第五話 肥後の再建請負人
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紀州を起ち、大坂を経て、海路で俺は八代・徳淵津についた。
潮の香りと共に、むっとするような熱気が押し寄せる。これが火の国、熊本の空気か。
紀州の枯れた山道とは違う、欲望と商魂が渦巻く気配に、俺の胸は高鳴った。
「さて、ここが俺の第二の戦場だ」
肥後熊本の城下町、その一角に店を構える老舗「加納屋」。
かつては賑わったという大店も、今や閑古鳥が鳴き、店先には澱んだ空気が漂っていた。
主人の長兵衛は、帳場の奥で頭を抱えている。
「あぁ……金がない。来月の支払いができん」
典型的な黒字倒産寸前の状態。そこへ潜り込んだ俺、源氏坊戒行改め「吉兵衛」は、即座に行動を開始した。
「旦那様、まずは蔵を開けてくだされ。金がないなら、ある場所から捻り出すまでです」
俺は唖然とする古参の奉公人たちを尻目に、蔵へと踏み込んだ。
中は酷い有様だった。いつ仕入れたか分からぬ味噌樽が手前に積まれ、奥には新しい品が眠っている。カビと埃の臭い。これがこの店の死臭だ。
「古い順に出して売り切る! 新しい品は奥へ! 『先入れ先出し』の徹底だ!」
俺は修験道で鍛え上げた肉体を躍動させた。大人三人がかりで運ぶ米俵を、一人で軽々と担ぎ上げる。
その鬼気迫る働きぶりに、最初は冷ややかだった若衆たちも「へ、へい!」と釣られて動き出した。
死に筋在庫を一掃し、動線を確保する。まずは物理的な「血栓」を取り除くこと。これが改革の第一歩だ。
その夜。俺は長兵衛の前に、新たな帳面を広げた。
「吉兵衛、なんだこの左右に分かれた書き方は?」
「南蛮由来の秘法、『複式簿記』にございます」
今までの「大福帳」は、単に金が入った出たを記すだけのメモ書きだ。
俺は、借方(資産の運用)と貸方(資産の調達)の概念を、商人に分かる言葉で説いた。
「旦那様、嘆くことはありません。金は消えたのではなく、在庫という『資産』に形を変えているのです。無駄な仕入れを止め、回転率を上げれば、必ず金は戻ってきます」
「おお……金の流れが、まるで川のように見える……!」
長兵衛の目に光が戻った。だが、まだ足りない。
倒産を回避するための現金が、決定的に不足しているのだ。
「旦那様、俺に賭けていただけますか」
俺が提案したのは、周囲が正気を疑うような策だった。
「今年の肥後米の『買い付け証書』を、今のうちに買い占めます」
「なっ! まだ稲穂も実っておらんのに金を払うなど、空気を買うようなものじゃ!」
「いいえ、買うのは空気ではなく『未来』です」
俺には確信があった。現代の知識で気象を読むに、大坂は冷夏。必ず米相場は跳ね上がる。
これは博打ではない。勝率の計算された投資だ。
震える手で金庫の鍵を渡してくれた長兵衛の覚悟を背に、俺は市場へ走った。
一ヶ月後。
予想通り大坂の相場は高騰。肥後米の価値は天井知らずに跳ね上がった。
俺が二束三文で買い集めた証書は、黄金の紙切れへと変わった。
「よ、四百五十両……!」
積み上げられた小判の山を見て、長兵衛は腰を抜かし、涙を流して俺の手を握りしめた。
「吉兵衛、いや吉兵衛様! あんたは店の救世主じゃ!」
こうして加納屋は蘇った。
在庫管理、会計革命、そして先物取引。
現代の経済理論で武装した俺にとって、この時代の商売を制することなど赤子の手を捻るようなもの。
「さて……軍資金はできた」
俺は活気を取り戻した店先で、静かに北の空を見上げた。
金は作った。次はこの金と知恵を使って、人を、そして国を動かす番だ。
麒麟児・吉兵衛の名は、やがて肥後藩主の耳にも届くことになるだろう。
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