第22話 軽挙妄動ある意味記念日!? 前編
男として経験の出来ないあの人生最大のイベントは無事に終わり、あっと言う間に十一月に突入した。
そう!俺は無事にあの苦難の日々【生理の事らしい】を乗り切ったんだ!そして女としての一歩を確実に歩き出したのだ!
………待った…歩き出してどうするんだよ!?男に戻るのに女になってどうするんだよ!
とは思ったものの今の俺は人格以外の部分では男の部分が一切ない…考えればかなり危険な状況なんだよな。
そう言えば野木が言ってたな…女性ホルモンが大量に分泌され、女子に囲まれた環境で、そして自ら女として生活をしている。
こんな環境だとかなり注意していないと完全な女として覚醒してしまうかもしれない。
しかし!俺は心まで女になりたいなんてまったく思ってない!
なのになぁ…最近は自分で自分がおかしいって思う事もあるし…
うーん…野木の言う通りに男だという自覚を持ってがんばるしかないのか…
あ、そうだ!俺がこういうのもあれだけど、大二郎とのデートは未だに実行はされていないからな。
理由としては下記の二点が挙げられる。
その①、大二郎が地区大会で優勝したので、今度は県大会の練習や試合もあって忙しい為に時間が作れない。
その②、大二郎の事を意識しない努力をしているが、そう思うえば思う程逆に意識をしてしまう為になかなか日取りを決定出来ない。
その②って男としてはやばい理由だよな…まぁそうなんだよな…
でもあれだ、あれだよ、この前の昼休みに少しだけ大二郎と話しをした時はドキドキ感は多少あったが、この前の時みたいに胸が苦しいという程ではなかったんだ。
だから精神的に落ち着いた時にデートを実行に移そうと思っている。決して言い訳じゃないぞ!
さて…それはそれでいいとして…今日は何日だ?そう、十一月一日だ…
という事は…読者の皆様はご存じだと思うが、そう…毎月一日はラブレターの日だ…
前の一日も結構手紙が入っていたし【ほとんどというか一通以外は女性から】、今回も入っている可能性が大きいな。
と考えているうちに学校の自転車置き場に到着した。
実は今日は早起きして、他の生徒が登校前にラブレターの確認をする為に学校に早めに来たのだ。
予測通りこんなに早い時間だと生徒もまばらで自転車置き場もガラガラだ。
しかし…昔の俺はこんなに早起きなんてする事なんてなかったよな…
普段の日からゲームで徹夜なんて普通だったし…朝まで漫画も読んでたしなぁ…
すっかり変わったな俺も…と…それはいいとして…
俺は少し緊張しながら下駄箱へと向かって歩く。すると下駄箱の前に女子生徒が居るのが見えた。
あれは誰だ?と思いながら近くに寄ると、そこには真理子ちゃんが立っていた。
あれ?真理子ちゃん?腕に黄色い腕章をつけてこんな朝早くから何をやっているんだ?
「おはよー真理子ちゃん」
俺は挨拶しながら右手を振った。すると真理子ちゃんも直ぐに俺に気がついた様子で手を振りながら挨拶を返してくれた。
「おはよう、綾香!今日は早いね?」
「真理子ちゃんこそ、今日は何かあるの?」
「え?今日はね、生徒会の仕事で…」
真理子ちゃんがそう言ったと同時に真理子ちゃんの横を一人の女子生徒が通過した。
そしてその女子生徒は男子生徒の下駄箱の前に立ち止まると鞄から手紙を取り出した。
あれはラブレターかな?今日はラブレターの日だしな…たぶんそうだろうな。
俺がそう思っていると真理子ちゃんはその女子生徒の手を掴む。
「あなた、昨日の校内放送を聞いていなかったの?月末にもプリントを配ったんだけど見ていなかった?」
真理子ちゃんがそう言うとその女子生徒は「あっ」と声を上げた。
昨日の校内放送?プリント?俺には何の話だがさっぱりわからない…
そういえば、昨日の帰りのホームルームの時間に何かプリントを配っていた気もするな…
確か…そのプリントの裏に俺が綾香になってからプレイ出来ていないゲームソフトを書き出していて…えっと…
そうだ!それを茜ちゃんに見られそうになったから速攻でゴミ箱に捨てた気がする…
何だ?それって重要なプリントだったのか?
「今月から一日に手紙を入れる風習は禁止になったのよ?男の子へのお手紙ならば直接ご本人に渡して下さい」
真理子ちゃんがそう言うと、女の子は顔を赤くしてそそくさとその場から居なくなった。
なるほど…今月からラブレターの日は無くなるのか?そうか、なるほどね…
確かに変な風習だよな…それも俺が三年間気がつかなかったというイベント…
まぁいいか…無くっても俺は困らないし。いや、無い方が助かる!
「ねえ真理子ちゃん、ラブレターの日ってこれから先は無くなるの?」
困らないしと言いつつも確認してしまう俺…
「あ、うん、ちょっと色々なクレームとか問題があってね」
なるほど…クレームとか問題があって無くなるんだ。
「クレームとか問題って何?」
真理子ちゃんは俺をちらりと見ると、少し声のトーンを落として話しを始めた。
「えっとね…ここで男子生徒が大声で女子生徒に告白したとか…体育祭の後に大量の手紙が床にばらまかれたとか…」
…何だろう…未に覚えがあるぞ…それ…
「えっと…真理子ちゃん…それってまさか…」
まさかというか…どう考えても俺の事だよな…
「で、でもね、それだけが要因じゃないのよ?あと、こんな風習は無くっても支障ないと思うし!あれだよ?綾香の責任じゃないよ?本当に本当だからね」
真理子ちゃんはあわふたと懸命にフォローしてくれている。
しかし俺が原因だとハッキリ言ってる様にしか聞こえない。
「ごめんね真理子ちゃん、どう聞いても私の事だよね?でも大丈夫だよ?私はそんな事で凹む程弱くはないから」
俺はそう言うと真理子ちゃんは少し安心したような素振りを見せた。
「でも本当に綾香だけが原因じゃないんだよ?だいたい大声で告白した生徒と大量に手紙を入れた生徒に問題がある訳だし。だからそっちを禁止にしようとしているの」
「なるほど…なんか大変そうだけどがんばってね」
俺はそう言いながら下駄箱を開けた。
パサ…
何か白い封筒の様な物が床へと落ちる…
「え?」
俺は床に落ちた白い封筒を見て思わず声を出してしまった。
真理子ちゃんもその封筒を見てびっくりした表情になっている。
「ま、真理子ちゃん…」
「何で?何で綾香の下駄箱に封筒が?私は今日の校門が開いた六時からここに居るのに…何時の間に誰が封筒を入れたの!?」
真理子ちゃんは驚きながら、そして不思議そうな顔で言った。
「でも入っていたのは事実だよね…という事は…入れたのは今日じゃないって事かな?」
「さっぱり解らないわ…昨日の夕方なのかな?それとも真夜中?」
「と…とりあえず内容を見てみる…」
俺はそう言って封筒を拾うと開封して中に入っている白い紙を取り出した。
そして内容を見る…それはやはりラブレターだった。それも見たことのある字体…
姫宮綾香様
僕は姫宮綾香さんに告白をする準備が万端になりました。
つきましては今日の放課後にマミーストアの裏まで来て下さい。
約束しましたので宜しくお願いしました。
うーん…これはいつも俺にラブレターをよこすあの子だよな…この字と文章の特徴を見たら即わかる…
今回は告白が告発になっていないのはいいんだが、何時のまにこいつと逢う約束とお願いをされたんだ?っていうか待て!いきなり今日なのか!俺の都合はどうなるんだ!
………
まぁ…予定はないけど…行くか…行かざるべきか…どうするかな…
「綾香、どうしたの?そんなに考えこんじゃって?」
「あ!えっと、あはは…何でも無いよ」
俺はラブレターを鞄の隙間から中に押し込んだ。
「ねえ、それってラブレターじゃないの?」
「あ、うん、なんか塾の勧誘みたい」
「え?塾の勧誘?」
「あ!いや、大丈夫だよ!きっと私の下駄箱しか入ってないはずだし!」
「????綾香にだけ?塾?」
し、しまった!言い訳にしてはあまりにも無理があるぞ…
だがしかし!ここまで言ったからには強行突破だ!
「う、うん!多分そう!ほら見て!」
バン!バン!バン!バン!
俺は自分の上下左右隣の下駄箱の蓋を開けた。
「ほら!入ってないでしょ!」
「確かに…入ってないね…って…本当に塾の勧誘なの?おかしくない?綾香にだけって?」
やばい…すっげー疑われてる!当たり前だよな…言い訳に無理がありすぎる。
という事は…逃げるが勝ちだ!
「あ!時間が!えっと!教室先に行っておくねー!」
「え!?ちょっと!綾香!まだ時間って余裕すぎるでしょ!?」
俺は真理子ちゃんの台詞に聞く耳も持たずに慌てて下駄箱から立ち去った。
ふう…やばかった…
教室に到着。やはりというか教室には生徒は一人もいない。
人気の無い教室に入ると、俺は自分の机に付いてふと考えた。
何でだろう…本当に何でだろう…
何で俺は真理子ちゃんに封筒の中身がラブレターだったって教えなかったんだ?
別に教えたっていいじゃないか…
あれか?きっと真理子ちゃんにラブレターだって言うとすごく心配されそうな予感がしたから?
それとも…俺は純粋にラブレターを貰ったって事を秘密にしたかったのか?
…………
それってどういう事だよ…
……
ラブレター…貰って…嬉しい?のか?
違う!違う!単純に迷惑をかけたくなかったからだ!
そうだ…そうなんだ!ま、まぁ…深く考えない事だな…
しかし…この手紙の差出人もついに俺に告白するのか…
まぁ…とっととケリを付けておく方が絶対に俺の為だし…良かったのかもしれないな。
……
でも…どんな男子かなぁ…
格好いいのかな?体格は大二郎よりもいいのかな?
スポーツはしてるのかな?頭いいのかなぁ?
年上かな?何年生だろ?
でも…年齢なんか関係ないよな…やっぱり優しい人がいいよなぁ…
…………
待て…何だこの思考は…違う!違うだろ!俺は告白を断るんだろ?断るのに何を考えてるんだよ!
…ああ…俺の思考が壊れてるよ…
がんばれ悟!お前は男だ!気合いで乗り切れ!
俺は目を閉じて心の中で言い聞かせた。
そして目を開けて鞄からノートを取り出すと間にさっきのラブレターが…
しかし…本当に何時この手紙を俺の下駄箱に入れたんだ?
待てよ…それに何で放課後にこの学校内では無って近くのスーパーの裏で待ち合わせなんだ?そんな訳の解らない場所を指定するんだ?謎だな…
☆★☆★☆★☆★☆
そんなこんなで放課後になった。
右の席を見ると超特急帰宅の絵理沙が瞬間的に姿を消している。
早い…早すぎる…最近はその速さに極みすら感じる…
っと…俺も早く行かなきゃ…
「綾香ぁ!」
俺が鞄に教科書を仕舞い込んでいると横に佳奈ちゃんが声を掛けてきた。
「ねぇねぇ!今日さ、今から時間ない?一緒にマックでもいかない?」
佳奈ちゃんは笑顔で俺をマックに誘ってくれている。
しかし俺には重要な任務?があるのだ!
「ごめんね…今日は予定があって…」
「えー?そうなの?綾香でも予定あるんだ…」
でも…って…何か素っ気なく失礼な言い方をされた気がする…
「ま、まぁ…たまにはね」
「ふーん…誰かに放課後に呼び出されたとか?」
ギク!な?何だこのニュータイプ女子は!冗談にでもそんな台詞はなかなか言えないだろ?
やばい…すこし動揺してしまった…顔に出たかな…
「え?いや、そんな事ないよ?うん、じゃあ私行くから」
「わかった!また今度ね!」
ふう…大丈夫そうだな…よし…
それにしても今日の佳奈ちゃんは素直だなぁ?
「うん、佳奈ちゃんまたね」
俺は教室から急いで廊下に出た時、後ろから誰かの視線を感じた。
後ろを振り返ると、教室から出た所で佳奈ちゃんがじっと俺を見ている。
俺は佳奈ちゃんに手を振るとそのまま急いで下駄箱に向かった。
マミーストアか…ここから自転車で二分くらいか…
☆★☆★☆★☆★☆
マミーストアの裏に到着。
裏といっても道路を四方向に囲まれているこのスーパーは裏に簡単に来る事が出来る。
近くにはスーパーの駐輪場もあるし、道路も目の前にあるので決して人気が無い場所では無い。何が言いたいかというと…ここは告白には不向きだ!
呼び出す場所が最悪すぎる…
しかし、よく考えてみれば俺も律儀な奴だよな…
差出人も書いていないような手紙なのに何でわざわざ約束を守っているんだ…
…違った…約束なんてしてねぇし…
別に無視したってよかったんだよな…俺も本当に人がいいというか…何というか…って…今になって考えたら時間指定も無かったぞ?
俺はもう一度手紙の内容を確認するが、表にも裏にも時間の指定が無い。
うーん…呼び出すなら時間の指定くらいしろよ…考えてみれば放課後ってこの先の真夜中までずっとじゃないか…
この差出人の考えている待ち合わせ時間っていったい何時なんだ?五時か?六時か?七時か?まったくもって詰めが甘い差出人だよ…
まぁいいか…三十分経っても誰も来なかったら帰ろう。
そんな事を考えながらスーパーの裏に一人で立っているとそこに一人の男の子が自転車でやって来た。ヘルメットを被っている所を見ると中学生かな?
その子は俺をちらりと横目で見ながら俺の横を通過してゆく。
ん?まぁまさかこの子じゃないだろうな…
俺がそんな事を考えていると、その中学生は十五メートルくらい先の駐輪場に自転車を止めた。
え?もしかしてこの中学生がまさか俺に手紙を出したのか?ま、まさか?無い無い…
俺は横目でその男の子を見た。するとその男の子は自転車のカゴにヘルメットを置くと俺の方へと歩いてくる。
男の子は身長が165センチ位で黒縁の眼鏡をしており、すごく真面目そうな子だ。
すこし華奢なイメージさえ持ってしまうような体型だが、体のラインが綺麗で、何かスポーツをしているのだろう。見た感じだととても知的で大人しそうな子だ。
という観察はいいとして…やっぱりこの子が差出人なのか?
「あの…」
「はい?」
「僕です!姫宮先輩!」
男の子は右手を自分の胸の前でぐっと握りながら力を込めてそう言った。
「え!?」
誰だよ…何だか知らないけど、いきなり僕ですよ【知り合いなんだよ】宣言されたぞ!?
それもかなりの力の入れじゃないか!?
「僕ですよ!覚えていないんですか?」
「え、えっと…」
いや…覚えていないのかって言われても覚えていない所か君を見た事すら無いんだけど…
しかし綾香を知っているという事は間違い無く綾香とは知り合いなんだよな…
うーん…でも綾香の後輩に仲の良い男の子がいるとか聞いた記憶はないし…
「そんな…冗談ですよね?本当に覚えていないんですか?」
その男の子はかなりのショックを受けたような顔でそう言った。
うーん…そんなに残念そうな顔をされても困るな…とりあえずは記憶喪失と言い訳をするか…
「ごめんなさい…私…記憶喪失で…」
「それは知ってます…でも…全然…まったく覚えないなんて…思っていませんでした…」
何だ?こいつ、何で綾香が記憶喪失だって知ってるんだ?という事は…家族か知り合いに俺の事を知っている奴がいるのか?
「ご、ごめんなさい…本当に記憶が無くって…」
そう言うとその男の子はガックリと肩を落とした。
しかしすぐに笑顔になると俺に話しかけてくる。
「あはは…仕方ないですね…だって姫宮先輩が悪い訳じゃないですから…」
しかしその子の笑顔の瞳の奥にはかなりのショックを受けている様子が見える。
そりゃそうだよな…綾香に告白をしようとしてたのに、綾香が自分の事を覚えていないなんて…かなりショックだよな…
「あの…あの手紙は貴方が?」
「あ、はい…」
やっぱりこの子なのか…でもどうやって下駄箱に入れたんだ?
「あの…君は中学生でしょ?どうやって下駄箱に手紙を?」
その子は言っていいものかどうなのか迷ったのか、直ぐには返事をせずに考えていた。
しかし、考えが纏まったのか、小さく頷くと経緯を話してくれた。
俺はその事実を聞いて驚いた。実はこの子は桜井正雄の親戚【いとこ】らしい。だから今までずっと正雄に頼んで手紙を入れて貰っていたという事だ。それも綾香が高校に入学してから毎月…
という事は綾香はこの子からずっとラブレターを貰っていたという事になる。
今回の手紙は三日前に正雄に渡したらしく、予測では昨日の夕方に正雄が下駄箱に入れたのであろう。
「先輩?」
「え?あ、何?」
そう言えばこの子の名前…まだ聞いてないな…何ていう名前だろう。
話の合間に聞いてみるか。
「今日…実は先輩に告白しようと思って来ました」
まぁそうだろうな。それしか無いだろ。手紙にも告白するって書いてあったしな。
「うん」
「でも…何だか告白っていう感じじゃ無くなっちゃいましたね」
確かに…
「ごめんね…」
「でも!僕はやっぱり先輩の事が好きだし、こんな事くらいじゃ諦められません!だから…今までの事が全てリセットされてもいいです!僕の事をもう一度覚えてください!」
男の子は大きな声でかなり力説している。
いくらスーパーの裏でもこれほど大きな声で力説されると人目が気になる。
ちょっと声量くらいは抑えて貰わないと…
「あ…えっと…それはいいけど、少しだけ声を…」
俺がそう言うと男の子は周囲の視線を集めているとわかったらしく、顔を真っ赤にして俺に謝って来た。
「ご、ごめんなさい…」
うわぁ…何この子…なんかかわゆいよ…
………かわゆい?
え?な…何だ?かわゆいって…
あ、相手は男だぞ!それも年下!今日が初対面!
悟!お前だって男だろうが!自覚!自覚!あと名前!
「えっと…あ、そうだ…名前…教えてもらっていい?」
俺がそう言った瞬間に、男の子の目が点になる。
「え?…名前って…もしかして僕の事…本気でまったく覚えてないのですか?」
覚えているもなにも、今日が初対面だしな。
しかし…これはこの子にはかなりのダメージか!?
「あ…本当にごめんなさい!忘れない様にするから教えて!」
俺は両手を合わせ男の子に謝った。
「謝らなくってもいいですよ先輩…仕方ないです。先輩のせいじゃないし」
うわ…なんていい子なんだろう…なんかぎゅってしてあげ…
たくない!何だそれは!
「僕は桜井一彦です。ちゃんと覚えておいて下さいね」
桜井…正雄と苗字も同じなんだ…なるほど…
「桜井一彦君ね。うん!覚えたよ」
「ありがとうございます!」
さて…これからどうするか…とりあえずはこの子からの告白も無いし…名前も教えてもらったし…
「あの…先輩…」
「え?何?」
「少しだけ話をさせてもらってもいいですか?」
話?話か…まぁいいか…時間もあるしな。このままさようならだとこの子も可愛そうだしな。
「うん、いいよ」
俺と一彦君は近くにあった店員が休憩に使っているのか、座り心地のよさそうな小さなコンクリートブロックに座った。
そこで一彦君は俺に色々な話をしてくれた。
中学一年の時にこの町へ引っ越して来た事。小学校から空手をやっている事。
そして俺を綾香だと思い少しでも記憶が戻るようにと中学時代の綾香の事や、一彦君の綾香に対する思いなんかも話をしてくれた。
一彦君はすごく真面目で、そしていい子だ。話をしているだけでもそれが伝わってくる。
綾香もこんな子に好かれて幸せだとは思う。
しかし!綾香の彼氏として認めるかは別の問題だ!って俺が口を出すような問題じゃないんだけどな。
そして話題が別の方向へと変わった。
「姫宮先輩…こんな事を姫宮先輩に聞いても仕方ない事かもしれないのですが…何でまーくん【正雄の事】は空手を辞めたんでしょうか…」
一彦君の顔は先ほどとは打って変わって暗い沈んだ表情になる。
正雄が空手を辞めた理由か…俺は知っている…俺もそれが理由で空手を辞めたんだからな…でも…その理由は俺と正雄しか知らない…そう簡単には話せない…
「僕はまーくんが目標だったんです…ああいう風な強くて優しい男になりたかったんです。そうすれば姫宮先輩にだって釣り合う男になれるかと思ってたのに…」
何か正雄が憧れだという台詞の中でさり気なく綾香の彼氏候補をアピール気がしてる。
「ごめんなさい。こんな事を先輩に聞いても知ってる訳は無いですよね?でも…僕はまーくんが空手を辞めたのが納得出来ないんです。理由も言ってくれないし…」
正雄の奴…この子には理由を言ってないのか…まぁ俺も綾香に言ってないけどな。
「まーくん…空手が嫌いになって辞めたのかな…僕も…もう辞めようかな…頑張ってるけど強くなれないし…姫宮先輩に釣り合う男になれそうもないし…」
一彦君は大きなため息をつくとがっくりと肩を落とした。
何だよ…男の癖にくよくよしやがって…そんな言い方しやがって…
さっきまで綾香【俺】にこんな状況になっても好きだし、諦められないって言ってたじゃないか!
俺は一彦君の台詞に霧鐘に腹が立った。そして一彦君を見ているとほって置けない気分になる。
くそ…ここはこの子に空手を辞めた理由を話すべきか?
でも…本物の綾香が正雄が空手を辞めた理由なんて知っているはずもない…
ここで話すと俺にとってメリットは無い…ただリスクがあるだけだ…
でも…この子がここで空手を辞めるのは勿体ないしきっと理由を聞けば辞めないだろうし…妹の綾香を強く思っているその気持ちを…捨てて欲しくない…
よし…俺は周囲を見渡して誰も居ないのを確認すると一彦君へ話しを始めた。
「一彦君、聞いて!正雄は…いや、桜井先輩はね、嫌いで空手を辞めたんじゃないの!」
「え?」
一彦君はきょとんとした表情で俺を見た。
「桜井先輩は今でも空手はやりたいはずだよ!」
「じゃ、じゃあ何で…」
「私の通っている高校の空手部は正直そんなに品行の良い部じゃなかった。桜井先輩が一年の時もいじめに近いような仕打ちも結構されて…でも大二郎も、じゃない、清水先輩も、桜井先輩もそれに耐えてがんばったの」
「そんな話…まーくんからは全然聞いてないです」
「そうだろうね、桜井先輩の性格からして話さないだろうね。一彦君や周囲の人には心配をかけたくなかったんだと思うよ」
「そうかもしれないですね…あの…で、それでどうなったのですか?」
「えっと、それでね…私達が二年に上がった時、下級生が新入部員として入ってきたの」
「え?私達って?先輩は空手部なんですか?それにまだ一年ですよね?」
あ!しまった…リアルな俺の話を混ぜてしまった!っていうかよく気が付くな…
ここは修正をしなければ…
「ごめん、えっと言い方を間違っただけ、私達じゃなくって【私の兄】と清水先輩と桜井先輩って事」
「ああ…そういう意味ですか」
ふう…大丈夫そうだな。
「あ、それで…新入部員に対する上級生のいじめが酷くって…桜井先輩と私の兄は上級生相手に喧嘩をしてしまったの…結果的にはいじめをしていた先輩はそれが原因で部活を辞めたのだけど、私の兄と桜井先輩は部には居られなくなっちゃって…」
「そうだったんですか…そんな事が…」
「うん…」
「でも良かったです。まーくんは空手が嫌いになった訳じゃなかったんですよね?」
「あ、うん、桜井先輩は今でも空手が好きだよ」
「そうですか!ありがとうございます!」
「ううん…一彦君が桜井先輩の事を誤解してたら嫌だし、それに…一彦君には空手を辞めてほしくないから」
「え?だ、大丈夫です!今のお話を聞いて僕は空手を続ける事を決めました!姫宮先輩に釣り合う男になる為にも!」
よし…何とかなったみたいだな…一彦君も元気を出してくれたし!まぁ…最後の一言は必要ないけどな。
よーし!俺が話したい事は話したし、そろそろ行くかな!
俺はコンクリートブロックから立ち上がって一彦君の方をちらりと見た。
「一彦君、がんばってね!君なら強くなれるよ」
「は、はい!」
うん、いい子だ。真面目だし、きっと強くなれる!
さて…そろそろ本気で帰るかな。
「じゃあ、私はそろそろ帰るから」
俺はそう言って一彦君に手を振ると自分の自転車の方へと歩き出した。
すると後ろから一彦君が大きな声で俺を呼び止めた。俺はその大きな声に驚いて一彦君の方へ振り返る。
「僕!先輩のいる高校に入ります!きっと入学するまでに強くなります!だから!だから!先輩が認めてくれる位に強くなってたら…僕と付き合ってください!」
一彦君の大きな声は辺りに響き渡り、周囲に居た人々が一斉に俺と一彦君を見る。
「先輩!約束ですよ!」
や、やばい!すっげー注目の的じゃないか!
青春ドラマじゃないんだぞ!?そんな大声で変な宣言をしないでくれよ…
「わ、わかったから、声!声が大きいよ!」
俺が思わず言ってしまったその一言で一彦君が満面の笑みを浮かべる。
え?何その嬉しそうな顔…あ!し、しまった!俺が「わかったから」とか言ったらOKだって意味に捉えたのか!?
何やってんだよ俺…早く言い直さないと!
あーくそ!顔が熱い!きっと俺の顔は真っ赤なんだ…
「か、一彦君!で、でも!入試に失敗したら付き合えないからね!」
「は!はい!勉強して絶対に受かります!今日は本当にありがとうございました!」
一彦君は俺に一礼すると自転車の方向へと走って行った。
ふう…これで何とか…って…待てよ…
え?ち、違うだろ…何か違うだろ…何を言ってるんだよ!?「入試に失敗したら付き合えないからね」って、あれじゃ入試に受かったら付き合うって言ってるようなものじゃないか!
や、やばさが百倍になった!早く付き合えないって言わないと!!
俺は一彦君のいる駐輪場へ向かって走る。
一彦君はヘルメットを被ると自転車に跨って俺とは反対方向へと進み始めた。
やばい!このままじゃ追いつかねー!急げ!
俺は懸命に走る!そして十二メートル位走った所で「ガシャーン!」と目の前の自転車が俺の方向へと倒れた。
「うわ!」
俺は慌てて自転車を避けると自転車の倒れて来た方向を見た。するとその物陰には…
「か、佳奈ちゃん!?」
そこには何と佳奈ちゃんがいた!
「い、いつからそこに!?」
佳奈ちゃんはぺろりと舌を出すと、ばれたかという表情で俺の顔を見る。
「ばれちゃった!っていうかさ、綾香は一彦君を追ってたんじゃないの?」
そ、そうだ!一彦君は…
俺が一彦君の居た方向を見るとそこには既に一彦君の姿は無かった…
「あーあー…行っちゃったねー残念」
うー…佳奈ちゃんが邪魔したからじゃないか…
それに何でここに佳奈ちゃんが居るんだよ…
って待てよ…さっきの会話…全て聞かれたとか?
「あ…あの…佳奈ちゃん…」
「え?何?」
「ここで何をしてたの?」
「え?別に物陰に隠れて綾香と一彦君とのラブラブ会話を聞いてた訳じゃないよ?」
うがぁ!やっぱり聞かれてた!それもラブラブとかすっげー勘違いされてるし!
「聞いてるじゃん!百パーセント聞いてるじゃん!」
「あれ?ばれた?まぁいいか…でも事実でしょ?ラブラブ会話とかさー?いいねー綾香はモテモテだねー」
なーんーだーよー!佳奈ちゃぁあん!
「え、えっと、ラブラブ会話なんてしてないし!普通の会話だったでしょ?ねえ!あれって普通でしょ?」
「えー?一彦君に告白されて、空手を辞めようとするのを留めさせて、最後には高校に入学したら付き合ってあげるっていう会話の何処が普通なの?」
ふ…普通じゃねぇぇぇぇぇ!
く…くそ…ここは…取り合えずは佳奈ちゃんが他言しないように言うのが先決か…
一彦君にも佳奈ちゃんにも誤解は後日解くとして…
今は動くラジオ、音速で広がる噂の源、歩く広報部隊の佳奈ちゃんに釘を刺しておかねば!
「えっと…佳奈ちゃん…」
「大丈夫だよ!私は他言しないから!それじゃ帰るね!」
「え?」
佳奈ちゃんはそう言うと倒れた自分の自転車をおこすとそれに跨った。
「ちょ、ちょっと!佳奈ちゃん!待って!」
「モテモテ綾香!まったねー!」
佳奈ちゃんは俺の制止も聞かずにすごい勢いで自転車を漕いで消えて行った。
うーむ…他言はしないって言ってたけど…
あの佳奈ちゃんだとてもじゃないが信用出来ない…
でももう行っちゃったし!俺は携帯を持ってないし…
あー!もう!くそー!仕方ないな…明日学校に行ってから直ぐに佳奈ちゃんを捕まえて再度釘を刺そう…
ふう…俺は小さくため息をついてから自分の自転車のある場所へと歩き出した。
くそ…色々と失敗したなぁ…
一彦君はいい子だけど…まさか付き合うとか無理だし…
よりによって佳奈ちゃんに聞かれてしまったし…
あ…もしかして…俺が教室を出る時に素直に送り出したのは…最初から俺の跡をつけようとしていたのか!?やけに素直に引き下がったと思ったんだよな…
俺がそんな事を考えながら歩いていると「ドン!」と誰かにぶつかった。
「あ、す、すみません!」
俺は咄嗟に謝り、そのぶつかった相手を見た。
「え!?な、何で!?さ、桜井先輩がここに!?」
俺がぶつかった相手は正雄だった。
正雄は真剣な顔で俺を見ている。俺は慌てて正雄から目を逸らした。
俺の手を正雄はいきなりギュッと握るとぐいっと引っ張る。そしてスーパーの物陰へと引っ張り込んだ。
「な、何ですか!?何するんですか!」
俺は正雄とは顔を合わさないようにしてそう言った。
目を合わさなくってもわかる…正雄の只ならぬこの感じ…何かやばい気がする…
まさか…さっきの会話…正雄にも聞かれてたのか?
だとすると…かなりやばいだろ…どうする…どうするんだよ…
くそ…こうなったらどうにかして誤魔化す!?
いや…もしかするとさっきの会話を聞いてないかもしれないんだぞ…自ら墓穴を掘る事にも成りかねないだろ…
…でもこの現状は!?何でここに正雄が居て、何で俺をこんな物陰に引き込むんだ!?
俺はゆっくりと顔を上げて正雄の目を見た。
すると正雄も俺の目をジッと見る。それと同時に正雄が口を開いた。
「姫宮、お前…」
俺の心臓は緊張でドキドキと激しく鼓動していた…
続く




