皇ジャンヌSS 『煌めきの岐路』(中編)
翌日、私は長年お世話になった声優事務所の社長に退所の意思を伝えた。社長は、私の突然の申し出に驚きを隠せない様子だったけれど、私の真剣な眼差しと言葉の端々に滲む強い決意を理解してくれたのか、「そうか……君の決めたことなら、応援するよ」と言葉をかけてくれた。
そして事務所を後にした足で家に帰り、私は『Fmすたーらいぶ』のオーディション応募フォームを再び開いた。声優としての経験、歌うことへの抑えきれない情熱、そして何よりも画面の向こうのまだ見ぬ誰かと、温かい心の繋がりを築きたいという、心の奥底から湧き上がる強い願いが、再び私の背中を強く押した。
オーディションの応募フォームに向かいながら、私は、声優としての10年間を改めて振り返った。カトリーヌ役を演じた時のあの全身を喜びが駆け巡った瞬間、イベントで私の声に応えてくれる視聴者の笑顔を見た時の胸が熱くなるような感動、そして、いつの間にかまるで決められたレールの上を走っているかのように感じ始めた、形式化された活動への誰にも打ち明けられない抵抗。それらの経験全てが今の私という人間を形作っている。
「私は……ただのキャラクターに声を吹き込むだけの声優じゃない。歌うことが心から好きで、誰かと温かい気持ちを分かち合いたい、一人の人間、霧島栄美だから」
深くゆっくりと息を一つ吸い込んだ。まるで、長年私を縛り付けていた迷いを完全に断ち切るように、私は、震える指でキーボードを叩き始めた。声優としての経験、歌うことへの変わらない情熱、そして『Fmすたーらいぶ』の一員として、まだ見ぬ誰かと、共に新しい温かい光を作り上げていきたいという、誰にも言えなかった秘めたる願いを一文字一文字に込めて。
送信ボタンをクリックした瞬間、私の心には、これまで感じたことのない強い決意が宿っていた。それは、過ぎ去った日々への深い内省と、これから始まる未来への、静かでけれど確かな期待が複雑に絡み合った深い感情だった。
1週間後、私のスマートフォンに一通の新しいメールが届いた。『Fmすたーらいぶ』運営事務局。見慣れない差出人の名前に、心臓が少しだけ跳ね上がった。
件名には、「【Fmすたーらいぶ】オーディション選考結果のご連絡」という、待ち焦がれていた文字が確かに並んでいる。逸る気持ちを抑えながらメールを開くと、そこに綴られていたのは、書類選考の合格を告げる温かい言葉だった。私は思わず自分の胸に手を当てた。書類選考を通過したという喜びが、じんわりと、まるで温かい泉のように私の全身にゆっくりと広がっていくのを感じた。
そして、そのメールには次の段階である、対面での面接に関する、詳細な情報が記されていた。私は、スマホの画面を見つめながら静かに微笑んだ。書類選考という、最初の大きな壁を乗り越えたことで、私の決意は以前にも増して揺るぎないものになっていた。声優として長年培ってきたプロフェッショナリズムを土台としながらも、これまでとは全く違う新しい表現の形に、大胆に挑戦するという私の決断はもう誰にも止めることのできない、確固たるものとなっていた。
そして面接当日。一週間前のメールの余韻がまだ私の心を満たしていた。あの瞬間から、私の世界は少しだけ色を変えた。
今、私の耳には、Fmすたーらいぶ二期生の『いのピン』の音楽が流れている。黒夜ルナの、ダークでゴシックな世界観とそのクールさを纏った楽曲は、私の心の奥底にある情熱と反骨精神を呼び覚ます。重厚なサウンドと力強い歌声は、私に勇気を与えてくれる。
そして輝聖いのりの、透き通るような癒しボイスは、私の不安を優しく包み込んでくれる。彼女の歌声は、まるで温かい光のように私の心を照らし迷いを静めてくれる。
2人の曲は聴く者の心に勇気と希望を与えてくれる。私もいつかこんな風に、誰かの背中をそっと押してあげられるような歌を歌いたい。私の声で、誰かの心に光を灯せるようなそんな表現者になりたい。
そんな歌声に背中を押されながら、駅のホームを歩いていた。電車に乗り込み窓の外を眺める。流れていく景色はどこか非現実的だ。これから向かう場所が、私の人生を大きく変えるかもしれないという予感が胸を高鳴らせる。
目的の駅に到着し改札を出る。イヤフォンを外し、深呼吸をする。街の喧騒が少しだけ遠く感じる。地図アプリを頼りに、面接会場のビルを目指す。しばらく歩くと目的のビルに着き、エントランスに足を踏み入れる。静かで落ち着いた空間が、私の緊張を少し和らげてくれる。受付で名前を告げ、待合室へと案内される。
待合室に座り、周りの人々を見渡す。皆、それぞれの夢を抱き、ここに集まっているのだろう。私も、その一人だ。
面接会場の待合室は独特の緊張感に包まれており、かつてのオーディション会場を彷彿とさせた。まだ幼い頃から、数えきれないほどのマイクテストや演技審査を経験してきた私にとって、この独特の緊張感はどこか懐かしいものだった。心臓が少しだけ早くなる感覚も、手のひらにじんわりと汗が滲むのも慣れたものだ。壁際の椅子に腰掛け、配布された資料に目を通しながらも、私の意識は、周囲の受験者たちに自然と向いていた。
まず目に留まったのは、入口近くの席に座るいかにも緊張でガチガチになっている若い女の子だった。まだあどけなさの残る顔立ちで、手に持ったクリアファイルを握りしめる指先は明らかに震えている。時折、深呼吸を繰り返しているけれど、その度に肩が小さく跳ね上がっているのが分かった。目は資料に落ちているものの、焦点が合っていない様子から、頭の中はきっと、面接のことでいっぱいなのだろう。頑張ってと心の中でそっとエールを送った。
その子の斜め向かいに座っていたのは、少し変わった雰囲気の女の子だった。少し明るい髪、今どきの若い女の子……でも分厚い外国語の参考書を熱心に読んでいる。時折、小さく鼻歌を口ずさんでいるのだが、申し訳ないけれどその音程は微妙に外れていた。本の内容が難解なのか、眉間に皺を寄せているかと思えば、ふと顔を上げて遠くを見つめたりと、集中しているのかそうでないのか少し掴みどころのない様子だった。
そして、私の視線を捉えたのは、部屋の隅の窓際に座る、ひときわ目を引く美人なお姉さんだった。すらりとしたスタイルに、落ち着いた色合いのワンピースがよく似合っている。私よりも少し年上だろうか。知的な雰囲気を漂わせているのだが、その視線は落ち着きなくキョロキョロと動き回り、時折、自分の手を握りしめたり髪を何度も触ったりとどこか挙動不審な様子だった。その美貌からは想像もできないほど内面は緊張でいっぱいなのかもしれない。完璧に見える人でも、人知れず不安を抱えているのだと思うと少しだけ親近感が湧いた。
(みんな、それぞれの想いを抱えて、この場所にいるんだな……)
かつての私もあの中にいた。初めてオーディションを受ける時の、あのどうしようもない緊張感。結果が出るまでの、針のむしろに座っているような時間。何度も味わった成功と挫折。それらの経験が今の私を形作っている。
声優という世界は実力だけではなく、運やタイミングも大きく左右する厳しい世界だ。何度も悔しい思いをし、それでも諦めずに食らいついてきた自負はある。だからこそ、新しい分野に挑戦する今、過去の経験は私にとって大きなアドバンテージになるはずだ。
もちろん、Vtuberの世界は声優とはまた違うスキルや魅力が求められるだろう。それでも人前で表現することの楽しさ、声を通して感情を伝える喜びはきっと共通しているはずだ。私は静かに目を閉じた。 私の中の情熱が再び静かに燃え上がってくるのを感じた。そんな時、小さな声が待合室の隅から聞こえてくる。
「ねえ。あの子今年もいるよ」
「え、マジで?どの人?」
「ほら、あそこでガチガチになってる子。去年も同じように緊張してたんだよ」
「えー!そうなんだ!今回で2回目ってこと?」
その会話を聞いて、私はあの緊張している女の子を見る目が変わった。去年も同じようにガチガチになりながら、それでも諦めずに再びこの場所にやってきた。それは並大抵の勇気ではない。失敗を知りながら、それでももう一度立ち上がって挑戦する強さ。それは、表面的な才能や器用さよりも、ずっと深く、人を惹きつける力を持つかもしれない。
(今回こそは、彼女の努力が報われるといいな)
不思議とたまたま目に入った、全く違う個性を持つ3人。共通点は、この見慣れない「Vtuberオーディション」という場所に、それぞれの夢や希望、そして不安を抱えて集まっているということだけ。
それなのになぜだろう。彼女たちの姿を見ていると、まるで、運命の糸が、私たちを微かに結びつけ始めているような、そんな不思議な予感がする。もしこの中の誰かと、あるいは全員と、これから一緒に何かを創り上げていくことになるのだとしたら……それは、どんな化学反応を起こすのだろうか。想像してみるだけで胸の奥が微かにざわめいていた。
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