第十二話 不夜城 尾張名古屋
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大坂を発ち、東海道を進んだ俺たちは、尾張・名古屋に入った。
その瞬間、俺は目を見張った。
暗く沈んだ大坂や、倹約令で火の消えた京とはまるで違う。街中が極彩色に輝き、昼間から芝居小屋の櫓太鼓が鳴り響き、人々は派手な着物で笑い合っている。
「……すげぇ。ここだけバブル経済だ」
尾張藩主・徳川宗春。
将軍・吉宗公のライバルであり、清貧を強いる幕府に中指を立て、規制緩和と積極財政を推し進める傾奇者。
俺はニヤリと笑った。
(この男となら、話が合うはずだ)
宿に入ろうとした矢先、派手な行列が道を塞いだ。
朱色の笠、金糸の着物。そして長いキセルをふかしながら、白牛の背に揺られて現れた男。
徳川宗春、その人だ。
「おい、そこの旅人。……噂の『将軍のご落胤』というのは、お主か?」
宗春が牛の上から俺を見下ろす。
伊賀之亮たちが緊張で身を硬くする中、俺は一歩前に出た。平伏はしない。不敵な笑みで返す。
「いかにも。父・吉宗公に会いに行く、徳川天一坊にございます」
「フン、吉宗の種か。……気に入らぬな」
宗春の目が鋭く光る。
「あの陰気な男の血を引く者が、また一人増えたか。どうせお主も、『贅沢は敵だ』『質素倹約こそ美徳』などと、カビの生えた説教を垂れるのであろう?」
周囲の空気が凍りつく。ここで答えを間違えれば、斬り捨てられる。
だが、俺には現代の経済学がある。
俺は懐から扇子を取り出し、パチンと鳴らして言い放った。
「とんでもない。……父・吉宗のやり方は『間違い』です」
「……ほう?」
宗春が眉を跳ね上げた。
「金は天下の回りもの。蔵に死蔵させては意味がない。民が使い、商人が回し、消費してこそ国は富む。……父上の倹約令は、一時的に幕府の金庫を潤すだけで、長い目で見れば民を干上がらせる政策に過ぎません」
俺は宗春を指差した(周囲が息を呑む)。
「対して、宗春公。貴殿のやり方は正しい。今の日本に必要なのは、貴殿のような『規制緩和』と『消費喚起』だ。……俺は父に会いに行くが、それは父のやり方を継ぐためではない。父に『あんたは古い』と引導を渡すためだ」
沈黙が流れた。
伊賀之亮が冷や汗を拭う。
次の瞬間、名古屋の街に高笑いが響き渡った。
「ギャハハハハ! 愉快! 実に愉快じゃ!!」
宗春は牛から飛び降りると、俺の肩をバシバシと叩いた。
「聞いたか皆の者! 吉宗の息子が、吉宗を『古い』と断じたぞ! あやつの倹約顔が歪むのが目に浮かぶわ!」
宗春は俺の顔を覗き込む。
「気に入った。お主、名は?」
「天一坊。……幼名は源氏坊」
「よし、源氏坊。わしがお主を『本物』と認めてやる」
彼は自分の腰に差していた、黄金造りの豪奢な太刀を俺に放り投げた。
尾張徳川家の紋が入った、家宝級の一振りだ。
「江戸へ行け。そしてあの堅物親父を泡吹かせてやれ。……もし道中、口うるさい水戸の御老人や、幕閣の古狸どもが『家柄がどうこう』と邪魔をしてきたら、その太刀を見せろ」
宗春はニヤリと笑った。
「筆頭御三家・尾張宗春が友と認めた男だ。文句があるなら名古屋まで来いとな」
――手に入れた。
最強の盾、尾張のお墨付き。
徳川御三家筆頭である尾張家が「認めた」という既成事実は、血統書以上の効力を持つ。
特に、家格や格式にうるさい水戸家や、幕府の保守派に対して、これ以上の牽制はない。
「感謝いたします、叔父上」
「ハッ! 調子の良い小僧だ。……吉宗より、よほど将軍の器があるかもしれんぞ」
宗春は再び牛に跨り、紫煙をくゆらせながら去っていった。
その背中は、史実の敗者ではなく、時代を先取りしすぎた革命家のそれだった。
俺は黄金の太刀を握りしめた。
大坂城代をハッタリで落とし、尾張藩主を政策論で味方につけた。
西の守りは完璧だ。
「行くぞ、伊賀之亮。……次は箱根越えだ」
目指すは江戸。
父・吉宗との対面、そして最大の難敵・大岡越前との知恵比べが待っている。
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