04.マリアンヌがやって来る、ヤァ!ヤァ!ヤァ!
気づけば、あの出来事から二年が経っていた。
鏡に映る自分は、もう三歳児じゃない。
背は伸びたし、足取りもだいぶ安定した。言葉も増えた。
なにより──頭と体のズレが、少しずつ埋まってきている。
五歳。
世間的には、まだまだ子ども。
でも中身三十代としては、「まあ、五歳ならこんなもんだよな」と思える程度には落ち着いてきた。
この二年で、父──エルヴァン・ヴェン・ザーヴェルとの距離も、ぐっと縮まった。
父は相変わらず忙しい。
政務に軍務。書類と人の波に囲まれている。
それでも──
ほんの少しの時間を、必ず僕に割いてくれた。
朝、執務に入る前に、木剣を触らせてくれたことがある。
地図を広げ、「ここが王都だぞ」と教えてくれたこともあった。
厩舎で馬を撫でさせてくれた日もある。
書類仕事の合間、膝に乗せてもらったこともある。
おしゃべりもたくさんした。
父はこのとき二十三歳だった。
感心しちゃうよね?
自分が二十三歳だったことのことを思い出すと赤面だよ。
ますます、父に対する尊敬を深めたよね。
うちの父ちゃん、マジすげー、ってね。
そんなある日。
父に来客があると聞かされた。
来たのは、マルティン・ヴェン・セレニア。
母ソフィーナの弟──つまり、僕の叔父で子爵らしい。
父とは、母を通じた義兄弟であり、領内で共に苦労を分かち合う関係でもある。
そのマルティンに連れられて、ひとりの少女が屋敷にやってきた。
マリアンヌ・ヴェン・セレニア。
僕の従妹だ。
年は三歳。
小さくて、丸い。
淡い金色の髪はふわふわで、頬はほんのり赤い。
ヘーゼルの大きな瞳はきらきらしていて、表情がころころ変わる。
……うーん。
めちゃくちゃ可愛い。
正直に言おう。
顔だけ見れば、守りたくなるタイプだ。
ただし。
中身は、嵐だった。
「いやだ!これ、わたしの!」
「いやあああああ!」
馬車から出るなり、主張が強い。
感情が直結。
泣く。怒る。独占する。
こちらの使用人の私物であろうが、気に入ったものがあれば自分のものだと言い張る。
これは交流というより、被災。
そんな様子を一瞥してから、祖母──リュシアナは淡々と言った。
「セルヴィオ。マリアンヌと、一緒に遊んであげなさい」
……はい。逆らえません。
というわけで、遊ぶことになった。
使われたのは、木片の積み上げ遊びと、布人形。
文字は使われてない。三歳向けのやつだ。
最初は噛み合わなかった。
でも、途中で気づいた。
あ、これ、褒めてあげればいいんだ。
たとえば、木片の積み上げ遊び。
マリアンヌは、一段目を置いて、二段目を置いて──三段目で、少し傾けた。
ぐらっとする。
本人も「あっ」という顔をした。
たぶん、ここで大人が口を出すと、「ほら、倒れるでしょう」とか、「ちゃんと置きなさい」とか、そういうやつになる。
だから、僕はそこを見なかったことにしてこう言った。
「三つも積めたんだ。すごいね」
マリアンヌが、きょとんとする。
「さっきより、高くなってる。じょうずだよ」
すると、彼女はもう一度、同じ木片を持ち上げた。
今度は、さっきより慎重に。
少しだけ、指先に力を込めて。
――四段。
成功した瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなった。
「うわー。マリアンヌはすごいな」
拍手する。
褒めすぎない。
でも、ちゃんと見る。
できたところだけを拾う。
すると──
マリアンヌの表情が、ぱっと明るくなった。
目が輝く。
動きが大きくなる。
積極的になる。
成功体験。
自己肯定感、上昇。
続く布人形遊びでも、僕はそれを徹底的に繰り返してあげた。
その結果。
気づけば、ぴったり横にいる。
移動すると、ついてくる。
止まると、服の裾を掴む。
手を握る。離さない。
……あれ?
ちょっと距離、近くない?
決定打は、トイレだった。
用を足しに行こうとしたら、当然のようについてくる。
中まで一緒に入ってこようとするので、向こうの乳母さんが慌てて抱き止める。
「お嬢様、そこは──」
「いやああああああ!セルヴィオ、セルヴィオーーー!!」
大泣き。
屋敷に響く号泣。
仕方ないので、僕はさっさと用を済ませて出た。
出た瞬間、再びがっちり手を掴まれる。
……さっきトイレ入ったばっかりなのに、そのへんは気にしないのな。
当時、手洗いの習慣なんてない。
衛生観念?未来の課題だよね。
それからは、完全に離れない。
屋敷を歩けば、隣。
立ち止まれば、横。
座れば、ぴったり。
そして、帰る時間になっても。
「いやだああああ!」
「かえらない!」
「セルヴィオと、いっしょにいるー!」
僕に抱きついてわんわん大泣き。
声でっか。
マルティンが困った顔をする。
セレニア家の使用人たちが右往左往する。
ザーヴェル家の使用人たちは、苦笑。
誰も悪くない。
でも収拾がつかない。
最終的には、乳母ふたりがかりで無理やり抱えられて、馬車に入れられていた。
泣き声が、馬車にのって遠くへ消えていく。
残された空気は、なんとも言えない。
みんな困っている。
でも、どこか微笑ましい。
……そして、僕は思った。いやここで言わずにどこで言う。
「僕、なんかやっちゃいました?」




