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それでも私は地球を選ぶ  作者: 喜多里夫


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12/16

第12話 生成

 それは年末――冬休みに入ってすぐの日曜日の朝だった。


 ここは天野博士の勤務先、国立天文科学研究機構・信州観測研究センターにある一室である。


 白い照明の下、円形の観測室にモニターが並ぶ。天野博士は計測機器の最終確認を終え、澪に視線を向けた。


「無理はするな。異常が出たら、即座に切る」


「分かってる」


 澪は軽くうなずく。表情は落ち着いているが、胸の奥で、潮のようなざわめきが広がっていた。


 壁際の大型モニターには、遠隔同期を試みる知念の姿が映っている。冬ではあるが信州とは全く異なる景色の沖縄。背後で波の音がかすかに混じる。


「澪、聞こえる?」


「うん。大丈夫。琉香は?」


「大丈夫。彼女の思念は強い」


 澪の父――天野博士――はモニターから目を離さずに言った。その声は、見えていないものを見ている人のそれだった。


 少し離れた位置で、母が立っている。計測値には関わらず、ただ澪を見守っていた。


「私は……行けないわね」


 澪が振り向く。


「どうして?」


「私には力が無いから」


 そう言って、母は微笑んだ。


「でも、戻ってくる場所にはなれる。祈るくらいなら、できるもの」


 澪は小さく息を吸い、目を閉じた。


「同期、開始」


 天野博士の合図で、室内の照明が落ちる。


 澪と小宮と知念。


 三人の思念が重なり、思考が過去へと飛翔する。


 澪はゆっくりと目を開けた。


 暗闇ではなかった。

 だが、光でもない。


 澪の意識が最初に捉えたのは、濃度だった。

 何かが満ちている。空間そのものが、粒子で重くなっている。


「……ここ、どこ?」


 声にしたつもりだったが、振動にならない。

 言葉が、概念のまま漂う。


「見えてる?」


 少し遅れて、知念の声が重なった。

 距離感がない。沖縄も、観測室も、消えている。


「見えてる。たぶん……」


 澪はそう答えながら、理解していた。

 これは「場所」じゃない。段階だ。


 無数の微粒子。

 塵とガスが、ゆっくりと回っている。


「……回転、してる」


 澪の言葉に、小宮が息をのむ気配が混じった。


「えっ、これ……写真で見たことある」


「どれ?」


「その……宇宙の、赤っぽいやつ。ほら」


 澪は頷く。

 小宮の言っているものが、すぐに分かった。


「オリオン星雲」


「ああ……」


 知念が、少し笑った。


「教科書だと、綺麗すぎるやつね」


 だが、今見ているそれは、写真とは違う。

 色は淡く、境界は曖昧で、どこまでも連続している。


 始まりか、終わりかもわからない混沌(カオス)


「お父さん」


 澪は呼びかけた。


「これ、原始太陽系……?」


「そうだ」


 父の声は、遠くから聞こえた。

 淡々としている。


「正確には、原始太陽系星雲。その一部だ」


 それ以上の説明はない。


 だが、澪には分かる。

 中心部――わずかに密度が高い場所で、何かが起きている。


「……圧縮、始まってる」


 誰に向けた言葉でもなかった。

 事実を確認するような独り言。


 塵が、集まっている。

 速く回る部分と、遅い部分が分かれ、円盤の形が浮かび上がる。


「うわ……」


 小宮の声が、素直に震えた。


「これ、CGじゃないんだよね?」


「うん」


 澪は即答する。


「記録でも、想像でもない。現実の進行形」


「時間が圧縮されてるみたい」


 知念が言った。


「1,000万年分かを、1分くらいで見せられてる感じ」


「酔う……」


 小宮がぼそっと言う。


「因果関係すっ飛ばして、結果だけ頭に流し込まれるの、きつい……」


 澪は少しだけ、そちらに意識を向けた。


「大丈夫?」


「うん……でも、これ」


 一瞬、言葉を探す間があった。


「……すごい」


 円盤の中で、粒が粒を呼ぶ。

 衝突し、砕け、また結びつく。


 秩序が、偶然の顔をして生まれてくる。


「これが……太陽?」


 知念の声が、少しだけ高くなる。


 中心部が、白く輝き始めていた。

 重力が、臨界を超える。


「まだ、完全じゃない」


 澪はそう言いながら、確信していた。

 これは「太陽誕生の直前」だ。


 やがて、光が弾ける。


 ――点火。


 圧倒的なエネルギーが、周囲を押しのける。

 円盤は吹き飛ばされず、形を保ったまま広がる。


「恒星の誕生だ」


 父の声が、それだけを告げる。


 次の瞬間、視界が開けた。


 巨大な円盤。

 中心で若い太陽が燃え、周囲を取り巻くガスと塵が、ゆっくりと渦を巻いている。


「うわ……」


 小宮の声が、思わず漏れた。


「オリオン星雲……?」


「ちがう」


 澪は首を振る。


「もっと、近い。生まれたての……」


 ――原始太陽系星雲。


 だが、視界はもう次へ移っていた。


 円盤の中に、濃淡が生まれる。

 密な場所、疎な場所。


 渦。

 小さな渦。

 さらに小さな渦。


「……これ」


 澪の中で、名前が浮かぶ。


「微惑星」


 誰も否定しない。


 塵が、岩になり、

 岩が、塊になる。


 速いもの、遅いもの。

 内側と、外側。


「同じ材料なのに」


 知念が言う。


「場所が違うだけで、運命が分かれる」


 その言葉に、澪はわずかに反応した。


「……運命、って言い方は、正確じゃない」


『わかってる』


 知念はすぐに答える。


「でも、そう感じちゃう」


 小宮が、黙ってそれを聞いている。


 内側では、軽い物質が吹き飛ばされる。

 外側では、氷が残る。


「条件の違い」


 澪は、ほとんど自分に言い聞かせるように言った。


「距離と、温度と、時間」


 円盤の中で、

 いくつかの塊が、他よりも速く成長し始める。


 重い。

 大きい。

 引き寄せる。


「……あれ」


 小宮が指さす。


「でかすぎない?」


 澪は、見なくても分かった。


「木星」


 名前が、自然に口をついた。


 まだ完成していない。

 だが、すでに圧倒的だ。


「早熟すぎる」


 知念の声が、低くなる。


「周り、全部引っ張ってる」


 木星の重力が、円盤を歪める。

 軌道が乱れ、内側へと――。


 澪の中に、嫌な予感が走った。


 この時点で、すでに未来は揺らぎ始めている。


 澪は、はっきりと感じていた。


 ――これは、始まりじゃない……嵐の前だ。


 暗闇の奥で、重さが生まれた。


 圧倒的な「質量」。


 澪は、それが近づいてくるのを、視覚より先に感じ取った。

 空間そのものが、わずかに歪む。


「……来る」


 誰に言うでもなく、澪が呟く。


 言葉にした瞬間、円盤の一部が異様な速度で凝縮を始めた。


 ガスが集まり、塵が集まり、引力が引力を呼ぶ。


「……木星だ」


 澪は確信する。


 まだ「完成」していない。

 だが、すでに周囲を支配するだけの質量を持っている。


 木星は、成長しながら内側へ落ちてきた。


 ゆっくり。

 しかし、止まらない。


 軌道上にあった小さな岩石天体が、次々に弾き飛ばされる。

 いくつかは太陽へ、

 いくつかは外へ。


「待って……」


 小宮が息を詰める。


「これ、内惑星……壊れる……」


 澪も、同じ不安を抱いた。


 このままでは、水星も、金星も、そして――地球も。


 だが。


 木星の背後で、もう一つの重さが生まれる。


 木星ほどではない。

 けれど、十分に強い。


「……土星」


 その名を呼んだのは、知念だった。


 声が、少し震えている。


 土星が成長し、木星の後を追う。

 二つの巨人は、やがて共鳴に入った。


 見えない鎖で、互いを縛るように。


「……引き返す」


 澪の言葉と同時に、宇宙が反転する。


 木星の動きが、止まる。

 いや――向きが変わる。


 内側へ侵入していた巨人が、今度は外へ。


「グランド・タック……」


 小宮が、かろうじて言葉を拾う。


「ヨットが方向転換するみたいに……」


 だが、その「方向転換」は、あまりにも荒々しかった。


 それは、ただの「移動」ではなかった。

 重力の配置そのものが、書き換えられていく。


 円盤の外縁。

 天王星の内側――土星との間に、もう一つ、質量のまとまりがあった。


「……あれ?」


 小宮が、最初に気づいた。


「ちょっと待って。天王星と土星の間……今、何か……」


 澪は、視線を向ける前から理解していた。

 そこに星が「あった」ことを。


「いた」


 短く、断定する。


「惑星になりかけてた。質量も、軌道も……足りてた」


「じゃあ……」


 知念の声が、わずかに揺れる。


「名前、あるの?」


 澪は、答えなかった。

 答えられなかった。


 その星は、まだ公転を安定させきれず、木星と土星の共鳴に、真正面から巻き込まれていた。


 引かれる。

 押し返される。


 逃げ場がない。


 重力の綱引きの中で、その星の軌道が、細く、歪み始める。


「外に……」


 小宮が、息を詰める。


「外に、引っ張られてる……」


 澪は、否定しない。


「うん。臨界、越えた」


 その瞬間。


 星は、弾き出された。


 太陽を中心とした円環から、音もなく、だが取り返しのつかない速度で――。


「待って!」


 知念が、思わず声を出す。


 だが、引き止める力は、どこにもない。


 その星は、振り返らない。

 いや、振り返るという概念すら、持たない。


 ただ、光の届かない方向へ、孤独な放物線を描いていく。


「あの星……」


 知念の声が、かすれる。


「さよなら、って……」


 言いかけて、止まる。


 しかし、澪は静かに首を振った。


「……言ってない」


「えっ?」


「言えない。あれは……選ばれなかったんじゃない」


 澪は、星が遠ざかっていく闇を見つめる。


「条件から、外れただけ」


 木星でもない。

 土星でもない。

 天王星にも、海王星にもなれなかった。


 ただ一つ、軌道を失った存在。


 その星は、やがて恒星間空間へと溶けていく。


 太陽の光は、急速に弱まり、闇が、すべてを包む。


「永遠に……?」


 小宮が、かろうじて言葉をつなぐ。


「帰ってこれないの?」


 澪は、少し考えてから答えた。


「ほぼ、ない。他の恒星に捕まる確率は……限りなく低い」


「じゃあ……」


「漂う」


 澪の声は、淡々としている。


「冷えて、暗くなって、でも……消えはしない」


 知念は、唇を噛んだ。


「……かわいそう」

 

 その言葉に、澪は反応しなかった。

 代わりに、小さく言う。


「でも……この星が出て行ったから」


 内側の空間が、空いた。

 軌道が、整理された。


 過密だった重力の配置が、ようやく、落ち着きを取り戻す。


「内惑星が……」


 小宮が、理解する。


「生まれる余地が……」


「そう」


 澪は、頷いた。


「あの星が残っていたら、この並びは成立しなかった」


 誰も、しばらく黙っていた。


 闇の向こうへ消えていく、名もない星を、ただ見送る。


「……ねえ」


 知念が、ぽつりと言う。


「選ばれなかったって……生き残れなかったって……それだけで、意味がなくなるのかな?」


 澪は、即答しなかった。


 そして、ゆっくり言う。


「分からない」


「でも?」


「でも、あの星がいた事実は消えない。この太陽系が、こうなった理由の一部ではある」


 光の届かない彼方で、その星は、静かに動き続ける。


 誰にも観測されず、誰の名前も持たず、それでも――確かに存在している。


 澪は、胸の奥で思った。


 ――選ばれなかった星も、物語から消えるわけじゃない。


 ただ、語られる場所が、ここではなかっただけだ。


 木星と土星が外へ移動する余波で、外縁部にいた他の天体たちが、次々と弾かれる。


 天王星。

 海王星。


 二つの惑星が、定まらない軌道で踊る。


「……あ」


 知念が、息を吸う。


 天王星は、大きく弾かれ、

 回転軸が、ゆっくりと――そして完全に――横倒しになる。


「……ひっくり返った……」


 澪は、喉が詰まるのを感じた。


 海王星は、さらにその外側へ。


 その途中、一つの影を捕まえる。


 逆行する、小さな天体。


「捕獲……」


 澪の中に、情報が流れ込む。


「トリトン……」


 冷たい。

 だが、確かに「連れ去られた」感触。


 外惑星圏は、完全に混乱していた。


 軌道は乱れ、衝突が起き、多くの天体が系外へ追い出されていく。


 小宮は、耐えきれずに呟いた。


「めちゃくちゃだ……」


 だが。


 その混乱が、静まった後。


 内側に、空間が生まれていた。


 穏やかな軌道。

 過密ではない距離。


 澪は、ハッとする。


「だから……」


 知念が、澪の言葉を引き取る。


「だから、内惑星は……壊れなかった」


 澪は、静かに言った。


 木星が一度、全てを壊しかけて、そして――引き返したから。


「……守られたんだ」


 小宮が、小さく呟く。


「偶然で……でも……」


 言葉が続かない。


 澪は、胸の奥で確かに感じていた。


 この宇宙は、優しくなんてない。


 けれど。


 一度きりの無茶な混乱が、生命の余地を、確かに残した。


 視界の端で、まだ名もない小さな惑星――地球が、静かに回っている。


 次の幕で、そこに――衝突が訪れることを、澪は、もう感じ始めていた。


 一度目の嵐は、去った。


 外惑星圏の混乱が遠ざかるにつれ、内側の空間に、奇妙な静けさが戻ってくる。


 音はない。

 だが、澪には分かる。


 ――ここからは、時間が違う。


 速くもなく、遅くもない。

 積み重なるための時間。


 岩石が集まり、衝突し、砕け、また集まる。


 小さな天体が、円を描き始める。


「……並んでる」


 小宮が、驚いたように言う。


「ちゃんと……距離を保って……」


 水星。

 金星。

 地球。

 火星。


 名前は、まだない。

 だが、それぞれが「席」を与えられている。


「偶然、だよね」


 小宮は自分に言い聞かせるように言う。


「木星がもう少し内側に来てたら……この並び、全部なかった」


「うん」


 澪は否定しない。


「でも、偶然が何度も重なってる」


 知念は、黙ってそれを見ていた。


 視線は、特定の惑星に留まらない。

 全体を、抱くように。


「……生まれる前の星ってさ」


 ぽつり、と言う。


「みんな、ちょっと寂しそう」


「寂しい?」


 小宮が聞き返す。


「まだ、役割が決まってないから」


 澪は、その言葉に、少しだけ息を止めた。


 ――役割。


 地球は、まだ赤い。

 マグマの海が表面を覆い、

 空は、重く、暗い。


 水は、蒸気として漂うだけ。


 それでも。


「……ここ」


 澪は、視線を落とす。


「ここ、残る」


 知念が、即座に反応する。


「何が?」


「水」


 火星は、すでに少し遠い。

 地球は、ぎりぎり。


 太陽との距離。

 質量。

 回転。


「……生きる条件が、重なってる」


 小宮は、思わず笑ってしまった。


「条件、って言い方、すごく天野っぽい」


「だって」


 澪は静かに言う。


「神様が置いたわけじゃない」


 偶然。

 物理。

 重力。


 でも――。


「それでも、奇跡だよ」


 知念の声は、はっきりしていた。


「こんなに、うるさい宇宙で……こんなに、ちょうどいい場所があるなんて」


 地球は、まだ静かに回っている。


 だが。


 澪の胸に、

 近づいてくるものの気配が差し込む。


「……来る」


 その言葉と同時に、

 視界が――歪んだ。


 それは、星だった。


 火星ほどの大きさを持つ、

 若い、荒々しい天体。


「……テイア……」


 澪の口が、自然にその名を作る。


 地球と、軌道が交差する。


 逃げない。

 避けない。


 衝突。


 音はない。

 だが、衝撃は、意識を揺さぶる。


 地球の表面が、裂ける。

 マントルが、宇宙へ噴き上がる。


「……っ」


 小宮が、息を呑む。


「これ……死ぬ……」


「大丈夫」


 澪は、即座に言った。


「死なない」


 破片は、散らばらない。

 地球の重力に捕まる。


 円盤を作り。

 集まり。

 冷え。


「月……!」


 知念の声は、ほとんど祈りだった。


 生まれたばかりの月は、近い。

 恐ろしいほど近い。


 地球の表面を、引き裂くほど。


 潮汐。

 回転の減速。

 自転軸の安定。


 澪の中に、理解が落ちてくる。


「盾……」


「え?」


 小宮が聞き返す。


「月は……盾になる」


 後期重爆撃期。

 無数の小惑星。


 その多くが、月に――吸い寄せられる。


 衝突。

 衝突。

 衝突。


 月の表側は、まだ整う。

 だが、裏側。


「……クレーターだらけ……」


 知念が、思わず言った。


「……全部、受けたんだ……」


 小宮は、言葉を失っていた。


 記録したい。

 でも、言葉が追いつかない。


「月がなかったら……」


 澪は、ゆっくりと言う。


「地球は、ここまで安定しなかった」


「生命も……」


「育たない」


 沈黙。


 月は、ただ回っている。

 主張もせず。

 説明もせず。


 ただ、そこにある。


「……きれい……」


知 念の声が、震える。


「科学で説明できるのに……それでも……」


 澪は、頷いた。


「うん」


「美しい」


 小宮は、ようやく言葉を見つけた。


「……これ、絶対、書きたい」


「書いて」


 澪は言う。


「全部、分からなくてもいい」


 月と、地球。

 二つの天体が、寄り添う。


 その姿を見ながら、澪は確信していた。


 ――この星は、選ばれてなんかいない……でも、生き残った。


 それだけで、十分だった。


 時間は、さらに進む。


 次に訪れるのは、

 生命そのもの。


「偶然だと思うか?」


 父の問いかけに、知念の声が重なる。


『……私は、何かの意思を感じる』


「感じてもいい」


 父は即座に否定しない。


「だが、科学はここまで説明できる。必要なのは神ではない。条件だ」


 条件。


 距離、質量、水、時間。


 三つの惑星が、同時に「生命を許す」位置に収まる。


 澪の意識が、地球表面へと降下する。


 海。


 熱。


 雷。


 分子が結びつき、ほどけ、また結びつく。


「生命の起源……」


 澪の胸に、言葉にならない感情が満ちる。


 ——これは、偶然なのか?……それとも、選ばれたのか?


 答えは、与えられない。


 ただ一つ確かなのは、 この瞬間から、物語が始まったということだけだった。


 それでも、澪には分かる。


 ——これは過去だ。ただし、記録ではなく、体験としての過去。


 赤くない惑星――火星。


 今の姿とは違う。

 空は淡く、雲は薄く、水は確かに流れている。

 寒すぎず、暑すぎず、静かで、優しい。


 ——ここが……最初だった。


 言葉にする前に、理解が終わっていた。


 やがて視界が揺らぎ。

 舞台は別の惑星へ移る。


 青くない惑星——地球。


 まだ酸素は少なく、空気は重い。

 海は濁り、空は厚い雲に覆われている。

 今の「生命に優しい星」ではない。


 それでも。


 熱水噴出口の周囲。

 鉱物に囲まれた暗い海の底で、

 かすかな秩序が、生まれようとしている。


 単細胞。

 ただそれだけの存在。


 膜が閉じる。

 内と外が分かれる。

 反応が「続こうとする」。


 確かに――生きようとしている。


「すごい……」


 モニター越しに、知念の声が震えた。


「なんか……理由とかじゃなくて……生きてるって、それだけで……」


 言葉が続かない。

 感情だけが、溢れている。


 一方で、小宮は耐えきれずに息を吐いた。


「待って……情報量が……多すぎる……」


 こめかみを押さえ、苦笑する。


「説明がないのに、結果だけ全部、頭に放り込まれる……文系には、きつい……」


 澪は小宮の肩に、そっと触れた。いや、正確には触れた気がした。


「全部、分からなくていいよ」


 それは小宮に向けた言葉であり、同時に、自分自身への言い聞かせでもあった。


 なぜなら――。


 生命が生まれる瞬間と同時に、終わりの気配も、澪には感じ取れてしまっていたからだ。


 熱くない惑星――金星。


 厚い雲の下、まだ暴走していない温室。

 海があり、大気があり、可能性がある。


 それでも。


 ――長く、続かない。


 理由は分からない。

 計算も、証明もない。


 ただ、確信だけがある。


 希望が、最初から有限であるという感覚。


 澪は、無意識に拳を握りしめていた。


 その沈黙に、篠原が気づく。


「……もう、そこまで見えてしまっているんですね」


 責めるでもなく、驚くでもなく。

 ただ事実を確認する声。


 父は、澪たちの見ている光景を見ていない。

 だが、少し間を置いて、静かに答えた。


「……ああ」


 モニターを見つめるでもなく、どこか遠くを見ているように。


「澪は、時間を順番で見ていない。物事の始まりと、終わりを……同時に受け取っている」


 篠原は一瞬、視線を伏せた。


「……監視対象としては、想定より能力値が高すぎます」


 澪は直感的に理解していた。


 生命は、そこに在った。


 小さく、脆く、だが確かに、輝いている。


 ――それでも。


 澪は思う。


 ――それでも、この光は、美しい。


 生まれること。

 在ろうとすること。


 それ自体が、すでに奇跡なのだと。


 時間は、さらに流れ始める。


 やがて訪れる氷の時代へと――。


     * * *


 月面観測記録・第零記述


 ――それは、人類が存在するよりも前に書かれた、最初の記録だった。


  太陽系第三惑星・生命兆候確認時


 月の裏側には、昼も夜もない。

 恒星の光は周期的に差し込むが、そこに「朝」は存在しない。

 この場所は、時間ではなく記録によって満たされる。


 最初にそれを感知したのは、機器ではなかった。

 数値でもなかった。


 ――振動だった。


 惑星そのものが、かすかに揺れていた。

 規則正しい地殻運動ではない。

 重力の歪みでも、磁場の乱れでもない。


 それは、呼吸に似ていた。


「……生命反応、確定」


 そう記した者の声は、記録には残っていない。

 ただ、月面基地の最初のログには、こうある。


 惑星は静かに存在している。

 だが、存在しているだけではない。

 それは、何かを待っているように感じられる。


 当時、地球にはまだ名もなかった。

 大陸は定まらず、海は煮え、空は濁っていた。

 知性は影も形もなく、

 ただ、化学反応と偶然だけが、無数に繰り返されていた。


 それでも――。

 惑星は生きていた。


 観測者たちは理解できなかった。

 生命とは、個体のことではないのか。

 細胞の集合体ではないのか。


 だが、地球は違った。


 個体が生まれる前から、

 種が定義される前から、

 惑星そのものが、痛みと変化を蓄積していた。


 火山の噴火は、叫びに似ていた。

 隕石の衝突は、外傷だった。

 海が引くとき、何かを失ったような静けさがあった。


 観測者は、初めて迷った。


 記録するだけでよいのか?

 それとも、これは――。

 記録してはならないものなのか?


 だが、月は答えなかった。

 月はただ、地球の周囲を回り続けた。


  補遺:干渉禁止規定の成立


 この惑星に対し、直接的介入を行わない。

 理由は単純で、かつ重い。


 惑星が自律的に変化している


 外部刺激は、その成長を歪める


 観測対象が「他者」ではなく「世界」である場合、介入は破壊と同義になる


 その決定が下された時、観測者の一人が、こう記したという。


 この星は、我々を必要としていない。

 それでも我々は、この星を見続けてしまうだろう。

 なぜなら――。

 我々はすでに、この星の記憶の一部だからだ。


 なお、報告者の名は記録から削除されている。

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