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第31話 ダメなんじゃない〈奏〉


返事は今日じゃなくても大丈夫です、と緊張のためか強張った顔ながらも笑みを浮かべた柊と別れた後のことは、正直よく覚えていない。

ぼーっとしたまま帰ってきて、「ケーキは週末に予約してあるから」と言われた瑞稀の言葉にぼんやりとしたまま頷いて、そのままお風呂に入って。


それなのに、いざ寝ようと布団に入ったら目だけは妙に冴えていて、全然寝ることができなかった。



(全然寝れなかった)



ベッドの隣にある時計を横目で見れば、朝六時。

冬至が過ぎたばかりでまだ朝日は出てすらもいないけれど、時計は無情なほどに進んでいた。


私が寝ていてもいなくても、進んでほしくないと願っても、時間はどうしようもないほどに有限だ。



「...........いつから、なんだろう」



右手を上にあげて、顔の前にかざす。

考えを整理するために疑問を口に出したはいいものの、誰も答えてくれるはずもない。


そんなわかりきったことに苦笑をしながら、私はゆっくりと体を起こした。

告白というものは何回されても慣れないものだけれど、そんな自分なりにできるだけ返事は早いほうがいいというのは知っている。


幸いというべきか、自分はもう答えは決まっているのだから。


そう考えてチャットアプリの柊との個人メッセージを開くも、「今日話がしたい」というたったの七文字を打ち込むことができない。

けれどまあ今日中に送ればいいかと思って息をついて、そうして朝が過ぎ、昼が過ぎ、そして...........。



「駄目だっ!」



パラパラと同僚たちが帰り始めている中、私は勢いをつけて椅子から立ち上がる。

まるで昨日の柊と同じセリフを言っているな、と考えてから昨日の告白らしきものを思い出し、私は微かに頬が赤らんだ。



「奏。...........その、大丈夫なの?」

「...........大丈夫か大丈夫じゃないかって言われたら、大丈夫じゃないけど」



勘がいい私の同期は、きっと鈍い私と違って柊の意図に元から気づいていたのだろう。

心配そうにこちらを見つめる瞳がゆらゆらと揺れているのが見えて、私は安心させるために笑いかけた。



「でも、大丈夫」



今日やるべき仕事は、もうとっくに終わっている。

僅かな足音を立てて近づいた私に気づいたのか、眉を寄せながらキーボードを打っていた柊が顔を上げる。


これ以上、大切な後輩に失礼なことはできない。



「柊。今日、話がしたいの」

「...........わかりました」



私が端的に要件を伝えると、いつもよりどこか静かな様子の柊が頷く。

後は私たちがやっとくから、と言った察した様子の同期二人に感謝しながら、私たちはいつもよりも少し早めに会社を後にした。



「...........話って、昨日のことですよね」

「うん」



そして昨日と同じ場所に来て、同じようにベンチに座る。

私は震えそうになるこぶしを握り締めて、小さく息を吐いた。


人々の喧騒が、どこか遠い。



「―—――返事、聞かせてもらえますか」





◇◇◇◇◇





寒さのせいか緊張のせいか、震える息を吐き出しながら口を開く。



「あのね、」

「待ってください。...........少し、僕の話を聞いてもらえますか」

「っ、うん」



ありがとうございます、と柊が柔らかく微笑む。

昨日に続き、これも見たことがない顔だ、と私はぼんやりとした頭で考えた。



「僕、この会社に就職したばっかのとき、いつも失敗してばっかで」

「うん、知ってる」

「ですよね。それで、いつも先輩...........と言っても日野先輩だけじゃなかったですけど、いろんな人にフォローしてもらって、それで怒られてばっかで」



当時のことを思い出し、思わず私はふっと笑みが零れる。

それにつられたのか、微かに柊自身も笑みを浮かべながら、彼は話を続けた。



「僕、ある程度のことじゃへこまない自信はあるんですけど、ある日自分のせいでプレゼンに失敗しちゃいそうな時があって。その時、日野先輩がフォローに入ってくれて、なんとか成功したんです。それで、僕も流石に落ち込んでて」



そう言われて昔の記憶を遡れば、なるほど確かにそんなこともあったような気がする。

あの時はいつも涙目になりながらも頑張っている後輩が落ち込んでいるのは珍しいなと思って、そして自分は――――



「日野先輩が、コーヒーを差し入れしてくれたんです。『君の頑張りはいつか実るよ』って」



どこか懐かしそうに目を細めた柊が、ふっと小さく笑う。



「その時僕、『ああ、自分の頑張りを見てくれる人がいるんだ』って、思って。―—――それで、それからずっと、日野先輩のことが好きです」



ただの思い出話だと思っていたものがそこに繋がっているとは思わなくて、思わず咽る。

そんな自分に向かって柊はもう一度笑うと、彼は小さく口を開いた。



「そんなことって、思いますよね。―—――でもあの頃の僕にとっては、すごくうれしかったんです。そして、それはきっと...........今も」



ずっと遠くを見ていた後輩の視線が、こちらを向く。

その瞳に宿る光は昨日と同じくらい強くて、真っ直ぐで、やっぱり私は何も言えずにその目を見ることしかできなかった。



「先輩。僕はやっぱり、貴方のことが好きです」



――――きっと彼なら、私のことを幸せにしてくれる。

例えば幼馴染兼今の夫の様に十二年間も待たせたりしないし、それこそ先日後輩自身が言っていたように、クリスマスだって一緒に過ごしてくれるだろう。

優しい人だから、誰よりも大切に、大事にしてくれる。



(...........でも)



「―—――ごめんなさい。私は、瑞稀のことが好きです」



目を見て、はっきりと告げる。

きっと今目を逸らすことは、彼に対して失礼だ。



「だから、柊の気持ちにこたえることは、できません...........」



揺らぎそうになる視界を、目に力を入れて堪える。

そして、柊はそんな私をじっと見ると、不意に脱力したようにベンチに背を預けた。



「やっぱ僕じゃ、駄目だったかあ..........」



はは、と小さく声を上げてそう言った柊は、目を腕で押さえながら上を向く。

私は聞こえてきた「駄目」という言葉に息を呑んで、―—――そして、一歩後輩へと近づいた。



「柊。それは違うよ」

「先輩?」



腕をどかし、けれど体を動かしはせず、視線だけをこちらに送る後輩の目を、真っ直ぐ見つめる。



「柊がダメなんじゃなくて、私が、」



知らず知らずのうちに、口元が綻ぶ。

――――きっとこの後輩は、好きな人のことを大事にして、幸せにしてくれるだろう。



「ただ私が、瑞稀がいいの」



けれど私は、どうしたってあの不器用でヘタレで、けれど優しい幼馴染がいい。

柊とは違う優しさで、ただ守るのではなく、隣にいてくれる瑞稀がいい。


そしてそんな私の言葉を聞いた柊は、大きく目を見開いた後―—――ふっと一瞬、ほんの一瞬だけ、目元をくしゃりと歪めた。



「そんなあなたのことが、ずっと好きでした(・・・)..........」



―――—私は今日後輩と過ごしたこの時間を、言葉を、きっと忘れることはないだろう。



「来週からはまた、後輩としてよろしくお願いしますね、天都・・先輩」



きっと忘れることは、できないだろう。

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