閑話 徳山藩改易問題への介入 〜長州の喉元に楔を〜
前話で物語は完結致しましたが、後日譚の閑話となります。
「万役山事件」に関与した際、本作の天一坊は、徳山藩復興を認めるのか?
お楽しみ頂ければ幸いです。
時は享保4年(1719年)。
長州・萩藩とその支藩である徳山藩の間で起きた「万役山事件」。たかが一本の松の木の伐採を巡る争いが殺人事件に発展し、本家と分家の骨肉の争いの末、徳山藩は改易となっていた。
史実であれば、本家・萩藩の奔走により、この年、徳山藩の再興が許されるはずであった。
しかし、歴史の分岐点は唐突に訪れる。
◇◇◇
江戸城・表御殿。
「周防徳山領百姓中」と署名された三通の嘆願書が持ち込まれ、老中たちが「喧嘩両成敗とは言え、毛利の顔を立てて再興を許してはどうか」と吉宗に進言していた、その時。
「お待ちください、上様。その再興、経済的に大損です」
静かな、しかしよく通る声が響いた。天一坊である。
彼は上座に進み出ると、瀬戸内海の絵図面を畳の上にバサリと広げた。
そして、扇子の要で「徳山湾」を一点、突き刺す。
「この地形をご覧ください。徳山は、瀬戸内でも稀に見る天然の良港(深水港)。大型の千石船が難なく接岸できる要衝です。
今、土岐丹後守が進めている『堂島米会所改革』において、西国から大坂、そして江戸へと続く物流の大動脈――瀬戸内の安定は生命線。
この宝の山を、松一本で揉めて殺し合いをするような、統治能力の低い小藩に返して良いのですか?」
老中たちがざわめく。「し、しかし、毛利の面子が……」
「面子で飯は食えません。
徳山藩を再興せず、ここを幕府直轄の『天領・徳山』とし、西国最大級の幕府公設の備蓄倉庫群を建設するのです」
天一坊の瞳は、そこに建つであろう未来の「コンビナート」の幻影を映していた。
「九州の米、四国の和紙、中国地方のたたら鉄。それらを一度ここに集め、幕府の管理下で江戸・大坂へ回漕する。
そうすれば、輸送の無駄は省かれ、幕府には莫大な運上金が入ります」
吉宗が興味深そうに身を乗り出す。「理屈は通る。だが、萩藩が黙っておらぬぞ。喉元を幕府に抑えられてはな」
「そこで、毒饅頭を食わせるのです」
天一坊はニヤリと笑った。
「徳山を天領化する代わりに、建設する倉庫群の運営権の一部と、そこから上がる収益の配当を萩藩にくれてやるのです。
名目は『徳山管理の手数料』とでもして。
萩藩にしてみれば、面倒な支藩の経営から解放され、黙っていても幕府から金が入ってくる。
『領地(名誉)』を取り上げ、『実利(現金)』を与える。
今の困窮した大名なら、必ずこの毒饅頭に飛びつきます」
吉宗はこの案を「妙案」として採用。
徳山藩の再興は却下され、直ちに「徳山天領・西国物流代官所」が設置された。
萩藩は当初反発したが、提示された莫大な「配当金」の魅力に抗えず、渋々これを承諾した。
◇◇◇
評定が終わり、誰もいなくなった回廊。
天一坊は、茜色に染まる西の空を眺めていた。
その背後には、腹心の山内伊賀之亮が控えている。
「……恐ろしい手を打たれましたな、若君」
伊賀之亮がポツリと漏らした。
「徳山は長州の喉元。そこに幕府の巨大な物流拠点ができれば、長州は常に幕府の役人と軍船に監視されることになる。これでは、手足をもがれたも同然」
天一坊は、冷ややかな笑みを浮かべて振り返った。
「監視だけじゃないぞ、伊賀。
俺が真に狙っているのは、長州の精神の破壊だ」
「精神、でございますか?」
「ああ。萩の侍たちは、防長減封や、今回の裁定で幕府を恨んでいるかもしれん。だが、毎年『天領・徳山』から莫大な配当金が振り込まれ、豊かな暮らしができるようになればどうなる?」
天一坊は、扇子をパチンと鳴らした。
「人間、腹が減るから現状を変えようとする。貧しいから『革命』だの『維新』だのを夢見るんだ。
だが、幕府の仕組みにぶら下がって、ぬくぬくと太った飼い犬になったら?
……もう二度と、牙を剥こうとは思わなくなる」
伊賀之亮は、背筋に寒いものを感じた。
この若き主君は、武力で敵を倒すのではなく、豊かさという名の檻に対象を閉じ込めようとしているのだ。
天一坊は、心の中で、まだ見ぬ150年後の志士たちへ向けて独白した。
(高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文……。
お前たちが生まれる頃には、長州は『幕府公認の物流業者』として、骨の髄まで徳川経済圏に依存しているはずだ。
尊王攘夷? 倒幕?
……配当金が止まるのを恐れて、誰も立ち上がれまいよ)
天一坊は、西日に向かって目を細めた。
「さて、次は薩摩だ。
あそこには『琉球』という抜け穴がある。……あれもまた、俺の『経済圏』に組み込んでやるさ」
長州の喉元に打ち込まれた、黄金の楔。
天一坊は、見えない敵に向かって静かに言い放った。
「簡単に天下が獲れると思うなよ。
俺がこれだけ締め上げてもなお、維新を起こせるほどの気概がなければ、どうせ列強の餌食になるだけだ。
――そうやすやすと、明治維新は起こさせん」
賽は、天一坊の手の中で弄ばれている。
歴史の歯車は今、大きく音を立てて回転を始めた。
当初の構想に全くなかったストーリーですが、万役山事件という学びを反映させ、書き上げました。
拙作を最後までお読み頂き本当にありがとうございました。
これにて、天一坊の物語は完結となります。
本当にありがとうございました。




