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Ⅱ:強くて自由で素敵な女の子 ②

 ――同日、東区・ヴァルナ―農園。


 東地区は古ぼけた四角いコンクリートの建物が建ち並ぶ区域だ。ひび割れた壁の集合住宅地が多く、そこかしこに洗濯物が干してある。道路はかろうじて均してあるが、舗装はされていなかった。ごみ箱から零れた紙屑が、風に煽られてカサカサと転がっていく。

 その郊外に小さな農園がある。

 獣除けというよりは人避けのための有刺鉄線が張り巡らされた柵。厳重に守りを固められた敷地には均等に並ぶ畝があり、春に蒔かれたエダマメの芽がひょっこりと頭をのぞかせていた。

 この農園では豆類やサトイモ、サツマイモのように荒地でも育てることのできる野菜を中心に育てている。農園というには規模が小さいが、お世辞にも農業に向いた土地とはいえない島では、唯一無二の農家と言っていい。

 畑の真ん中にある石造りの平屋から老人がのっそりと現れた。還暦を迎えたであろう彼の身体は、年齢に見合わず筋肉質で上背がある。若い頃は山のような大男であっただろうことが窺えた。

 農夫――ノーリ・ヴァルナーはロシアの退役軍人であるという噂がある。実際、銃の扱いや罠の知識に長け、対人格闘においても一般人とは一線を画した実力を有している。それは命知らずな畑泥棒たちが身をもって体験した事でもあった。

 ノーリは鍬を持って畑へ向かっていた。途中、家の横にあった涸れ井戸から物音がするのに気が付いて、大きなため息をつく。

 ――あンの馬鹿娘、まァた抜け出して来よったな。

 彼には血のつながらない娘がいた。

 涸れ井戸のそばにある林檎の木の下に捨てられていた子ども。だから林檎と名付けた。これを気まぐれに育ててみたら驚くほどに頑丈に、そしてやんちゃに育ってしまった。少しは落ち着くかと思って中央の学校に入学させたが、じっと座っているのが性に合わない娘は、こうして秘密の通路を使って抜け出して来てしまうのだ。

 すっかりサボり癖がついてしまった娘にお灸を据えようと、木蓋のついた涸れ井戸に向かって鍬を振りかぶる。

「あっ、開い……」

 がこ、と持ち上げられた木蓋に向かって鍬を振り下ろさんとした時、見覚えのない少女と目が合った。

「うおおおおおおっ!?」

「きゃあああああっ!?」

「ちょっ、馬鹿っ……うぎゃんっ!」

「も~、何やってんのぉ?」

「ご、ごめんなさいぃ……」

 驚いて手を離してしまったようだ。涸れ井戸の底から見知った悲鳴と、呆れたような別の少女の声が聞こえてきた。

 大きなため息をついて、木蓋を取り外す。涸れ井戸の底には自身の娘――林檎と、その友人たちがひっくり返って泣きべそをかいていた。


「信じらんねえ! 可愛い娘の頭をかち割る気か!」

 井戸から出てきて憤慨する娘の頭を撫でながら「お前なら避けられるだろう」とノーリは返す。可愛いとは思っているので、そこは否定しない。

「驚かせてすまなかったな」

「はい……あ、いいえ」

 老人に頭を下げられて小さく首を横に振る黒髪の少女はよく見ると初めて会うはずなのに、どこか見覚えのある面立ちをしていた。

 ――どこかで見た顔だな。

 そう思ったが、この島ではよくある事だと老人は口をつぐむ。

「このじーさんはアタシの親父。ノーリ・ヴァルナ―っての」

「すっごく強いのよ」

「人間用の罠を作るのも上手いんだぜ」

 林檎と緋代子による矢継ぎ早な紹介に「今はしがない農夫さ」と、老人は照れ臭そうに鼻下を指で拭った。

「ではあの地下道もおじ様が?」

 涸れ井戸の方を指さす。

 今しがた出てきた涸れ井戸は、中央女学院の講堂裏にある涸れ井戸と繋がっていた。通って来た地下通路は水路の成れの果てなどではなく、人の手によって作られたものであるように思えた。井戸はカモフラージュなのだろう。海上を回遊する浮島に、地下水源があったとも思えない。

「いや、あれを作ったのは儂ではないよ」

 静かに首を振る。

「あれは俺がここに住む前から……淺敷島が、島になる前からここにあるものだ」

 老人の目はどこか遠くを見ていた。薄い皺で彩られた目に浮かんでいるのは虚ろな澱みである。脳裏に思い描かれているのは、美しい思い出などではなさそうだった。

「それってどういう……」

 言い募ろうとしたが、それは老人本人によって遮られた。

「林檎、遊びに行くならついでに届けモンして来いや」

「げっ」

 嫌な顔をする林檎の両手にぽんぽんと段ボールや麻袋が積まれていく。雑な造りのトーテムポールのようだ。小柄な林檎の上半身はあっという間に隠れてしまったが、荷物の重さに彼女の細腕が負ける様子はない。

「落としたりするなよ。1つ落とすごとに晩飯が1日分減ると思え」

「ざけんなよクソジジイ!」

「パパと呼べと言っとるだろうが馬鹿娘ェ!」

 青筋を立てて段ボールを抱えたまま鋭い蹴りを放つが、軽々と避けられる。それどころか鍬で足払いをしかけてくるので、林檎は飛び上がって避けながら、冷や汗をかく羽目になった。

「まあまあ林檎。これから島を案内するんだし、ついでに寄って行けばいいじゃないの」

「ヒヨちゃんは相変わらず良い子だなぁ」

 緋代子が仲裁に入れば、いかつい老人の顔は途端にやに下がる。養父が緋世子に甘いのを知っている林檎は、面白くなさそうに口を尖らせた。

「妖怪漬物爺がデレデレしやがってよぅ」

「少し持ちましょうか?」

「頼む。上の袋が落ちそうなんだよ」

 晩飯抜きはやだ。素直に助けを乞う少女から、麻袋を受け取ると、ずっしりと重たかった。ごろりとした感触と土の匂い。芋でも入っているのだろうか。

「あ」

 その袋には『緋世子ちゃんへ』と宛名が付いていた。

「うっわ」

 紫陽花の手元を覗いた林檎が嫌そうに唸った。可愛い顔をクシャッと歪めて顔全体で不愉快さを表現している。

「……妖怪漬物貢ぎジジイめ」

「それだとお漬物貢いでいるみたいですね」

「たしかに」

 2人の視線の先ではまだ緋世子が捕まっている。

「こンのっ……妖怪芋貢ぎ爺!」

 耐えかねた林檎が荷物ごと体当たりするのに、そう時間はかからなかった。


 

  


 農園から少し離れると、中くらいの鉄筋コンクリートのビルの間に、個人経営の商店が並んでいるのが見えた。日本の下町を小さくしたような雰囲気の場所だ。

「なんだか、見慣れた感じです」

「東区は日本人が比較的多い地区だから」

「というよりは日本のヤクザが多いんだよな」

「ヤ、ヤクザですか」

 荷物を抱えた林檎を真ん中に新参者を案内してくれた。ヤクザ、と聞いて肩を震わせて周囲に視線を巡らすと、たしかにガラの悪そうな男たちがチラチラとこちらの様子を窺っている。

「私の傍にいれば大丈夫よ」

 緋世子がにっこりと笑った。

「ここはたしかにヤクザの多い地区だけど、その大部分は龍縁組って組の縄張りなんだわ」

 補足するように説明した林檎に続けて「お兄ちゃんのいる組なの」と緋世子が頬を染める。

「えっ」

 驚いて思わず声が出た。

 恋する乙女のような表情をした緋世子は、特徴の薄い柔らかな顔立ちで、純朴そうな雰囲気をしている。とてもヤクザとは結び付かない。人は見た目じゃないと言われれば確かにその通りだが、どうにも不思議な気持ちになってしまった。

「マ、龍縁組が最大勢力ってだけで、敵対してる組はいくらでもあるから油断はできないけどね」

 言いながら路地裏の方へ視線を向ける。睨まれた男がバツの悪そうな顔をして逃げるように立ち去っていった。くたびれた白い背広が路地の奥に消えていくのを眺めながら「だっせ」「逃げるなら見なきゃいいのに」なんて、少女たちはけたけたと笑った。大人の男相手にまったく物怖じしない様子に、新参者は茫然としてしまう。

「怖く、ないんですか?」

「怖いもんかよ。アタシの方が強い」

「危なくなったら逃げればいいしね……と、着いた」

 三階建てのビルの前で足を止めた。四角い、なんの変哲もない小さなビルだ。看板や表札の類もかかっておらず、人の気配も希薄なため、廃ビルのようにすら見えてしまう。

「ここが、」

 林檎が言いかけた、ちょうどその時だった。

「舐めた真似しとんじゃねぇぞ三下がァ!」

 がっちゃーんっ

 突如、怒号と共に大きな音を立てて硝子を吹き飛ばした男が目の前を通りすぎていった。驚きのあまり身体を強ばらせた紫陽花の目の前で、頬を赤く染めた緋世子が駆け出す。

「お兄ちゃ〜んっ」

「あ?」

 硝子の無くなった窓枠の先に居る青年の元へと駆け寄った緋世子に、紫陽花は声も出せずに肝を冷やしていた。どう考えても先ほどの怒鳴り声の主はこの男だ。窓ごと成人男性を外へと放り投げたのも、おそらくは。

「うお、お、あ、ああ~……緋世子か。事務所にゃ近寄るなっていつも言ってンだろぉ。学校はどうした?」

 青年は緋世子の姿を見とめると、剣呑な雰囲気をさっと引っ込めた。利き手を身体の後ろに隠して、しどろもどろになっている様は、隠し事の苦手な普通の青年に見える。

「お兄ちゃんに会いたくなったから、抜けてきちゃった」

「そっか〜。じゃあ、しゃあねぇな〜」

 鼻にかかった甘い声と、情けないほどに溶けた声。ひょいと窓枠を飛び越えた兄が、ニコニコと頬を緩ませながら妹の頭を優しく撫でる。

 ――過ぎたブラコンだとは聞いてたけど……これはもしや。

 げんなりした顔の林檎と目が合った。こくり、と力強い頷きが返ってくる。

 ――シスコンだぜ。

 ――やっぱり!

 ブラコンはシスコンと相思相愛だった。

「今日は初めて見る友達が一緒だな。……荒っぽいところ見せちまった。びっくりしたろ?」

「あ、はい……あっ、いいえ!」

 青年と視線が合って肩が跳ねる。「どっちだよ」と可笑しそうに口の端を歪める男のかんばせに、つい目が奪われた。

 ――すごい美人。

 日本人離れした白い滑らかな肌と、きらめく銀髪。優しげに微笑む瞳は、雪原に咲くクロッカスを思わせるカナリアイエローだった。長い睫に縁取られたアーモンド型の目に見つめられて、どうしようもなく胸が高鳴る。

「紫陽花ちゃんっていうのよ。最近島に来たばかりなんだって」

「わ、渡里紫陽花です……」

 ぎゅっと肩を抱かれて、別れて慌てて視線を外した。右へ下へと目線をさ迷わせながら、何とか名乗る。

 ――い、痛い……!

 緋世子に掴まれた肩が悲鳴をあげていた。女子と肩を組んでいるとは思えない握力に、声をあげないよう必死だった。

「…………好きになっちゃ、駄目だよ?」

「わかっております! わかっておりますとも……!」

 囁かれた甘い脅迫に、小声で必死に弁明する。

 ――か、肩が割れる……!

 林檎の忠告は本当だった。他人に迷惑をかけるタイプのブラコン。なるほど、確かにこの美貌の兄をもってこの嫉妬深さでは、すれ違う人間全ての肩を破壊しに行かねばならないだろう。

「絶対に好きになんてなりませんから……!」

「あたしのお兄ちゃんに魅力がないってこと!?」

「やだこの娘面倒くさい!」

「緋世子、そのへんにしとけよ〜」

 激昂しかけた緋世子から逃れ、林檎の背に隠れる。

「しょ、諸事情で、殿方との恋愛は、考えられないので……今のところは」

「そっか、なら大丈夫かな」

 はっと何かに気づいたように目を見開く。

「男は駄目ってことは、女の子ならワンチャンあるってこと!?」

「なんだって?」

「ありません! やめてください!」

 ブラコンを宥めた後にシスコンの相手はしたくはない。林檎の背に隠れたまま、ついに泣き声混じりの悲鳴をあげた。

「……つーかよ、なんかあったンか?」

 黒服の男たちに連れて行かれる男を横目に、林檎が話を反らす。途端に智近は困ったような顔をした。視線をうろうろとさ迷わせながら「ガキに言えることじゃねぇよ」と低い声を出す。

「大事にとっておいたケーキ食われてキレただけだよ」

「ガキかよ」

「数明! てめっ……バラすなハゲ!」

「ハゲてませ〜ん」

 いつの間にか窓枠の向こうに立っていた男が、可笑しそうにケタケタと笑った。白髪交じりの茶髪を七三分けにした眼鏡の男。くたびれたスーツ姿といい、少し軽薄な印象だが、ごく普通のサラリーマンのようにも見える。

 ――誰だろう。

 怪訝そうな顔をする紫陽花に「自警団の浜虎さんだよ」と緋世子が囁いた。

「元々は本土で警察官やってたんだって」

「元警察が、ヤクザさんと……?」

「自警団の連中は島の組織にゃ介入しない決まりになってハズなんだが、あいつ普通に組の事務所に出入りしてるよな」

「公然の秘密、ということですか」

「汚職警官なんでしょ。それで警察もクビになったって聞いたよ」

「ちょっとティーンズたち〜、そういう話はおじさんの耳の届かない所でやってね。傷つくから」

 言葉のわりにへらへらとした笑みは浮かべたままだ。それが上部だけのものなのか、本心なのかわからなかった。掴み所のない男だ。

「帰りにケーキ買ってくるね。ショートケーキでいい? いちごのやつ」

「…………オウ、頼むわ」

 兄が甘党であることを解っている妹の申し出に、智近は照れ臭そうに頷く。そうして林檎のかかえる大きな荷物を見て、「タクシー呼んだるわ」と携帯を取り出した。

「オウ俺だ。5分で来い。……あ? 客乗せてる? 知るか、捨て置け。はよ来い。5秒で来い」

 なんとも暴君極まりない通話である。一方的に捲し立てて電話を切った智近が「少し待ってろ」と告げて煙草に火をつけた。

 5分後、けたたましいブレーキ音と共にタクシーが到着した。 


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