第七話 豊臣の亡霊と投資対効果
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加納屋の経営が軌道に乗り、俺の名が「麒麟児・吉兵衛」として肥後中に知れ渡ったある夜のこと。
帳場で一日の売り上げを締めていると、音もなく一人の男が店に入ってきた。
夜盗か。いや、違う。その男の双眸には、金銭欲とは違う、もっと昏い炎が宿っていた。
「……貴殿が、将軍のご落胤と噂の吉兵衛殿だな」
男は笠を取った。三十路半ばか。痩身だが、全身から抜き身の刃のような殺気を放っている。
「某、名は木下と申す」
「木下……?」
「大坂落城の折、薩摩・九州へ落ち延びた豊臣秀頼公の遺児、国松。その末裔だ」
俺の手が止まった。
木下国松。史実では処刑されたはずだが、九州には生存説が根強く残る。まさか本物が現れるとは。
彼は俺が流した「将軍の隠し子」というマーケティング用の噂を真に受け、同志を求めて現れたのだ。
「吉兵衛殿。貴殿の血筋と、我ら豊臣の遺臣が組めば、天下はひっくり返せる。九州から蜂起しようぞ!」
男は熱っぽく語る。徳川への積年の恨み、再興の悲願。その言葉は重い。
だが、俺の反応は冷淡だった。
俺はため息を一つつくと、パチリ、と手元の算盤を弾いた。
「却下だ。採算が合わない」
「な、なんだと!?」
「戦は金がかかりすぎる。その上、勝っても国土は荒れ、民は疲弊する。今の徳川幕府の盤石さを考えれば、蜂起したところで投資対効果はゼロ……いや、マイナスだ」
俺は愕然とする木下に対し、淡々と史実の「if」を突きつけた。
「あと百年早ければな。天草四郎時貞が蜂起した際、宗教戦争ではなく『反徳川』の旗印で共同戦線を張り、豊臣恩顧の大名や加藤清正の遺臣を結集させていれば……勝機はあっただろう」
「なればこそ今!」
「遅すぎる。今の幕府は仕組みとして完成されている。感情で突っ込んでも、犬死にするだけだ」
木下の手が刀の柄にかかる。「貴様、徳川の犬か!」
俺は動じずに彼を見据え、言葉を継いだ。
「徳川を倒したいなら、剣を捨てろ。武力ではなく、『経済力』と『技術』を蓄えるんだ」
「……なに?」
「隣の薩摩を見ろ。あそこは琉球を通じて海外の目を持っている。新しい技術、強力な兵器、そして金を生む貿易ルートがある」
俺は算盤を置き、彼の肩を掴んだ。
「豊臣の再興という過去を夢見るより、島津に仕えて力を蓄えろ。百年後の変革に賭けるんだ。……それが、あんたの勝てる唯一の道だ」
俺の言葉は、予言のように響いたはずだ。
木下はしばらく俺を睨みつけていたが、やがて毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。
「百年後……か。気の長い話だ」
「だが、確実な道だ」
男は深く一礼すると、闇夜へと消えていった。行き先は薩摩藩邸だろう。
俺は再び帳簿に向き直った。
(これが幕末、薩摩が倒幕の主力となり、徳川を終わらせる遠因になるとは……この時の俺は知る由もなかった)
歴史の歯車をほんの少し回してしまった自覚を感じつつ、俺は最後の計算を終え、筆を置いた。
さて、資金もできた。厄介ごとも片付けた。
次はいよいよ、参勤交代の列に紛れ、因縁の地・江戸へと向かう時だ。
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