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できる!最強軍師  作者: 満波ケン
第二章 王都と秘密
14/15

14.あなたはだあれ(後編)

回廊を過ぎると、空気が変わった。

エレシア曰く──ここからは、王族の自室などが並ぶプライベート空間だ。


乳母が先導して、僕らは足音を殺すように歩く。

足元の絨毯がふかふかの毛足で、頑張って足音を消そうとしなくても消えた。

壁の石が、やけに白い。磨かれすぎていて、ピカピカと輝いている。窓から差す光が壁に反射し、まるで光に包まれるかのような錯覚を受ける。


「……ここ、さっきより静かだね」

マリアンヌが小声で耳打ちしてくる。

僕も頷いた。

この先で何が起きても、言い訳が効かない場所の静けさだ。


そのときだった。


「あら。あなた達、止まりなさい」


明るく、ハキハキとした少女の声が降ってくる。


僕らは反射的に立ち止まった。

乳母も同時に止まり、視線を下げ、深く頭を下げる。


そこに立っていたのは――


腰に手を当て、傲岸不遜な面持ちで、まるでここが自分の舞台であるかのように堂々と立つ少女であった。

エレシア様がぱっと顔を輝かせた。

「あ。お姉様!」

そう呼んで、歩み寄る。

エレシア様が「姉」と呼ぶ人は、この世に一人しかいない。


「カティア・ヴェン・ルミナス第一王女殿下です」

僕とマリアンヌに聞こえるように、お付きの乳母さんが、名を口にしてくれる。

この国の第一王女殿下である。

そして、近いうちに北方ノルディア王国の王太子へ嫁ぐ――そのためにこの国を離れる予定になっている、と聞いた。

カティア殿下は、エレシア様と王太子殿下を見て、ほんのわずかに口元を緩める。


「エレシア。今日は遊び?」

「違います、お姉様。王宮を案内しておりますの」


その瞬間、カティア殿下の視線が僕に刺さった。

「……あなた、セルヴィオね?」


疑問じゃない。確認だ。すでに答えは知っているのに、わざわざ口に出して、僕の反応を見ている。

僕は背筋を正し、最敬礼に近い動きで腰を折った。


「はい。王女殿下。私、セルヴィオ・ヴェン・ザーヴェルでございます」


横でマリアンヌが、慌ててカーテシーする。

動きが少し硬い。そりゃそうだ、相手は王女殿下の中の王女殿下だ。緊張しちゃうよね。

カティア殿下は、マリアンヌに一瞥だけ投げた。

でもそれで終わり。まるで「そこにいる」ことは確認したけど、興味はない、という感じ。


そして、視線を僕に戻してくる

じっと。値踏みするような視線。頭の先から足元まで、まっすぐ切り裂くみたいに見る。

僕は、なぜか王妃殿下に見つめられた時と同じく、少し怖くなった。


……僕、何か変なところある?

服装?姿勢?顔?

顔は……うん、そこそこ悪くない。父上譲りだし。いや、だからってこんなに見られると照れる。照れるけど怖い。


「ふーん。エルヴァン様に似て、流石に顔がいいわね」


――え。


やだー。こんなに美しい王女殿下にまじまじと顔を見つめられてそんなこと言われたら、恋に落ちちゃう……トゥンク。


とはならなかった。


僕は一瞬、鼻白んだ。感情が追いつかないというか、拍子抜けというか、気後れする感じ。


「……ありがたきお言葉でございます」


とりあえず、貴族のテンプレで返しておいた。

テンプレがあってよかった。人生ってテンプレが大事だよね。


カティア殿下は、そんな僕の返答にも反応を見せず、淡々と言った。


「まあ、いいわ。私は秋頃にはいなくなるから、それほどあなたとは深い付き合いにはならないでしょう」


斬り捨てるように言い捨てて、くるりと踵を返すと、そのまま自室へ戻って行った。


「……嵐のような人だった」

僕がそう呟くと、エレシア様には聞こえていたのかくすくすと笑われた。

「お姉様ははっきりとした方で、とてもお母様に似ているのよ」


そのクスクス笑顔もきゃっわいい!

いや今、エレシア様もおっしゃっていたが。

やっぱり僕も感じたとおり、王妃殿下と第一王女殿下はすごく似ていらっしゃるかもしれない。

こわっ、近寄らんとこ!


マリアンヌは、唇をぎゅっと結んでいた。

たぶん今、色々思ったはずだ。自分が一瞥で済まされたことへの何かとか、そもそも王族の会話の温度差への何かとか。


でもマリアンヌは、何も言わなかった。



……で。


僕は内心、「この流れだと、エレシア様の自室にお呼ばれするのでは?」と、ちょっと期待した。

いや、期待するよね?

王女殿下の部屋って、どんなところなの、って

だけど、エレシア様はぱん、と手を叩いて言った。

「それよりも。セルヴィオ様」


僕の妄想が一瞬で現実に戻される。

そして、案内されたのは――「王族の書庫」だった。


扉が開く。その瞬間、僕の中の何かが、ぱぁっと開いた。

……本。

本の匂い。

紙と革と木と、ちょっとだけ古いインクの匂い。

それが、空気の層になっている。


「うわ……」

声が漏れた。今度は本当に抑えきれない。


王宮図書館の蔵書数には及ばない――と乳母さんが解説してくれたが、実家の書庫の数倍はある。

僕からすれば十分すぎるのだ。

棚が高い。分類が細かい。背表紙が整然と並んでいる。


「セルヴィオ様は、御本がお好きだと聞きましたから」

エレシア様が、少し誇らしげに言った。


そういう御心遣いが嬉しい。エレシア様、誠にありがとうございます。

僕が目を輝かせて棚に吸い寄せられそうになっていると、王太子殿下が訝しそうに眉を寄せた。


「セルヴィオは……もう本が読めるのか?」

その問いに、僕は胸を張った。


「もちろんですとも、殿下。絵本から軍学書まで、なんでもござれです」

言ってから、「なんでもござれ」はちょっと盛ったかと思ったけど、まあ概ね事実だ。


王太子殿下は、目を丸くした。本気で感心している顔だ。

その顔を見ると、こっちの気分も良くなる。僕は単純なのです。


「……すごいな」

小さな声。でも、その一言が、妙に胸に残った。


話を聞くと、エレシア様も、王太子殿下も、マリアンヌも、文字は読めるようになった。

けれど語彙力が足りなくて、本を読んでも意味がちっとも分からないのだそうだ。


なるほど。読書って、文字を追うだけじゃない。

背景知識と、言葉の意味と、文の構造がわかって、初めて「理解」になる。それが出来ないと、本はただの難しい文字の羅列だ。


僕は、少しだけ迷ってから言った。

「それなら……お嫌でなければ、僕がお教えしましょうか」


――その瞬間。

食いついたのは、エレシア様ではなく、王太子殿下だった。

「本当か?」


顔が、真剣だ。さっきまでの案内役の顔じゃない。


「私は、早く御父上のお役に立てるよう、勉学に励みたいのだが……なかなか上手くいかなくてな」


その言葉に、僕の胸の奥がきゅっとなる。

殿下。以前の僕と全く同じですね。


僕も父上の役に立ちたい一心で、勉学に励んだ。成果が出ない焦りで眠れない夜もあった。

「役に立てない自分」が、嫌で嫌で仕方なかった。


だから僕は、少しだけ丁寧に言葉を選んだ。

「僕も、父上の役に立ちたいと思って勉強しました。……最初は全然分からなくて、悔しくて。でも、続けると、少しずつ繋がるんです。言葉が、知識が、頭の中で」


王太子殿下は、僕を見つめている。真剣に聞いている。

その視線の重さに、僕は背筋を伸ばした。


「なら……頼みたい」

殿下は、少しだけ頭を下げた。王族のそれは、言葉よりも重い行為だった。


「はい。喜んで」

僕は、胸の奥が熱くなるのを感じながら答えた。



それから――。

七曜に三日(おとな)ううち、月の曜と鐘の曜。

少しだけ、王太子殿下の勉強にお力添えをすることになった。


「少しだけ」と言いつつ、実際は結構濃い。

だって殿下、真面目すぎる。

羊皮紙へのメモの取り方がガチ。質問も芯を食ってる。

僕が適当に流そうとすると、すぐバレる。

端折ると王太子殿下は不満を表明する。


でも、不思議と嫌じゃなかった。


僕自身が通ってきたやり方を伝えることで、知識が僕の中でも固定化されていく。

教えるって、自分の理解の度合いを暴く行為だ。「分かったつもり」が通用しない。


そして、ある日。

いつものように書庫で、僕が言葉の意味を説明していたとき。

王太子殿下が、ふっと息を吐いて言った。


「……セルヴィオ」

「はい、殿下」

「……いや」


殿下は、少しだけ視線を泳がせた。こんな顔、初めて見た。

真面目な人が、言葉を選ぶときの顔だ。


「レグナート、と呼んでいい」

――一瞬、時間が止まった。


え?今、何て?


名呼びを許してもらう。それは、僕の中で大きな目標として「関門」みたいにそびえていたやつだ。

僕は、少し緊張しながら、慎重に言った。


「……レグナート様」


レグナートは様、少しだけ笑った。ほんの少し。

でも、それだけで部屋の空気が変わった。


名を呼ぶって、こんなに重いのか。

特に名前を呼ばなくても「仲良くなったな」という感覚はあった。

でも、名呼びを許してくれるというのは、一つの大きな関門をクリアした、という気分になって、とても嬉しい。

胸の奥が、じわっと温かい。


……その横で。マリアンヌが、妙に静かだった。

目が、いつもより真剣で、なぜか燃えている。


そして後日。


「セルヴィオ、勉強を教えて」

と言って、マリアンヌが遊びではなく学ぶため定期的にうちにやって来るようになったのは――また別の話だ。



王宮に出入りするようになって、二ヶ月と少し。


人間って慣れる生き物だ。怖い場所にも慣れる。……いや、慣れちゃいけない場所まで慣れていくの、本当はよくない。


季節は、もう少しで夏へ移ろおうとしていた。

風があたたかくなって、石壁の冷たさが少しだけ和らぐ。

王城の窓から入る光も、前より強くなった気がする。


とはいえ、いつものように殿下方のお相手をして、書庫で少しだけレグナート様の勉強を見て、エレシア様のお話を聞き微笑み合い、不機嫌なマリアンヌを宥める。その時間が終わって、僕は普段と何も変わらずに、内廷の出口へ向かっていた。


「本日はここまででございますね。セルヴィオ様」


先導してくれている伯爵夫人が、柔らかく告げる。

その声が「日常」になっているのが、少し不思議だ。

僕は王宮へ通うという異常を、日常にしてしまった。


……いや、僕のせいじゃない。王族側が僕を呼んでるんだから。


出口へ続く回廊は、昼の名残で明るい。

窓の外には庭が見えて、白い砂利が光を返す。

その光が、床の石に揺れて、歩くたびに足元がきらりと瞬いた。


その瞬間だった。


「――そなた」

低い声が、背後から降ってきた。


耳が先に反応する。

伯爵夫人が、まるで飛び上がるように深々とお辞儀した。

いや、飛び上がるのは比喩じゃない。肩がほんの少し跳ねた。


その動きだけで、僕は察してしまった。

出で立ち。

護衛の距離。

空気の張り。


――国王だ。


この国の国王、ルメディオ三世。


僕の隣にいた子爵夫人も、マリアンヌも、反射で深々と頭を下げ、そのまま壁際へ下がっていく。

当然だ。ここで遅れたら人生が終わる。


でも僕は。

なぜか金縛りに遭ったみたいに、身動きが取れなかった。


心臓が跳ねる。喉が乾く。でも体が動かない。

いや、動けないというより――目が、離せない。


僕は、恐れ多くも王の顔を見つめ続けていた。


「……ちち……うえ」


口から勝手に漏れた。

王の顔は――父上に、あまりにも似すぎている。

違うところといえば髭があるかないか、それだけ……そう言ってしまっていいほどに。

頬の骨の角度。鼻筋。目の形。口元の締まり方。

脳裏に、父の笑顔を思い出す。そこに髭を足せば王になる。

そんな感じだ。


いや、王が近づくにつれ、ほんの少し違いも見えてきた。

瞳の色。僕や父よりも、鮮やかな藍色。


「――エルヴァンの子……か」


その声で、僕の体の金縛りが解けた。


あ、やばい。


今、僕、王を凝視してた。

それどころか「父上」とか言っちゃった。


僕は慌てて視線を逸らし、最敬礼を取った。

額が床につきそうな勢いで。

貴族の礼って色々ある。とにかくこれは最上級オブ最上級の礼だ。


「大変なご無礼をいたしました!私、エルヴァン・ヴェン・ザーヴェルの長子、セルヴィオと申します!」

声が裏返らなかっただけ、褒めてほしい。


しかし。王は、怒らなかった。


「そうか……そうか」

声が、少しだけ震えていた。


怒りじゃなくて別の感情だ。

僕は息を呑む。周囲も息を呑む。伯爵夫人も子爵夫人も、動けない。マリアンヌは固まっている。


「もっと顔をよく見せておくれ」

王はそう言いながら近づくと、王笏を侍従へ渡した。


王は僕の前に膝をついた。


え。


王が?

膝を?

僕の前で?


頭が真っ白になる。


王は両の手で、僕の顔を挟み込んだ。


大きな手。柔らかく温かい。ごつごつした父の手とは少し違った。


僕も王に見つめられながら、間近で見返している。ルメディオ三世は若い壮年の王だ。この時、齢わずかに四十歳と聞いている。


「ああ……」

王の喉が鳴った。


「ああ。エルヴァンの小さい頃によく似ておる」

その声が、急に優しくなった。


そして王は――涙ぐんだ。


ええ?


感極まったのか、王は僕を抱きしめた。


抱きしめた、って。

国王が。僕を。


周りの大人たちがどうしたものかとオロオロしているのが、視界の端で見えた。

伯爵夫人が目を丸くして「これは現実ですか?」って顔をしている。子爵夫人は動揺のあまり目が泳ぎまくっている。マリアンヌも声が出ない。


僕も内心オロオロしていた。

でも、王の腕の大きさと温かさが、妙に現実的で。


ああ、って思った。


――なんとなく、事情が飲み込めてきた。

色々な点と点が、繋がってしまった。

こういうときに賢いと、察しがよくて困っちゃうね!


王妃殿下が、なぜ僕に冷たく接してきたのか。

なぜレグナート殿下を見たとき、似ている、と直感したのか。

なぜ祖母は、夫がなく女伯爵をしているのか。

なぜ父は、あれだけ身を粉にしてこの国に尽くすのか。

そして、なぜこの人が泣いているのか。


全部、一本の線になる。


王の抱擁の中で、僕は理解してしまった。


僕は――国王の孫、なのか……。


王は僕を抱きしめたまま、ほんの少しだけ肩を震わせていた。

泣いているのを隠しているのか、それとも隠すつもりもないのか、分からない。


僕は腕の中で、ただ固まっていた。

子どもに許された正解が見つからない。


だから僕は、ただ息をして、ただ王の温かさを受け取った。


やがて王は、名残を切るように僕を離した。

瞳の藍が、少し赤く濡れていた。


「……すまぬ」


たった一言。国王が「すまぬ」と言う。

誰に?

僕に?

父に?

祖母に?

過去に?


答えは分からないのに、胸の奥が痛んだ。


僕は再び最敬礼を取った。口が震える、上手く言葉が出るだろうか。


「……恐れ入ります」

それだけで精一杯だった。


王は、短く頷いた。そして、侍従から王笏を受け取る。

一人の男が「王」へと戻り、去っていく。

空気が元に戻った。


伯爵夫人が、ぎこちなく僕の肩を促した。

「……セルヴィオ様。参りましょう」


僕は足を動かした。動かせたことに驚いた。

人間って、ショックを受けても歩けるんだな。偉い。


王宮を出る。

馬車に乗る。

門をくぐる。

風が当たる。

空が広い。


それなのに。


僕の頭の中では、言葉がぐるぐる巡り続けていた。


言葉が、鐘みたいに鳴り続ける。ずっと鳴る。

止め方が分からない。耳を塞いでも鳴る。

心臓の音に混じって鳴る。

馬車に揺られても鳴る。

家の門をくぐっても鳴る。


部屋の天井を見上げても鳴る。


――あなたはだあれ。


その言葉に対する答えが分からないまま、僕は闇の中で、ただ目を開けていた。

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