13.あなたはだあれ(前編)
この日の面会は、顔合わせだけで終了した。
「顔合わせだけ」だったのに、僕の心臓だけが勝手に全力疾走していた。はー、さすがに疲れた。
王宮の空気って、普段からあんなに重いの?
案内役の伯爵夫人は、にこやかな笑顔を崩さないまま、出口へ向かう回廊で僕に耳打ちした。
「セルヴィオ様。今後は――」
そこで一拍。
「月の曜、水の曜、鐘の曜。こちらへお越しくださいませ。王女殿下、王太子殿下のお相手として」
……え?
僕は思わず足を止めた。
止めた瞬間、後ろを歩いていたマリアンヌが危うく僕の背中に突っ込むところだった。
「ちょ、セルヴィオ、急に止まらないでよ……!」
その小声さえ、ここだと罪に聞こえる。
伯爵夫人の目は優しいのに、言葉は淡々としていた。
「つまり、定期的な面会となります。――本日のような顔合わせだけでは終わりません」
終わりません、って言うことは。
……エレシア様に、また会える。
す、すけべ心ちゃうで!
やっぱり、あの半端ない超美少女に会えるのは素直に嬉しい。
いやね?僕もね?こういっちゃ何だけど、超絶美少年なんだけどね?
それとこれとは話が別ですやん。
……だけど、王妃殿下は少し怖い。
いや少しじゃない。
何でだか、僕を見る視線に険がある。そして、あの「圧」。あれ、ほんっとに心臓に悪い。
――今日が月の曜。次は水の曜。その次は鐘の曜。
曜日が決まっているってことは、つまり。
僕は「一回の客」じゃなくなった。
王宮のカレンダーに、僕の名前が書かれる。……え、こわぁ。
そんなことを考えながら、馬車に揺られて邸へ戻る。
マリアンヌはずっと落ち着かない。膝の上で指が忙しく踊っている。
「ねえ……また本当に、行くの?あそこに?」
「来いって言われたら行くしかないだろ」
「でも、ちょっと怖い」
「怖いよなー」
僕たちは同時にため息をついた。ため息が揃うと、妙に仲間意識が出る。
たぶん僕らは、宮中という巨大なダンジョンに放り込まれた低レベル冒険者二人なのだろう。
◆
少年少女が仲良くなるのは早い。
いや、本当に早い。
大人の一ヶ月は「忙しかったな」で終わるけど、子どもの一ヶ月はまるで「世界が一つ増えた」でくらいに思える。
水の曜。鐘の曜。また月の曜。
それを繰り返すうちに、王宮へ通う道の風景が、少しずつ「慣れ」に変わった。
もちろん慣れたっていっても、毎回門をくぐるたびに背筋は伸びる。
門番の視線は剣より鋭いし、石畳は足音をやけに響かせるし、回廊は歩くだけで「お前は場違いだ」と囁いてくる。
それでも一ヶ月経つ頃には――僕ら四人の距離は少しずつ縮まっていた。
王妃殿下と伯爵夫人、それに付き添いの子爵夫人が、華夏国伝来の喫茶を楽しんでいるのを尻目に。
僕ら子どもは、同じ部屋の少し離れた場所で、勝手に「子ども同盟」を結成していた。
喫茶の香りが、ふわっと鼻先をくすぐる。緑茶の淡く、爽やかな香り。
いいな。僕も飲みたいぜ!
最初は遠慮というものがあった。
王太子殿下の前では、姿勢が固まって、喉が乾いて、言葉が出なくなる。
エレシア様の前では、別の意味で言葉が出なくなる。うへへ。
でも、その遠慮は、やがて薄れていった。
僕もマリアンヌも、殿下方への敬意はそのままに、少し気安い関係になっていた。
「気安い」っていうのは、たぶん、ほんの少しだけ本音が出せる、ということだ。
たとえば。
「セルヴィオ、今日は遅かったな」
王太子殿下に声を掛けられる。
そう言われるだけで、僕は内心でちょっと嬉しい。だって「気にしてくれてる」ってことだから。
「すみません、馬が……」
「馬が?」
「……いや、ちょっと、相棒が甘えてきまして」
相棒って言うと、エレシア様が目を輝かせた。
「まあ!セルヴィオ様の馬、見てみたいわ」
その「見てみたい」が、ただの言葉だけじゃないのも、なんとなくわかる。
エレシア様は、距離が近い。物理的にも、精神的にも。
会ったときから、僕に対する好感度は低くなかったと思う。とにかく僕のことを何でも知りたがる。
そんなもんで最近は――
「これ、結構好感度高いのでは?」
と、ちょっと自惚れている。
……いや、思うだけなら自由だ。思うのはタダ。
ただ、現実として、エレシア様は僕に対して距離が近い。ほんとに近い。近すぎる。
肩が触れそうな距離で微笑まれると、僕の脳内で鐘が鳴る。
それに、王女殿下は、す、すごくいい匂いがする。
……こらこら、気持ち悪いとか言わない。
これは人体の仕様だ。五感が働いてるだけだ。僕が悪いんじゃない。鼻が悪い。
それに、同年代のこんな美少女に接近戦されて、鼻の下を伸ばさない男がいるか、いやいない。
いるとしたら、それはたぶん伝説級の聖人だ。僕はまだ凡人である。普通の男の子である。そして聖人になるつもりもない。
マリアンヌは、そんな僕を見て、よく眉をひそめる。
「……また顔、ゆるんでる」
「ゆるんでない」
「ゆるんでる」
「ゆるんでない」
押し問答になると、エレシア様がくすっと笑う。
その笑顔が、僕のハートを回復させる。ずるい。回復魔法が標準装備なの、ずるいでゴザルー!
一方で、王太子殿下は「レグナート」という名を呼ぶことを許してくれない。
それが、ちょっとだけ距離として残っている。
だからこそ、僕は「いつか名呼びを許してもらえる日」を勝手に目標にしてしまう。
……いや、名呼びっていうと軽いけど。
王族が誰かに「名で呼ぶこと」を許すって、それはたぶん、臣下との礼儀という階段を、一段飛ばしで降りてくる行為だ。
そして――マリアンヌだ。
マリアンヌは同い年のエレシア様に対する対抗心が、バリバリである。
目が「負けない」って言ってる。口じゃなくて目が言ってる。最近マリアンヌがこわい。
「エレシア様、その言い方、ちょっと子どもっぽいです」
「まあ、マリアンヌ。そう感じたのね?」
「はい。私はもう少し大人の言葉を――」
「ええ。では教えてください。大人の言葉って、どんなものかしら?」
……ほら始まった。
エレシア様が面白がってる。マリアンヌは完全に遊ばれてる。
しかもエレシア様、御本人は、たぶん仲良くしているつもりだ。からかいは親愛の情。
からかい上手のエレシア様、と言ったところか。
正直、身分が違いすぎるので、もう少しマリアンヌには自重が欲しいところだが――。
「マリアンヌはね、すごく面白いのよ」
エレシア様が、僕にだけ耳打ちしてくる。
その声が、また近い。近いって。距離。ほんと距離。
「面白いって……」
「だって、私に向かってちゃんと怒るのよ?」
「怒ってるんじゃなくて、張り合ってるだけだと思いますけど」
「うふふ。それが可愛いではないですか」
……ああ、だめだ。これは、マリアンヌが勝てないやつだ。
相手が「余裕の化身」みたいな人だもん。
マリアンヌは、表情だけは平然としている。
でも、机の上で小さく拳を作ったりほどいたりしているのを、僕は見逃さない。
王女と王太子と、僕とマリアンヌ。
同じ部屋で笑っていても、立場がまるで違っている。
……これ、僕の人生、どこに向かってるんだろうな。
◆
とある日、殿下方の乳母を連れて、王宮内を探検することになった。
きっかけは、エレシア様の一言だった。
「今日は、少し歩きたいのです。王宮の中を案内して差し上げますわ」
案内して差し上げます――んー、その響きがイイね。
王太子殿下も、珍しく同調した。
「それは良い。セルヴィオ、王宮の中を見たことはあるか?」
「……僕、この部屋より奥は初めてです」
「なら、なおさらだな」
うん、王太子殿下の「良い」っていう言い方、真面目なのにちょっと嬉しそうで、いいね。
そして、僕の横でマリアンヌが小さく咳払いをした。
「……乳母が付くなら、危ないところへ行かないってことよね?」
その確認、すごく大事。
あのお転婆わがまま娘が、よくぞここまで成長したものです。ぼかぁ、感動していますよ。
マリアンヌが言う通り、王宮って危険なものが多い。罠とかじゃなくて、見えるものも、そして見えないものも。
「殿下方、そして皆さま。行き過ぎは止めさせていただきますので、どうぞご安心を」
乳母、侍女は数名いるが、今日は二十代の女性で、背筋がすっと伸びている人だった。
安心……できるかな。ほんとかなぁ?
とはいえ、僕としても王宮は気になる。めちゃくちゃ気になる。
王様や大貴族が政務を執っている区画には、さすがに入れないだろう。
でも――王族のプライベートスペース。
そこがどうなっているのか、私、気になります!
◆
まず、エレシア様が案内してくれたのは「宮中礼拝堂」だった。
扉が開いた瞬間、僕は息を呑んだ。
「……でっか」
つい、声が漏れた。
王太子殿下が、僕の物言いに少しだけ笑った。エレシア様は誇らしげに胸を張る。
「そうでしょう?ここは王宮の礼拝堂なのですよ」
さすがは王宮。うちの家の礼拝堂とはスケールが違うぜ。
いや、うちの礼拝堂も大きい方だと思っていた。伯爵家だし。
でもこれは、違う。「大きい」という言葉の範囲を超えている。もう街の聖堂と遜色ないのでは……?
光祖教は「光」そのものが御神体である。
その教義を示す意味でも、礼拝堂の真正面には大きな窓が設えられている――と教わってきた。
……うん、うちの礼拝堂だってそうさ。
だが、王宮の礼拝堂を見ると話が変わる。
窓がでかい。でかすぎる。しかも一面じゃない。三面。三面って何?
窓から差し込む光が、床の石を磨いて、柱を舐めて、天井の奥まで届いている。
天井がべらぼうに高いおかげか、光が上へ上へと登っていく。
そのさまは、まるで光そのものが祈りを運んでいるみたいだ。
「光祖教って、“光を崇める”って習ったけど」
僕はつい呟く。
「崇めるというより――光に照らされること自体が、礼拝なんですね」
自分でも、変なことを言ったと思った。
でもエレシア様がぱちぱちと瞬きをして、嬉しそうに頷いた。
「そう。セルヴィオ様、よくわかっていらっしゃるのね」
やめて!厨二病的な発作が起きて、咄嗟に口にしただけなんです。褒められると恥ずか死。
いや死なないけど、大・赤・面。
そして、天井を見上げる。
天井からは、青銅製の巨大なシャンデリアがいくつも吊り下がっていた。
王冠型のやつだ。輪っかに突起が並んで、そこにロウソクを立てるタイプだ。
「これ、毎日点けるの?」
僕が聞くと、乳母が頷いた。
「はい。礼拝堂は毎日祈りの場ですから。灯りも欠かせません」
「……毎日、あれを全部?」
「はい」
「え、点火係の人、大変じゃないですか?」
それを聞いてエレシア様が、くすっと笑った。
彼女は、上を指差す。
「滑車が付いているのです。降ろせるのですよ」
は、はあ! 滑車付きなんですね!
なるほど、降ろして点けて、引き上げる。合理的。王宮って、ちゃんと効率も考えてるんだな。
うちのシャンデリアは、だいたい長柄のトーチをを使って、下から一つずつ点火させている。
「それでも大変そうですけど……」
「四人がかりで毎日作業しているのだそうだわ」
しゅんごい!
四人がかりって、つまり四人の人生が毎日シャンデリアに吸われてるってことだ。王権って、こういう人々の労働の上に立ってるんだな……。
そして追撃が来る。
「窓も毎日磨かれていますよ」
乳母がさらっと言った。
「……毎日?」
「はい」
「……あの高さの窓を?」
「はい」
さすがにそれを想像すると、ワイのおキャンタマがヒュンとなった。落ちたら死ぬ高さやでぇ、これは。
僕は、礼拝堂の光を見上げながら思う。
王宮って、ただ豪華なんじゃない。
豪華を維持するための「毎日」が、積み重なって出来上がっているのだ。
◆
礼拝堂を出て、階段を上がる。
次に案内されたのは、回廊である。
石の回廊。壁には、ずらりと額縁が並んでいた。
「ここは、王家の回廊です」
エレシア様が言う。
歩きながら、指で一枚ずつ示していく。
「初代の建国王、ルメディオ一世。こちらが王妃さま」
……あ。
僕は、胸の奥が静かに引っかかるのを感じた。
建国から百年。五人の国王と王妃がおわす――そう、お祖母さまに習った。
でも、絵として見ると違う。
勉強では文字を追うだけだったのに、肖像画は、そこに「生きていた人間」を思い起こさせるのだ。
若い王、壮年の王、老いた王。
鋭い目をした王妃、柔らかい微笑の王妃。
「王国の歴史は百年。その間に――」
歩みながら、エレシア様の声が続く。
僕の頭の中で、今まで暗記してきた国史が、肖像画の列と重なっていく。
肖像画は王や王妃の死後に飾られることになっており、まだご存命である現国王のルメディオ三世や、アナシア王妃の肖像は、ここにはない。
「セルヴィオ様?」
エレシア様が、心配そうに覗き込んでくる。
その顔が近い。眩しい。いい匂いがする。
……違う違う、今はそこじゃない。
「いえ。……歴史って、本当に人なんだなって」
僕が言うと、王太子殿下が少しだけ頷いた。
「王は歴史の上に立つのではない。歴史に立たされるのだ」
……うわ、重いっすね。王太子殿下の言葉って、時々こうやって、子どもの皮を被った大人の重さが出る。
回廊の壁に並ぶ肖像画は、ただの飾りじゃない。
これは「王家の記憶」だ。
そして、僕らは今、その記憶の中を歩いている。
胸の奥が、少しだけ冷えた。
なのに同時に、胸の別の場所が――変に熱い。
僕は、自分でも理由がわからないまま、絵の列の先を見つめた。




