第29話 お互いの想い 後編
物語はついにというか、やっと佳境へと突入してゆきます。ヒロイン4人、茜、絵理沙、輝星花、くるみは果たしてどうなるのでしょうか?ここからが恋愛物語の本当のスタートです。(と思って書いてます)
くるみは階段を駆け上がる。
この胸の不安は何だろう?何かがあるの?早くいかなきゃ…
どうしてかはわからない。だけど屋上に向かうにつれてくるみの胸騒ぎは大きくなった。
『はぁはぁ』と息を切らしながらくるみは一気に屋上へ続く踊り場まで駆け上がった。
屋上へ続く踊り場へ到着。そして目の前には鉄製のドア。
くるみは息も荒いままドアノブをゆっくりと廻す。
鍵が開いている。やっぱり人がいる…
『ガタン!』と勢い良く扉を開き、くるみは屋上へ飛び出した。
「はぁはぁはぁ…」
息切れする中、くるみは屋上にいた人物をすぐに確認する。
そこでくるみは衝撃を受ける。
屋上には男性の姿があった。それはくるみのよく知る人物だった。
悟!?なんで悟がいるの!?
見間違うはずも無い。そこに居たのは行方不明のはずの悟だった。
くるみは慌てて声を掛けようとする。
しかし、くるみの目の前で信じられない光景が…
悟が…目の前でまるで魔法にかかったかのように姿を変えたのだ。悟るが綾香に変化したのだ。
嘘…え?何なの今のは?悟が綾香ちゃんになった!?
くるみは目を擦るともう一度見直す。しかし綾香は綾香だ。
さっきのは錯覚?綾香ちゃんが悟に見えただけなの?
「く、くるみ!?」
くるみが我を失っていると綾香の声が耳に入ってきた。それも呼び捨て。
生まれてこの方、綾香ちゃんに呼び捨てになんてされた事は無い。何で呼び捨てなの?
くるみは驚いた表情で綾香を見た。
「あ、綾香ちゃんだよね?」
くるみは思わずそう問う。
すると綾香はしまったという表情を浮かべ、今度は小さい声で「うん」と返事をした。
くるみは綾香をじっと見る。
先ほど起こった事。一瞬だが悟の姿が見えた。そして悟は綾香ちゃんになった。本当に錯覚なのかな?私が見間違ったのかな?
くるみは綾香の周囲には茶色い髪の女子生徒が二人いるのに気がつく。
二人の容姿はそっくりだった。双子かもしれない。ここの生徒かしら?
そうは思ったが、服装をよく見ると片方は制服だが片方が白衣だ。白衣の生徒など考えられない。いくら理科等で実験等をするにしてもここは大学では無いから白衣を着用する事など無い。
白衣?何故ここに白衣の女の子が?
くるみはそんな二人の後ろに隠れるように移動する綾香に気がつく。
何で隠れるの?今日の綾香ちゃん、何かおかしいよ…私の事を避けてるの?
「綾香ちゃん、何で隠れるの?ここで何をしていたの?」
くるみは絵理沙達の後ろに隠れた綾香に向かってそう聞いた。
綾香は少しだけ焦った表情を浮かべ、そして何も答えない。
その代わりに制服の女子生徒が口を開く。
「貴方はだれ?」
そう言って睨みを利かせる女子生徒。
「私は八木崎くるみ」
くるみは冷静にそう答えた。
「八木崎?もしかして生徒会長の?」
「前はそうでした。でも今は生徒会長ではないです」
「ふうん。で、その八木崎先輩がここに何の用事ですか?」
その女子生徒は私にそう質問すると腕を組む。
何だろうこの威圧感は。私をこの場から追い出したいと思ってる?
「ここは立ち入り禁止ですよ。それにそう言う貴方達こそここで何をしていたのですか?」
くるみはその威圧感に負けない様に、綾香の事が気になりつつそう聞いた。
「別に?夕日を見に来ただけです」
女子生徒はそう言うと夕日の方向を見る。
くるみも釣られるように夕日を見た。確かに夕日はここから綺麗に見える。
でも違う…私が廊下の窓からこの三人を見た時、夕日なんて見ていなかった。話をしていた。
そうだ!
「ここに野木先生が居たはずですが、何処へ行ったのですか?」
そう、さっきまで野木先生が居たはず。しかし今は居ない。
そして目の前で白衣を着ているのはどうみても私と同じ位の歳の女子。
あれ?待ってよ…さっき私が見た時に屋上に居たのはは三人だった。この白衣の子は見えなかった。
でも物陰に隠れていて見えていなかった可能性はある。そうなのかもしれない。
だけど先生は居なくなってる。これは絶対だ。
「先生?ああ、もう戻りましたよ」
女子生徒は白衣の女子をちらりと見ると簡単に言い返した。
戻った?それは無い…だって屋上まで来る階段は一箇所だけだ。
私が三人を発見した廊下から渡り廊下を通り、ここまで来るのにそんなに時間だってかかっていない。
やっぱりあり得ないよ。すれ違う事も無かったし、途中で気配も感じなかった。
でももしもこの女子生徒の言う事が本当なら……
「八木崎先輩?納得出来ないような表情ですね」
「私はここに向かう途中で野木先生とはすれ違わなかったわ」
「それは八木崎先輩が気づかなかっただけじゃないですか?」
「それは無いはずよ」
「でもここに野木先生はいません」
確かに野木先生は居ない。ん?あれ?
くるみはさっきからこの女子生徒しか話をしていない事に気がつく。
綾香ちゃんも、その横に立っている白衣の女の子も話に参加しない。何でなの?話したくないから?話せない何かがあるから?
よし、こっちから質問をしてみよう。
「綾香ちゃん」
「え?は、はい…」
「ここで何をしていたのか貴方が答えて。変な事をしていなかったのなら答えられるよね」
「え?…だ、だから夕日を…」
「夕日を?」
「この三人で夕日を見てた…」
何て解り易いんだろう。綾香ちゃんは動揺している。そう、きっと嘘をついている。
あと、引っかかる事が一つ出来た。今、綾香ちゃんは三人で見ていたと言った。
野木先生はここから立ち去ったとあの女子生徒は言った。だから今はいないとしても、今、現時点でここに三人いる。
おかしい…綾香ちゃんが純粋に動揺して人数を間違っただけ?
そうだ、今度はさっきの事を聞いてみよう。私の錯覚かもしれない。だけど悟が綾香ちゃんになった様に見えた。今の綾香ちゃんになら聞けば何かわかるかもしれない。
「ねえ、綾香ちゃん」
「な、何?」
「綾香ちゃん、さっきあなた…悟の姿だったよね」
私がそう言った瞬間、綾香ちゃんの表情が固まった。
横にいた女子生徒と白衣の女の子は綾香ちゃんの反応を確認すると私の方をじっと見る。
「八木崎先輩。何を言ってるんですか?」
女子生徒はそう言うと私にぶつかりそうな程に接近する。
それは注意を自分にひかせようとしているようにも感じた。そしてすごい威圧感。
「あ、だから…」
思わず言葉に詰まる。私はあまりの威圧感に飲まれそうになった。
「悟って、綾香のお兄さんの事ですよね?確か行方不明の?その人がどうしたんですか?綾香ちゃんが悟先輩だった?姿が変わったとでも言うのですか?八木崎先輩、頭は大丈夫ですか?」
女子生徒はそう言うとくるみを睨んだ。
「え、えっと…」
言い返せない…
そして知らない間にその女子生徒にぐっと腕を握られている!?
「綾香ちゃん、確か用事があったんじゃないの?そろそろ行かなくてもいいの?」
その女子生徒は綾香に向かってそう言った。
すると綾香は「そうだった」と言い残しですごい勢いで屋上から出て行った。
くるみは咄嗟に綾香を追いかけようとした。しかしその女子生徒に手首をぐっと持たれている。
もしかして最初から私の腕を掴むつもりで寄ったの!?
「ちょっと、離してよ!」
くるみは振り返りその女子生徒に向かって怒鳴った。しかしその生徒は腕を離そうとしない。
そして白衣の女子がくるみの体に触れる。
「申し訳ないね」
何処かで聞いた事のある、独特の口調。しかしそんな事を考える余裕も無く、次の瞬間にくるみの体を激痛が襲った。
「な、何するの…くぁぁぎぁ」
くるみの体にビリリっと電気でも流れたかのような痛みが走る。
そしてくるみは意識を失った。
☆★☆★☆★☆★
くるみは目を覚ました。すると白い天井が真っ先に目に入ってくる。
ここは何処?
くるみは慌てて周囲を見渡す。水色のカーテンに覆われたベットの上?
もしかして保健室?
消毒液の匂いが漂う。ここは保健室だとすぐにわかった。
私は確か屋上に向かって…あれ?屋上にいたんだっけ?途中だったんだっけ?
確か、屋上にいる綾香ちゃんと女子生徒に注意をしようかと思って向かっていた…
あれ?思い出せない……どうしてたっけ?屋上に向かう途中からの記憶が無い。
でも屋上にいたような気もする。なんだろう、頭の中がもやっとしてる…
じゃあ何で私は保健室にいるんだろう?
「あら?八木崎さん、気がついたのね?」
保険の桶川先生がくるみに声をかけた。
「あ、あの?先生」
「何?」
「何で私はここに寝ていたのですか?」
くるみがそう言うと桶川先生は苦笑を浮かべて答える。
「貴方は屋上に向かう階段で倒れていたの。それを野木先生が運んでくれたのよ?」
「私が階段で倒れてた?それを野木先生が?」
「そうよ?何か野木先生がガタンって倒れるような音を聞いて、そこに行ったら貴方が倒れていたんだって」
私が階段で倒れた?
確かに私は屋上に向かった…でも途中で倒れた記憶なんて無い。
だいたい倒れたのにどこも痛くなんてない。
「どうしたの?」
桶川先生が心配そうに私に声をかけてくる。
「どこも痛くないんです。私は階段で倒れたんですよね?」
「ああ、正確には階段の踊り場ね。倒れた場所が良かったのね。だから何の痛みも無いんじゃないかな?」
桶川先生はそう言うとニコリと微笑んだ。
「え?そ、そうなんですか?」
「どうしたの?何か悩みでもあるの?」
私が考え込んでいるからなのか、桶川先生は今度は心配そうな顔でそう声とかけてきた。
「いえ、大丈夫です」
そう言ってベットから立ち上がった。
「本当に大丈夫なの?」
「はい」
私は再び保健室を見渡す。すると私の鞄が先生の机に置いてある。
「ああ、それ、八木崎さんのだよね」
桶川先生はそう言うと鞄を私に手渡してくれた。
あれ?私は…留学の手続きをしてから教室に戻っていないはず。
何でここに私の鞄があるの?
くるみは懸命に考えるが、やはり屋上に向かってから途中の記憶が無い。
もしかして、屋上に向かう前に一旦教室まで戻ったのかな?
そう考えてはみたが、何か納得がゆかない。だが、こんな所で考えていても仕方がない。
「あ、それじゃ私…家に帰ります」
「そっか、うん、じゃあ気をつけて帰るのよ?」
「はい、ご迷惑をかけてどうもすみませんでした」
くるみは桶川先生に一礼すると保健室を出て行った。
廊下を歩きながらくるみは考える。
やはりおかしい…何かがあったはずなのに思い出せないなんて…
☆★☆★☆★☆★
野木へと変身した輝星花は、保健室へくるみを抱えて行った後、屋上へ戻っていた。
「あんな事をしては本当はダメなんだ」
野木は絵理沙の顔を見ながら険しい表情でそう言う。
「仕方ないでしょ?どう考えても見られていたんだから」
絵理沙はそう言うと不機嫌そうな顔になる。
「でも記憶の操作はやってはいけない事だ」
「でもそうしようって思念を送ったのはお姉ちゃんでしょ!それに終わった事に今更ダメだったとか言わないでよ!」
輝星花は先ほどくるみが屋上に上がって来た時、悟が綾香に変身、いや、戻る所をくるみに見られたのだ。
そして野木は本当はやってはダメな事なのだが、くるみを気絶させ、そして記憶を操作したのだ。
「うっ」
野木は突然苦しそうな表情を浮かべるとガクンと片膝をついた。
それを見た絵理沙は慌てた表情で野木に駆け寄る。
「お、お姉ちゃん?大丈夫?どうしたの?」
「ぐぐ…」
野木は右手を額にあて、その額には脂汗を滲ませ「ふぅふぅ」と苦しそうに深呼吸をしている。
顔は蒼白に変化しており、見るからに具合が悪いと言わんがばかりだ。
「顔色も悪いよ」
絵理沙がそう言うと同時に野木の体から白い煙のようなものが出て来た。
そして輝星花の格好へと戻る。
「ま、魔力がね…ちょっと…使いすぎてしまった…よ」
輝星花はそう言うとゆっくりと立ち上がった。
「え?魔力?」
絵理沙は輝星花の苦しそうな顔を見ながら考える。
姉である輝星花の魔力の量の基準になる最大精神力はすさまじいはず。
簡単に言うと、器が大きいのだ。そんな大きな魔力の器を持った輝星花は今までは余程の事でも無い限りは魔力を使い切るなんてありえなかった。
それなのに今日の輝星花は…
絵理沙は思い出す。そういえばついこの前にもこんな事があった!
その時は薬を飲んで何とかしたんだ。
絵理沙はそっと輝星花の体を流れる魔力を感じとってみた。
確かに魔力の流れをほとんど感じない…
絵理沙はハッとする。そして輝星花のおでこに誤魔化すような台詞を吐きながら近づけた。
「もしかして熱でもあるのかな?」
「まさか…それは無いよ」
「ううん、一応みてみる」
輝星花の額に絵理沙の額が触れた。
その瞬間、絵理沙の表情が焦りの表情に変化する。輝星花はその表情を見逃していなかった。
「絵理沙?どうしたんだい?」
「う、ううん…熱は無いみたいね」
「いや、そうじゃない。今の表情だ。何かあったのか?それとも僕に何かあるのか?」
「え?いや、何もないよ…」
輝星花もある事に気がついた。今日に入ってからの事だ。
そういえばおかしい。絵理沙はともあれ、人間である悟君の考えも、八木崎さんの考えも読めなかった。
もしかすると僕は人の心が読めなくなっている!?
僕は魔力だけでは無く、魔法の能力の一部までもが失われてきているのか!?
「お姉ちゃん?どうしたの?」
絵理沙は心配そうに輝星花を見る。
「いや、ちょっと疲れすぎたのかな?でも大丈夫だ」
今はそんな事は考えるべきじゃない。とりあえず魔力をどうにかしよう。
輝星花は白衣から透明な小瓶を取り出し、その中から錠剤を何錠が出すとそれをぐっと飲み込んだ。すると輝星花の体から出ていた白い湯気のようなものは消え、格好も何時の間にか野木の姿に戻った。
「本当に大丈夫なの?」
絵理沙が心配そうな表情でそう言うと、野木の格好へ戻った輝星花は「大丈夫だよ」と返した。
そして「特別実験室へ戻るよ」と言って屋上を後にした。
一人、屋上に残った絵理沙は深刻な表情になる。
実は先ほど輝星花の額に自分の額を当てた時、それはまだ薄っすらではあったが、確実に人の心を感じたのだ。
前にも一瞬だが、輝星花に人の心を感じた。
でも今回は確実に人間の心として感じたのだ。
信じられない……私達は双子なのよ?魔法使いなのよ?魔法使いなのに人の心が?
じゃあ何?輝星花は本当は人間なの?じゃあ私も人間なの?
ありえない…そんな事はありえない…
絶対にダメだ。絶対に輝星花お姉ちゃんには言えない…
……
そうよ、普段どおりに接すればいいの。そうするのよ、絵理沙…
きっと一時的な物だから。そう信じよう。うん。
絵理沙は自分にそう言い聞かせた。
☆★☆★☆★☆★
野木は疲れた体のままゆっくりと特別実験室へと向かう。
そして途中で色々な事を考えていた。絵理沙の事を、悟の事を、そして自分の事も。
僕の体は確実におかしくなっている。
魔法力も回復しないし、そして他人の思考も読めなくなった。
まだ強制的に薬で魔力を回復させれば、ある程度の魔法は使える。
輝星花は目を閉じて精神を集中した。そしてすぐに目を開く。
くそ…やはりだ。僕は周囲の察知魔法も使えなくなっている。
どうする?こんな事ではダメだ。本来のここに来た意味。悟君と絵理沙を監視する事すら出来ない。
そして再び輝星花は目を閉じて精神を集中した。
すると思考を読む、察知する。そういう系統の魔法が使えなくなっている。
これは…絵理沙に魔法世界へ戻れと言う前に、僕こそ魔法世界へ戻らねばならないのかもしれない…
そんな事を考えている間に特別実験室の前にまでやってきていた。
中からは悟君と桜井君の声が聞こえる。
野木はゆっくりと扉に手をかけると、深呼吸をして扉を開いた。
扉が開かれるとほぼ同時に中の二人が野木を見る。
そして野木が入って来たのを見てなのか、悟君は「それじゃそういう事だな」と言い残して部屋を出ようとする。しかし、すれ違う時に悟君は立ち止まり、僕に向かって聞いてきた。
「そうだ、くるみはどうした?」
『くるみ』という名前が悟の口から出て、桜井の顔がピクリと反応する。
野木はそれを見逃していなかった。それを見た野木は考える。答えるべきか?
しかし黙っていても仕方ない。野木は悟に向かって言った。
「八木崎君か?ああ、大丈夫だよ。しかし詳しい事はまた今度話しをしよう」
野木がそう言うと悟も察したのか、ちらりと正雄を見て部屋を後にした。
そして部屋の中には桜井と野木が残った。
「くるみって名前が聞こえたんですが?」
桜井君が怪訝そうな表情で僕に向かって聞いてくる。
「ああ、八木崎くるみ君だよ」
そう答えると桜井君は険しい表情で僕を覗き込んできた。
「で、くるみがどうしたんですか」
「いや、ちょっと絵理沙と僕と綾香君がいる所に、やって来てね」
「くるみが?それでどうなったんですか?」
いつも冷静な桜井君がやけに突っ込んで聞いてくるな。
しかし流石に記憶を弄った事は話せない。もう終わりにしないと。
「どうなったって、何で君がそんな事を気にするんだ」
「…いや、くるみは悟の幼馴染ですから。だから気になっただけです。でも何もなかったんならいいです。野木先生の事ですから何事も無かったんですよね?大丈夫なんでしょ?」
なるほど…そういう事か。
「もちろん。何も問題もない」
「そうですか、解りました」
野木は思考こそ読めなくなったが、その洞察力と推理能力で人の考えを読む。
こんなに食いついて来る理由は、そうだったのか。桜井君の心に住む女性は八木崎くるみなのか。
会話中の少しの動揺や口調の変化で、正雄の想い人がくるみだと思ったのだ。
これはまた複雑な関係だな。そう思いながら野木は真顔な正雄を見る。
「先生」
再び桜井君が話しかけてくる。
「ん?何でしょう?」
「今度の日曜日に悟、いや綾香は大二郎とデートをする事になったんですが…」
「ほほう、デート?」
「ああ、ご説明しないといけませんね。少しだけいいですか?」
正雄は野木に今までの経緯と、先ほど悟が教室へ戻って来た時に話した内容をすべて教えた。
「なるほど、それで今度の日曜日に綾香君はデートを?」
「ええ」
「で、君は僕に何を求めているのかな?」
「え?僕が何か先生に求めていると言うのですか?」
「ええ、そう感じます」
「…流石ですね」
正雄はそう言うと瞼を閉じて「ふぅ」と軽く深呼吸をする。
そして目を開くと野木に向かって言った。
「二人の監視をして欲しいのです」
「監視?」
「心配なんです。大二郎が悟に未練を残さないか。そして、悟は優しい奴なんです。大二郎に対して申し訳ない気持ちになって変な事にならないか」
「なるほど」
確か、桜井君と綾香君は偽装カップルなはず。しかし、見るからに二人には愛情は感じられない。
いや、悟君は一時期は桜井君を好きになっていたが、今日の絵理沙の告白でそれは消えた。
そうなると…なるほど…二人は親友か。二人の友情からきたものか。
「だから…監視をして欲しいのです」
「君がすればいいじゃないか」
野木はわざと簡単にそう言い返してみた。
「ダメです。流石にこの格好だと二人にわかります」
「解ったら何が困る?」
「俺は悟に任せるって言ったんです。大二郎にも同じような事を言った。なのに俺が監視するとまるで二人を信用していない事になる」
そう言って正雄はぐっと唇を噛んだ。
「それで僕に何とかならないか?と聞きたいのですか?」
正雄は頷いた。
「残念です。僕は監視系統の魔法が今はうまく使えないのです。だから魔法で監視する事は不可能」
「そうなんですか…」
その時、野木はふとあるものを思い出していた。
とある薬だ。魔法力が無くなった魔法使いを変身させる為に作った薬。
人間には確か、二十四時間は効果があるはずだ。
「ちょっと待ってください」
野木はそう言うと自分の机の横にある、鍵のかかった薬品庫を魔法で開いた。
そして中から赤い錠剤の入った小瓶を取り出す。
「これを飲めば一日ほど変身が出来ます」
そう言って野木は赤い錠剤を一粒取り出した。
見るからに健康に良さそうでは無い色。そう、血液の固まったような気持ち悪い色の錠剤。
正雄はそれを見て眉間にしわを寄せた。
「変身?」
「そう、君が他人になれるという事だよ」
正雄はじっと考え込む。そして野木に向かった質問をした。
「先生、これって人間に害は無いんですか?」
「大丈夫だよ。過去に人間に使った事もある」
正雄は野木がそう言うとその錠剤を右手の指で挟むように摘んだ。
そしてじろじろとその錠剤を見る。
「本当に大丈夫なんですか?で、これを飲めば俺は別の人間に変身できると?」
「そうだよ。それを飲めば君は他の人間に変身が出来る」
正雄はしばらく考えた末に、その錠剤を飲む事を決意した。
「わかりました。これを頂きます。それで先生、この薬は飲んでからどの位の時間で効果が出るのでしょう?」
「そうだね…三時間後くらいかな?」
「三時間?魔法の錠剤ですよね?即効性は無いんですか?」
「確かに魔法の錠剤だよ。しかし魔法のすべてに即効性があるとは限らない。時間のかかる魔法だって多々存在するんだよ」
野木がそう言うと正雄はイマイチ納得してない様子だったが、しかし理解はした様子だった。
「解りました。前日の夜に飲んでから寝るようにします。それでは俺はこれで戻ります」
正雄は教室を出ようと一歩踏み出した。そこへ野木が声をかける。
「まって。これを。何かあったらすぐに僕に連絡してくれ。これは僕の携帯番号だ」
野木はそう言って携帯番号の書いた紙を正雄に手渡した。
「ありがとうございます」
そして正雄は野木へ一礼をすると特別実験室を後にした。
しかし、この錠剤が正雄を大変な目にあわせるという事をまだ誰も知らない。
続く
これから先の展開予告:絵理沙の告白。輝星花の体の変化。そしてくるみの半端に失った記憶。身近にいる茜はどうなるのか?それにプラスで遂に大二郎とデートをする事になった悟。目まぐるしい展開の中で悟は今後どういう行動をするのか?次回は次の日の小説です。大二郎とのデートはその次です。