おふたりさま
木之下 若葉。18歳。
大学生になって、寮の近くのトンカツ屋さんでアルバイトを始めた。
小さなお店だけど、店長の作る外はカリカリ中はふわふわのトンカツはとてもおいしくて、いつもたくさんのお客さまでにぎわっている。
一緒に働く店長も優しくて、今のバイト先を私はとても気に入っている。
気に入っているんだけど──。
春。バイトを始めてまもなくのことだった。
お会計の時、サンタクロースみたいな長いお髭を持つおじいさんに話し掛けられた。
「お嬢ちゃん、新人さんかい?」
「はい、今月からなんです」
「そうかい、私も最近通い始めたからおんなじだね。ここのトンカツが本当においしくてね」
「ありがとうございます、私も店長の作るトンカツ大好きなんです」
「おお、そうかいそうかい。ああ、そうだ、と言うことはお嬢ちゃんはまだ「おふたりさま」に会ってないんだね」
「おふたりさま、ですか?」
「ああ、おふたりさまだよ。おひとりさまだけどおふたりさまなんだ」
「え、どういうことですか?」
「会えば分かるよ。ごちそうさま。今日もおいしかったよ。また来るね」
そう言っておじいさんはお代を終えて帰ってしまった。
おひとりさまだけどおふたりさま。
一体、どういうことなんだろう。
お代をレジにしまいながら、私はただ首を傾げるしかなかった。
25日19時。
ガラリ。
お店の扉が開く音がして私は笑顔で挨拶をした。
「いらっしゃいませ」
そこには60代ぐらいのおじさんが立っていた。身長は180㎝ほどでスーツ姿。口をへの字に曲げてむっすりとしている。
「何名さまですか?」
訊ねるとおじさんは右手で「2」を作って答えた。
「2人」
後ろには誰もいない。
後から来るのかな?
そう思いながら2人掛けの席に案内をする。
「お2人さまですね。こちらへどうぞ」
おじさんはむっすりとしたまま席に着いた。
2人分のお冷やを注いで席に置く。
「ご注文は後ほどでよろしいでしょうか?」
おじさんは答える。
「ロースカツ定食ふたつ」
「かしこまりました。ロースカツ定食おふたつですね。少々お待ちください」
私は裏に行って注文を通す。
「店長、ロースカツ定食ふたつです」
「あいよ!」
店長は元気に返事をして作り始める。
ロースカツ定食ふたつ。
出来上がって、おじさんの席に運ぶ。
「お待たせいたしました。ロースカツ定食おふたつです」
置きながらおじさんの向かいを見る。
まだ誰も来ていない。
お連れの方、遅れてるのかな?
私はお会計表を置くと頭を下げてその場を離れる。
「ごゆっくりどうぞ」
それからくるくるとお仕事をしながら、ふとおじさんを見ると、レジのところに歩いていくのが見えた。
私はパタパタとレジに向かう。
2人分のお会計を受け取って頭を下げる。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
片付けをするためおじさんがいた席に向かう。
ん?
顔をしかめる。
綺麗に食べられたおじさんのロースカツ定食。お向かいの定食は──全く手を付けられていない。出したお冷やも全然へっていない。
お連れの方、結局、来られなかったのかな。おじさん、かわいそうに……。
もったいなく思いながら2つの定食をさげる。
「店長、ひとつ無駄になっちゃいました」
しょんぼりしながら裏にさげると店長はにっこり笑って言った。
「ああ、いいんだよ」
ちっとも気にしていないように。
さすが店長だなあ。
そう思いながら残念な気持ちで、もうひとつの定食を処分した。
それから次の月の25日19時。
おじさんはまたやってきた。
「何名さまですか?」
そう訊くとやはり「2人」と答える。
後ろには誰もいない。
あれ、また?
そう思いながら2人掛けの席に案内をして、お冷やを出す。
おじさんはロースカツ定食を2つ注文する。
食べ終わって2人分のお会計をする。
片付けに行くと向かいの定食はやっぱり全く手をつけられていない。
またその次の月も。
おじさんは25日の19時におひとりさまなのにおふたりさまでやってくる。
そこで私はやっと思い出す。
「おふたりさま」だ。
少し前におじいさんから聞いた噂。
おひとりさまだけどおふたりさま。
え、どう言うこと?
おじさんには一体誰が見えているの?
店長は相変わらず何も気にしていないような顔でにっこり笑っている。
もしかして、店長にも「誰か」が見えている?
何も分からないまま夏が来た。
7月25日。
外に出るとくらりとするような暑い日だった。
夏の夜の生ぬるい空気をまとって「おふたりさま」はやってきた。
「何名さまですか?」
訊ねるとやはり答える。
「2人」
指で「2」を作って。
「……こちらへどうぞ」
2人掛けの席へ案内をする。
注文はやっぱりロースカツ定食2つ。
ああ、今日もひとつ残るんだろうな。
そう思いながらも注文を通す。
1人しかいない席にロースカツ定食をふたつ運ぶ。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って頭を下げて席から離れる。
チラリとおじさんを見る。
おじさんは「いただきます」と手を合わせて食事を始める。
おじさんは何も話さず黙々と食べる。
むっすりとした顔のまま。
ちっともおいしそうじゃない。
でも、いつも器の上には何も残らない。
ご飯粒ひとつ残さず綺麗に食べる。
それがまた全て残っているもうひとつと比べてしまう。
お客さまに呼ばれて私は目をそらす。
他の仕事をしているうちにおじさんは食べ終わったようだ。
次に見た時には「ごちそうさま」と手を合わせていた。
そして、いつも通り立ち上がろうとして──え?
驚く。
おじさんは向かいの席を見て、幸せそうに笑った。
そのまま名残惜しそうにじっと見るとレジへと向かう。
戸惑いながら私もレジに行く。
2人分のお会計を払って、お店から出て行く。
その姿を見送って私は席へと行く。
なんだったんだろう、今の。
思いながら片付けをする。
向かいの定食は全く手を付けられて──
ん?
なくなっている。
いつもは全く手を付けられていないロースカツも千切りキャベツもご飯もお味噌汁もお水まで。
おじさんの器といっしょにご飯粒ひとつ残さず綺麗になくなっている。
え? 食べた?
誰が?
「誰か」が?
背筋がゾクリとして2つの定食を持って慌てて裏に走って行く。
「店長、これ!」
店長は「ん?」とゆったりとこちらを向く。そして、からっぽの2つの定食を見ると嬉しそうに目を細めた。
「ああ、来て下さったのか」
「来て下さった?」
どう言うこと?
意味が分からなくて首を傾げると店長が続ける。
「今日はあの方の奥様の命日なんだよ」
その言葉に私は固まる。
命日?
あ、だから……。
「旦那さんの給料日の25日はいつも2人でうちのトンカツを食べに来てくれてたんだ。19時。平日はうちの店の前で待ち合わせをしてな。奥様、いつも嬉しそうに待ってたっけ」
思い出すように遠くを見ながら、店長は少し切なそうに微笑んだ。
改めてからっぽの定食を見る。
おじさんの幸せそうな表情を思い出す。
名残惜しそうに見つめていた姿を思い出す。
私は何だか泣きそうになって、心を込めて2つのからっぽの定食に向かって頭を下げた。
「またのお越しをお待ちしております……」
店長は小さく笑うとその後に続いて深々と頭を下げた。
「またのお越しをお待ちしております」
その後、私はそれでも納得できないことを店長にぶつけた。
「それにしても、店長もそんな理由があるならどうして教えてくれなかったんですか。知ってたら私だって……」
「ああ、若葉ちゃんには申し訳ないとは思ったんだけど、本人が「同情されるより変な人と思われる方がいい」って言うもんだから」
「なるほど……」
その気持ちは分かる気がする。
かわいそうと思われながら食べるトンカツはきっとおいしくないだろう。
「ま、だから、これからも出来るだけ自然にしてあげて」
そう言って店長はにっこり笑った。
25日19時。
「おふたりさま」はやってくる。
「何名さまですか?」
そう訊ねると右手で2を作って答える。
「2人」
私は2人掛けの席へと案内をする。
「こちらへどうぞ」
注文は分かっている。
ロースカツ定食2つ。
私と店長はいつも通りおじさんを迎える。
少しでもあなたの悲しみが和らぎますように。
少しでも幸せな時間でありますように。
心の中で秘かにそう願いながら。