第四話 託された「短刀」と、旅立ちの誓い
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本日4話目の投稿です。
村が備長炭の煙と活気に包まれ、人々の笑顔が戻ったある春の日。
その時は静かに訪れた。
死期を悟ったおさん婆様が、俺を枕元に呼んだのだ。
「戒行や。……いいや、あえてこう呼ばせておくれ。孫や」
「……はい、おさん婆様」
俺は彼女の痩せ細った手を握りしめる。
死にゆく者の幻覚だろうか。そう思った俺に、彼女は静かに、けれどはっきりと言った。
「分かっているよ。お前様は、あの子……本物の孫じゃない」
心臓が跳ね上がった。
狼狽する俺を制するように、彼女は優しく続ける。
「あの子は、もっと弱々しい目をしておったからねぇ……」
彼女は遠くを見る目で、昔語りを始めた。
かつて、紀州藩の家老・加納将監の屋敷に奉公に上がった娘、沢野のこと。
若き日の吉宗公――新之丞様にお手付きとなり、身籠ったこと。
そして、証拠の品であるお墨付きと短刀を胸に、この村へ戻ってきたこと。
「娘は嬉しそうだったよ。『これが、お腹の子が天下様のご落胤である証拠だ』ってね。……だけど」
おさん婆様の目から涙が伝う。
「産まれた男の子は、すぐに亡くなった。娘の沢野も、後を追うように逝ってしまった。……あのお墨付きも短刀も、私にとっては栄達の道具じゃない。娘と孫の、ただの形見だったんじゃ」
真実は、あまりにも悲しく、静かなものだった。
本来の歴史では、俺はこの悲しい老婆を殺し、形見を奪い取って「将軍の息子」を騙るのだ。
なんという冒涜。なんという外道。
俺は自分の「前世の知識」が恥ずかしくなり、頭を垂れた。
「許しておくれ、騙すつもりで……」
「いいんじゃよ」
おさん婆様は、俺の手を引き寄せ、枕元の古びた桐箱をその上に置いた。
ずしりと重い。それが、天下を動かす「吉宗公のお墨付き」と「名刀」の重さだった。
「あの子たちは死んだ。だが、お前様のような優しい子が孫として生きてくれるなら、あの子も浮かばれよう」
「受け取ってくだされ。……ただし、約束しておくれ」
彼女の眼光が、最期の瞬間に鋭く光った。
「この品は、将軍家にたかって贅沢をするために使うんじゃないよ。この村を救ってくれたその知恵で、もっと多くの苦しむ衆生を救うために使いなさい」
「……!」
「これは、そのための切り札じゃ」
その言葉は、俺の魂に焼き付いた。
原作における「詐欺の道具」が、今この瞬間、「世直しのためのライセンス」へと意味を変えたのだ。
俺は桐箱を抱きしめ、涙を流して誓った。
「……必ず。必ずや、天下万民のために役立ててみせます。あなたの孫の名にかけて」
おさん婆様は、満足げに微笑み、安らかに息を引き取った。
村中が涙に暮れる中、俺の中で何かが決定的になった。
俺はもう、ただの転生者でも、逃亡者でもない。
俺は、天一坊だ。ただし、稀代の詐欺師ではなく、稀代の改革者としての。
◇◇◇
四十九日を過ぎ、初夏の風が吹く頃。
俺は師匠・感応院様の前に座り、頭を下げていた。
「お師匠様。この村の経済はもう大丈夫です。炭の利権も村長に引き継ぎました」
「うむ」
「ですが、日本中にはまだ貧しさで死ぬ人がいます。俺は、もっと大きな経済の流れを学ぶために、商人の都へ降りたいのです」
今の俺には、村レベルのミクロ経済知識はある。だが、天下を動かすには、物流、金融、為替といったマクロ経済の実践経験が必要だ。
師匠は、寂しそうに、しかし誇らしげに頷いた。
「行け、戒行。お前の器は、この山には収まりきらん」
そして、旅支度を終えた俺の背中に、師匠は声をかけた。
「……だが、辛くなったら何時でも帰ってこい。ここは、お前の実家じゃ」
その言葉に、俺は一度だけ振り返り、深く一礼した。
帰る場所がある。信じてくれる家族がいる。
前世、孤独にタワマンから飛び降りた俺にはなかったものが、今の俺にはある。
「行って参ります!」
こうして、母と師匠を殺さず、逆に彼らの愛と期待を背負った「新生・天一坊」が誕生した。
目指すは肥後・熊本。
そこには、旧態依然とした「どんぶり勘定」で傾きかけた大店・加納屋が待っている。
貴重なお時間を頂きありがとうございました。
紀州編完結です、次回より、舞台は熊本へ!




