双葉かのんSS『真実のFAIRY TALE』(前編)
Vtuber事務所『Fmすたーらいぶ』の3期生の『双葉かのん』こと、彩芽ちゃんのデビューまでのお話。
やっぱり、ここははずせませんよね?(^ー^)
ぜひ、かのんちゃん推し!ましのん推し!の見習いフェアリーの人はお楽しみくださいませ!
灰色の世界に、一筋の光が差し込んだ。
何度も、何度も扉を叩いた。
「私なんて」と俯きながら、それでも捨てきれなかった「大好き」という名の執念。
靴を磨き、魔法を待ち、ついに入り込んだのは、鏡の中のお姫様が、すぐそばで笑ってくれる夢のようなお伽話の世界。
幾度となく夜を積み重ね、お姫様を導くことを誓った少女は、今、愛する人の隣で星座を成す。
これは、12時の鐘が鳴っても解けない魔法を掴み取った、一人の不器用な「妖精さん」の、真実のフェアリーテイル。
私の世界は、いつからこんなに灰色になってしまったのだろう。
お昼時の喧騒が嘘のように静まり返った、ファミリーレストランのバックヤード。山積みにされた段ボールの隙間から、古びたモップの生乾きの匂いが漂ってくる。
天井でジジジと不規則に鳴り続ける蛍光灯の白い光が、私の俯いた視界を容赦なく照らし出していた。
「あのさ、鈴町さん。ちょっと、こっちに来てくれるかな」
店長のその低く、どこか申し訳なさそうな、けれど決定的な拒絶を含んだ声。それを聞いた瞬間、私の心臓は冷たい氷の塊に変わるのを感じた。
ああ、まただ。
このトーンを、私はこれまでの短い人生で何度も、何度も聞いてきた。脳裏をよぎる過去の失敗、突きつけられた「使えない」というレッテル。指先が、自分の意志に反して小刻みに震え始める。
「……は、はい。店長」
絞り出した声は、自分でも情けないほどに掠れていた。エプロンの端を無意識に強く握りしめる。布の感触だけが、今の私がこの場所に存在している唯一の証拠であるかのように。
「鈴町さんさ、真面目なのは本当によく分かってるんだ。掃除だって誰よりも丁寧だ。……でもね、やっぱりホールは無理だよ。君にお客さんの相手をさせるのは、お店にとっても、……君自身にとっても、酷だと思うんだ」
逃げ場のないこの狭い空間で、店長の正論が容赦なく突き刺さる。
掃除が丁寧。そんな、誰にでもできる最低限のことしか褒めるところがないのだ、私は。
「オーダーを取る時の声も小さすぎて、何度も聞き返されてる。昨日なんて、隣のテーブルのお客さんから『あの子、怒ってるの?』ってクレームが入っちゃってさ。接客業っていうのは、笑顔とか、最低限のやり取りが成立しないと、どうしても難しいんだよ」
言葉が、見つからない。
怒っているわけじゃない。
ただ、笑い方が分からないだけ。喉の奥に何かが詰まったようで、適切な言葉を適切なタイミングで外に出せない。
人間社会という精巧な歯車の中で、私という形がいびつなパーツは、回ろうとするたびに火花を散らし、すぐに弾き出されてしまう。その火花で、周囲を、そして自分自身を焦がしながら。
「ごめんだけど、今日で辞めてもらっていいかな。……君のためにも、もう少し、自分に合った場所があると思うんだ」
「……すみ、ません……本当に、すみません……」
何度も、何度も頭を下げた。店長の視線が痛い。同情と困惑が混ざったその目が、私を「欠陥品」だと定義しているようで、視界が滲んだ。
これで、何回目だろう。
私の人生は、いつだってこの「すみません」で途切れてしまう。
制服を返し、裏口を出ると、外は夕暮れに染まり始めていた。駅へ向かう人波を避け、猫背になって歩く。家路を急ぐ人々は、誰もがどこかへ向かう目的を持っていて、誰かに必要とされているように見えた。
世界はこんなにも活気に満ちているのに、私一人だけが音の消えたモノクロの映画に取り残されているようだった。
「……コミュ障陰キャ女、おつ。私」
自嘲の言葉が、乾いた唇から零れる。家の玄関を開ける時、指先が微かに震えた。ここをくぐれば、また「期待を裏切った娘」としての時間が始まる。
「ただいま……」
「あら、彩芽。おかえり。今日は早かったのね」
台所から母が顔を出した。いつも通りの優しい微笑み。その穏やかな表情を見るたびに、私の中にドロリとした罪悪感が溜まっていく。
リビングには、仕事から帰ったばかりの父が座っていた。
「彩芽。バイトはどうした。……また、辞めたのか」
逃げようとした背中に、父の声が突き刺さった。父の厳しさの裏に「このままでは娘が一人で生きていけなくなる」という、切実なまでの心配があることを知っている。けれど、今の私にはその愛情が何よりも重く、息苦しい。
「……ごめんなさい。……クビに、なっちゃった」
重苦しい沈黙が部屋を支配する。父の眉間に刻まれる深い皺は、私という不出来な存在への、拭いきれない不安の深さそのものだった。
「あなた、そんなに責めなくても……」
「頑張ってこのザマか。いつまで親を心配させるつもりなんだ」
その声から逃げるように、私は二階の自室へと駆け込んだ。
ドアを閉め、鍵をかける。真っ暗な部屋。六畳一間のこの空間だけが、私が唯一「鈴町彩芽」という不完全な存在のままでいられる、最後のシェルターだった。
◇
翌朝、午前6時55分。
窓の外は冷え込み、カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋に散らばったグッズを照らしている。壁にはピンク色のイメージカラーをあしらったポスター。デスクの上には、大切に飾られたアクリルスタンド。
私はPCのモニターの前に座り、静かにその時を待っていた。
私は、ましろ姫の親衛隊だ。それも、デビュー当時から彼女を追い続けてきた、自他共に認める最古参の一人。
彼女の朝の配信を「リアタイ」すること。それは、社会からこぼれ落ちた私が、唯一「鈴町彩芽」という個人の尊厳を保つために課した、絶対の掟だった。
どれほどバイトで打ちのめされても、どれほど自室で惨めな涙を流しても、午前七時には背筋を伸ばしてモニターの前に座る。最古参として、彼女の始まりを誰よりも早く、誰よりも真っ直ぐに受け止める。その一事だけが、私が私自身に許した、唯一の誇りだった。
もしこの習慣を失えば、私は本当に、灰色の濁流に飲み込まれて消えてしまう。だから、これは単なる視聴ではない。私という存在を繋ぎ止めるための、最も神聖で、最も譲れない生活の起点なのだ。
午前7時。
画面が切り替わり、待機BGMが止まる。
『――おはようございます。Fmすたーらいぶ1期生、姫宮ましろです。今日も『姫の朝演説』にお集まりの親衛隊、そして国民の皆さん。元気にしていますか?』
弾けるような笑顔。完璧なお姫様として現れた彼女。
画面越しに響くその声を聞いた瞬間、凍りついていた私の世界に、怒涛のように「色」が流れ込んでくる。
ましろ姫の髪の鮮やかなピンク色、瞳のアメジスト、そして黄金色の輝き。
昨日、世界に否定された記憶も、父に投げられた声も、ましろ姫の声を聴いている間だけは、すべてが書き換えられていく。彼女は、灰色の現実で窒息しかけている私に、唯一酸素を供給し、世界に彩りを与えてくれる「神様」だった。
「……ましろ姫……」
私は縋るように、祈るように、キーボードを叩く。
『姫!おはようございます!今日も一番乗りです!』
配信は終盤、告知コーナーへと移った。
『――あ、そうでした!今募集している3期生のオーディションも佳境ですね。そろそろ新しい後輩が入って来ます。ましろも、本当に楽しみにしているんですよ?』
心臓が、痛いほど大きく跳ねた。
配信が終わり、画面が暗転する。静まり返った部屋で、私は震える手で公式サイトのオーディションページを開いた。
『応募期限:残り一週間』
私は、この「3期生」という場所に、これまで4回応募し、その全てで「不採用」の文字を突きつけられてきた。書類選考すら通らない。
ましろ姫のような圧倒的な華もなければ、2期生の先輩たちのような強烈な個性もない。ただの、痛々しいガチ勢のオタク。それが世間から下された、私という「無価値な人間」への客観的な評価だった。
他の事務所なんて考えられない。ましろ姫のいない場所に、私の意味なんてないから。
でも、期限はあと一週間。これが、本当の意味で最後のチャンスだ。
「……これで、最後にしよう」
私は震える指で、5度目の応募フォームを開いた。
名前、住所、年齢。
そして、白紙の志望動機欄。
綺麗な言葉は、もう書かない。無理して「みんなを笑顔にしたい」なんて、自分が一番できていない嘘も吐かない。
4回も落ち続けた私が、最後に行き着いたのは、ただの剥き出しの「本音」だった。
私はバックスペースキーを連打し、頭の中にあった優等生な定型文を全て消し去った。
『私は、人と上手く話すことができず、自分に自信が持てない不器用な人間です。つい昨日も、またバイトをクビになりました。現実の世界では、誰かの役に立つことも、上手に笑うこともできません。
でも、姫宮ましろ姫が、Fmすたーらいぶの皆様が、血の滲むような努力で作り上げてきたこの優しい世界のことだけは、誰よりも理解している自信があります。
私は、キラキラしたアイドルになりたいわけではありません。大好きなましろ姫が、これからも笑顔で、お清楚な姫として輝き続けられるように。この素敵な箱の「平和」や「風紀」を、親衛隊として画面越しに願うのではなく、もっと近くで、全力で守れるような、そんな存在になりたいです。
もし、光の当たる場所じゃなくても、この世界を支える盾になれる役目があるなら、私はそれ以外の全てを捨てても構いません。これが、私の最後の応募です。どうか、よろしくお願いいたします』
それはもはや、志望動機などではなく、救いを求める叫びそのものだった。
私は震える手でマウスを動かし、送信ボタンをクリックした。
カチッ。
その小さな音が、静かな部屋に重く響いた。
椅子に深くもたれかかり、大きく息を吐いた。
暗くなったモニターに、冴えない、何の取り柄もない私の顔が映っている。
けれど、その瞳の奥には、ほんの少しだけ。
ましろ姫の髪と同じ、鮮やかなピンク色の火が、消えそうに、けれど確かに灯っていた。




