第37話 後輩男子とヘタレ
「「果たし状?」」
覗き込めば、達筆な字で筆ペンか何か...........いやこれ、墨か?
「うわ、中までちゃんと筆だ」
「書道習ってたのかしら? 結構うまいじゃない」
「本当にな、これ普通に段いってるんじゃ...........じゃなかった、えっと、」
『今夜九時、会社の裏通りににて待つ 柊秀斗』
三つ折りの紙に簡素な文のそれは、どこか迫力がある。
思わず呆然としてそれを数秒見つめた俺は、ぽつりと言葉を漏らした。
「...........下の名前、初めて知った」
「「それな」」
◇◇◇◇◇
――――と、言っていたのがおよそ十時間前である。
「あーっ、やっと終わったー!」
「年明けの仕事ってなんでこんな長く感じるんだろう...........休日はあっという間なのに」
「休日何してんの」
「寝てる」
「そのせいでしょ」
仕事が終わり、綾瀬と蒼井と並んで廊下を歩き、なんだかんだでいつの間にか仲直りをしている二人の会話を聞き流す。
くぁ、と思わず小さくあくびをすると、ふと静かになった隣に違和感を覚えた。
「その…………俺が言うのもなんだけど、無理して行かなくていいと思うぞ」
「本当にお前が言うなよ」
「天都くん線が細いから勝てないかも…………」
「なんの話をしてるんだよ」
別に暴力でどうにかしようとしてない、と顔を顰めるが、二人はそれを聞いていないかのやつに何やら相談をし続ける。
そうしてゴニョゴニョと話し合った後、そいつらはポンと俺の肩にそれぞれ手を置いた。
「「辛かったらいつでも帰ってきなさい…………」」
「だからなんの話をしてるんだよ」
思わず能面のような顔で突っ込むけれど、まあこの二人にとってはどこ吹く風である。
ため息をつきながら会社を出ると白い息が目前を舞い、一月の冷たい空気が頬を刺す。
ネックウォーマーを巻いていても隙間から入ってくる風にブルリと震えたとき、不意に後ろから声がした。
「…………天都瑞稀」
「え、」
驚いて振り返れば、そこには整った顔と長い足に似合う黒いコートを着ている男がいる。
それが本日『果たし状』を送りつけた張本人だと分かった瞬間、俺は思わず声を上げた。
「「「柊秀斗!!」」」
「…………そうですけど」
それが何だ、というように訝しげな顔でこちらを見てくる柊に、俺たちは顔を見合わせる。
…………まあ、覚えた言葉を言いたくなるのは人間のサガである。
んんっ、と切り替えるように俺が咳払いをすると、ハッとした柊が一歩こちらに詰め寄った。
「僕、貴方に話があって来ました」
「まだ30分くらいあるけど。ずいぶん情熱的なこって」
「違います!!!」
「わーってるって」
感情的に否定してくる柊に苦笑いして、隣に立っている同僚たちを一瞥する。
心配そうな顔をしている彼らにひらひらと手を振り、俺は柊の方へ近づいた。
「俺ちょっとこいつと話してくるから」
「「天都」くん」
「なんでうちの周りにはそんな心配性が多いんですかねえ」
俺と奏が結婚したと聞いて泣いていた中学の親友然り。
俺は思わず笑いを溢してから、綾瀬と蒼井に手を振った。
「また明日」
◇◇◇◇◇
「で? 柊クン、話って何だよ」
「…………天都先輩のことなんですけど」
「?」
天都先輩。俺、なはずはなく。
言いづらそうに言われた言葉の意味を理解するまでに数秒を要した後、俺はポンと手を打った。
「あぁ! 奏のことか!」
「は? 貴方のことを先輩なんて呼ぶわけないでしょう」
「紛らわしいんだよ」
「貴方が強制したんじゃないですか!!」
「まあそうだけど」
何だかきまり悪くなって視線を逸らすが、その眼光の強さは揺らぐ気配はない。
なら睨めっこでもしようかと柊の目を見返すと、逆に今度はそっちがたじろいだ。
「こ、こっちとしては色々気を遣ってるんですよ!? あと、過去の決別というか…………何というか…………」
ごにょごにょと口元で何事かを呟いている柊をじっと見つめていると、ハッとした柊が顔を上げる。
こんな話をしたいんじゃなくて! と大きな声を発したそいつは、唇を引き締めてからもう一度口を開いた。
「―—――早く、してあげてください」
「は、」
一瞬、何を言っているのかがわからなくて、ただ息が漏れる。
けれどその言葉を理解した瞬間、柊が更に言葉を重ねた。
「なんで遅いんですか。なんで言わないんですか。大切ならっ、どうして!」
————はっ、と。
息を吐く音と、吸う音が重なった。
「どうして12年も待たせたんですかっ…………!!」
俯いたまま響いた声が、悲痛な叫び声のように聞こえる。
その声に何も言えずただ目を見開くと、どこか苦しそうに眇めた瞳と目が合った。
「お前、もしかして、」
「あの人はずっと、待っているんです。たった一人————ただ一人からの言葉を」
ダメなんです、と。
ふと、静かな声が夜の空気に溶けた。
「あの人は、僕じゃダメなんです。あの人は、ただ、」
そこまで言ったところで言葉を切ると、柊は俺をじっと見る。
それを呆然として見つめていたけれど、ふとそいつの目の端が少し赤くなっているのに気づいて、俺は思わず口を開いた。
「ごめん、俺は...........」
「別に振られたのは僕の実力であなたのせいではないんで謝らないでください。余計に惨めになります」
『振られた』―—――その決定的な言葉に俺は息を呑み、ぐっとこぶしを握り締める。
もう待たせてはいけないと。そうわかっていたのに踏み出さなかったのは、俺だ。
恋敵は、もうとっくに前を進んでいた。
「かっけーな、柊くんは」
「知ってます。でも、貴方がよそ見でもしよものならすぐに取っていきますからね」
「しねーよばーか。恋敵の背中なんぞ押して」
「馬鹿じゃありません。...........もう、恋敵でもありません」
最後の一言が少し掠れていたのは、気づかなかったことにしておこう。
そう思ってふっと笑うと、それを睨みつけた柊だったが、ふっと目を遠くする。
「そうですね...........強いて何か言うなら」
そして、はっとどこか諦めたような息をついた。
「僕の4年間返してください」
「すみません…………」




