11.王都の我が家
大陸暦二八六年、青の節。
これ以上ないくらい、天気には恵まれていた。
初春の風は冷たすぎず、日差しも柔らかい。
馬車の窓から流れ込む空気は、土と草の匂いを含み、どこか湿り気があって――妙に気持ちいい。
街道脇には、耕された畑と低い森が交互に続き、ところどころに小さな集落が見えた。
白壁の家、干された洗濯物、道端で親を手伝う子どもたち。
平和だ。南部地域は、ほんとうに平和だ。
僕とマリアンヌは、騎士と従者に囲まれながら、王都ルミナスを目指していた。
正直に言うと――
異世界の馬車って、サスペンションが無いのが怖い。
前世の知識が「腰と尻が死ぬぞ」と警告を鳴らしていたんだけど、そこは伯爵家の財力。
分厚い座面と、惜しみないクッション投入により、僕らのお尻は無事だった。
……なるほど。
マリアンヌが最初から、当然の顔でこっちの馬車に乗り込んできた理由が分かった気がする。
八歳児にして、快適性を取る判断。
マリアンヌ……おそろしい子……!
レーヴェン王国の南部は治安がいい。
街道沿いなら、護衛付きでなくとも旅ができる――と、領地で剣を教えてくれていた平騎士が言っていた。
一方で、父がいる北方は違うらしい。
最近併呑された地域ということもあり、亡国の野盗や山賊がまだ多いのだという。
おーん。父上、お労しや。
とはいえ、あの父が賊にどうこうされる姿は、正直想像できない。
無事を祈りつつも、内心は割と安心している。
それより気になるのは、西のグラーツ王国だ。
数年前に激突し、痛み分けで終わったという話を聞いた。
……父上と引き分ける相手って、相当だよね。
王都で再会できたら、その話も聞いてみたい。
そんなことを考えているうちに――
旅は、いよいよ終盤に差し掛かった。
遠目に見えてきた王都ルミナスは、想像以上に大きかった。
白い城壁が、丘陵に沿って連なっている。
その向こうには、尖塔や屋根が幾重にも折り重なり、まるで街そのものが一つの城のように見えた。
「でけぇ……」
思わず口に出た。
やがて、大河ルミナスに架かるルミナス大橋が見えてくる。
幅は馬車が三列並んで通れるほど。
切り出した石を幾何学的に組み上げた巨大なアーチが、ゆったりと川をまたいでいる。
川面には陽光が反射し、喫水の浅い荷船がゆっくりと行き交っていた。
水面から川底まではなかり浅いらしい。
橋の上には人と馬車が絶えず、王国の血流そのものみたいに思えた。
橋の両端には検問所があり、兵士たちが行き交う人々を一人ずつ確認している。
鉄の兜がきらりと光り、視線は鋭い。
ここが「都への入口」なのだと、否応なく実感させられる。
橋を渡りきると、すぐに外街だ。
城壁の外なのに、すでに都会だった。
露店が軒を連ね、焼き菓子の甘い匂い、革製品の油の匂い、家畜の鳴き声が入り混じる。
人の声が絶えず、活気が波のように押し寄せてくる。
踏み固められた土の道幅は広く、馬車がすれ違っても随分余裕がある。
バラックのような建物は見当たらず、通りに面した家々もきちんと整っていた。
……この時点で、ザーヴェルの街と同等か、それより発展してる気がするんだけど?
さらに進むと、水堀と巨大な跳ね橋。
第一城壁だ。
壁は高く、分厚い。
積み上げられた石は黄色くところどころ黒ずみ、年月の重みを感じさせる。
櫓の上には兵士の影が見え、壁面には狭間が等間隔に並んでいた。
検問は二度目。
身分証明、馬車内の臨検。
荷箱を叩き、布の隙間を覗き、念入りに確認される。
ようやく許可が下り、門が開く。
伯爵家と子爵家の馬車ということもあり、これでも甘いらしい。
重い鉄扉が軋む音を立て、ゆっくりと開いた瞬間――
空気が、変わった。
人の密度。
音の反響。
石畳を踏む馬蹄の響き。
ここが、王都!
◆
第一城壁の内側――新市街は、よく「設計された街」だった。
道は直線的で、建物の高さも揃っている。
石畳は均され、排水溝もきちんと整えられているせいか、馬車が通っても埃が舞いにくい。
商店が軒を連ね、鍛冶屋の金属音が響き、工房からは木屑の匂いが流れてくる。
香辛料商の甘く刺激的な香りに、宿屋の大きな呼び込みが重なる。
生活と商いが、同じ速度で流れている街だと感じた。
ザーヴェル領の中心街が、そのままずっと続いているような感覚だ。
馬車の窓からマリアンヌと一緒に街を眺める。
たまに、民衆から視線を向けられたり、はたまた子どもが併走してきたりするので、窓から微笑みと手を振るという行動をしていたら喜ばれた。
マリアンヌと二人で繰り返しやっていると、乳母から「もうよろしいのでは」と窘められた。
かなり長い時間をかけて新市街を抜ける。
やがて第二城壁を越えた。
途端に、空気が一段落ち着く。
そこからが旧市街だった。
ここは建国時に作られた街で、当時の城壁は薄く、低かったらしい。
新市街を広げる際に、新市街の整備とともに、旧市街の城壁を厚く高くリメイクしたのだとか。
旧市街は、時間がゆっくり流れている。
古い石造りの建物が並び、街全体に静けさが感じられる。
建物は背が低く、壁には長い年月で刻まれた傷が残っている。
聖堂や広場、庁舎、商人ギルドといった建物が点在していた。
どこか洗練された雰囲気が漂っている。
聖堂の鐘の音が、街全体を包むように響いていた。
新市街が「生きている街」なら、旧市街は「歴史と文化の街」に思える。
そして、第三城壁。
ここから先は、貴族街。
人の数が減り、通りは静か。
馬車の走行音さえ抑えられた舗装。
生垣と庭園に囲まれた邸宅。
人影は少ないが、視線だけは確かに感じる。
邸宅はどれも大きく、敷地も広い。
中央に向かうほど、大邸宅、爵位が高い家となるらしい。
ザーヴェル家の都市邸は、かなり中央寄りだった。
王城の城壁が、すぐそこに見える。
また、ザーヴェル家から二百年前に分家したセレニア家は、ザーヴェル家に隣接する形で邸宅が建っている。
王都のザーヴェル邸は、お隣のセレニア邸に比べて、敷地も建物も二倍ほど大きいらしい。
隣家であるセレニア家の門前に差しかかると、マリアンヌは自分の家の馬車へ移っていった。
母と弟に会えるのが楽しみなのか、今日はぐずらない。
で、王都の我が家。
実家の邸宅と比べてどうなのか、というと、まず、門塔はない。
石垣と鉄柵を組み合わせた造り。
鉄柵の門の脇には侍衛の門番が立っていて、脇には小さな詰め所があった。
中庭は本邸の四分の一ほどの広さだが、手入れは完璧だ。
噴水は小さい。
……とはいえ、邸宅に噴水がある時点で、十分すぎるほど贅沢だ。
建物は、本邸そっくり。
どうやら本邸を模して建てられたらしい。
そのため間取りもほぼ変わりがないのだという。
父は辺境伯になっても、王都ではこの伯爵邸が本拠だという。
別の家を与えられていたら、普通に泣いちゃうところだったぜ!よかった。
ポーチで馬車から降りると、父の家臣たちに迎えられる。
家令の男は、片眼鏡の白髪の紳士だった。
かなり出来そうな男。もしかすると父の側近かもしれない。
名前はセバスチャンかと思ったが、どうやら違うらしい。残念。
荷を解き、片付けを使用人らに任せ、広間でワインを口にする。
去年までは、濾過した水を加えて薄めていたけど、十歳になったのを機に、薄めず飲むようになった。
前世ではワインは苦手で、ビールや日本酒ばかり飲んでいたけれど、今世はワインが飲めないと、ろくに水分補給ができない。
昨年までは、水で薄めていたけど、濾過した水を使って薄めても腹を下すことがあったし、やはりワインをそのまま飲むほうが断然安心だった。そのまま飲むようになって腹を下したことはない。ただ、度が過ぎると酔っ払う。
僕が成人し従属子爵として半独立したときには、自分の使用人であれば突飛な事を言っても聞いてくれるだろう。
その時は、水は濾過に加えて煮沸も命じようと思う。あと五年だね。
そうこうしていると、隣家からセレニア子爵夫人とマリアンヌ、そして子爵夫人に抱かれた幼児がやってきた。
セレニア子爵夫人は豊満な肉体を持つレディで、おっぱいもおしりも大きい。
え。もしかしてマリアンヌも将来こうなるの?
従弟はまだ2歳くらいらしい。ようやく「やだ」「こわい」くらいの言葉を操るようになってきたらしい。そうかいそうかい。大きくなるんだぞ。なでなで。
従弟をなでていたら、マリアンヌが「私にもして」とおずおず近づいてきた。ういやつよ。なでなで。
セレニア子爵夫人には笑われた。どーもすみませんね。
そして、セレニア子爵夫人から衝撃的なお知らせ。
明後日に、僕とマリアンヌが王城へ上がるというのだ。
お祖母さま……こういうことは言っておいてください。
「あら、セルヴィオさま、リュシアナさまからお聞きにではなかったのですか!?」
セレニア子爵夫人もびっくり。次いで、その事情をしっかりと教えてくれた。
子爵夫人の話を要約すると、僕とマリアンヌは、王族の子どもの遊び相手として招かれるらしい。
なるほど。……なるほど!
僕は、荷物の中に礼服が入っていることを思い出して得心した。
夜会用と思っていたが、早々に出番があるみたい。
「大伯の嫡子として、それに相応しい役割を果たさなければならない」
そういうことね。
僕は白目をむきながら、ソファに倒れ込んだ。
……お祖母さま。
何故一言でいい!ちゃんと言ってくれなかったのですか!
心の準備、まったくできてません。




