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Ⅰ:2人の殺人鬼 ②

 ——同時刻、浅敷島・南区裏港にて。


 桟橋に一隻の小型の漁船が寄せられた。

 船の多く停泊する港の中心部からは少し離れているためか、人気もなく閑散としている。近くには使われていない小さな倉庫が建ち並ぶばかりで民家もない。人目を避けたい人間がよく使う場所である。

 浅敷島で人目を避ける必要がはたしてあるのか?

 もちろんある。ここには確かに法は届かないが無法都市なりのルールはあるのだ。あと弱味を握られると正義を盾にナイフを振り回してくる人間がいるので。

 操舵していた中国系の男は、日本で拾ってきた依頼人の肩を叩いた。

「お客サン、着いたヨ」

「うあ〜、きもぢわるい……」

 緩くウェーブのかかった黒髪をところどころ金色に染めた青年が顔を真っ青にして呻いた。黒いラインとブルーベースのアイシャドウで縁取られた眦を、苦し気に歪ませている様子は叱られた仔犬に良く似ている。荷物はボストンバッグ1つという軽装だが、ピアスや指輪などのガチャガチャとしたアクセサリーや、黒を基調としたファッションから、ヴィジュアル系のバンドマンのようにも思えた。

 ――それにしても、バンドマンがこんな島に何の用があるんだか。

 一向に起き上がれない青年を見て、船乗り――浩然(ハオラン)は呆れたように肩をすくめた。彼は依頼人の個人情報を気にしたことがないので、先入観のままに青年をバンドマンだと思うことにしていた。

 この島で運び屋という半ば便利屋染みた稼業を営むために、浅敷島がどういう場所なのか嫌というほど知っている。少なくとも歌などで生計を立てられる場所ではない。

「アンタ、この街に何しに来たか? 日本の軟弱なお坊っちゃんが遊びに来る所じゃないヨ」

「や、遊びに来た訳じゃなくて」

 青い顔で手を振った青年は、ボストンバッグを肩に引っかけるとヘラヘラと笑った。

「ちょっと移住を考えてて」

「もっと馬鹿だヨ」

 浩然は首を振った。何も知らないで言っているなら馬鹿だし、すべて承知の上というなら、やっぱり馬鹿の極みだ。そしてそういう馬鹿に関わるとろくな事が起きない、というのが浩然の持論だった。

「お?」

 青年が桟橋に降り立った途端、どこに隠れていたのか男たちが湧いて出てきた。いかにも柄の悪そうな風体の彼らニヤニヤと悪意の滲んだ笑みを浮かべながら、きょとんとした顔の青年を取り囲む。

「へへ、悪いな兄ちゃん」

「とりあえず財布と荷物だ」

「あと服だ」

「ひゃはは」

 手に持った金属バットや鉄パイプをちらつかせながら、粗野に青年の肩を掴む様は正しく追い剥ぎのそれだ。

「ね、浩然さん。この人達はお友達?」

「滅多なこと言うんじゃないネ。ワタシがこのあたりに客を降ろすことを何故だか知ってるというだけの、ただの顔見知りヨ」

「それほとんど同業者じゃん」

 自身の頭よりも大きな掌に肩を掴まれても青年は動じない。それどころか、ケラケラと呑気な笑顔を振り撒いてすらいる。あまりの緊張感の無さに取り囲む男たちの方が怪訝そうな顔をし始めていた。

「まあ、ワタシの仕事はここまでヨ。後はご両人で適当にするといいね」

「助けてはくれないの? 冷たいね、とても悲しいよ。日本からここまで旅した仲だっていうのにさ」

「そういうのはカネで測ることにしてるヨ」

 青年はため息をついた。

「貧乏人には用はないってことか」

 事実、日本からここまでの運賃はかなりの格安だった所を、さらに値切った覚えがある。この守銭奴ぎみの中国人が、それでも快く引き受けてくれたのは、彼らへの仲介料も含めて利があったから、ということだろう。

「オイ、シカトこいてんじゃねぇぞコラ」

 スキンヘッドの男に引き戻された。

 脅かそうとぺちぺちと頬に宛がわれた金属バットを横目で眺めて、「良い武器だね」と場違いな褒め言葉をかける。

「あ? 舐めてんのかお前」

「いやいやいやいや、めっそうもない!  褒めてるって!  おれ、てっきりこの島の人間はみんな、銃火器なんかでドンパチしてるもんだと思ってたので。馴染みのあるアナログな武器に逆にほっとしたっていうか!  なんでしょうね郷愁を感じる?  みたいな、 ね?」

「やっぱ馬鹿にしてんじゃねぇか!!」

「んぎゃっ」

 スキンヘッドが青年の胸ぐらを掴んで放り投げた。けして低くはない背丈の青年が荷物ごと簡単に宙に浮く。尻餅をついて悲鳴をあげる青年を指して「連れてけ」と無慈悲な言葉を投げつけると、ろくな抵抗もできないままに島に辿り着いたばかりの青年は、男たちに引きずられて倉庫の方へ消えていった。

「馬鹿な野郎だ」

 鼻を鳴らすスキンヘッドは片手を差し出す浩然を見ると、忌々しそうに舌打ちしてポケットからよれた一万円札を5枚取り出して差し出す。ほくほく顔でそれを懐に仕舞い込む同業者に、

「良かったら見物してくか? そこそこ綺麗な顔をしていたし、高く売れるかもしれないぜ」

 と問いかけるが、浩然の返答はすげないものだった。

「ああいう馬鹿には関わりたくないネ」

「そりゃ賢いこった」

 挨拶もそこそこに桟橋から離れる漁船を見送りながら「付き合いの悪い奴だ」と唾を吐き、スキンヘッドは仲間たちの待つ倉庫へ足を向けた。


 ――そろそろ泣き出してる頃だろうか。本土の連中は平和な頭をしているから、仕事がしやすくて助かる。

 ほくそ笑みながら倉庫の扉をくぐったスキンヘッドの眼前に広がるのは、予想だにしていない光景だった。

「…………あ?」

 理解するのに時間がかかった。

 6メートル四方の小さな倉庫の内装は、随分と様変わりしてしまっている。灰色をしているはずのコンクリートの床が、入口付近から赤く染まっているのだ。一瞬自分が入る場所を間違えたのではないかと思ったほど。

 思わず1歩、踏み出して、ぬちゃりとした感触にぞっとする。嗅ぎ慣れたようで、そうでもない。鼻の粘膜に突き刺さるような鉄臭さ。

 ――血だ。

「な、なん……」

 はくはくと口がから回る。バクバクと心の臓がけたたましく警鐘をかき鳴らしていた。

「う……ぁう」

「!」

 呻き声に気づいて視線を下げると、壁にもたれ掛かるように仲間たちが倒れていた。一様に頭から血を流してぐったりとしている。ぴくりとも動かない者もいた。

「一体誰が……」

 そこではた、と気がつく。

 あのバンドマンの姿がない。

 ――そんな馬鹿なことがあるか!? たった数分の間にやられたってのか、あんなひょろっちい野郎に?

 愕然としたスキンヘッドが、ひとまずこの場を去ろうと後ずさりした時、カラ……と背後から物音が聞こえて反射的に振り返ろうとした。

「お、ごっ」

 そのまるい額を鉄の塊が上から叩き割った。

 膝から崩れ落ちそうになるスキンヘッドの頭を、優しく両手で抱えるようにして支えたのは、あのバンドマン風の青年だった。

「あぁ〜〜〜〜っ……い〜い、音!」

 その恍惚とした声と表情を認識してはじめて、彼は自分がとんでもない疫病神に手を出してしまったという事に気がついた。


 浅敷島にやってくる馬鹿は2種類いる。

 殆どが無知で考えの足りないただの馬鹿だが、たまにこういった少数派がやってくるのだ。中央女学院の旁木山茶花(つくりぎさざんか)か、はたまた南区の千手宮如音(せんじゅのみやゆきね)のように、周りの人間に災厄ばかりを振り撒いていく、はた迷惑きわまりない奴らが。


「あれぇ? 浩然さんは来なかったの? 残念だなぁ、結構好みの顔してたのに……あんたの顔はあんまり好みじゃないんだけど、頭の形はとっても良いねぇ。すべすべー」

 ちゅう、と痛みに震える額に口付けられる。ぶわ、と嫌な汗が滲んだ。

――ああ、ちくしょうちくしょうちくしょう! 浩然の糞ボケ野郎、とんだ厄ネタを連れてきやがった!!

 ぐらぐらと揺れる蒙昧な意識の中で、スキンヘッドは馴染みの運び屋への恨み言を募らせる。声にならないそれは当人にはもちろん、目の前の青年にも聞こえることはないだろうが。

「あんた達、お間抜けさんだけど、武器のセンスだけはいいよねぇ。おれ、鈍器って大好き」

 青年がくるくると手の中で弄ぶのは、柄の長い小型のハンマーだった。大きさからしてボストンバッグに入っていたものだろう。満遍なく血で濡れているため元の色合いは窺うことができない。スキンヘッドたちが銃を持たないのは単純に金がないからなのだが、青年はそこまで考えが及んでいない。自分と同じように彼らが好みで武器を選んでいると思っているようだった。

「鈍器好き同士仲良くできるかなって思ってたんだけど、やっぱりだめだねぇ。おれは堪え性がないんだよぉ」

 よしよし、とスキンヘッドの頭を撫でる手はいっそ優しい。

「あんたのキレーな、まぁるい頭見たらさぁ、興奮しちゃって」

 まるで恋人に囁くかのような甘い声。その青年の下腹部が固く兆しているのに気がついて、スキンヘッドは思わず目を見開いて顔を青くした。視線に気がついた青年が予備動作もない極小の動きで、正確にスキンヘッドの顎を打つ。ぐるん、と視界が揺れて即座に意識を失った。

「どこ見てんだよ、えっち」

 悦楽に声と瞳とをしとどに濡らして、淫靡なけだもののごとく舌舐めずりをする。恍惚と乱れる呼吸を整えようとして失敗した。ひぅ、と変な声が出るのが可笑しくて可笑しくって、また笑う。


 日本から来た青年――白鳥福寿(しらとり ふくじゅ)はバンドマンなどではない。彼はつい最近まで日本国内を騒がせていた猟奇殺人鬼である。

 彼の殺しにはいくつかの特徴がある。そのうちの1つが凶器だ。

 彼は刃物でも銃火器でもなく、ハンマーや金槌、煉瓦などの鈍器を好んだ。

 また、これも一重に彼の性癖によるものだが、哀れな犠牲者たちは遺体を激しく損壊している。鈍器で潰された頭部や指先が、原型をとどめている方が珍しいくらいだ。

 派手な殺し方の割に雲隠れが上手く、追跡を許すような痕跡は残さない。正体の見えない無差別殺人鬼に戦々恐々とした本土の裏社会の人間は、恐れを込めて彼を『潰し屋』と呼んだ。

 日本で気の向くままに殺しを続けていた福寿は、警察に追われる日々の中、思うように欲求を満たすのが難しくなっていった。そんな折に浅敷島の存在を知って飛び付いたのだ。行き場のない犯罪者が浅敷島に辿り着くのはそう珍しい話ではない。


「あはは、完成」

 飛んで火に入ったゴロツキ達を相手に()()()()終えた福寿は、満足そうに両手を上げて背骨を鳴らす。

 物言わぬゴロツキ達は倉庫の真ん中に等間隔で並べられていた。

 もはや着ている服以外に個人を判別する方法がない。首から上は繰り返し振り下ろされた凶器によって、ぐちゃぐちゃに潰されてしまっていた。雑なアートのように引き伸ばされたおびただしい量の血液に混じって、脳漿と頭蓋骨の破片が散らばる。ひどく鼻につく匂いがした。

 その内の1人、おそらくスキンヘッドの男の体の隣に寝そべった福寿は目に見えてご機嫌で、熱っぽく頭部の潰れた死体を眺めながら鼻歌などを歌っていた。

 どこか耳馴染みのある曲目は、フェリックス・メンデルスゾーンの『結婚行進曲』。血濡れの倉庫が結婚式場にでも見えているらしい。幸福の代名詞たる結婚のテーマソングを血で洗う暴挙。それを咎める者は、残念ながらこの場にはいない。

「おれの可愛いトマトちゃん」

 ふふ、と恋人に睦言を囁くように、ぼろぼろになったスキンヘッドの片耳に耳打ちしては外耳を甘く食む。まろさの残る白い頬を可愛らしく桃色に染めているが、その顔も指先も赤黒く汚れていた。

「ねぇ、この島でのハジメテの人。ここにはどんな人がいるかなぁ。おれは男でも女でも、大人でも子どもでも好き嫌いなんてしないけど、できれば美人が良いな。綺麗な顔を台無しにするのって、なんだか凄く……興奮、するんだよね……あ、もちろん今は君が1番可愛いよ」

 悪びれもせずに「浮気な男でごめんねぇ」と指先で転がる眼球を撫でた。濁った眼球に見つめられて、恥ずかしそうに目を伏せる。

 白鳥福寿がいつ頃から()()だったのか、彼自身も正確なところを覚えていない。自分の齢がそもそも曖昧だし、物心つく頃には人の体を鈍器で潰す事に満足感を覚えるようになっていたので、昔からとしか言いようがない。成長に伴って満足感は性の充足感の側面が強くなり、殺しの回数も増えていった。

 彼は自分がまともでない事などとっくに気づいていたし、世間とはけして迎合できない事もわかっていた。

 しかし、それでも構わないのだと思っている。

 白鳥福寿は、今目の前にある、潰れたトマトを愛しているのだ。――それも、わずかの間だけではあるが。


「はあ、名残惜しいけどあんたとはここまでかな。そろそろ行かないと」

 言葉では惜しみながらも、その動きは素早い。慣れた様子で体に付いた血を拭いて、汚れた衣服をボストンバッグの中身と入れ換える。バッグの中には似たような色合いの服が数着収まっていた。

 何食わぬ顔で倉庫から出たところで、遠くの方から乾いた破裂音が聞こえてきた。銃声だ。

「わあ、あはは! お祭りみたいな島だなぁ!」

 なんて素敵な場所なんだろう、と福寿はひとりごちた。

 客を売る船乗りに、当たり前のように搾取しようとするチンピラ。街中に響き渡る銃声。島の入り口でさえこの有り様では、深層ではいったいどんな混沌が繰り広げられているんだろうか。願わくば、とびきりの暗澹であるといいのに。けちなシリアルキラーなんて霞んでしまうほど。

 陽気な気分でくるくると躍りながら通りに出る。幸いにも人気はなかったので視線を集めることはなかった。まあ、そこに人がいたとして、通行人も気に止めることはないだろう。少なくとも福寿はそう確信していた。

 ――ここならきっと、自由にやれる。もっと色んな人を愛したいな。

 うきうきとした足取りのまま、人の気配の多い方、歓楽街の方へ足を向ける。ひとまず今夜の宿と一夜の遊び相手を見繕わねばならなかった。




 この日、島には2人の殺人鬼が訪れた。

 1人は望んでこの土地を踏み、もう1人は流されるままにここへ辿り着いた。

 1人はこれから起きる事に期待し、もう1人は自身のこれからを思って不安に体を震わせていた。

 白鳥福寿と渡里紫陽花。

 生い立ちから何もかも違う2人の殺人鬼がやってきたのは、なんの運命の悪戯か、奇しくも同じ日のことであった。


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