晶玉に綾香の一部…って!?


「待て!綾香の一部ってなんだよ…どこでそんなもん?」


「え?前に綾香ちゃんの部屋に遊びに行った時だよ、あいつがいっぱい部屋にあった髪の毛を取ってきてたよ。綾香ちゃん(悟君)のも混じってたけど、それはたぶんあいつが今も大事に持ってると思うよ」


 げ…何だそれ…やっぱり野木は変人だ…しかし、綾香の髪の毛が欲しいのなら俺に言えばいいのに何故言わないんだ…


「綾香ちゃん、何であの時に俺に言わなかったんだ?とか思ったでしょ…あのね…こっそり取って来たのは…もしも綾香ちゃんの…待って!ややこしいから綾香ちゃん(悟君)は悟君って呼ぶからね、綾香ちゃんっていうのは本物の綾香ちゃんね」


「あ、ああ、わかった」


「もしも水晶玉の話しをして悟君に期待させちゃって、それで水晶玉に綾香ちゃんの生命の灯火が現れなかったら…悟君にどう伝えればいいかわからなくなるでしょ?だから…こっそりもって来ちゃったんだ」


「なるほど…そうか…俺に気を使ってくれてたんだ…」


「あいつは変人だけど…でも…一応…だし」


 ん?何か言ったけど何だ?聞こえなかったぞ?


「え?野木が何だって?よく聞こえなかった…」


「え、いや、気にしない方がいいと思うよ。ええと…でね、何でだろう…あいつが直接悟君に言えばいいのに、何でか知らないけど私から説明してほしいって」


「なるほど…だから自宅なのか?」


「そうね…それもあるけど、この水晶玉は学校に持っていけないから、だからここに来てもらったの」


「なるほどな…」


「それで、悟君の言う通りだよ…綾香ちゃんは生きているのよ…」


 絵理沙がすごく優しい表情で俺に言った…


「綾香が…生きてる…」


 何だろう…絵理沙に綾香が生きてるよって言われた今になってようやく実感が沸いてきた…

 そうなんだ…俺は正直ほぼ諦めてたんだ…

 でも綾香は生きている…生きてるんだ…よかった…本当によかった…

 何だ?走馬燈のように妹の事が頭に浮かぶ…いろんな思い出が、綾香の笑顔が思い浮かぶ…ああ…綾香に逢いたいな…


「絵理沙…すまん…嬉しいのに…何でだろう…涙が…くそ…」


 何分ほど経ったのだろう…ふと気がつくと俺は声を出して泣いていたみたいだった…

 柔らかい感触が俺の顔に…あれ?よく見れば絵理沙が…俺を抱きしめてくれている…

 え!?何時の間に!?どうなってるんだ!


「悟君…よかったね…でもね…それは…」


「え…それは…?」


 俺は涙を拭うと顔を上げて絵理沙の顔を見た。


「綾香ちゃんが戻って来る可能性もあるって事なのよね…」


 そうだ…綾香がどこかで生きてという事は、この世の中には綾香が二人存在しているんだ…という事は…ここに綾香が戻ってきたら…偽物の俺は…

 どうすれば良いんだ…戻ってきて欲しいけど…急に戻って来ても困る…


「でもね…悟君…このオレンジの灯火でわかるんだけど、今の綾香ちゃんは日本でもかなり遠い場所に存在していて、そして…」


 絵理沙は俺をぎゅっと抱きしめた…


 おい!絵理沙!俺をぎゅっと抱きしめるのはやめろ!何かこの柔らかい感触ががが!

 何時だ!いつ絵理沙は俺を抱きしめたんだ…綾香の体ってちっちゃいからすごくすっぽりはまってるし!


「お、おい!絵理沙!そう言えば何時から俺を抱いているんだよ!」


「だって…悟君の泣き顔があまりにも可愛すぎて…声を出して泣いた時に…」


「え、絵理沙、もう…いいから…本当!大丈夫!だから離してくれ」


 俺は絵理沙に抱きしめられているのが恥ずかしくなって絵理沙から離れた…


「あはは…また泣きたくなったら言ってね。私の胸で泣かせてあ・げ・る」


「ちょ、ちょっと待て!もうないない!今後はそんな事は無いから大丈夫!」


 何だかすっごく動揺してしまった…恐ろしい…

 正気の時にそんな事されたら俺の精神が崩壊する…今の一瞬でも危険だったのに。


 絵理沙は先程の話を続けた。


「綾香ちゃんは…記憶喪失になってるんと思うの…」


「え?記憶喪失?何でそう思うんだ?」


「ええとね…絶対とは言えないけど、通常の精神力を保ってる健全な人の灯火は赤なの、青だと病で黄色だと危険な状態…例えば怪我とかね、オレンジは特殊な状態で精神的に健全とは判断できない状態…あと灯火も激しく揺れていて心が安定してない…たぶん記憶喪失か又はそれに近い精神状態だろうと思う」


 魔法…やっぱり魔法ってすごいな…こんな事までわかるなんて…


「そうか…本当に記憶喪失だから戻ってこないのか…」


「そうね、あの事故からもうすぐ二ヶ月だよね?記憶がちゃんとあれば普通に家まで戻ってくると思うんだよね。あと、前に悟君が言ったよね?救出された人のリストに入ってなかった…記憶があれば後から警察にでも名乗り出られるはずだし、多分事故の瞬間から記憶がないと推測されるわ」


 確かに絵理沙の言う通りだ…記憶があれば住所も電話番号もわかるだろうし…


「でも、記憶喪失であっても、救出されてたら身元を捜すのが普通じゃないか?」


「それもそうね…それじゃあ…何かがあって救出されなかったけど誰かに助けられた?って事になるのかか?でも何にせよ綾香ちゃんは存在しているし、生きているから!悟君!安心して」


「安心か…あ、その水晶…何処に綾香がいるのかまではわからないのか?」


「うん…そこまでは無理なんだ…」


 絵理沙は申し訳なさそうな表情になった…そうか…無理か…


「そうか…でも…ありがとう…絵理沙…本当によかった…今日は最高に良いことが聞けたよ」


「ううん…私は何もしてないよ、あいつが勝手にやってる事の報告だし…あと一つだけ言っておくよ」


「え?なんだ?」


「魔法の水晶玉は…今回だけだから…もうすぐ効果は切れちゃうけど、これってすごい貴重品でそうそうは手に入らないものなんだ…ごめんなさい」


 そんな高価な物を俺の為に…


「いや…十分すぎるよ、俺には綾香が生きていたっていう事実がわかった事がなによりもよかった事だし、知りたかった事だ…ありがとう」


「あいつにも伝えておくわね…悟君がすごく喜んでいたって…」


 何故絵理沙は野木の事をあいつって言うんだろう…野木と一緒の時には兄貴とかお兄ちゃんとか呼んでるんだが…


「そう言えば絵理沙、なんで野木の事をあいつとか言うんだ?」


「ん…別に…あいつだからかな…」


 おい…それは答えになってないぞ!


「そっか…」


 ふう…そう言えば話に夢中で喉がからからだ…そう言えば…さっき絵理沙が入れてくれたコーヒーがあったな。


 俺はさっき絵理沙が入れてくれたコーヒーを一口飲んだ。


「あ、冷めてるでしょ?入れ直すよ?」


 絵理沙はソファーを立とうとしたが俺は引き留めた。


「いや、いいよいいよ、このコーヒーは冷めてもおいしいんだな?」


「そう?それはあいつが…このコーヒーが多分好きだと思うからって…」


「ぶ!な、何だ?野木がか?」


「うん…」


 何だ…野木がなんで俺の好きなコーヒーとか…うわ!ますます気持ち悪い…

 だ、だけど…コーヒーは確かにうまいし…もったいないから飲んでおこう…

 俺は冷めたコーヒーを一気に飲み干した。


「ふう……絵理沙、いつ本当の綾香が戻ってくるかはわからない事は変わらないんだよな?よし、俺は早く魔法力を溜める努力をするよ…」


「もし、綾香ちゃんが戻ってきても…ここに来ていいからね…」


「え!?な?何?」


「だって…行くとこなくなるでしょ?だからここに来てもいいから…大丈夫よ、こうなったのは私の責任…だから私が貴方を守ってあげる…」


 おいおい…ちょっと待て!?ここに一緒に住むという事は…野木も…うわー!考えたたくない…それに絵理沙とも一緒なんだろ?うわー別の意味で危ない!

 責任取ってくれるのはいいんだけど…でも…そういう状況になったら…俺はどうするのかな…い、今は考えるのはやめておこう…


「そ、その時は相談するから」


「うん…相談してね!」


「あと…今すぐには無理だけど…俺が元に戻れる魔法力が溜まったら…妹を…綾香を捜しに行きたい…絶対に見つけたい…」


「うん、その時は私も手伝うからね…綾香ちゃん…見つけようね」


 絵理沙はそう言うと笑顔で俺を見た…なんだこいつ…まるで天使みたいな笑顔しやがって…こう見ると…絵理沙って結構…かわいいじゃないか…

 って…何を意識してるんだ!?俺は目を合わせるのも恥ずかしくなってすぐに正面を向いてしまった。


「どうしたの?悟君?」


「どうもしてない!そ、そろそろ帰る」


「え?もう帰るの?」


 今度はさっきとは一転してすごく寂しそうな表情になったぞ…


「あーあ、残念…私はもうすこし話したかったなぁ」


「う…ごめん…また来るから…」


「うん、わかった…気をつけて戻ってね」


「ああ…」


 俺は玄関まで行くと、靴を履いた。そして玄関の取っ手に手をかけた所である事を想いだした。


「おい…絵理沙、確認しておく忘れたが、ここから出ると何処に繋がってるんだ…」


 そうだ!俺は書庫からここに来たんだ…ここを出たら書庫なのかそれとも他の場所なのか…かなり重要な事だ!


「え?大丈夫よ、書庫に繋いであるから」


 なるほど…じゃあ大丈夫か…ふう…まだ教室に鞄も置いたままだしな…


「あ、そうだ…この前俺の窓から帰ったじゃないか。あれって…まだ繋がってるのか?」


「ああ、あれは一時的だからもう繋がってないよ?」


「そうか…」


 よかった…しかし便利だなこれも…魔法ってすごいな…


「絵理沙、今日は本当にありがとうな!じゃあ、また明日!」


「ううん、それじゃあね!悟君、また明日ね!」


 俺は玄関扉を開いた。その瞬間、ここに飛ばされた時のように一瞬だが光に包まれた。

 そして気がつくと俺は書庫に居た。後ろを振り返るとそこには掃除道具入れが…

 しかし…まさかここから毎日学校に通ってるのか?わかんねーな…聞き忘れた…

 そうだとしたら教室まで三分で行けるぞ!?いいな…


 しかし、野木の馬鹿もすこしはいいとこあるんだな…綾香の消息を捜してくれてたなんて…本当に最近は良い事が結構いっぱいだぞ!?綾香も生きてるし、俺は一年で元に戻れるし、茜ちゃんは俺の事を好きだって言ってくれてるし、真理子ちゃんも佳奈ちゃんもいい友達だしな…俺はそんな事を考えながら何の躊躇もなく廊下へと出た。


 ドン!書庫を出た瞬間に右から来た何かが俺にぶつかってきた!

 俺はいきなりの事もあって、受け身も出来ずに勢いよく廊下に転がった。


「痛い…」


 俺はすぐにぶつかって来た奴を見た…その瞬間に固まった…


「ひ、姫宮綾香!?何でここにいるんだ!?」


 俺にぶつかってきたのは大二郎だった…


「だ、大二郎!?じゃなくって…清水先輩!?」


 ん?何だ?どうした?よく見れば大二郎の顔が赤いぞ…何か怪しい…

 俺は大二郎の視線を追って見た…そこは…お、俺のスカート…な!うわ!捲れてるじゃないか!という事は俺の…

 大二郎め!何を見てるんだ!俺は捲れたスカートを慌てて直した。


「ば!馬鹿!大二郎のえっち!見るな!」


 あれ、自分の顔が熱い…まさか赤面してる!?

 な、何で俺がスカートの中を見られて赤面して、それも大二郎にえっちとか言ってるんだ!?これじゃ女みたいじゃないか!

 やばい…女を演じた期間が長すぎてちょっと思考が女になってきているかもしれない…

 ダメだぞ!悟!男を維持して女っぽくだ…


「み、見てない!俺は何も見てないぞ!」


 大二郎の顔も真っ赤だぞ…絶対に見ただろ!!よーし…


「せ、先輩…私の…今日の下着の色って似合ってる?」


 言葉の罠を仕掛けてみてやる!どうだ!!


「お、おお…俺は…白は清潔感もあって似合って…うわ!ああ!しまった!」


 引っかかった!大二郎…やっぱ見てたじゃないか…

 というか何だ?こいつすっごく面白いな…すごい単純すぎるし。

 こういう奴はころっと悪い女に騙されるんだろうな…かわいそうになぁ…


 って!違うだろ!やばい…まただ…俺も男だ…何を大二郎をからかって面白いとか?!

 やばい…これはやばい…落ち着け…よし…まずは立ち上がれ悟よ!


 俺はスカートに付いたほこりをはたいて立ち上がった。


「清水先輩!もう二度と見ないで下さいね!」


「べ、別に故意でやったんじゃ…す、すまん…気をつける」


 確かに故意ではなく事故だな、だから許してやってるんだ。

 それにしても大二郎が素直に謝ってきたぞ?前とは全然違うな…

 しかし大二郎のやつ…ここで何をしてたんだ?


「で?清水先輩はここで何をしてたんですか?」


「あ、俺は…今日は武道館が剣道の試合でつかえねーから…ここで自主トレしてたんだ」


 何だと!あの大二郎が自主トレだと!?


「こ、こんな所で自主トレですか!?」


「ああ、ここは人がいねーしな、少々走っても先公にもばれないしな、丁度いいんだ」


 なるほど…普通はここに先生や生徒がいるなんて無いからな…


「そうなんですか、それじゃ私は行くから…」


「ちょっと待て!姫宮綾香!」


「な、何ですか?私はあまり時間が…」


 俺は家に早く帰りたいんだよ!


「ひ、姫宮綾香、ここで何をしてたんだ?書庫の中から出てくるなんて…」


「別に、何もしてないです!荷物を置きに来ただけです!もういいですか?」


「あ、あと一つだけだ!」


「はい!?何ですか!?」


「お、俺は絶対に…絶対に姫宮綾香に相応しい男になる!練習して10月の大会で優勝出来るようにがんばるからな!言いたいのはそれだけだ!」


 げ!そ、そうだ…大会に優勝したら…俺と…うわああああ!

 ここであれは嘘だって言えばいいのだろうが…

 でも…茜ちゃんが言ったにせよ一応は約束だよな…今更嘘でしたとか…ダメだよな…

 くそ…とりあえずここから逃げよう…


「……………」


 俺は無言で大二郎の横を過ぎて階段の方向へと歩いた。

 背中越しに大二郎の声が聞こえる。


「姫宮綾香!本気だからな!」


 くそ…恥ずかしい………馬鹿大二郎が…

 俺は何故か大二郎が気になって振り返った。

 大二郎は既に一番突き当たりで腕立てを始めている。


 俺は…結構あいつとの付き合いも長い…でも、あいつがこんなに一生懸命に物事に取り組んでる所見た事がない。それほどまでに…綾香が好きなのか?

 いや…あいつが本当に好きなのは妹の綾香じゃない…綾香の格好をしている俺…

 でもすまん…大二郎の期待には添えない…俺は男なんだよ…


 そう考えながら俺は懸命にトレーニングをしている大二郎をしばらく見ていた。

 がんばってる大二郎…真剣な顔をしてるとあいつも結構いい男じゃないか…

 あのままがんばればきっと別の彼女だって出来るだろうに…


「おい!清水大二郎!」


 腕立てをしていた大二郎は俺の声に反応して腕立てをやめた。そしてこちらを見た。


「大会…がんばれよ!」


 そう言った瞬間に俺は急いで階段を下りていった。

 がんばれよ!って言った後…大二郎がすごく笑顔になってたような気もする…

 

 待てよ…つい男として応援するつもりで言ったが…もしかして言わない方がよかったかも知れない?今の俺は綾香なんだよな…考えろ!俺が茜ちゃんにがんばれって言われると…俺は?絶対にがんばる!だよな…やばい…火に油を注いだかもしれん……まさか…優勝はしないだろな!?


 あーあ…綾香が生きてるという良いことがあったばかりで、俺はちょっと気分が良かったのかもしれんな…

 巨大な不発弾を何時爆発するかわからない本当の爆弾にしちゃったかな…


 ふう…俺は深い溜息をつきながら教室へ入った。

 もう既に教室には誰もいない…真理子ちゃんの鞄もない…

 俺は帰り支度をして家へと帰宅した。


 なんか今日は複雑な気持ちだな…



続く

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