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それでも私は地球を選ぶ  作者: 喜多里夫


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第9話 月の裏側

 文化祭の展示内容は、夏休みに入る前のLHRでほぼ決まっていた。


 一年三組の案をクラス委員が黒板に書いた時、教室には一瞬、微妙な沈黙が流れた。


「……ちょっと地味なんじゃない?」


 誰かが正直に言った。


 黒板には、チョークでこう書かれている。


  錯覚・認知・観測の限界


 模擬店やお化け屋敷のような派手さはない。しかし、担任は腕を組んで頷いた。


「悪くない。わが校らしいし」


 その一言で、ほぼ決まった。


 準備が本格化したのは夏休み明けだった。


 教室の後ろには模造紙が積まれ、印刷された図版が並ぶ。

 美術が得意な生徒が錯視図形を清書し、理科が得意な生徒が説明文を考える。


 クラスの展示は三つのゾーンに分けられた。


  ・視覚の錯覚

  ・認知の錯覚

  ・観測の限界


 澪が主に関わったのは、最後の「観測の限界」だった。自然、小宮も同じ班になっていた。


「天野さん、これ……どう書いたらいい?」


 小宮が持ってきたのは、「観測の限界」と題された説明文の草稿だった。


 澪は椅子を引き、覗き込む。


「うぅん……『人間の目は世界をそのまま見ているわけではない』って部分、もう少し正確にした方がいい」


「正確に?」


「『脳が補正してる』って書いた方がいい。見ているのは光じゃなくて、解釈された結果だから」


 淡々とした口調だが、言葉は淀みない。


「つまり……?」


「同じ現象を見ても、人によって違う、ってこと」


 小宮はペンを止めた。


「……それ、結構怖いな」


「でも、事実」


 澪は即答した。


 人間の可視光の範囲、望遠鏡の限界、大気の影響。

 どれも派手ではないが、天文部の展示と密かに接続している。


「ここさ、天文部の写真とリンクさせない?」


 小宮が言う。


「月の写真とか?」


「うん。可視光で見える月と、赤外線で撮った月、並べるとか」


 澪は少し考え、頷いた。


「いいと思う。観測機器が違えば、同じ月でも別の顔になる」


 その言葉を聞きながら、小宮はふと思った。


 ――天野さん自身も、そうなのかもしれない。


 同じ教室にいても、見えている世界が違う。


     * * *


 天文部の準備は、クラス展示よりもさらに地味だった。


 展示物は、


  ・スペースバルーン

  ・成層圏から撮影した写真

  ・月の観測ログのコピー


 それだけだ。


 だが、篠原はそれでいいと言った。


「派手なことをやる必要はない。記録を見せろ」


 観測ログには、成功した日だけでなく、

 何も観測できなかった日も含まれている。


 雲が厚かった。

 風が強かった。

 機材トラブル。


「これ、消さなくていいんですか?」


 部員の中村が遠慮がちに訊くと、篠原は即答した。


「むしろ重要だ。科学は失敗の記録だ」


 澪は、黙ってログを整えていた。


 日付、時刻、天候、観測対象。

 淡々とした数字の羅列。


 だが、小宮にはそれが奇妙に美しく見えた。


「……こうやって並べると、なんか、時間が見えるな」


「うん」


 澪は肯定した。


「月は逃げないから。観測出来ないのは、こっちの都合」


 その言い方が、やけに冷静で、でもどこか優しかった。


     * * *


 文化祭当日。


 校舎はいつもより騒がしく、廊下には甘い匂いと人の声が満ちていた。


 澪と小宮は、午前中は一年三組の展示で説明係を務めた。


 そして、昼前。


「……ふう、やっと空き時間だよね」


 小宮がスマホを見る。


「うん。けど、わたし、1時から天文部の当番」


 澪はそう言うと、少しだけ周囲を見回した。


「じゃあ……喫茶店、行く?」


 家庭部の模擬店だった。


 教室を改装した簡易喫茶。

 紙コップのアイスコーヒーと、個包装の焼き菓子。


 二人が席に着くと、

 周囲の視線が一斉に集まった。


 ――あれ、例の二人じゃない?


 ――天文部の天野さんと新聞部の小宮くん。


 ――やっぱり付き合ってるの?


 周りの視線に小宮はともかく澪は全く鈍感といってよかった。


「さっきの展示でさ」


 小宮が言う。


「『観測出来ないものは存在しないのか?』って質問された」


「来ると思った」


 澪はアイスコーヒーをストローでチュルッと飲む。


「どう答えた?」


「……観測出来ないからって、存在しないとは限らない、って」


「それで正しい」


 澪は頷いた。


「月の裏側だって、見えなかっただけで、なかったわけじゃない」


 二人の会話に、周りの生徒は聞き耳を立てていた。


 ――月の裏側?


 ――なにそれ、何の比喩?


 ――やばくない?


 だが、二人は続ける。


「でもさ」


 小宮が少し声を落とす。


「『見えてないものを信じる』って、危うくない?」


 澪は一瞬、考えた。


「だから、記録が必要なんだよ」


「記録?」


「主観じゃなくて、積み重ねたデータ」


 その言葉が断片的になぜか妙に意味深に聞こえたらしく。


 ――信じる!


 ――主観?


 ――なに、その大人っぽい会話……?


 周りの盛り上がりは、勝手に加速していく。


 確かにこの時、澪と小宮は顔を近づけて話に熱中していた。


「ねえ」


 小宮が言った。


「月の観測ってさ……結局、『見える位置にいるかどうか』で決まるよね」


「うん」


 澪は即座に頷いた。


「地球から見える半分と、見えない半分」


「でも」


 小宮は言葉を探す。


「裏側が『選ばれなかった』わけじゃない」


 その言い方に、澪は一瞬、視線を上げた。


「……選ばれなかった、って言い方は違うかな」


「どう違う?」


「月が地球に同じ面を向けるのは、潮汐ロックの結果。意思じゃない」


 澪は淡々と続ける。


「見えないのは、条件の問題。価値の問題じゃない」


 その会話を、隣のテーブルの女子たちは息を潜めて聞いていた。


 ――価値の問題じゃない……?


 ――なにそれ……深……。


 ――完全に告白前のやつじゃん……。


「でもさ」


 小宮は、少し声を落とした。


「観測出来る側に立てるかどうかって、運もあるよね」


「ある」


 澪は否定しない。


「天候とか、場所とか、タイミングとか」


「才能とか?」


「……それは、後から評価されるもの」


 澪はそう言って、紙コップを両手で包んだ。


「最初から『選ばれてる人』なんて、いない」


 その言葉が、あまりにも自然に出てきたことに、澪自身が少し驚いた。


 驚いたのは隣のテーブルの女子たちも同じだった。


 ――最初から「選ばれてる人」なんて、いない……だって!?


 ――なにそれぇぇっ!


 ――もっ、もう恥ずかしくて聞いてられないっ!!


 澪は、少し間を置いて付け足す。


「たとえ観測する側に立てなくても、観測することは出来る」


「どういうこと?」


「うん。見て、記録して、残すことは出来る」


 その言葉に、小宮はしばらく黙った。


「天野さん……」


「なに?」


「君、時々、すごく遠いところの話をする」


 澪は少しだけ目を伏せた。


「……そう?」


「うん。でも、嫌じゃない」


 その一言がトドメとなった。

 周りの周囲の空気が完全に爆発した。


 ――今の聞いたぁ!?


 ――二人とも完全に好意あるじゃん!!


 ――てか、もう付き合ってるでしょ!!


 誰かがスマホを取り出し、誰かがニヤニヤ笑い、誰かが肘で友達を突いた。


 だが、二人は相変わらず、気づかない。


「ねえ」


 澪が言う。


「月の裏側が怖いって言う人、多いけど」


「うん」


「私は……見えないから怖いんだと思う」


「観測出来ないから?」


「そう。知らないものを、想像で埋めるから」


 澪は、静かに続ける。


「でも、想像って、たいてい現実より過激」


 その言葉は、彼女自身の体験に、わずかに触れていた。


 だが、小宮はそれを追及しなかった。


「じゃあ……」


「?」


「もし、『見る側』と『見られる側』が逆になったら?」


 澪は、ハッとした。


「……どういう意味?」


「観測してたつもりが、観測されてた、とか」


 一瞬、喫茶店の音が遠のいた。


 だが、すぐに首を振る。


「……それでも、記録は残る」


「記録?」


「誰かが見た、という事実」


 その時。


「天野さん!」


 男子の声が、澪の名前を呼んだ。


 天文部長の塩原だった。


「ここにいたの? 次、説明係だよ! もう五分前!」


 澪と小宮は、同時に顔を見合わせた。


「……えっ?」


「えっ?」


 スマホを見る。


 ――本当だ。 


 澪は、慌てて立ち上がった。


「ごめん……」


「いや、こっちこそ」


 二人はトレイを返却口に運び、教室を出る。


 廊下に出た瞬間、喫茶店のざわめきが一気に背後へ遠ざかった。


 誰かが囁く。


 ――今の、完全にデートだよね!?


 ――文化祭の名場面決定!!


 澪は、そんな声は知らない。


 それよりも、胸の奥に引っかかる感覚があった。


 ――見えるものと、見えないもの。

 ――見る側と、見られる側。


 その境界は、普段思っているより、ずっと曖昧だ。


 そしてそれは、まだ澪自身も知らない形で、彼女を次の場所へと近づけていた。


     * * *


 この日の夜。


 澪は、夢の中で足場を失った。


 落ちているのではない。引き離されている、と感じた。どこから? 地面から。


 地面が、空が、距離という概念そのものが、音もなく遠ざかり、澪は天高く昇っていく感じがしていた。


 この時は「怖い」と思ったはずなのに、心臓の鼓動は不思議なほど静かだった。


 気づいたとき、澪はもう学校の屋上にも、自分の部屋にもいなかった。


 下に、地球があった。


 どこかで見た覚えがある。


 ——ああ、スペースバルーンの……。


 初夏に天文部で成層圏に飛ばしたスペースバルーンが撮影した映像を思い出した。


 それでも澪の眼下に広がる地球はあまりにも近く、あまりにも大きく、息を呑むほど――青かった。


 深い青、淡い青、場所によって色を変える海。その上に、白い雲がゆっくりと渦を巻いている。


 ——きれい……。


 思わず、そんな幼い言葉が胸に浮かぶ。

 写真や映像で何度も見たはずの「地球」なのに、まったく違う。

 画面越しではなく、自分がそこに浮かんで見ているという事実が、現実感を奪っていく。


 雲の縁は柔らかく光り、海と陸の境界は思ったより曖昧だ。

 地球は、境目のはっきりした球体ではなく、呼吸する生き物のように見えた。


 ――こんなに、優しい色だったんだ。


 なぜか、涙が出そうになる。

 理由はわからない。ただ、懐かしい。

 帰ってきたような気がして、同時に、もう戻れない場所を見ているような気もした。


 視界に入る青と白の縁取りが一つの球体だと理解した瞬間、澪は自分がどこにいるのかを悟った。


 ——宇宙空間だ。


 しかし、息苦しさも、寒さもない。ただ、どこまでも澄んで音もない闇と、確かな距離感だけがあった。


 そして。


 地球が、少しずつ遠ざかる。

 自分が動いているのか、地球が離れていくのか、澪には判断がつかない。


 気づけば、周囲は漆黒の闇だった。

 上下も前後もない、音も風もない、完全な無音。


 星はある。

 数え切れないほど、無数に。


 けれど――。


 誰も、いない。


 その事実が、胸の奥に冷たく落ちてくる。

 地球の近くにいたときには感じなかった孤独が、急に輪郭を持つ。


 宇宙は広すぎた。

 自分は小さすぎた。


 澪は初めて、「ここで一人になる」ことの怖さを知る。

 叫んでも、声は届かない。

 手を伸ばしても、触れるものは何もない。


 わたし、今……一人だ。


 心臓が速く打ち始める。

 息をしている感覚すら、あやふやになる。


 思わず頭を上げた。


 視界に丸い灰色――月だ。


 月が近づいてくる。


 地球と違って青も白もない、乾いた灰色。

 それなのに、不思議と恐怖は薄れる。


 澪は月面上空を、音もなく滑るように飛んでいく。

 クレーターの影は鋭く、日向と日陰の境界は、くっきりと線が引かれていた。


 やがて、ひときわ目を引く場所が現れる。


 ――アリスタルコス。


 周囲よりも明るく、放射状に伸びる筋が、月面に刻まれている。


 月で一番、明るいクレーター。


 その上空を通過しようとした、その時。


 ――光った。


 一瞬、ほんの一瞬。

 だが、見間違いではない。


 白でもなく、太陽光の反射でもない、内側から滲むような発光。


 澪は、ハッと息を呑む。


 ――今の……なに?


 アリスタルコスの縁、影の奥。

 そこに、規則性のある光が、確かに存在していた。


 心臓が、ドクンと鳴る。


 それは自然現象とは思えなかった。

 少なくとも、「偶然」ではない。


 ――見られている。


 そんな感覚が、背中をなぞる。


 澪はまだ、この先で何を見ることになるのかを知らない。

 ただ、月は「静か」なのではなく、静かにしているのではないか――そんな考えが、初めて胸に芽生えた。


――境界線を越えた。


 澪は直感した。


 月の稜線を回り込むように進んだ瞬間、それまで背後に感じていたはずの「地球」が、スッと消えたからだ。


 振り返っても、黒い空だけだ。


 青も白もない。

 見慣れた光の存在感が、完全に断ち切られている。


 ――見えない。


 理屈ではわかっている。

 月は常に同じ面を地球に向けている。

 裏側に回れば当然、地球は見えない。


 けれど、実際にそれを「体験」すると、意味が違った。


 澪は、自分が完全に地球から切り離されたと感じた。

 もう、帰る方向を示す目印がない。


 月の裏側は、表側よりも暗い。

 クレーターは深く、影は濃く、光は鋭い。


 星は同じように瞬いているのに、

 ここではそれが、慰めにならなかった。


 しばらく進むと、奇妙な感覚が生まれる。


 ――静かすぎる。


 月はもともと無音の世界だ。

 風も水もない。


 それなのに、「音が消されている」ような静けさがあった。


 澪は思わず、減速する。

 足も身体もないのに、「月面に降り立つ」という感覚だけが残る。


 ――ここは……?


 言葉にならないが、はっきりとした違和感。

 自然物だけで構成された場所に特有の、雑然とした感じがない。


 整理されすぎている。


 クレーターの縁、岩の並び、影の落ち方――すべてが、人工的な配置のように見えた。


 そのとき、澪は思い出す。


 塚田先輩の話。


 ――半世紀ほど前、インゴ・スワンっていうアメリカの超能力者が、月の裏側を見たって……基地みたいなものがあって、「彼らは気づいている」って言った、って。


 確かそんな話をして、いつものように塩原先輩にバカにされてたっけ。

 当時は、わたしも冗談だと思っていた。

 オカルト好きの作り話だと。


 でも今。


 自分の背中をなぞるこの感覚は、偶然ではない。


 ――見られている!


 澪は突然、そう確信する。


 どこからかは、わからない。

 カメラも目もない。


 それでも。

 こちらの存在が、すでに把握されているとわかった。


 澪は、息を詰める。

 隠れるという発想が、遅れて頭をよぎる。


 だが、もう遅い。


 開き直って進んでいくと――。

 影が不自然に深く落ちる場所に、規則的な形が見えた。


 直線。

 曲線。

 自然ではありえない、滑らかな境界。


 ――キャタピラの跡?


 どこかの国の秘密基地?

 冷戦時代の遺産?

 そんな合理的な説明を、脳が必死に探す。


 だが、次の瞬間、すべてが崩れる。


 動いた。


 影の中で、何かが。


 人影――いや、少なくとも、人間と同じような形をした何か。


 澪の視線と、それが――合った。


 その瞬間。


 強烈な圧迫感が、澪を包む。


 音ではない。

 言葉でもない。


 けれど、意味だけが、直接流れ込んでくる。


 ――ここを見るな!


 ――戻れ!


 有無を言わさぬ命令だった。

 交渉の余地はない。


 澪は、理解する前に恐怖に飲み込まれる。


 なに、これっ……!?


 頭が、熱い。

 視界が、歪む。


 インゴ・スワンが「発見された」と報告した時、実験に同席していた人物は彼に「戻れ」と命じたという。


 でも澪の場合は、相手に命じられたのだ。それも口ではなくテレパシー(?)で。


 とっさのことで、どう動いていいか、わからない。


 ただ、「逃げなければ」という本能だけが叫ぶ。


 ――でも、なんで!? 見ただけなのに……!


 意識が、引き剥がされる。

 月の裏側が、急速に遠ざかる。


 恐怖の叫びが、喉まで込み上げ――。


「澪!」


 誰かが、名前を呼んだ。


 強く、現実的な声。


 月も、影も、視線も、

 すべてが一気に崩れ落ちる。


 澪は、叫んだ。


 肩を揺すられる感触。息が詰まり、澪は飛び起きた。天井。見慣れた自分の部屋。カーテンの隙間から差し込む、朝の光。


「夢……?」


 声が震えている。


 母がベッドの縁に座り、父が少し離れて立っていた。二人とも、心配そうな顔をしている。


 「すごくうなされてた。大丈夫?」


 大丈夫、と言おうとして、澪は言葉を飲み込んだ。胸の奥に、まだ月の冷たさが残っている。


「うん……悪い夢を見たみたい……」


 澪は簡単に話をした。


 夜、気がついたら空を飛んでいる気がしたこと……地球を飛び出し、月の裏側まで行ったこと……そこで何者かに「戻れ!」と言われたこと……。


 それを聞いて父は小さく息を吐いた。


 父は、澪の目を真正面から見ない。

 カーテンの隙間から差す朝の光を見ながら言う。


「……夢という言葉で片づけるには、少し精度が高すぎるな」


「じゃあ、夢じゃないの?」


「夢だけじゃない、という言い方になる」


 澪は眉を顰める。


「それって、どういうこと……?」


 父は一拍、間を置いた。


「今は、説明しきれない。ただ……危険なものじゃない。澪が壊れているわけでもない」


 それだけ言って、父は話を切る。


 「……澪。今日は、学校を休もう」


 反論する気力は無かった。


 澪は普段着に着替えて半日、自分の部屋で過ごした。


 夕方。


「澪、小宮君がお見舞いに来てくれたわよ……どうする? 会う?」


 澪は少しだけ考えてから答えた。


「……うん」


 母に案内されて上がってきた小宮は、いつもより少しだけ表情が硬い。母が澪の部屋まで案内してくれた。


「顔色、悪いね」


「夢、見ただけなんだけど」


 嘘ではなかった。でも、全部でもなかった。


 二人で澪の部屋に座る。カーテン越しに、夕方の光が差し込んでいる。


 「月の……裏側に行った」


 ポツリと、澪は言った。


 小宮は黙っていた。ただ、静かに続きを待つ。


「建物があって……見られて……」


 澪は珍しく言葉に詰まった。それはあまりにも奇妙な体験のせいか、小宮が目の前にいるせいだったからか。


「天野さんにどんな能力があろうと」


 小宮が言った。


 「天野さんは、天野さんだよ」


 澪は何も答えなかった。ただ、しばらく無表情のまま、夕焼けを見ていた。


 その夜。


 満月が、雲ひとつない空に浮かんでいた。澪の部屋は、淡い光で満たされている。


 澪は、ベッドに腰かけたまま、月を見上げなかった。


 それでも、月の光は確かにそこにあった。


 ——見なくても、ある。


 その事実が、少しだけ澪を安心させた。


 静かな夜だった。

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