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それでも私は地球を選ぶ  作者: 喜多里夫


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3/16

第3話 記録と憶測の間

 翌週の月曜日――。

 放課後のチャイムが鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。

 椅子を引く音、カバンのファスナー、部活の話題。


 澪はノートを閉じながら、5限目「現代の国語」の授業の板書を見つめていた。

 まだ、中間テストで答案用紙に書き込まれた先生の赤い字が頭から離れない。


「天野さん……」


 声をかけられて、顔を上げる。


 小宮だった。

 自分の席に座っている澪のすぐ目の前に立って、廊下側の少しだけ視線を泳がせている。


「今から、ちょっと時間ある?」


 一瞬、教室のざわめきが止まった気がした。小宮がこの時点ですでに「澪のパーソナルスペースを侵犯している」と周囲は見ているらしい。


「あるけど……何をしに?」


 澪がそう返すと、周囲の生徒たちが、露骨に二人を見る。


「えっ、あの二人?」


「意外な組み合わせじゃない?」


「優等生の天野さんと……小宮?」


 囁き声。

 もっともこれは、悪意というより好奇心。


 小宮は肩をすくめた。


「ほら、週末の……」


 河岸段丘。

 ペルム紀の化石。

 UFO談義。


「あっ、土曜日のあれの続き?」


「そう」


「いいよ」


 短いやりとりなのに、教室の視線は妙に熱い。


「何だよ、土曜日の『あれ』って?」


「文系だけは出来る小宮が、学年一の優等生を口説いてる」


 周りの誰かがそう囁いて小さく笑った。


 澪は、わずかに眉を顰める。


「わたし、『優等生』じゃない……」


「えっ?」


「国語、苦手」


 小宮は一瞬きょとんとした。


「この前のテスト」


 澪は、バッグから答案用紙を取り出した。

 赤ペンで、大きく「×」が付いている箇所を小宮に示す。


 問五「この時の登場人物の気持ちを述べよ」


 澪の答えに先生のコメントが一行、書き添えられていた。


『本文中には、まだそこまで書かれていません』


「……それで?」


「減点どころか、×」


 小宮は、数秒沈黙したあと、吹き出した。


「それ、正論すぎるだろ」


「授業で最後まで読んだから、結末はわかってるじゃない?」


「国語はそういう科目じゃないんだよ」


「理解はしてる」


 納得はしていないが。


「逆にさ」


 小宮は、自分の答案を思い出したように言った。


「俺、数Aのテストで、途中式ほぼ空欄」


「……どうして?」


「公式は覚えてる。でも、なんでそうなるかがわからない」


 澪は少しだけ目を瞬かせた。


「それは……」


 説明しようとして、言葉を探す。


 小宮は苦笑した。


「ほらね。ぼくは『気持ち』は書けるけど、数式の意味が掴めないんだ」


「じゃあ、新聞部の部室に来てくれる?」


 小宮は、もう一度真正面から澪を見て言った。


「うん……部室、どこ?」


 小宮の表情が、わずかに明るくなる。


「クラブ棟の一階の端。静かだよ」


 澪は小宮に続いて教室を出た。

 背中に、まだクラスメイトたちの視線を感じながら。


 渡り廊下を抜けると、空気が少し変わる。

 コンクリートの色がくすみ、床の軋む音がはっきりと聞こえる。クラブ棟は教室棟とは違う時間が流れているようだ。


「そういえばさ」


 いつの間にか並んで歩きながら、小宮は何気ない調子で言った。


「篠原先生の噂、聞いたことある?」


「噂?」


「うん。意外と高齢らしいってやつ」


 澪は足を止めずに答える。


「根拠は?」


「さあ。でも、『昔からいた』って言う人は多い」


「教員の在職年数は、調べれば――」


「まあまあ」


 小宮は軽く手を振った。


「でもね、こういう話もあるんだ。篠原先生、母娘(おやこ)で理科の教師だったんだって」


 澪は、わずかに小宮に視線を向けた。


「母娘?」


「そう。昔この学校にいたのが母親で、今いるのが娘」


「それなら、混同されているだけですね」


「でしょ」


 小宮はあっさり頷く。


「学校って、そういう話、都市伝説みたいになっちゃうところだから」


 澪はそれ以上言わなかった。


 合理的な説明だったし、否定する材料もない。


 ただ。


「でもさ」


 小宮が続ける。


「校舎の配線とか、設備の癖とか」


「……詳しいですね」


「詳しすぎない?」


 冗談めかした言い方だったが、どこか引っかかる響きがあった。


「理科教師なら、把握していても不自然ではありません」


「うん。そうなんだけど」


 小宮は立ち止まり、古い掲示板を見上げた。


「『ここ、昔は実験室だった』とかさ。聞いた話、っていうより……」


「……?」


「いや、なんでもない」


 言いかけて、小宮は首を振った。


「学校あるある、だよね」


 その言葉で、話題は一応終わった。


 けれど澪の中には、微かな違和感だけが残った。


 合理的で、説明はつく。

 それなのに、どこか説明しきれていない。


 廊下を歩きながら、澪は思う。


 ――確認できない情報。


 それは、科学では扱いにくい。


 そして、だからこそ。


 小宮がわざわざ新聞部室に呼んだ理由が、少しだけ見えた気がした。


 クラブ棟一階の一番奥。


 新聞部室は、扉を開けた瞬間に紙の匂いがした。インクと埃、そして少しだけカビの混じった、時間の層の匂い。


「どうぞ」


「あっ、小宮くん」


 部室の中にはノートパソコンとにらめっこしている女子部員が一人だけ。上履きの色からすると、二年生らしい。


「あれっ、他の先輩たちは?」


「なんか、今日は補習だの課外だのって……あっ、そういえば小宮くん」


「はい?」


「週末、天文部のスペースバルーン取材に行ったんだよね」


「はい」


 小宮が短く答える。


「あなたの書いた原稿、みんなが話題にしてたよ」


 女子部員がパソコンの画面を見せた。小宮が週末に書いた原稿が映し出されている。


「部長がさ、小宮くんの文章、すごく褒めてた」


「……そうですか?」


「『簡にして要』だって」


「それ、ホントに褒め言葉ですか?」


「そうじゃない?」


 そう言われて小宮は思った。


 ――余計なこと書かないのがいい、ってことかな? まあ、「意図的」なんだけど。


「ありがとうございます」


 小宮は少し照れたように答えたが、澪の耳元で、


「今朝、ちゃんと篠原先生の『検閲』を受けてるから」


と、囁いた。


 澪は、小宮と女子部員とのやりとりを一歩引いた位置から見ていた。


 ――ここが、小宮くんの居場所だ。


 言葉の距離感、空気の流れ。

 天文部とは、ちょっと違う。


「明日、スペースバルーン特集のWEB版も出すって。じゃあね」


 女子生徒が立ち上がり、鞄を持った。


「私は帰るから」


「えっ、もう?」


「うん。今日は開店休業だよ……で、その人、どなた?」


 ここで初めて女子部員は、澪の顔を見て言った。


「もしかして、小宮くんのカノジョ?」


「違います」


 小宮は即答した。


「同じクラスの天野さん」


「えっ!?」


 女子部員が小宮と澪の顔を交互に見た。


「あの、天野澪さん? リケジョの? 数学と理科は満点以外取ったことがない、という?」


 少し間を置いて。


「噂の天才少女じゃん!」


 澪が何かを言う前に、小宮は肩をすくめた。


「別に……普通の人ですよ」


「それ言えるの、この部室の中だけだよ」


 女子部員が笑った。


「ここは『文系の城』だから……じゃあね」


 女子部員はそう言いながらノートパソコンを片付け、手をひらひらさせて部室を出て行った。


 足音が遠ざかる。

 その途端、小宮には部室が急に広くなったように感じられた。


「ごっ、ごめんね」


「なぜ、小宮くんが謝るの?」


「天才少女だなんて……言われたくないよね?」


「まあ……私は私だから……」


「強い……」


 そこで澪は初めて新聞部の部室の中を見渡した。


 製本されたバックナンバー、切り抜きファイル、年代別にまとめられた段ボール箱。


「……意外と、きちんとしてますね」


「意外とは……余計だよ」


 小宮は笑った。


「新聞部、こう見えて資料は多い。学校で一番、過去が溜まってる場所なんだ」


 澪は部屋を見回した。


 天文部の部室と似ている。

 どちらも、今、ここより「違う世界」を見ている。


「座って」


 小宮はパイプ椅子を一つ引き、机の上に古い新聞の束を置いた。


 輪ゴムは茶色く劣化し、紙の縁は黄ばんでいる。


「これ」


 小宮が言う。


「1970年前後の地方紙。縮刷じゃなくて、実物」


 澪は眉をわずかに動かした。


「保存状態が、あまり良くありません」


「そう。だから逆に、いじられてない」


 澪は黙って、一枚手に取った。


 紙は薄く、指先にざらりとした感触が残る。


 大きな見出し。


 ――《人類、月世界へ到達》


 アポロ11号、月面着陸成功。けさ5時17分40秒「静かの海」に。


 人類史に刻まれる壮挙。


 写真には、白い宇宙服の宇宙飛行士と、地球の浮かぶ黒い空。


「当時は、これ一色だった」


 小宮が言う。


「テレビも、新聞も、全部」


「当然です」


 澪は答える。


「人類史的快挙ですから」


「うん。でもね」


 小宮は、別の紙面を引き抜いた。


「その『裏』」


 小さな記事だった。


 社会面の隅。


 《夜空に奇妙な光 各地で目撃情報》


 《未確認飛行物体か》


 日付は、アポロ11号帰還直後。


「……同時期ですね」


「そう」


 小宮は、さらに何枚も並べる。


 山梨。長野。群馬。

 場所は違う。表現も違う。


 けれど。


「共通点がある」


 澪は、もう自分で気づいていた。


「『音がしない』」


「正解」


「『急に現れて、消える』」


「それも」


「証言者が、天文現象と混同しやすい時間帯……流星、人工衛星、ロケットの再突入……」


 澪は淡々と続けるが、胸の奥で何かが引っかかった。


「うん。説明はできる」


 一方で、小宮はあっさり認めたが。


「じゃあ、これは?」


 小宮は『星嶺高校八十年史』と題された古ぼけた本を開いて、あるページを澪に示した。


「星嶺高校はね」


と、小宮は言った。


「戦前の旧制中学と高等女学校が統合されて新制高校として発足したんだ……この写真を見て」


 昔の木造校舎の前で、先生と女生徒たちが並んでいる。


 生徒たちはモンペ姿。


 そして。


 中央より少し外れた位置。


 眼鏡をかけた女性。


「……」


 澪の視線が、止まった。目を離そうとしたが、出来なかった。

 小宮は一瞬、言い淀んだようだった。


「似てる、でしょ?」


と、澪が思った通りのことを言った。


「篠原先生に」


 澪は、写真をじっと見つめた。


 確かに、面影がある。

 輪郭。姿勢。視線の置き方。

 面影というより、本人そのものだ。

 しかし、常識的に言って――。


「別人の可能性が高いです」


 すぐに、そう言った。


「写真の年代は?」


「戦争中」


「なら――」


「そう。年齢が合わない」


 小宮は頷いた。


「だから、普通はここで終わる話」


 澪は写真を机に戻した。


「……終わらせない理由は?」


「違和感」


 小宮は即答した。


「感覚的なもの。似すぎてる……」


「うん」


 小宮は笑った。


「天野さんが一番嫌いなやつ」


 澪は否定しなかった。


 その代わり、もう一度写真を見る。


 胸の奥に、微かなざわめきがあった。


 理由は、わからない。


 けれど。


「この記事」


 澪は、別の紙面を指した。


「宇宙飛行士が『月で何かを見た』という噂」


「そう。それ」


 小宮の目が、少しだけ光る。


「公式には否定されてる。でも、当時は真面目に議論されてた」


「憶測の域です」


「でも、人は憶測で動く」


 沈黙。


 古い時計の秒針の音だけが、部室に響く。


「天野さん」


 小宮が言った。


「全部、説明できると思う?」


 澪は、少しだけ考えた。


「……理論上は」


「でも?」


「データが足りません」


 小宮は、その答えに満足そうだった。


「だよね」


 そう言って、彼は椅子にもたれかかる。


「だからさ」


 軽い調子で続ける。


「一緒に集めようよ。説明出来ないやつ」


 澪は、答えなかった。


 けれど、考える。


 合理的ではない。


 科学的でもない。


 それでも。


 ――無視できない。


 指が写真の頁の端に触れたまま離れない。


 その感覚を、澪はまだ、言葉にすることが出来ずにいた。

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