第一話『北からの風、光の都へ』
小説処女作品です!
ベタな展開が多いかも知れませんが「たまに出てくるファンタジー小説」的な印象を持ってくれると嬉しいです!!
吹き付ける風は、いつも鉄の匂いがした。錆びた鉄と、湿った土、そして貧しさそのものが発散する、希望のない匂い。自分が生まれ育ったのは、そんな匂いに満ちた世界だった。
自分の故郷は地図にかろうじてインクのシミのように記されるような程度の名もなき小国だった。
偉大で弱肉強食的な思想のヴァルザード覇権帝国の北、そして絶対君主に支配された聖冠連邦のさらに辺境。そのどちらからも忘れ去られたような山間の盆地は、痩せた土地と、無理やり掘り起こされる質の悪い鉄鉱石が全てだった。冬は長く、夏は短い。人々は来る日も来る日も鉱山で働き、帝国から派遣される役人に鉄を二束三文で乱雑に買い叩かれ、その日の黒パンを得るのがやっとだった。
だがこのような生活スタイルはこの世界ではありふれており、自分たちだけじゃないすべての人達が通ってきた道なんだと理解している。
「レオ、本当に行っちまうのか?」
ヨハンは黒パンを二つに割って、片方を渡してきた。
レオは受け取り、黙って噛みしめた。口の中が乾いて、言葉が出ない。
「ああ。もちろん行くよ」
レオは決心していた。古く廃れてしまった故郷を捨て、新たな世界や人々に会いに行くことを。背負った古びた革袋の紐を強く握りしめ、心には燃えさかるような光が宿っていた。
「このままだと駄目なんだ。俺たちは、俺たちの子供も、そのまた子供も、じいさんになるまで帝国の奴隷だ。朝から晩まで働いて、得られるのはわずかなパンと、多くの理不尽な命令だけ。そんなの、生きてるって言えないだろ」
ヨハンは口ごもりながら答えた。
「…だが、ここが俺たちの村だ」
「だから、変えるんだよ」
レオの声に、熱がこもる。
「聞いたんだ、ヨハン。南にある聖冠連邦は違うって。そこには、俺たちと同じくらいの歳なのに、国を治めている『女王陛下』がいるんだ。民は豊かで、街は光で満ちていて、努力すれば誰でも…身分も、生まれも関係なく、職人になれるって」
それは、数ヶ月前に村を通りかかった旅の商人から聞いた、まるで吟遊詩人が歌う叙事詩のような物語だった。若き女王が治める光の国。森と星、二つの魂を持つという巨大な連邦。そこでは、腐敗した貴族ではなく、公正な法が民を導き、誰もが自分の仕事に誇りを持っているのだと。
「...そんな光があるといった都合の良い国は存在しない。商人が自分の商品を買ってもらいたいためにホラ話を言っているに決まってる。」
「だから、確かめに行くんだ。もし本当なら、俺は必ず一流の職人になって、この村に仕事を持って帰ってくる。帝国の役人どもの言い値で買い叩かれるんじゃなく、俺たちの技術で、俺たちの鉄にちゃんとした価値をつけて、正当な値段で売れるようにする。そうすれば、みんな腹一杯パンが食える。子供たちに、新しい服だって買ってやれる」
レオの夢は、時計職人だった。父親が遺した唯一の形見である、とうの昔に壊れて動かなくなった小さな真鍮の懐中時計。その中に眠る、人の手が生み出したとは思えないほど精緻な歯車とゼンマイの小宇宙に、幼い頃から心を奪われていたのだ。鉄を叩いて鍬や剣を作るしか能のないこの国で、そんな繊細な夢は誰にも理解されなかった。誰も興味を持たなかった。
それでも、彼の中では決して消えない、たった一つの、夢だった。
背後では、母親が静かに涙を流していた。父親はもういない。
「ヨハン、これをみんなに」
彼は自分の銅貨を数枚、ヨハンの手に押し付けた。
「俺は大丈夫だ。達者でな」
前だけを向いて歩き出した。目指すは南。伝説の都、アウレリアニス。鉄と絶望の匂いしかしない故郷の風に別れを告げ、彼は未来の匂いを求めて、長い長い旅に出た。
「レオ…!」
幼馴染の声はもう彼に届いていなかった。
数週間に及ぶ旅は、想像を絶する過酷さだった。街道などという整備されたものはなく、時には名も知らぬ獣が潜む森を抜け、時には冷たい川を渡り、時には見知らぬ街の馬小屋で眠った。
親切な農夫にパンを分けてもらう日もあれば、丸二日、何も口にできない日もあった。
そしてある日の夜、野営地の焚き火のそばで懐中時計を磨いていると、旅の商人が声をかけてきた。
「ずいぶん古い時計だな。もう動かないだろ?」
レオは首を振った。「動かす。必ず」
商人はあざ笑っただけで去っていった。だがその笑いが、何より胸に刺さった。
帝国の領内を抜けるまでは、常に緊張が続いた。横柄な兵士に見つかれば、通行証を持たない彼は即座に捕らえられ、また故郷のような強制労働させられるだろう。泥で顔を汚し、ぼろ布を深く被って、何度も何度も検問をやり過ごした。帝国の街はどこもかしこも活気がなく、人々の目は故郷と同じように、諦念で濁っていた。
だが、聖冠連邦の国境を越えた瞬間、何かが変わったのを肌で感じた。
道は少しずつ整備され始め、街道沿いには手入れの行き届いた畑が広がり、そこに立つ農夫の顔には、疲労の中にも確かな生活の光があった。すれ違う人々は、よそ者の彼を見ても、訝しげな目を向けはするものの、帝国で感じたような刺々しい敵意はなかった。
「これが…連邦...?」
そして、ついにその時は訪れた。
緩やかな丘を越え、木々の切れ間から眼下の平野を見下ろした瞬間、レオの視界は、ある光景に占拠された。
地平線の果てまで広がる、一つの巨大な都市。
陽光を浴びてキラキラと輝く無数のオレンジ色の屋根。天を突くような白亜の尖塔。そして、都市を悠然と南北に分けるように流れる、雄大な大河。その中央に浮かぶ島には、王宮そのものとしか思えない、壮麗な宮殿が静かにそびえ立っている。都市全体が、光と活気で脈打っていた。
「…これが、本当…に」
言葉の最後は風にさらわれた。
「アウレリアニス…」
旅の商人の言葉は、単なるご都合主義のおとぎ話ではなかった。今までの苦痛がすべて感動として打ち消されてしまうようになり、
レオは、自分が今、世界の中心に立っているのだと確信した。
首都の北門は、シュテルネンリヒト様式と呼ばれる、黒い花崗岩と鋼鉄で造られた巨大な城門だった。故郷の貧相な砦とは比べ物にならない、もはや比べるのもおこがましいほどの人を寄せ付けないほどの威容。だが、そこに立つ兵士たちの姿は、今まで見てきたどの国の兵士とも違っていた。濃紺と鋼色を基調とした軍服は一点の汚れもなく、寸分の隙なく磨き上げられた鎧は、彼らの静かな誇りを映しているかのようだった。帝国の兵士のような横柄さも、だらしない怠惰もない。ただ、そこにあるべきものとして、彼らはそこに立っていた。
恐る恐る門をくぐった先は、音と色彩に溢れていた。
どこまでも続くような、丁寧に敷き詰められた石畳の道。蹄の音も高らかに駆け抜ける壮麗な馬車や、荷を積んだ荷車を押す商人、楽しげに語らう人々が子供たちが絶え間なく行き交う。道の両脇には、見たこともない商品が並ぶ商店がひしめき合っていた。香ばしいパンの匂い、甘い菓子の香り、異国から運ばれたであろう嗅いだことがない不思議な香辛料の匂い。鉄と泥の匂いしか知らなかったレオにとって、それは一つ一つが強烈な衝撃であり、胸を締め付け、脳を焼くほどの記憶となり、感動となった。
しかし、そんな夢のような光景は、都合が良いものにはならなかった。
「職人見習い? 小僧、冗談だろ?うちはシュテルネンリヒトの王立アカデミーで最高の成績を修めたやつしか雇わねえんだ。帰んな」
「よそ者か。悪いが、身元保証人もなしに、どこの馬の骨とも分からんやつを工房に入れるわけにはいかねえな。盗人だったらどうする」
北の工業地帯であるシュテルネンリヒト・シュタールヴェルクシュタット地区の工房を片っ端から訪ねて回ったが、結果は惨憺たるものだった。彼の持つ技術は、故郷では一番だったかもしれない。だがこの都ではあまりにも稚拙で、話にもならなかった。なにより、彼は身分を証明する何一つ持たない。警戒され、時には侮蔑の視線を向けられることもあった。
日を追うごとに、旅の間はあれほど大きく輝いて見えた夢が、都の喧騒の中で急速に萎んでいくのを感じた。懐の銅貨は残り数枚。空腹が思考を鈍らせ、足は鉛のように重い。夜は寒い橋の下で、他の浮浪者たちに怯えながら身を丸め、故郷の家族の顔を思い出しては、声を殺して泣いた。憧れだった光の都は、いつしか自分という存在を拒絶する、つためたい氷の結晶に浸されているように思えてきた。
諦めにも似た感情が、心を覆い尽くした、その日の夕暮れ。
最後の望みをかけて、レオは今まで足を踏み入れたことのない、主要な通りから外れた、古びた工房が立ち並ぶ路地裏へと迷い込んだ。「ここまで薄汚れた通りは始めて見た。」と感じさせるような通りだったがそこで、彼は一つの小さな看板を見つける。ペンキは剥げかけ、辛うじて文字が読める程度だった。
『グスタフ時計工房』
そこは小さなどの客層に向けての時計工房なのかわからないほどだった。
煤けた木の扉に手をかけると、軋んだ音を立てて開いた。カラン、と寂しげな鐘の音が鳴る。中は狭く、壁一面に古時計が掛けられ、チクタク、チクタク、とそれぞれが刻む不揃いな音が、まるで雨漏りのように空間を満たしていた。埃と、古い油の匂い。奥の作業台で、片眼鏡をかけた白髪の腰を曲げた老人が、猫のように背中を丸め、一心不乱にピンセットを動かしている。
「……客か? 見ての通り、小僧に売るようなもんはねえぞ。とっとと出ていけ」
老人は、レオを一瞥もせずに言った。その声は、ひどく不愛想で、乾ききっていた。
「あ、あの! 俺を見習いとして、ここで働かせてもらえませんか!」
レオは、震える声で叫んでいた。これが最後のチャンスだと、彼の魂が告げていた。
老人は、ようやく億劫そうにレオの方に顔を向けた。グスタフと名乗ったその男の目は、片眼鏡の奥で鋭く、値踏みするように光っていた。
「…よそ者か。それに、ずいぶん貧乏くさい身なりだな。アカデミーは出てるのか? どこのギルドの紹介だ?」
「いえ…俺は、北の…小さな国から来ました。身分を証明するものも、紹介状もありません。でも、やる気だけは誰にも負けません! 何でもします! 掃除でも、買い出しでも! だから、お願いします!」
レオは、最後の切り札のように、革袋からボロボロの懐中時計を取り出し、作業台の上に置いた。
「これは、親父の形見なんです。俺はこれを自分の手で直したい。そのために、どうしても、何をしようととも時計職人になりたいんです!」
グスタフは、懐中時計を無言で手に取ると、慣れた手つきで裏蓋を開けた。そして、片眼鏡で中の複雑な機構を覗き込むと、ふ、と乾いた笑いを漏らした。
「…ひでえもんた。帝国の量産品じゃねえか。作りも粗悪なら、使ってる金属も最低だ。修理するだけ時間の無駄な、ただのガラクタだ」
その言葉は、冷たい刃となってレオの胸を抉った。やはり、ここもダメなのか。俯き、工房を出て行こうとした、その時。
「――だが」
グスタフの声が、彼の背中を呼び止めた。
「鉄しか採れぬ貧しい国から、こんなガラクタをたった一つの宝物のように抱えて、この都まで来た度胸だけは褒めてやる」
老人は作業台の引き出しを開け、古びたピンセットと小さなドライバーを放り出した。
「小僧、ここに修理するための道具がある。まさか本当に何も知らないまま故郷から出てきたなんて言わないだろうな?」
レオは、一瞬、言葉の意味が理解できなかった。だがすぐにそれが自分を試すための試練だということがわかった。
工房の隅で腰を下ろし、慎重に裏蓋を開ける。中のゼンマイは切れており、油は黒く固まり、歯車には細かい欠けがある。幸い、幼いころ父の時計を分解して組み直した経験から、一度見た機構は正確に記憶できる。
(…ゼンマイは手持ちで代わりがない。けど、この小歯車なら…)
錆を削り、欠けた部分をやすりで形を整える。動きは鈍いが、わずかに輪列が回転し、テンプが一度だけ震えた。
「……なるほどな」
いつの間にか背後に立っていたグスタフが、レオの手元を見下ろしていた。
「手先は悪くねえ。だが今のお前じゃ、この時計は動かせねえ。素材も道具も足りん」
老人は腕を組み、片目を細めた。
「弟子にしてやってもいい。ただし条件がある――屋根裏が空いてる。寝床はそこだ。飯は食わせてやる。一ヶ月以内にそのガラクタを動かしてみせろ。それができなきゃ出ていけ。そしてここに二度と戻って来るな」
「…っ、ありがとうございます! ありがとうございます、親方!」
その夜。
工房の屋根裏部屋の、埃っぽい小さな窓から、レオは双聖宮を遠くに眺めていた。きらびやかな宮殿は、まるで夜空の星々を全て集めて作ったかのようだ。無数の窓から漏れる光の一つ一つに、人々の営みがある。
光の都は、彼を見捨てなかった。
この街で、自分の物語がようやく始まる。鉄の匂いしか知らなかった少年は、階下から響いてくる無数の時計が刻む希望の音に包まれながら、固く誓いを立てる。
必ず、一流の職人になってみせる。
そしていつか、あの城にいるという女王陛下に、自分の作った最高の時計を届けるのだと。
その女王が、自分と同じように、生まれながらにして巨大な孤独と戦い、民のためにその小さな肩に国そのものを背負っていることなど、彼はまだ知る由もなかった。
北からの風が、光の都の片隅で、静かに新たな渦を巻き始めた夜だった。
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次回作がどの様になるかはわかりませんが自分なりのペースで頑張りたいと思います!!