第十一話 大坂の陣、再び。〜100両の舞台装置〜
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伊予を出た俺たちが大坂の土を踏んだ時、街はすでに俺たちの噂で持ちきりだった。
「将軍の御落胤が、西から上ってくるらしい」
仙太郎を使った拡散と、伊賀之亮が放った流言飛語の効果だ。だが、噂だけでは権力者は動かない。
俺たちを迎撃するのは、幕府の西の守護神、大坂城代・土岐丹後守。
いきなり江戸の老中と対峙すれば、馬脚を表すことになる。まずはこの土岐丹後守を完璧に嵌めて、実績を作るのだ。
宿に到着するなり、軍師・伊賀之亮が動いた。
彼は懐から百両(約1000万円)の小判を無造作に取り出し、宿の主人に投げつけた。
「この宿を改装せよ」
「へ……? 改装、でございますか?」
「そうだ。壁を塗り直せ。畳を全て最高級の備後表に変えろ。床の間には狩野派の掛け軸を、庭には銘石を置け。……今夜中にだ」
主人が腰を抜かす中、伊賀之亮は冷徹に言い放つ。
「我が主君・天一坊様は、高貴な御方である。市井の薄汚い宿になど、一瞬たりともお通しできぬ」
これが伊賀之亮の策、権威の可視化だ。
百両という莫大な埋没費用を他人に見せつけることで、「これほどの金を使うのだから、本物に違いない」という心理を強制的に植え付ける。
一晩中、大工と職人が走り回り、ただの旅宿が、仮御殿へと変貌した。
◇◇◇
翌日。
案の定、大坂城代・土岐丹後守が、物々しい警護を引き連れて宿に乗り込んできた。
その目的は表敬訪問ではない。偽物狩りだ。
「おい! その天一坊とやらを出せ! 幕府の名を騙る不届き者、この場で召し捕ってくれる!」
土岐丹後守の怒声が響く。
宿の主人はガタガタと震えているが、伊賀之亮は涼しい顔で、奥座敷へと案内した。
そこには、真新しい畳の匂いと、高価な伽羅の香りが漂っていた。
部屋の最奥、御簾の向こうに、俺は座っていた。
丹後守が土足で踏み込まんとする勢いで叫ぶ。
「貴様か! 将軍家の血筋などと大嘘を……」
「控えよ、丹後」
俺は静かに、しかし腹の底から響く声で遮った。
怒鳴るのではない。あくまで「不愉快だ」という響きを含ませて。
丹後守が虚を突かれて足を止める。
俺は御簾越しに、ゆっくりと言葉を紡いだ。伊賀之亮に叩き込まれた、完璧な「公家言葉」と「武家言葉」との混成で。
「余の顔を見に来たのなら、まずはその土足を改めよ。……それとも、吉宗公の前でも同じ振る舞いができるのか?」
ハッタリだ。だが、この空間(百両かけた舞台)が、その言葉に重みを持たせる。
丹後守の脳裏に「万が一、本物だったら?」という疑念がよぎる。官僚とは、責任を恐れる生き物だ。
彼は無意識に草履を脱ぎ、上座へと進んだ。
そこで俺は、御簾を半分だけ上げさせた。
見えたのは、凛とした若者の姿。
そして、その手元にある白木の箱と、黄金に輝く「葵の御紋」の短刀。
「……っ!?」
丹後守の目が点になる。
俺は短刀を抜き放った。煌めく刃文。間違いなく名刀だ。そして添えられた「お墨付き」。
「丹後守。余は、母の遺言に従い、父・吉宗公に会いにゆく旅の途中だ。……それを『偽物』と断じるか? この短刀が偽物だと申すか?」
「そ、それは……」
「ならば斬れ。余を斬り、この短刀をへし折ればよい。……ただし」
俺は彼を射抜くように見据えた。
「その時、貴様の家、土岐一族がどうなるか……聡明なそちなら分かるな?」
この瞬間、勝負は決した。
丹後守の額から脂汗が噴き出す。
(もし偽物なら手柄だが、本物なら……一族郎党、切腹では済まない)
収益と不確実性が釣り合わない。役人としての防衛本能が、彼に「平伏」を選択させた。
ガシャリ、と丹後守はその場に両手をついた。
「……ご無礼を、仕りました。……若君様」
「分かればよい。旅の疲れが出ている。下がれ」
俺が手を振ると、あれほど威勢の良かった大坂城代は、逃げるように部屋を退出していった。
廊下に出た瞬間、彼は部下たちに叫んだ。
「馬鹿者! あれは本物だ! 粗相があってはならん、直ちに警護を固めろ! 大坂城から献上品を持て!」
◇◇◇
静寂が戻った部屋で、俺は大きく息を吐いた。
背中は冷や汗でびっしょりだ。
御簾の陰から、伊賀之亮がニヤリと笑って出てきた。
「見事ですな、天一坊殿。……あの強面の丹後守が、借りてきた猫のようだ」
「寿命が縮んだよ。……だが、これで分かった」
俺は短刀を鞘に納め、確信と共に言った。
「人は『真実』を見るんじゃない。『見たいもの』を見るんだ。……百両の舞台と、葵の紋、そして俺の態度。これらが揃えば、相手は勝手に俺を『本物』だと信じ込んでくれる」
「左様。それが『権威』の正体でござる」
大坂城代・土岐丹後守陥落。
この報せは早馬で江戸へ飛び、老中たちの耳にも届くだろう。
「大坂城代が認めた」というお墨付きを得て、俺たちはいよいよ最終局面、江戸へと向かう。
俺は縁側に出て、東の空を見上げた。
待っていろ、大岡越前。待っていろ、徳川吉宗。
史上最大の親子喧嘩を始めようじゃないか。
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